第4話 予知夢の通り
夕暮れ時まであと30分。
食事を挟み、少しの打ち合わせを終えた後。
「じゃあ、聖剣を 頼むね」
ネロスは聖剣を、私に差し出した。
「……今更だけど、私が持っても女神は怒らないかしら?」
「大丈夫だよ。ベラは君を一目見たときから信用していたようだから」
ドキッ───痛いぐらいに心臓が跳ね上がり、私は恐らく頬を引き攣った。だが、私の動揺を彼が気付いている様子はない……。
ネロスが差し出す聖剣を私は躊躇いつつ手に取ると………私のものとは違う―――木の肌に、脈動が触れ 咄嗟に 手を引いた。
(生きてる?)
いや、そんなわけない。
女神は“生きている”わけじゃない。
深呼吸してから再度、しっかりと聖剣の柄を握ると
「軽っ」
指先でさえ持ち上げられそうなほど、恐ろしく軽いことに不安になった。まるで小枝のようで……これでよく岩のような魔物の身体を裂けたものだ。
「ネロス、不気味なくらい誰かの鼓動が触れるんだけどコレって」
「あ、ごめん、多分僕のだ」
「はあ?」
「繋げてあるんだ。聖剣と、僕の魔力。詳しい事はベラに訊いて欲しいのだけど……ごめんごめん、今切ったから」
彼の言うとおり、聖剣から鼓動は触れなくなった……と同時に「うぐっ」「あ、ごめん」鋼鉄の剣相応の重さが手にのし掛かり、女神の宿る剣を地に落として堪るかと踏ん張ったせいで前のめりに倒れ、手の甲を打ち付けた。
「聖剣はね、元は聖樹の枝なんだ。
女神が宿る聖樹の、枝。ベラはこの枝を折って、落ち延びたらしいの」
「それで女神が宿るの、ね……まあ、持てないことはないけど」
「重いよね、枝なのに ベラの体重分なのかな」
「あんたね……失礼よ 冗談でもそういうこと言わないの」
「え? そうな……ん、………すみませんでした」
「それじゃあ、一先ずお別れだ」
私を見送る彼は間抜けた笑顔だったが、ナロを慰める勇者の横顔は少し取り繕っているようにも見えた。
――――― ド ゴ ン ッ!
彼が見た予知夢の通り
強固な教会の扉を蹴破ったシスター・ロウ……いや、ロウ・グランバニク侯爵は、ドッツェンの死体の前に立つネロスと、死体の後ろで震えるナロを、真っ直ぐと見つめた。
私はその様子を、“外側”から見ていた。教会の倉庫にある緊急脱出用の排水路を伝って外に出て、この前の廃墟に登り、様子を見守っている。
「いかんなあ……おいたが過ぎたな、ボーイ」
鷹王の目を借りつつ、教会内部の声を拾う。聞こえてきたのは低く、ドスの利いた声。だが、その声はまるで楽しんでいるかのように弾んでいる。
「人の骨は小さいのと、丸いものばかり。
女神像の後ろに投げ捨てられた物品はおもちゃと細い服ばかりだ。
どうしてなんだ?」
ネロスは意外に演技っぽくない台詞を吐いて、教会内部に転がっていた使い古しの鉄の剣を握った。
「正義の味方のつもりなんだろうが、綺麗事では社会を守り切れないのだよ、青二才」
「“綺麗事”だとわかってんじゃないか。
だったら逃げずにやれよ、汚ぇな」
侯爵は、ネロスほどの大きさがある、金の塗装を施した真っ白な大剣を抜き放ち―――勇者と真正面から斬り合いになった。
大小の剣がぶつかり飛び散る火花、互いの練り上げた魔力が相殺される青い電光。剣圧で教会のガラスが割れ、ヒビ割れた装飾が崩れて野次馬たちを追い払う。
互いに演技と判っていてのチャンバラにしては、魔力を込めた剣技にも魔術にも明確な殺意がある様に見えた。油断すれば殺されかねない、そんな緊張感が競い合うように高められ……まるで降りてこない。
そして────バキィン! 刃毀れしていた鉄の剣の刀身が叩き壊されるが「おぐっ!」ネロスは構わず折れた剣の柄で侯爵の頬を殴りつけた……負ける気あるのか勇者。
「ふふふ……刃を向けない礼儀はあるのね
だけど、汚いと人に言うのは失礼だわ」
「え」
侯爵は、口から溢れる僅かな赤い血を───乾いた唇に塗るように広げ、魔術を唱えた。
「おと―――ぐぇッ」
直立している───姿を見せたまま
ネロスの 背後から 横薙ぎに大剣を振り抜き
ネロスを吹っ飛ばした。
勇者は外壁の瓦礫に埋もれ、起き上がらなかった。
一連の攻撃が早過ぎて確信はないが、恐らく侯爵は……幻惑術で自分の動かない分身を見せつつ、携帯していた短距離用の転移魔術の魔法陣を発動させてネロスの背後に回り、斬り掛かったのだろう。二重詠唱は出来ない筈だから。
転移魔術を用いた奇襲はタイミングがズレたり、転移位置を悟られると空振る上に隙も大きく、急激な魔力消費を伴うハイリスクハイリターンな技だ。過小評価していたわけじゃないが、老齢とはいえ女神騎士団の団長を務めた経験は大きいのだろう────勇者がこの技を受け流せることも、侯爵は斬り合いの中で察したのかもしれない。
「おにいちゃぁぁああんッッ」
「おおうおう、つらかったなあ」
「わっ! うわあああ!はなせぇええ!!」
ずっとドッツェンの死体の裏にいたナロが泣き喚いて走り寄ろうとするが、侯爵はその子を無理矢理抱きかかえあげ、ひょいっと鎧たちに託してしまった。その間にも、瓦礫に突っ込みそのまま動かないネロスを、侯爵の後ろから続々と現れる鎧たちがテキパキと引っ張りだし、鎖や枷を嵌めていく。
「いやはや、失礼をば ヤンゴン様」
鎧たちと共に歩いてきた一人の赤服、ヤンゴン……侯爵たちの言っていた最上級の魔物の名前だ。
しかし、その見た目は至って普通で、顔を隠すフードを深く被った赤服、中肉中背で、魔の気配もさほど感じないようにみえる……それだけ溶け込む技術があるということか。
「愚か者は我々が……ええ、お送り致します。いつものように。
ええ、宜しければご一緒に如何ですか? 大広場の予定等打ち合わせでも……ええ、お茶をお出ししますよ 最高級の茶葉ですとも」
侯爵たちは打ち合わせ通りに、勇者を連れて監獄へと向かっていった。
「姫様……しかしその、一体……何処でそのような、ううんッ!
姫様、何処を通っていらっしゃったのでしょうか?」
教会の緊急避難口は……腐乱死体が横たわる排水路で……私には重い聖剣を汚さぬようにと、この身を汚す事を厭わなかった。つまりこれは、女神が在す聖剣を守った為の誇り高き傷(腐臭)だ。
臭いものに蓋をする性分の、貴族の咳払い賛美歌を拝聴しつつ、私を含めた代表者4人だけで明日の調整を行った。悪気しかないが、敢えて堪えた甲斐はあるスッキリ感があった。
勇者の処刑は、明日の夜。
鬼将バーブラが来る翌夜の満月を待たず、奴らは勇者の死体を作りたいようだ。
指定された家屋に集まった貴族たちは、まだ明日の朝日すら遠いのに、廊下の飾りに成れ果てていた埃が見える甲冑を着込み、その上から女神教団の赤服を羽織っていた……既に控え室の空気は張り詰めている。
「……お、おねえちゃん……ひっぐ」
私も着替え込みで赤服に袖を通し、僅か仮眠を取ろうとしていた女性用の別室に、どうしてか老齢の貴族と……頬に青黒い痣を作っているナロが訪ねてきた。
彼の話を簡単にまとめると……ナロのパパは貴族で、ナロは妾の子。
勇者が魔物にちょっかい出した目的がナロを助けるためだったと私が答えたせいで(?)ナロの存在がこの事態を引き起こしたと思い至ったパパが怒りで我を忘れ……挙げ句、剣を抜き放ち、にっちもさっちもいかなくなって私のところに連れて来たと。
勇者がした責任は私にあると、確かに言ったけどさあ……。
「ぼく ひっぐ しんじゃえばよがっだ じんじゃえばよがったってパパが ひっぐ……パパが……」
母親の形見だと言っていたカップは無惨に割れ砕け、その破片を握り締めたせいか、小さな指に血が滲んでいる。
「めがみざまだすけてぐれないの おいのりじでるのにだすけでぐれないの! なんで? めがみさまどうしてだずけてくれない゛の?!
ママをがえしでよ!
おにいちゃんをかえしてよぉおぅぅ うぇええええええん!」
「…………。」
もう、泣くだけ泣けばいい。泣き疲れて眠ればいい……私はナロにそれだけ伝え、彼が疲れて眠ってしまうまで抱き寄せた。幼いこの子を慰めてやれる言葉など私は思いつかなかったから。
心の傷を埋めることの出来る言葉がこの世にあるのなら
私もそれが欲しいよ。
女神期832年 王国夏季 三月十日
夕暮れ。
勇者の処刑という一大イベント……日が傾いていくのにつれて、魔物たちの興奮で空気が澱み、女神に向けて世界の救いを願う教団員の台詞に嘲笑が混じる。
大広場を見据える大教会の裏手、800メートル先の高台……私は決行時刻よりもかなり早く、その定位置に着いた。というのも、玉砕覚悟の緊張から動揺と苛立ちの吹き溜まりと化した宿舎に居づらかったからだ。何も言わなくなったナロを召使いの老婆に預け、私は1人で此処に来た。
カモフラージュの為のぼろ布と木箱の隙間に入り込み、鉄柵の隙間から大広場とその周囲を覗く。
鷹王の目と魔力による補正込みで、大広場の射線が通る場所にいる敵の目の瞳孔を精確に射抜ける……外さない自信が持てる私の最大射程にいる筈なのだが、今ばかりは……余裕のない距離であると鼓動が不安を煽っている。
予定では、大広場のほぼ中心にある絞首台の上で、赤服の処刑人が勇者に縄を掛けた後、底板を抜く代わりに拘束を外し、勇者を自由にさせる手筈になっている。
だが、予定よりもずいぶん早く、鉄の仮面を被った処刑人が待っていた。私と同じく緊張して早めに来ているだけなのかもしれないが、その表情はまるで判らない。
貴族曰く、処刑人は貴族の一人で、信用できる人物だと言っていたが
(本当にあれは身内なの?)
緊張から来る過剰な疑念がどうしても拭えず……私は藁にも縋る様な気持ちで、女神が宿る聖剣の刀身に手を置いた。
そのときだ────。
『うひゃあ……うじゃうじゃいる』
「!?」
幻聴の様にネロスの声が不意に鼓膜を揺さぶる。当然、声が直接聞こえるような距離でもないし、彼が近くにいるわけでもない。いや、待てそうじゃないそこじゃない―――どうして彼がもう来ているのだ?
(まさか───!)
ぼろ布を剥がし、高台から身を乗り出すようにして頭を出した途端、大広場の歓喜のざわつきがどわっと聞こえてきた。
(ああ そうだ 予定通りにやってくれる訳がない。
私たちは───誰を信じようとしていたんだ)
縄に繋がれた……痣の増えた間抜け面の勇者が、軽い足取りで処刑人たちに引っ張られていく。私たちが動揺していると知らないのか、暴れたり抵抗したりの時間稼ぎをすることもなく、勇者はズカズカ処刑台の階段を一段飛ばしで上がっていってしまう。
『ベラ、繋がる距離にいる? ああ、よかった 予知夢通りだ』
再び声がした。幻聴ではない。 聖剣から声がする。
バクバクと弾む私のよりも遥かに落ち着いている鼓動が指先から聞こえてきて……聖剣は淡く光り出し、その刀身を独りでに白銀へと変えた。じわじわと火傷しそうな程に熱くなっていく聖剣から手を離し
「私の声は聞こえるの?」
そう言ってみたが、返事は来なかった。
あくまで、ネロスが女神と繋がっているだけで、その声が聖剣を通じて私にも聞こえてきているらしい。
『真っ正面の、教会の、裏……高台の、上か……ミトもそこにいるよね。聖剣に触れてたのは君の筈だ
ベラがひどく怒っているみたいでさ、危ないから刀身に触れないでくれよ 火傷しちゃうからね』
その言葉から間もなく
『俺がドッツェンと取引していた事を侯爵にバラしたなクソガキ』
彼の聴覚情報もオープンになっているのか、聖剣から……侯爵の息が掛かっている割には嫌みったらしい、処刑人の声も聞こえてきた……位置的に、あの鉄仮面に間違いないだろう。
『侯爵は最初から知ってたよ。
だから、僕の口からお前のことを話した事に彼は驚いた訳で、お陰で侯爵は僕のことを信じてくれた。
お前の息子は侯爵が引き取ってくれるってさ』
『……俺にとって、お前が勇者だろうが愚者だろうがどうでもいいが。
1ついいこと教えてやるよ。
今更この町を、この世界を救おうとしたところで手遅れなんだよ。
滅びゆく世界に希望なんざない。求められているのは、楽な死だ』
『そうか?』
『今に判るさ……お前も、お前を信じたバカ共も、嬲り殺される絶望を味わえば嫌でも判るんだ。この地獄に生まれ堕ちた事、そのものが人々への罰なのだと。
だが、最期に祈る時間だけはくれてやる。
魂だけでも女神の袂には還れるよう、せいぜい祈っておくことだ』
絞首台の縄の手前まで来て───まずい! 万が一に絞首台の近くで待機している筈の者が見えない ───縄が首に掛かった!
『女神の袂? ああ、死者の魂が還るところね。
それなら尚更、僕は祈る必要がない。
僕は生まれてからずっと女神の袂にいるんだから』
『……何言ってんだお前』
私の手元で聖剣がジリジリと高熱を放ち始めていた。
『僕は知ってるんだ 僕は死なない』
しかし、怒れる聖剣を宥めるように―――首に縄をかけられた状態で―――ネロスは言い切った。
『今日の夜明けを夢に見た。
この薄い板が抜けたとしても 僕の未来は明日も続く。
信じられないか?
試してみろよ』
勇者の強気な挑発に、短気な処刑人の手が 底板を外す 紐へ伸びる。
その動きがひどく遅く見える瞬間で
―――遠くから 赤服を脱ぎ捨て走り出す貴族たちが 息を呑む赤服共が見え
―――私の脳裏に 走馬灯の様に 色んな感情が錯綜した。
死なないって 言ったじゃない
大丈夫って 大丈夫だって
ねえ どうするの 落ちるよ ?
どうしたらいいの わたしは────
「いッ!?」
唐突に腕に激痛が走り 私は我に返った。
手元で聖剣が白熱し、私の吐き出した狼狽を焼べる。
私は振り返り様に矢を番え、衝動のままに弦を引き絞った。
今まさにネロスの足下の底板が抜けた。彼の首に縄がかかったまま宙に放り出されるのがコマ送りに 見 え る 。
「くそったれッ!!!」
私は 引き絞った 弦を
───魔力を 込めて 手離した
音速を超え 矢が 真 っ 直 ぐ と
彼の首に繋がっていた縄を貫き────
数メートル
下
の
地
面
に
ゴッ!
「いぃっッたアアァァッッ!!!!!」
彼は“尻餅”をした―――
「え」
ブォオン……聖剣が私の背後で、独りでに浮かび上がると、凄まじい速度でネロス目掛け 砲弾の如く────ッ、絞首台を木っ端微塵に破壊した。
ネロスは地面に突き刺さった聖剣で手首の縄を切ると、聖剣を肩に担ぎ……絞首台の瓦礫の山頂を自慢気に踏みつけた。
魔物共は呆然としていたが、状況を理解し始めた奴らから続々と、赤服に隠した醜い正体を露わにしていく。
壮観な魔物の群集を相手に―――見たこともないほど好戦的に、勇者はにやついた。
「いくぞ、ベラ」
彼は聖剣を天に掲げた───聖剣を覆う光は淡い青色から眩い白色へと変わり、剣先から細い光線が放たれた。
網目状に広がった光線はあっという間に大広場を囲んだ。細い光線に触れた魔物や、囲いの外に出ようとした魔物が瞬く間に蒸発し、周りの魔物が殺意よりも自らの危険を察知したのだろう、慌ててネロスへ襲い掛かる。
しかし、幾百の魔物の牙を向けられながらも、彼は冷静なまま
甲高い音と共に燦々と輝く聖剣を、手元でひっくり返し
地面に突き刺した!
カッ―――!!!
目が眩むほどの激しい閃光が大広場を蹂躙した。
鼓膜が痙攣するほどの高音で、思わず手で耳を塞ぎ、壁に隠れる。
数秒後、瞼の裏が暗くなってから目を開けると
広場中にひしめき合っていた魔物共は、見渡す限り何も―――見えない。腰を抜かしている赤服の人は幾人か見えるが……異形な姿をした者は一体も見えない。
蛍火のように、ぼんやりと灯る青白い光の粒だけが、大広場中を無数に漂う……これは、纏っていた魔が抜け、一時的に可視化した“魂”だ。
魔物は───神聖術によって弔われる事もなく、女神の袂にも導かれなかった魂が魔に侵されたものとされている。
魔物と化した魂は魔物という形に変貌してしまうため、死者の世界へ向かうことなく消滅してしまうと言われているのだが。
聖剣は、魔に囚われた魂を遊離させたということだろう……それは、神聖術に等しい上位魔術───発動させるだけでも非凡な才能と誇れるような魔術を───彼は大広場全体を包み込む広範囲で使って見せたのだ
「ほら~! 言った通りになったでしょ~!!」
ネロスは 私に向けて 大きく手を振った。
2022/7/14改稿しました