第25.5話 人体人形(ホムンクルス)
『うわあああああああっ ああああああっ!
ぴぃえええええっっっ!! ネロスがぁあああっ!! 誰なのよネロスを盗ったのはあああ!! ひぃえええええんっっ!!ネロスを返してぇええ!! 私の可愛いネロスををを返じでぇえええ!!』
「うッるっっさい!! 泣いてる暇があるなら手伝いなさいよ!」
小さなガラス瓶に入った木片が泣き叫ぶ。その甲高いベラトゥフの声がコルクの栓を通り抜けて反響し、黒板に魔術式を書き込んでいくレキナの鼓膜を揺さぶる。
ネロスが何者かに盗られた瞬間、二人は分け目も振らず魔女の家に戻った。
「オカエリ」と畑にいるトンプソンの声が終わる前に家の中に飛び込み、レキナは急遽、錬金釜に机の上に置いてあった材料を全てぶち込んだ。続けて、黒板にギッシリと書いてあったメモ代わりの術式をすべて消し去り、新たな術式の計算を始めた。
「いくら占有権が浮いていたとはいえ、アンタが使った勇者の死霊術は、金の賢者テスラに八竜が与えた八竜領域の死霊術。
それを更に強い条件で上書きできるとすれば、八竜ぐらいしかいないわ」
八竜領域の魔術とは、本来、人には扱えない魔術領域の事を指す。
天変地異から魔法改変、世界規模の効果範囲など多岐に渡り存在し、一般的には”神の御業”や”奇跡”と称される。
逆に言えば、八竜領域の魔術の一端を理解し発動させた時点で、八竜によってその者は危険で有用な存在とみなされる。野放しにしていればいずれ自分たちに牙を向きかねない、だから八竜は彼らを”手元”に置いて管理したがる。“主たる八竜の色を冠した賢者”はソレだ。
「エバンナよ、アイツしかいないわ……あんの寄生虫 道標を操作して、クソガキが死霊化するのを待っていやがった可能性すら……」
『ひっぐ……どうして? どうして八竜がこんなことするの?』
「奴が大の人嫌いだからよ。それ以上の理由なんて知りたいとも思えない」
『八竜の一柱であるエバンナが四天王に列しているのは……何か理由があるの?』
「ないわよ。
本来、“四天王は四人の王に与えられた称号”であって、何も知らない連中がそれっぽく名付けただけだもの。
鬼将バーブラ、災食ゲド、幻影ドップラー、災邪竜エバンナ。
こいつらに共通した接点なんて私が知る限りないわ」
術式の計算式が黒板を乗り越え、壁に至り間もなくレキナの手が止まり「アンタの波長は!?」ベラトゥフに怒鳴った。
『え、えっ、何で私の?』
「アンタの魔力波長の再現よ! 下9桁まで合わせてやるから言いなさいボンクラ」
『え……99.931965934と182度』
「なにその波長、気持ち悪い」
『言わせといて?!』
ベラトゥフが答えた数字を計算に盛り込み、その計算結果から錬金術の材料に微調整をかけていく。
毒々しい色から、血のような赤褐色に変わっていき、沸騰しないよう加熱を抑え……レキナは大きな溜息をついた。
「まったく……こんな筈じゃなかったのに。
この材料を集めるのに何年かかったか。
魔族の連中を仲介に魔物を買収して、闇市開くのにどれだけ」
『……これ、人体人形の術式よね』
「今更……そうよ、人体錬成よりもマイルドな禁忌。
生命活動を伴わない人工体の創作」
『他の人に使うつもりだったってこ……、あ。』
魔物の薄皮を敷き、手の平大の、木彫りの人形を横たわらせた上から、熱々の赤褐色の液体を浴びせ掛け……魔物の薄皮で木彫りの人形を包み、腸間膜の拗り糸で縫い込んでいく。
ベラトゥフが口を噤むと「慰め目的で彼を戻すとでも? 気色悪い」『気色悪い?!』レキナは淡々と「死者に愛を求めるなんて、反吐が出るわ」言い放ち、鼻で笑った。
「トナーは黒の賢者、魔術師協会の長、武闘魔術師だった。
エバンナを倒す戦闘力が私に無いから、倒せる力を持ち得る賢者を復活させようとしていただけ。
それが、同じく武闘魔術師であるアンタにすげ変わった、それだけの話よ」
世界樹の若木からしか得られない木彫りの骨格。
上級以上の魔物の皮を特殊加工した肉。
魔力の波長を近似値まで調整した人工的な血。
そして、ベラトゥフの魂。
錬金術における基本概念として、人体を構成する『血・骨・肉・魂』の四大要素のうち魂を除いた三つがあれば、肉体は創造出来る。そして、この肉体だけのものを総称して、無魂体と呼ぶ。
無魂体に対し、後から魂を宿らせる事は不可能とされている。相性の問題がある────肉体と魂は巧妙な鍵と鍵穴、それらが揃った状態で人は生まれてくる───からだ。
「今回は私がアンタの死霊術師になってやる 感謝しなさい」
人体人形は無魂体の一種だ。もぬけの殻、似非な人体だ。
だから、無魂体に魂を宿すには、別に、魂を任意の場所に括りつける魔術───死霊術が必要になるのだ。
『人体人形って手段があったのに最初から私に提示してこなかったのは、勝てる見込みがないと思っていたから?』
「そうよ、今だって思っちゃいないわ
傷を負っていたとはいえ、魔術師協会の長を殺した相手よ
いくら知識も技術もセンスもあろうと、オモチャみたいな人形の身体で八竜に勝てると思う? 負け戦に賭けるよりも、聖樹を蘇らせ、エバンナを弱体化し、その後に戦えば勝機が見えるだろうと思っていたのよ
それをよくも……」
レキナの強い意志を、ベラトゥフはヒシヒシと感じた。それ程までに、彼女はエバンナを倒したいのだろうし、ネロスがエバンナの手に落ちる事を懸念している。マイティアをカタリの里へ向かわせるよう仕向けたのも、聖樹の復活によって八竜であるエバンナを弱体化させる事にあった。彼女の行動は、手段を問わないだけで、一貫はしている。
『…………。』
レキナは木片から、不満げな鼻息のような音を聴いた。
「何よ、文句があるの? 勝つ見込みがない戦いに向かうのはご勘弁願いますって?」
『違うわよ。
この千載一遇のチャンスを無碍にするなんて、私はしない』
ガラス瓶から取り出された木片は、レキナの手の中で、煮え切らない思いを伝えた。
『約束してレキナ。
私はエバンナを倒しきれないかもしれないけど、ネロスは絶対に取り返す。
それが叶ったら、ネロスに謝って。
ミトちゃんに全力で平伏して謝って』
「はあ?」
『あの子たちにはあの子たちなりに戦っていたの。
あなたには亀のような足取りに思えたかもしれないけど、ちゃんと彼らと話をしていればこんなことにはならなかった』
「なによそれ」
「聖樹が八竜の力を奪うから、エバンナを倒すために必要だって……、彼女を無理矢理カタリの里へ向かわせるなんて、そんな非道なことしなくたって、マイティアは、話せばわかる子だったわ』
「ハッ! 自分が死ぬ正当な理由があれば、わかりましたって死にに行くってこと? バカバカしい、そんなこと」
『たったそんなことだったのよ! そんなことしか望んでなかったの! そんなことすらも叶えてやれなかったのよ! 大の大人が揃いも揃って!知恵を振り絞るどころか、女神の子本人をドン底に突き落としたの!』
ネロスが聖剣で顔面を自傷し、寝込んでいたあのとき
ベラトゥフはマイティアの不安を聴いていた。
女神の存在を実感していない世代である彼女の、女神になる事を強いられ、虐げられてきた境遇も
魔術の才もない自分が女神になって務めを果たせるのか、守り人さえも拭ってくれない不安も
王都に帰ればタダでは済まないとわかっていても、自分の意志で女神になる……確かな理由が欲しかったことも
そう、マイティアは小さく縮こまった胸の奥に、はち切れんばかりに抱えていた。
それなのに。
胸一杯の不安や絶望が、レキナの幻惑術が解かれた瞬間に爆発したのだろう……彼女の狼狽と嗚咽は、あまりに見るに堪えなかった。
「つまり何? 死に方を選ばせてやればよかったって? 贅沢な悩みね。
世の中、道端で野垂れ死ぬ乞食も、生きたまま魔物に貪られて死ぬガキも、心が折れるまで陵辱されて死ぬ女も山ほどいるのよ。
それを差し置いて、自分は処刑される尤もらしい理由が欲しいだなんて、なんてまあ我が儘な囚人だこと」
『同じ様な不幸が山ほど転がっているから見棄てて良いなんてどういう了見してんのよ。不幸の順位付けに何の意味があるわけ?!
私が言っているのは! 脳味噌皺くちゃなほど頭のイイアンタが! 必死に生きようと戦っていた彼らの足下掬って! ドン底に転げ落としたことよ!
無策で低俗だわ! 人の話も意見も聞こうともしなかったトンチンカンのアホんダラ! 大ッ人げない選択をしやがった大馬鹿者め!
不幸な人は他にもいるわなんてダッサイ言い訳を我が物顔で言いやがって! 人生の先輩として恥ずかしいったらありゃしない!』
チッ……込み上げる反論はあったろうが、しかめ面のレキナは舌打ちだけをした。出来る事ならベラトゥフを睨みつけてやりたかったが、今ここで、ベラトゥフ(お人好し)に働いて貰わなければ、今度こそ”詰み”だ。
『ミトちゃんはもう、長く苦しんできた過去も、絶望した記憶も失ってしまったけど
私も、ネロスも、あなたがしたことを忘れないわ。
ちゃんと悔いて、ちゃんと謝って』
「綺麗事を」
『そうよ、ピッカピカの綺麗事よ。綺麗事ってちゃんとわかってんじゃない。
それとも、自分から泥沼へ身を汚しに行ってるの? 物好きね。
セイレーンの黒肌は光の下でこそ美しく輝くのに』
そう言われて、レキナは鼻で笑った。
握り潰せば消え失せる木片に収まる魂如きが、なんて偉そうにと。
だが、馬鹿馬鹿しいやり取りや綺麗事なんかに哀愁すら感じ始めている老いと孤独が目に染みる。
何が美しいだ。魔術に詳しいベラトゥフが、レキナの、“しわくちゃな姿“を見抜けないはずがないのに。
懐から煙草を取り出し、不器用に咥えた。指先から魔術の火を起こし、懐かしい人たちの匂いがする煙草のベールに包み込まれ……化粧直しをするように熱い目頭を冷ます。
「相打ちでくたばれ」
『私は死にましぇーん! もう死んでますからァッ!』
家中に響き渡る克明な舌打ちを鳴らしながら、レキナは死霊術を唱えた。
「私から共有する魔力量は538kmp
このゴーレム体の計算上の最大魔力変換速度は33mp/secしか出ないから、節制しなさいよ」
『ケチ』
「は?」
『もう一桁二桁出せるでしょ共有魔力』
『ほら、魔力回復のエーテル
売るほどの材料と錬金釜があるじゃない
作って飲めばエンドレス!』
賢者の喧嘩が勃発した。
(2022/10/29改稿しました)