第25話② 復讐
闇市での戦い、体力の切れたネロスを守るべく、ベラトゥフは聖剣に残された僅かな魔力で、氷葬の氷魔術を唱えてゲドを凍らせた。
【氷葬の氷魔術:凍結の氷魔術の上位魔術。対象が吸い込む空気に術者の管理魔力を潜り込ませ、対象の全身に管理魔力を巡らせて吸熱、空気を処理する臓器内で魔力的断熱膨張を発生、内側から爆発させる。人体の外骨格では魔力的断熱膨張の爆発に堪えられず、凍結した肉体が爆散してしまうため、致命魔術に指定されており、術式の使用には高等魔術師資格が必要である】
ゲドの身体が凍ったまま維持されたため、仕留めきれていない事をベラトゥフは察してはいたが───激闘で失った両腕も元通りに戻った奴が、奇襲を仕掛け、ネロスの頭を握り潰してきた。
「あン?」
だが、その握り拳の中で、石ころのように硬い異物が残り続け───ゲドはネロスの頭を横に放り投げると、尾の先でネロスの下にいたレキナを薙ぎ払った。
「死霊如きが」
パラパラ……ゲドの鉱物のような硬く太い指にクッキリと、ネロスの指の形の陥没痕が刻まれていた。
「俺様の手を煩わせるとは、いけ好かねェなァ……!」
レキナは、ネロスがゲドに掴まれた瞬間、魔剣に取り残されていたベラトゥフの魂を、魔剣の一部ごとを切り取り
ゲドがネロスを放り投げ、彼の指が喉から離れた僅かな隙に、手の平に描いた緊急時用の魔法陣を起動させ、転移していた。
『プハッ! あ゛あ゛あ゛っ!』
手の平大の魔剣の一部から禍々しい魔を相殺させ、焦げた木片に戻すと、内に宿っていたベラトゥフは堪らず、安堵の溜息を漏らした。
ネロスとの魔力の連結を断った瞬間から、ベラトゥフは魔力の供給を断たれていた。残り僅かな聖樹の魔力で、彼女自身の魂を守りつつ、勇者の死霊術の維持と支配に掛かる魔力消費を抑え続ける……ある種の極限状態に彼女はいた。
だが、その緊張から解き放たれた瞬間、ベラトゥフは狂ったように悲鳴を上げた。
『ネロスっネロスどうしようッさっき連結切ったから!切っちゃったから!魔が魂の連結路にまで押し寄せて死霊術の管理魔力に再連結できてないままだと“占有権“が宙に浮いてネロスが“盗られちゃう“ッ!!』
「ぺっ」
レキナは血のついた唾を吐き、喉に空いた浅めの傷に回復魔術を唱えた。ゲドがネロスにちょっかい出すのがもう少し遅ければ、背骨も頸動脈も、気道も食道も、花束のように一緒くたに束ねられて殺されるところだった。
「ベラトゥフ、死霊術を今すぐ解いてクソガキを殺しなさい」
『解呪しろっていうの?!ネロスを殺せって!?』
「さっきので解ったでしょ
アンタの魔力は既にアレの魂の手綱を握りきれていないのよ。
だいたい自力で魔力を精製出来ない状態で死霊術なんて 息継ぎしないでマラソンするようなものよ」
『え、別に発動形態の維持に魔力の循環術式と排熱残渣の回収術式のテスラ係数が等───』
「んなこた知ってる。
賢者に魔法を説く魔術バカはアンタぐらいよ」
ゴゥっ ネロスとゲドの瘴気の衝突による澱んだ風圧が吹き寄せる。
レキナはその風から逃げるように飛翔の風魔術を用い、身体を浮かせ、魔力の風を原動力に南へ大きく距離を取った。ゲドならばまだしも、先程のようにネロスに接近されれば一溜まりもないからだ。
「あのガキの魔力波長は青みがかったどす黒い波長。
限りなく“無彩色“、魔術師の天敵よ」
魔力や魔術は色で表せ、あらゆる彩色な魔力・魔術は波長(色)的に、無彩色(白~灰~黒)になると相殺・無効化される特徴がある。
その為、特に黒や灰色の魔力は魔術と相性はすこぶる悪いものの、属性抵抗はずば抜けて強い。
神国出身の人間にこの波長は多いが、決してそれ自体は珍しいものではなく、その者の魔力量が少なければ少ないほど、無彩色の波長になりやすい傾向になる。
ただ、魔術を数撃たれて魔力を消費してしまえば、十八番の魔法障壁も魔力量の少なさ故に、過信は出来ないものだ。
例外があるとすれば
この無彩色の魔力を“魔力量の上限を持たない死霊“が持っている場合だ。
死霊は基となる魂───死霊となった者───の魔力の波長を受け継ぐからだ。
「属性抵抗値が一定以上の魔力防御値を超えたとき、あらゆる魔術効果を相殺する───ファウストの臨界点に、あのガキは到達してるわ
それが術者であるアンタの手に余り始めたら魔術師には太刀打ち出来なくなるわよ」
『それは……』
「死霊術を解きなさい」
当然、レキナは容赦なく正論を言い放った。
『………っ 嫌よ』
「ハア?」
ベラトゥフは涙ながらに拒んだ。
咬む唇があったのなら、彼女は自分の唇を噛み千切っていただろう。それだけ、背徳感のある拒絶だった。
『そんなこと出来るわけないじゃない……あの子は』
「アンタのエゴで生かしたガキなんか相手に親面してんじゃないわよ!反吐が出るわ」
『親面ぐらいするわよ! それがあの子を生かしてしまった私の責任なんだから!
あの子が悪いことするならその責任は私も負う!』
「だったら今すぐ殺しなさいよ、無責任な母親ね。
“八竜の力を奪う聖樹の復活“しかエバンナを弱体化させる術がなかったのに、アンタたちはたかが“餌“一人の為に残された人々を見放した。
八方美人な面提げて犠牲を厭う選択ばかり取り続けた奴に何の責任が果たせるっていうのよ」
『果たしてやるわよ! 私たちがエバンナだろうが何だろうが倒し───』
ゴシャア!
何かが潰される音がした。
ゲドは地底国に、ある日突然現れた化け物だ。
魔王が復活したとされる女神滅亡の日、その直後、世界を襲った未曾有の大災害により、地下に居住空間を広げていた地底国は甚大な被害を受けた。
地竜山脈に囲まれた地底国の四方から噴火、その断続的な地震で地下空間が崩壊し、溶岩と降り注ぐ灰……数え切れない死体が、灰と土の下に埋もれていった……。
それから間もなく、ゲドは現れた。
地底国の長であった“血鎚の大帝ゲルニカ“が消息不明となり、指揮も士気もない隙に。
だが、ゲドが世界最強とも名高い弩鉄軍を滅ぼせたのは、単純な腕っぷしの強さではなく、無尽蔵にも思える回復力があったからだ。
ゲドには巨大な腹に呑み込んできたものの魔力を蓄える力があった。だから奴は、多くのものを拳で砕いて食べてきた。
地底国に眠る大量の鉱石、魔石、そこに住まうドワーフたち……ついでに、気に食わない魔物。うるさいバーブラの部下共。
そんな貯め込んできた魔力の塊が、腹の口の奥に見える、“目“であった───それをマイティアは、ドワーフたちの象徴となる弩砲でぶち抜いた。
回復力の源である“目“を壊され、ゲドの蓄え続けてきた魔力が四散した。魔術の威力を抑える為の魔法障壁を失うという、またとないチャンスを逃さぬよう───動けないネロスの代わりに、ベラトゥフは致命率の高い氷葬の氷魔術を唱えた。
だが、聖剣に残っていた魔力はほとんど残っておらず、本来の強さよりも遥かに弱まった氷葬の氷魔術は、ゲドを殺しきれなかった。
時間と共に解凍され、命辛々解放されたゲドは、傷ついた身体を癒し、魔力を蓄えるために誰もいない地底国に戻り、地下奥深くに眠る魔石の鉱脈を一心不乱に食い荒らした。
生意気なガキ共を、今度こそ殺すために……。
「ゲハハハハ!!」
ゲドは常に前傾姿勢で、小さい後ろ足だけでは支えきれない身体を、前足の片方か、尻尾で体勢を保ちながら拳を振るう。
敵が周囲に散らばっているならば、伸縮する尾で敵を薙ぎ払い、三日月型の矛先から溢れる石化の毒で殺す。
敵が遠方にいるならば、大地を持ち上げ投擲する。ときに魔術を用いるが、その多くは土魔術である。
奴の吐く瘴気にも生物の命を蝕み、病に罹りやすくなったり、土壌が腐るなどの嫌味な効果があるが、そんな効果など誰も気にしたことがない。
圧倒的な破壊力と硬度、そして、修復力
とてもシンプルに、野蛮なのだ。
「潰れやがれクソガキィィイッッ!!!」
ネロスはどれだけ姿形を変えたとしても人間サイズであることは変わりなく、ゲドの膝ぐらいの身長しかない。そして、彼の拳は、ゲドの指一本分に相当する。
一方のゲドは、後ろ足が比較的小さい代わりに、前足は異様に大きく、尾も長い。その前足で作られる拳は、ネロスの背丈程にもなる。
拳で出来た大きな鉄鎚でネロスを地面に圧し潰すと、ゲドはネロスの様子も確認せず、拳を何度も何度も振り下ろした。地面が陥没しても続け、岩盤が割れても続け────ゴシャア!
「あ?」
突如、ゲドの右の拳が、砕け散った。
灰白色の骨の、ゲドの指に満たない手がヒビ割れながらゲドの拳に殴り返したのだ。だが、その骨のヒビ割れもすぐさま瘴気によって修復される。
「煩わしいなァ……だから殺し甲斐があるッ!」
口のない、牙の生えた顎をニタニタと拉げ、ゲドの右の拳もまた、潰れた手首から瞬きの間に新たな手が飛び出した。
振り払われる大木の如き尾と拳を、身を捻ってかわし、ネロスは魔剣を振り上げた。ゲドの尾を裂き、腕を裂き、そのままゲドの懐へ飛び込む───が ゲドの腹の口から突如、褐色の酸が吐き出され、ネロスはすぐさま後ろへ飛び跳ねた。
ゲドの切り落とされた尾は自らの毒で砕け散り、裂かれた腕もまたバラバラに壊れて砂になるも───ネロスが酸から逃れるべく跳躍し、着地するまでの間に、各切り口からすぐに新たな尾と腕が飛び出した。
「!」
ゲドの身体はスライムのように柔らかかったわけではない。ネロスは確かに魔力を込めた魔剣を全力で振るった───ゲドの身体は鋼鉄よりも遥かに硬いから────。
その硬い身体が、次から次へと
何事もなかったかのような速さで復活するのだ。
(何故だ? どうして、コイツがしぶとく感じるんだ?)
「どうしたどうしたどうしたウラァアッ!!」
両腕も両足も、尾も。斬っても斬っても、振りかぶる間に生えてくる。
背中に裂傷を与えてもすぐ塞がり、より硬くなる。切れた手足が元に戻った瞬間は柔らかいが、瞬きの間で硬化していく。
(どうして?)
以前に戦った際、ゲドの両腕はなかなか回復しなかった。聖剣の力か?
(ベラがいたから?)
ぼんやりとネロスは思い出した。ベラトゥフは常に、目立たずも確実に、ネロスの戦いをサポートしてくれていた。どんなときも、彼女はいつもさり気なくも確実に、ネロスの戦いをサポートしてくれていた。
それがない。ないからゲドが強く感じるんだ、と。
つまり
ベラトゥフがいない。
汚く汚れた“聖剣“。ベラトゥフの声がまるで聞こえない。
「ベラ あ、 あっ……」
魔に満ちた骨の身体と黒ずんだ“聖剣“────ネロスは突然、理性を取り戻した。
魔に呑まれていたのだと彼は即座に理解し、取り返しのつかない事をした罪悪感に駆られた。
それと共に、まだ魔剣の中にベラトゥフは生き残っているのだとも考えた。だって死霊になった自分がまだ此処にいるのだから、術者であるベラトゥフは消えていない。まだ、消えていない筈だ───と。
ネロスは攻撃しなくなった。
寧ろ、ゲドから逃げることを考えた。今は真っ黒になってしまった聖剣を直すのが先決だと。だから、武器として、魔剣を振るえなくなった。“聖剣“を庇うようになった。レキナにベラトゥフの魂が掠め取られていることを、ネロスは知る由もなかった。
ネロスが攻撃を止めて、遠ざかっていくことに注力していると
「逃がさねぇぞテメェ!」
褐色の鉱石がゲドの手足に生え始めて───「ゲハハハァア!!」周囲に飛び散った。
周囲の地面に刺さった鉱石はゲドの吐く瘴気に触れると独りでに振動を始め、微弱な魔力波を発した。与えられた魔力、魔術の効果を減弱するが、拡散させる拡張石───ゲドはそれに、弱体化の変性術を与えた。
ィ…ィ…ィ…ィ…ィ…ィ…
鼓膜をくすぐるような僅かな擦過音の共鳴。ネロスは魔術を相殺する厚い魔法障壁によりゲドの変性術を無効化したが、“地形“はそうはいかなかった。
「なっ、に!?」
ゲドの攻撃から避けようと踏み込んだネロスの足が、ザスッ───砂を踏み、体勢が崩れた。土が乾き、砕けたのだ。
すぐさま飛んでくる巨大な鉄鎚。避けきれずに拳に吹っ飛ばされた。小さな身体が跳ね、引き摺った跡が砂地に変わっていく。
「ご めん ベラ っ」
“聖剣“に魔術を相殺する波長の魔力を込め、ネロスは横薙ぎに斬撃を放った。それは鎌鼬のように魔力を伴った衝撃波となり、ゲドが布石した拡張石を破壊した。
しかし既に、ゲドの下準備は整っていた。
ズゴゴゴゴゴッ! ゲドは両手と魔術を使って地面を高速で潜った。その衝撃で脆くなった辺り一面が砂に変わり、ゲドが潜っていった穴を中心に、漏斗状に大地が窪み始める。
地中を掘り進める衝撃は断続的な地震となり、蟻地獄はみるみる広がっていく。ネロスの足場も間もなく呑まれ───踏ん張りが利かなくなり、彼は尻餅をついた。
漏斗の中心に呑み込まれていく砂、掴むところも踏み込むところもなく流されていくネロスを───下から突き出した分厚い両腕が彼を掴み、砂の下へと呑み込んだ。
砂地に変わり、脆くなった地面は沼の如く
ゲドは尾を使って砂の中を器用に泳ぎつつ、ネロスが浮上しないように下へ下へと押し込みながら、ネロスの魔法障壁の外から、“圧縮の土魔術“を使った。
【圧縮の土魔術:土魔術の下位魔術。土や砂、石などに管理魔力を潜り込ませ、任意の場所へ集積させる魔術。一般的には投擲や壁として用いる石や岩を、地面や砂地から精製する魔術として使われる。
水(液体)や空気(気体)に対しての圧縮は、水魔術・風魔術としてそれぞれ独立しており、圧縮の土魔術の適応範囲は固体である】
ネロスの身体が砂圧で外から外から固められていき、その圧力が彼の身体を粉々に砕きながら小さく小さく折り畳んでいく。
魔を使って壊れた身体を修復しようにも、圧縮されていく中に入り込む空気もなく、ボゴボゴ……ボゴボゴ……籠もった骨折の衝撃が僅か、砂に掻き消えていくだけ。
( ま ず い まず い まずい聖剣がっ ベラがっ)
何とか身を呈して身体の内側に留めた“聖剣“を、ネロスは庇うように丸まろうとしていたが────彼の身体はスケスケで────砂は容易く
彼の腕の中で
“聖剣“を────。
パ キ ン …… へし折った 。
『ネロス』
「!?」
ネロスは突然、知らない世界で目覚めた。
さっきまで、砂の中で圧し潰されていた───それを示すかのように、彼の身体中の骨は砕け、立ち上がれないのに
音もなく、風もなく、地面もない。彼は真っ白な光の中で浮いている。
前後も左右も上下も同じ光景だったが、彼の目の前には、一人のエルフがいた。
長い銀髪の、仄かにピンク色の白い肌……優しげな、緑がかった鳶色の眼。初めて見る人だったが、どうしてか、その声にはひどく聞き覚えがあった。
「なに? な、に? どういうこと……?
き、……あなたは、誰? ベラなの……?」
『そう……私がベラ。ようやく会えましたね、ネロス』
ネロスは少しばかり呆然とその姿を見つめた後、ぼろぼろと空虚な眼窩から涙を流すように嗚咽を溢し
「ベラ……ベラだ 本物だぁ 本当にエルフだったんだ。
さわれるの? ベラ…… お かあさ ん……」
近付くこともままならない空間で、ネロスは“ベラ“へ手を伸ばしたが
『ネロス、よくお聴きなさい』と、“ベラ“は言葉だけを続けた。
『あなたをいかすためには
あなたの死霊術を、“もう一度“掛け直さなければなりません』
「もう、いちど……?」
『あなたの“望み“を私に告げてください。
そして、私はあなたに“望み“を掛ける。
お互いの願いの交錯が、死霊術を盤石なものとするのです』
「ぼくの、望み……?」
“ベラ“は優しく微笑んだ。
『それは、あなたの“夢“でもいいのです。
叶えたい望みを、私に告げるのです。
その強い願いが、死霊術を強くするのです』
「……ゆ、め……」
ネロスは僅かばかり考えた後
「もう、一度……もう一度だけ……」
「ミトと一緒に……旅をしたい」
「だから……、……」
「ミトが 動ける…ように……」
『わかりました』
それはとても、作業的な言葉だった。
心のない、冷たい返事だった。
『それがあなたの望み、あなたの夢、願い……叶えて差し上げましょう』
「えっ ほ、ほんとに……? ほんとなの?」
『ええ』
薄々と、ネロスは気付いていた。
なんだか“ベラ“がおかしい。すごくちゃんとし過ぎている。
『ただし、あなたの夢を叶える代償として
私の望みを、あなたは叶える“運命“を背負う』
記憶の中のベラトゥフはこんな風には喋らなかった。
……もっと快活で、冗談交じりで、いつも和やかだった。
「ベラ……ベラの望みは何? 僕は……どうしたらいいの……?」
“ベラ“に会えた胸いっぱいの嬉しさの中に、ポツンと浮かぶ不安。
その不安が、“ベラ“の柔らかな笑みすらも不審に変わり―――。
『あなたには』
『“魔王“になっていただきます』
ネロスの目に映る、“ベラ“が歪む。
その優しげな面が 内から引き裂かれ、中から足が、蜘蛛の足が、人の手が、巨大な歯が、長い舌が、黒紫の湿った皮が、汚泥になった瘴気を伴って膿のように飛び出した。
ガラス玉の様な赤い目玉がコロコロコロコロ瘴気を放つ泥から泡の如く湧き上がり
『それが わたっし私ワタシ の 望み と 願 い
共に 人類を滅ぼしましょアマシまョう』
高くて低くて嗄れて快活な老若男女の歪んだ声が嘲笑う。
蛇に睨まれた蛙のように、動けないネロスの前に現れたのは
“ベラ“の皮に隠れていた 気味の悪い巨大な化け物。
蛇のように長い身体、長い腹に生えた無数の人の腕と蜘蛛の足に似た足、爛れた黒紫色の皮、溶けた角と骨だけの翼。
眼窩に詰まった泥状の瘴気と浮かんでは涙のようにこぼれ落ちる目。
泥や脂で汚れ、黄ばんだ臼歯だけの歯列、剥き出しの歯肉。
耳まで裂けた口角は薄気味悪い笑みを演出している。
あまりにも醜く爛れ、壊れてしまった……竜だ。
『契約は成された。取り返しは効かないよ、キヒヒヒヒ……キャハハ。
私のオモチャなんだ! やっと手に入れた魔王!魔王! お前に選択肢はないぞ! お前は私のものだ。人類など殺せ! 殺せ殺せアハハハハ冒せ冒せ冒せ!!』
ネロスの真上に被さるよう躙り寄ってきたエバンナは
振り払おうとするネロスの身体を無数の腕で掴み
「や やめ ろ やめろ やめろっ
なん だ なんっ なんだ おま え はっ」
『我は 八竜の一柱
黒紫の竜エバンナ』
ネロスに抗う術などなかった。
魂の支配である死霊術。
魂を貫く楔と、その手綱が、邪悪な化け物の手に握られ
『お前の意志など要らない』
足のつかない闇の底へ突き落とされ
この悪夢を最期に ネロスの意識は途切れた。
2022/10/22追加しました