第27話② 女神の実力
〈カヒャッ〉
不気味な笑みと爛れた竜の腐った吐息。半分に割いた意識を一つに戻したエバンナは即座に、魔術を乗せた“音“を放った。
それは、人の理解を超えた難解で煩雑な術式であり、人の耳に聞き分けられない高速の詠唱法だった。
「ひっ」
芯まで冷え固め、動きを止めた魔王に背を向け、ネロスの魂の手綱を握るエバンナへと照準を合わせたベラトゥフだったが、脳裏に走る ビビビッ 経験的直観が“死“を察し───魔術師が緊急用に袖の裏に隠す転移魔術の魔法陣を起動させた。
その直後、ベラトゥフがいた場所から上空、広範囲の空間に
亀 ――が 入り の 空気 吸い
裂― 周囲 を 埋まり 消えた。
それは瞬き程の時間だったが、それが致命的な何かとだけ、ベラトゥフは理解した。
「何今の何今の何今のっ!?」
「相変わらず騒がしい」
パシッ! ベラトゥフの襟をしっかりと掴んだフォールガスは「げふっ!」彼女を上空へと連れて行き「ゲヒィン!」そのケツを空中で蹴飛ばした。
そのベラトゥフの残像をなぞるようにエバンナの魔力砲をすり抜け、爆風で吹っ飛ぶ彼女をフォールガスは空中でキャッチした。
「あれは死者の世界への転移魔術よ、ベラトゥフ。
巻き込まれればあなたの魂を握るセイレーンもまとめて、あの世でエバンナに魂を囚われる。気を付けなさい」
「やださすが八竜様だわ理不尽の極み―――けど待って。
八竜魔術に精通し、私を雑に扱うこの感じ……!
まさか───あなたは“大女神“ではッ!!?」
ベラトゥフの目には、その大男の横に“虚像“が見えていた。
黄金の竜ゴルドーの名を冠する賢者、且つ、女神の始祖。
大女神テスラ―――その幻影だ。
彼女は特徴的な容姿だから、見間違うはずもなかった。
長い金色の髪、線の細い輪郭、赤い瞳の細目……何よりも
エルフとしてはあまりに短く、人間にしては骨格が尖っている……“耳“。
女神経典にも歴史書にも書かれていないが、女神であったベラトゥフは知っている。
大女神は忌み子、“ハーフエルフ”なのだ。
「いるならいるってもっと早く言ってくださいよ! 普通もっと自己アピールしません!? 後光とか差しながら上から説法放ちながらパアァァ!って君臨するもんじゃないですか女神って?! 音沙汰ないまま20年ですよ!? サプライズが過ぎませんか!? 私一人しか残ってないのかとばかり思っていたのに事前連絡もなしにしれーっといらっしゃるなんて心の準備が整っておりませんのですが何処で油を売っていたんですかッ!?!」
ベラトゥフは頭を抱えて、安堵と憤怒と歓喜と苛立ちで、とても前向きなパニックに陥った。
それは、大女神がいるなら何とかなる気がする! そんな強烈な安心感でもあった。それが八竜相手だとしても、大女神が味方ならなんとかなると。
大女神テスラは、賢者レベルの知識と技術があるベラトゥフにとってさえも、憧れの存在だったからだ。いや、彼女を目標にして研鑽を重ねてきたといっても過言ではない。
「はあ……可哀想なベラトゥフ」
溜息と共に放たれるのは、ベラトゥフの相手をするのが面倒臭そうな溜息と呆れ
それでもいつも、話は最後まで必ず聴いてくれる。
それでいて、掛ける言葉は常に的確で
慈悲深い大女神の―――……。
「あなたも同罪よ」
「え?」
記憶と変わらない声色の
「私を騙し 勇者を裏切り 魔王の眠りを解いた……。
あなたたちも 八竜も 私は絶対に許さない」
それは……無関心な殺意だった。
今すぐにベラトゥフの細い首をへし折ってやる、なんて野蛮な血の気の多い殺意などではない。
崖から落ちそうな人、今にも溺れそうな人、傷つき血を流す人、今にも飢え死にそうな人が必死に救いを求める……その手が空を掻く様を見ながら、淡々と何もせず見つめるだけの冷めた目だ。その者が息を荒げ、死に瀕しようとも、助けてくれと叫ばれようとも、まるで興味のない顔だ。ピクリとも良心の呵責に揺れない幻の指を、研がれたナイフのようにベラトゥフの耳を撫でる。
理性と慈悲の皮を被った溶岩の如き憤怒、フォールガスの身体を介した重苦しい圧に、ベラトゥフはフォールガスを蹴り飛ばして離れ、エバンナの攻撃を避けながら魔術で上昇した。
「ただ今だけは、私とあなたは利害が一致している」
「利害?! 何ですかそれ!」
「このチャンスは有意義に使うべきね」
〈私を差し置いてお喋りとは余裕ですね〉
エバンナから放たれる魔力砲、各種魔術の嵐。
その暴風に揺れる雨粒を避けるよう的確に針の孔を見つけながら───ベラトゥフとフォールガスはエバンナを黙らせるよう攻撃を浴びせかけた。
「私は魔王を、奴の手に渡したくないの。
それを防ぐには今この瞬間、私はあなたに協力しなければならない。それだけのことよ」
「魔王? 魔王って 何 ちがう、ちがう違う違うッ待って!
あの子は“ネロス“よ! 私の───」
「拾い子への情に目が眩んでいるようね、可哀想なベラトゥフ。
アレは魔王の器を創るための、いわば“種”だったもの。
それが実った今、エバンナにとって、あなたがネロスと呼ぶ者は邪魔なのよ」
ドクッ それは魂の慟哭というべきか。
ベラトゥフの存在しない筈の鼓動が跳ね上がる衝撃で頭が真っ白になる。術式が解けて地面に降りるベラトゥフへ、容赦なくエバンナの魔術が襲い掛かる。
〈カヒャッ〉
それは吐息程度の詠唱。だが放たれたのは―――人よりも1桁違うエルフの可聴域の、何十桁も超えた、マイクロ波だ。
(―――身体が 燃 え る )
すぐさま何かの攻撃を受けていると理解し、考え得る全ての手段を用いて全身を魔力と物理的な土魔術で覆うも「 ぎぶぃ ぃ―――っ!」身体の内側から焼き殺される耐え難い熱感に襲われた。
全身の温度を下げるべく身体の中外へ魔術を放つが、全身が焼け石に水状態。鼻からも耳の穴からも目からも茹だった人工血液が湯気を放って溢れ出し、堪らず膝をついて丸まり「ぐぅぇぇぇ」溶けた内臓っぽいものが逆流して口から吐き出されて来た。
一瞬で 指の先から頭の天辺まで巡る 身体の水分と人工血液が沸騰した。
もしベラトゥフが生身であれば心臓も脳も焼き溶けていただろう。生命活動を伴わない人体人形で、痛覚を持たないからこそベラトゥフの意識は残っているに過ぎない。
『魔力管と血管の連結路、内臓器の6割近く持っていかれたわよ』レキナからの冷静を装う被害報告に「やっ、だ 終わっ、てん……じゃ、ん」ベラトゥフは自分が相手しているのが八竜(神)であることを再認識した。
地に伏し体の調子を急いで建て直すベラトゥフを他所に、マイクロ波の影響を予め対策していたと言わんばかり、全身を魔力で常に覆いつくしているフォールガスが大剣をエバンナの角の一方を切り裂いた。
「任意の魂に合致する肉体は、人の領域では“絶対に”創り得ないのよ
だから、任意の魂を宿した肉体を最初から創るため 愚かな人間が、魔王の魂を胎児に宿した」
「人は同じ過ちを繰り返す……あなたも人類に嫌気が差したのではありませんか? テスラ」
「不埒な蛇め、この私を誘っているとすれば言葉の選択が低俗よ。
私は自身が人以上になったと驕ったことなどない。独善的な復讐心の矛先が多いだけ。
その矛先に、あなたもいるのよ、エバンナ」
「それが驕りでしょう? 人如きが」
爆発と黒煙、その衝撃の余波が四つん這いのベラトゥフにも及んだが
「すっとこどっこいッ! ぜぇはァ!」黒煙を弾き飛ばし、焦げ目のついた口元を拭ったベラトゥフが、切れた魔力を補充し直すべくレキナ共々精一杯呼吸しつつ、凍った地面を不器用に駆け出す。その後ろから追う様に伸びてくるエバンナの攻撃の隙間へ跳び、滑り、転がりつつ、飛翔の風魔術分の魔力を確保して「協力する気がないんですかッ!?心身が砕け散りかけました!」何とか飛び上がる。
「仲良しごっこはとっくに終わったのよ 戦えない者に用はないわ」
「右も左もわからない研修期間中に新人のメンタルを踏み躙るお局スタンス最低です!」
「その例え方やめて」
ベラトゥフの頭上に作り出される氷の弾丸と同じ氷柱。投擲された氷柱へ、エバンナの口から放たれた魔力砲が迎え撃ち「!」爆散した氷柱の中から白い霧が拡散――――テスラがすかさず、風魔術で白い霧を纏った竜巻を作る。
冷気を相殺すべく続け様に放ったエバンナの炎魔術は竜巻の威力で掻き消され、一瞬溶けた水分はすぐさま氷塊となって竜巻に呑まれ、エバンナの皮を切り裂く刃となった。
〈小癪な―――〉
エバンナの膨大な魔力を魔法障壁にして、四方に放って竜巻を弾き飛ばすも
「鈍間」
砕けた氷塊の粒同士の摩擦と魔力から集めた電気がフォールガスの大剣に宿り、剣先一点から強大な雷鎗が放たれ―――竜巻を振り払うために魔法障壁を失くしたエバンナの無防備な腹から背中へ―――雷鎗が突き抜けた。
空いた風穴から どさどさ―――肉塊が零れ落ちて、沸々と泡立つ黒々しい血が溢れ出す穴の至近距離で「倍返しじゃア!」―――テスラに転移されたベラトゥフが氷剣山の氷魔術を放った。
ベラトゥフの手元から花咲く様に突き出された鋭利な氷の山───即座に展開する八竜の魔法障壁を物ともしない高密度高硬度な純物質の氷がエバンナの肉塊を食い千切り、首の半分、首の付け根から翼の生えた胴体を大きく抉り取った。
「ぜぇぜぇ……やっ た やった……!」
『この肉塊はエバンナの本体じゃないわ ただの魔物の寄せ集め』
「やめてよしてツライ現実受信拒否」
テスラは伝聞の雷魔術でベラトゥフの脳裏に直接、喋る言葉よりも素早く事実を投げかけた。
『エバンナから魔王の占有権を喪失させるには”封印術”が最適解よ』
『封印術ぅ?! 使えませんでしょ私たち―――あっ』
封印術とは、魔術を封じる魔術だ。
あらゆる魔術の術式を障害する魔力の侵襲行為。それには術者の魔力が“無彩色の波長“であることが前提条件だ。
それ故に、無彩色の波長域を持ちえないエルフには封印術が使えず、人間特有の魔術とも呼ばれている―――つまり、だ。
『魔王は封印術を使えるの。
”彼”を王の呪縛から解くために、”勇者”が封印術を教えたから……』
ほんの一瞬だけ、テスラの細目が僅かに開き、幽かに赤い眼光が揺れるが、それに思いを馳せる余裕はベラトゥフにはなかった。
〈本当に煩わしィ……人如きが
こノ私に、いつモ盾突いて……カハァ……〉
謁見の間に崩れ落ちたエバンナだった肉塊、そこから泉の如き流れ出る血から湧き出る泡のような真っ赤な眼球。肉塊が動かなくなった後もそれが沸々と湧き出てきて、凍った地面にコロコロと転がりだし、その眼球一つ一つに歯肉剥き出しの歯と口が現れ、全て同時に同じ事を喋り出した。
〈〈〈〈〈殺す〉〉〉〉〉
『ナニコレやだ気持ち悪いッどういう趣味してんのねええ!?!』
『魔王が封印術を使用すれば、あなたの死霊術ごと、エバンナの死霊術も失効する。だから、エバンナよりも先に死霊術を契約し直す。それが奴から占有権を取り戻す唯一の方法よ』
『ちょ待っ―――八竜よりも早く詠唱しろって事デスカ!?』
エバンナは、黒煙を放つ広範囲の爆発や、死者の世界への転移魔術、ベラトゥフを瀕死に追いやったマイクロ波などの八竜魔術を”カヒャッ”ぐらいの一秒足らずの吐息で発動させている。ベラトゥフが唱えられる程度でもある勇者の死霊術をエバンナが唱えるとしたら”カヒャッ”より早い可能性すらある。
『やってもいないのに不可能とほざく低能を女神に選んだ覚えはないわ』
『ぎゃあーーー人でなしぃいいッ!!』
〈〽堕ちろ 夢の奥へ 奥へ
堕ちろ 墓場の裏へ 裏へ〉
眼球から一斉に詠われる、ベラトゥフたちの鼓膜にも聞き取れるハッキリとした詠唱。
『けど待って鬼畜生』
『次言ったら消すわよ』
ベラトゥフはテスラの作戦に疑問を呈した。
『死霊術を一斉に封印術で解呪したら、ネロスの魂が遊離して死んじゃうじゃないですか!!』
『フン、死霊が”死ぬ”とか『鼻で笑わないで!』解き放たれた死霊の魂はどこに消えるか知らないの?』
『え、死者の世界……』
『はあ……可哀想なベラトゥフ。あなたは本当にまだ鈍い。
ヤドゥフの機転の早さが懐かしいわ』
大女神の溜息と作戦の意味を
「あ」
転がる眼球の不敵な笑みから察したベラトゥフは――――叫んだ。
「レキナ死霊術を解いてッ!!」
エバンナの血の沼から「〽堕ちろ 堕ちろ 堕ちろ」飛び出して来る黒い腕が無数に、ベラトゥフとテスラの“魂”を掴むと
「 」
身体だった人体人形とフォールガスの身体をその場に残して―――二人の魂は―――血の沼の奥へと連れ込まれた。
2022/11/6追加しました