第25話③ 復讐
『ネロスッ! いやっ! ネロスッ!!ネロス!!』
手の平大の木片から、ベラトゥフは悲鳴を上げた。
我が子のように見守ってきたネロスが、蟻地獄と化した砂地の奥深くでぐちゃぐちゃに潰されていくなんて、彼女は当然、堪えられなかった。
だが、どれだけの魔術知識があろうと、彼女はもう魂だけの存在だ。
手も足も出せない。口を出すにも、その言葉が聞こえるのは、極一部だけだ。
「やるじゃない、ゲド。魔術が効かない奴を地形技で閉じ込める脳があったなんて見直したわ」
『見直してる場合じゃないわ! ネロスを助け出さなきゃ』
「いい加減に諦めなさい。
ちょうどよくゲドが死霊を処分してくれたんだから、寧ろ感謝すべきよ」
砂地の上、宙に腰掛け足を組むレキナはベラトゥフの言葉に動じない。ベラトゥフは涙混じりに金切り声を張り上げた。
『意地悪大魔王ッ! あんたはどうしたいのよ!?
ネロスがいなくなったら一体誰が魔王共と戦うってのォ!?』
「鈍臭いわね、あんたに決まってんじゃない」
『はい?』
レキナは大真面目に「じゃなきゃ助けたりしないわよ」言い切った。
冗談ではないことを察したベラトゥフは、その自信の故にすぐ思い至った。
『まさか“人体錬成“ッ!?!』
「そう」
『ド禁忌よ! 八竜からマークされる一発アウトの禁域じゃない!
ねえ!? 道徳心ン仕事してる!? 倫理観は外出中?!』
「死霊術師に言われたかないわ」
『やだ ぐうの音も出なぃ……じゃないっ!』
ベラトゥフはレキナに縋りつくように
『魔女だなんだ言われてるけど本当は私たちの味方なんでしょ? エバンナを倒したいのは私たちも一緒よ。だから───』
根元近くまで短くなった煙草を吐き捨て「気に食わないわね」レキナは目に見えないベラトゥフの幻影に向けて鼻で笑った。
「自分に身体があったらゲドなんか倒してやるのに、性格カスみたいな女にお願いしなきゃいけないなんて反吐が出るって顔してそう」
『……お、お願い致します……ネロスをたすけてください』
「ハッ! 図星とは畏れ入るわ。
ただ残念ね、頼み方の問題じゃないのよ。
アンタは毛嫌いしているから幻惑術の傾向を知らないだろうけど、幻惑術にはかかる側に知識と人格が必要で、論理的思考を持つ奴じゃないと効果が薄くなるの 意味わかる?
私の天敵は“バカ“なの。
ゲドに私の幻惑術が効かないってこと。
アンタと違って武闘魔術師じゃないし、アイツと相性悪いのよ、私」
『────っ』
ベラトゥフは祈り願う思いで、反応の薄い地中深くを、涙で滲む視界で見つめた。もう彼女には死霊術を解く以外の術など残っていない。生かしたところで、ネロスは永遠に死ねないまま苦しみ続けることになる……。
我が子のように見守り、傍らで彼の成長を見続けていたベラトゥフには、堪え難い選択だった。もし、転移魔術で彼との居場所を入れ替えられるものなら地獄の中に身を投げることも彼女は辞さなかった。
だが、そんな選択肢すら今はない。
賢者と認められるまで学んだ魔術知識が、無理だと、導き出している。
『うぅっ うぅぅ うううっ!』
一秒一秒、刻一刻と決断を渋る間、彼女の脳裏に骨が折れ砕ける音と我が子の悲鳴が鳴り響く。胸を焦がすほど煮詰まった罪悪感に灼かれていく希望を───。
『…………ネ ロス を 助けなきゃ……っ』
ベラトゥフは…………捨てた。
女神は、勇者の死霊術を 解いた。
それでネロスは、死んだ──── ── ─。
─────────筈だった。
ズボッ! 砂の渦の中心から
何かが飛び出した────。
『ひっ!?』
ゲドの頭だ。
「───どういうこと?! どうしてゲドが」
真っ赤に血走った一つ目は無惨に潰され、顔面を顎から捲り上げられて、鋼鉄の外殻がベコベコに拉げている。
ズドンッ! 蟻地獄の中からの爆発で、天高く砂柱が突き上げられるが、その中にゲドのバラバラになった手足と胴体が混じり―――血の雨で固まる砂地に、“ソイツ“は何食わぬ顔で這い上がってきた。
ネロスだ。
いや、精確に言えば、その骨───死霊だ。
先程から特別に変わった様子は見られない。
見られないからこそ、ベラトゥフとレキナの不安と緊張が鼓動の度に高まっていく。
ベラトゥフは確かに、死霊術を解いたからだ。
では、眼下に見えるあの死霊は───“誰の“だ?
『レキナ退いて 盗られた』
感情の追いついていない端的な言葉、それを聞く前に、レキナは全速力で南へ逃げた。後方を窺う事もなく、レキナはベラトゥフの宿る木片を手に、森の中を掻い潜るように低空で飛び、逃げた。逃げるしかなかった。
『うっ───うううっ! ネロス……っ!
うわああああああああんっっ!!!』
「…………」
ネロスはレキナを追わなかった。足下に転がっていた肉塊が再び、ゲドの姿に形成されたからだ。だが、先程よりも一回り身体が小さく、絶えない憤怒の中に確かな畏怖が入り混じった目をしている。
ゲドは捉えきれなかったのだ。
ネロスにトドメを刺すように持てる最大出力で圧縮の土魔術を使用したその直後、ゲドはバラバラになり、吹っ飛ばされたからだ。
どんな魔術を使われたのか、そもそもネロスに反撃されたのかさえ、ゲドは理解できなかった。
ただ、ネロスの中に雪崩れ込んでくる魔力の持ち主は、理解できた。
「エバンナ テメェ……なんのつもりだァアア゛ンッ!?
テメェじゃ何も出来ねぇ寄生虫が、調子に乗るなよ殺すぞ!」
「…………」
その恫喝に、ネロスは無反応だった。糸の切れた人形の様に動かず、ウンともスンとも言わない。
「ウントカスントカ言えよゴラァ!」回復した拳を握り、振り翳すが
───ソイツは、ネロスの声を出した。
「頭が高いですよ“ゲルニカ“」
「あ?」
ゲドの視界からネロスが消え「グゲェッ!」背後に回ったネロスの踵落としが分厚いゲドの項を砕いた。
堪らず膝をついて倒れ込むゲドが「クソガッ」尾を振るい、砂の下に再び潜り込むも
コッコッ、足で地面を叩く 音
「ゴォェ ェ ェ ェ」
何処からともなく召喚される魔力の刃が砂の中を泳ぐゲドを滅多刺しに貫き───地上へと突き上げた。
「八竜の身体を利用しただけで我々と同列であると誤解なさるとは これだから人類は烏滸がましく、何処までも愚かです。
何より、焦燥と憤怒から理性を失い、耄碌されたあなた如きが、この私を寄生虫呼ばわりなど笑止千万」
「 あ゛あ゛ッ!? よく聞き取れねェぞ腑抜けが!
腹から声出せやテメェの断末魔をよ!!!」
殴り合いならば、互いのダメージからの回復、その時間差が勝敗の分かれ目だった。ネロスは先程まで“魔術“を使える技術がなかったから。
だが「ほグェ」ネロスは魔術を使い始めた。それも、詠唱もなく、動作も最小限に。ゲドを前にして両手を後ろ手に組み、足先だけの単調なタップで、攻め入る隙のない魔術を浴びせ掛けている。
「このオレ様が負ける訳がないッ!!」
堪らず、魔術を弾く為に回復から魔法障壁へと魔力を使用し、ゲドは魔術の網を掻い潜ってネロスを拳の射程範囲に入れ────後ろ手に組む手を前に持ってこられる前に鉄鎚を振り下ろした。
が、ゲドの拳は前腕ごとへし折られ、折り畳まれ、肘から上腕側へ反り返り───腕が堪らず 破裂した。
ネロスは腕を前に持ってきたものの、それ以外の動きは見せていない。何をされたのかさっぱりわからない。魔力操作が煩雑すぎて把握できない。
ゾクッ───ゲドは故も知らない恐怖に震えた。いや、これは“ゲルニカ“の恐怖ではなかった。“ゲドの身体“に染み込んだ記憶だけが、ネロスの“魔術“を理解したからだった。
この瞬間、ゲドの憤怒で侵された思考が冷え込み、魔に侵されていない頃の“ゲルニカ“の冷静な感情が、生存本能の様に湧き上がってきていた。
回復から魔法障壁に魔力を操作してしまった。
回復に転換するには数秒かかる。
貯蓄してきた魔力も残り少ない。
回復よりも奴が魔術を使う方が早い。
奴は死霊、直接的な魔術では魔法障壁に掻き消される。
魔法障壁を突き破るほどの 一撃でしか 届かない。
身体が憶えているネロスの“魔術“への恐怖の故など理解できないまま、“ゲルニカ“は不意打ち用で、最後の手段である────貯蓄分全ての魔力の塊───腹の“目“を 放った。
肋の牙が開かれ、縦に裂かれる腹 巨大な舌の上にある
“目“。 そのもの。
黒い球体と変わったそれから放たれる、高密度の魔力砲。
ナラ・ハの森の半分を焼け野原と化す程の強大なエネルギーが至近距離からネロスへと放たれ ─ ── ─────ッヅォォォォオオンッッッ!!!
「困りましたね……致命的な操作遅延ではありませんか」
激しい爆発と衝撃、立ち込める瘴気混じりの砂埃
ネロスは肘から先の右腕を失っていた。だが、煙を上げる傷口を左手で埃を払うように叩くと、右腕は瞬きの間で元通りに修復された。
「つくづく人類は愚かなモノを作る……。
傲慢で未熟、不完全で……まるで美しくない」
その右腕の先
ゲドの腹の、巨大な“風穴“の向こう側
足下の地面から遙か遠くに見える地竜山脈の山が くり貫いたかのように抉られていた。
「 ア … ガ…ァ …」
修復のための魔力の貯蔵庫でもあった“目“が消え、修復できない風穴から乾ききった呻き声が溢れる……顔面の大きな一つ目は白目を向き……力なく
ズシン…… ネロスの足下へ、ゲドは倒れ込んだ。
痙攣するゲドの頭に食い込むほど踏みつけたネロスは、労るような口振りで
「権力に酔った老害に言いように使われ、不本意だったでしょう、“ウェルドニッヒ“……ゴミはこちらで処分しておきます」
尻尾の様にしなる尾骨の鋭利な先端でゲドの顔面を貫くと────その身体が漆黒の焔に包まれ
「オオオァェァゥァァギァァァアア……ァァ……、…………」
焔はみるみる人の形───ドワーフ体型の何かをゲドの身体から炙り出していき
「ァ ァ…… … … … 」ソイツの肉も骨も、魂までも、焼き尽くしてしまった。
その場に残された、ゲドだった身体は パキパキパキパキ……その場で丸く、円く縮こまるように硬化していき
大きな、岩になった。
荒れ地と底の見えぬ割れ目の前に鎮座する、灰色の岩。原型を留めないそれは、殺風景によく溶け込み、誰の目も引かない岩。道端に転がっている石ころの、大きなものに成り果てた。
「ようやく手に入れましたよ……“赤月の竜“の力を!」
ネロスは───いや、エバンナは、己の勝利を確信した。
人類を滅ぼす切願。
それを叶えるため最も強力な“兵器“を手に入れたからだ。
操作の遅延こそあったが、“唯一無二の能力“は未だに健在だった。
この力が加われば、もうエバンナに敵う者などいなくなるだろう。残り僅かな強者たちさえ消えれば、後はただ、残党のみだ。
悲願の達成に酔いしれるかのように、空に浮かぶ赤月を見上げた。
その直後
愉悦が掻き消された。
ピシャァァアン!!!
大地を裂くような激しい雷雨であった。
突如として、ナラ・ハの森にかかる分厚い灰色の空を塗り潰すかのように、唸る雷雲が押し寄せ、遠くに霞む赤い月までも覆い隠したのだ。
降り頻る雨は大地を削るように、吹き荒れる風は竜巻となって、閃光と轟音の雷鎗が、深き森の城へと突き立てられた。
レンス・タリーパ……エバンナの牙城、魔物の巣窟と化した、エルフの宮殿
無礼千万、その謁見の間に鎮座するエバンナに物申すかのよう
“強者“が現れた。
かつての “勇者“が。
2022/10/22追加しました