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勇者の死霊術  作者: 山本さん
第一部
48/212

第23話 カタリの里

 

 カタリの里と呼ばれる聖樹のたもと、その場所を守護する守り人は皆、盲目の死者だ。死して尚、女神に仕える事を選んだ猛者もさである。

 生前に騎士としての適性と、大神官以上の地位を持ち、大神教主よりその心臓に印を与えられた後……自ら両目をくり抜き、命を絶った者がこの場所に宿る。

 目を潰されるのは、神を目にしてはならないからだ。

 神を目に入れ、認識することは 人の目に認知される“程度“の存在として、神の品位を堕とす重罪であるから……。



 そんな守り人たちが、ネロスを死霊と呼んだ。光を失った代わりに、魂を見ることが出来るようになった彼らが、ネロスを不敬な死霊と。明らかな嫌悪感を示しつつ、その手に握る聖樹の武具を彼に差し向ける。


「ネロスが 死霊って……そんな──こと」

「待ってミト そのっ 僕は 」


 ネロスは動揺していた。手先は震え、鼻息を荒げて口篭もる……彼は死霊であることをハッキリと否定してはくれなかった。


「女神よ、この者は死霊です。そうでなければ、死者の世界にあるカタリの里へ印のない者が入る事はない」

「魔に冒涜ぼうとくされた人の魂の末路、死霊は最も人に近しい魔物である。

 己が死霊である自覚もないとすれば、尚更厄介である」


 呆然として、言葉が頭に入ってこない。ただでさえ自分のことで飽和状態なのに、その上……ネロスが死霊だって?

 身体が丈夫だから? 魔を引き寄せやすく、戦闘時はカッとなりやすいのは……そのため?


「しかし、この死霊には術者がいる。

 聖樹の枝に宿りし女神ベラトゥフよ。汝は聖樹の母木に戻るべくして、この死霊を使役されたのでしょうか?

 そうであれば、我ら守り人は汝の“所有物”に手出しは致しませんが」

「魂の清浄化を拒まれるということは、汝は聖樹の母木に戻る意志がないという事になります。その場合、この里に入る事を、例え女神であろうと拒む他にありません。

 お許しください、女神であろうとも例外は認められません。規則ですので……御静まり下さい」


 守り人たちはネロスが腰に下げている聖剣から、女神ベラの存在にも目敏めざとく感じ取っているみたいだが、ベラを積極的に取り上げようとする素振りはなかった。寧ろ何故か、女神である筈のベラを警戒しているようだった。いや、ベラが守り人たちを嫌っているのか?


「ミト……僕は、ベラに助けられただけなんだ。

 死にかけていた僕を、助けてくれただけなんだよ。嘘なんか言うもんか」

「延命の目的で死霊術を用いたとすれば、その身体が生きている限り理論上は死者ではない。

 だが、お前の肉体は既に成長を止めている。それにもかかわらず魂はその身体をしろに、あたかも生きているかのように自らの死体の皮を被っ」

「うるさい! 勝手なことを言うな!」

「溢れる程の魔を浴び侵された魂、肉体、あるいはその両方を……定義上、死霊と呼ぶ。

 偶発的に発生する事象死霊とは別、死霊術師がいる使役死霊。お前は使役死霊である」

「僕は魔物なんかじゃない!」

「ならばその禍禍しく歪んだ魂はなんだ!」

「人とも、獣とも似付かぬ怨嗟えんさ螺旋らせん、お前の魂にはよこしまな魔が」

「───黙ってろ!」


 守り人の言葉を怒号で圧し潰し、ネロスは私へ手を伸ばすが、私の身体は守り人に掴まれて引き剥がされた。

 熱のない手。死者の手。血の気のない、青くて冷たく、硬い手に。


「やめろミトを離せ! 彼女が死んでしまう!」

「それはこちらの台詞だ」

 守り人たちはその手に握る聖樹の武器をネロスへ突き付け、牽制けんせいしながら「女神の命尽き果てる前に、一刻も早く儀式に入らねばならない」と言う。

「抗うなよ、死霊のお前が聖樹の武具に晒されれば、死した張りぼての肉体はたちまち腐敗するぞ」

「このカタリの里には貴様の力を高める魔もない 万に一つも貴様に勝ち目はない」

「───ミトは騙されたんだ! 魔女に幻惑術で、此処へ向かうよう仕向けられて……だから、頼むよ。もう一度だけ……会って、彼女と話をさせてくれ。お願いだ」

 ネロスの言葉に、守り人たちにも多少の動揺が走った……だが……彼らの答えは同じだろう。

「ならば尚のこと。お前の出る幕はない。女神の意志は、我々が確認する」

「どうして!? 何でそんなことも許してくれないんだ!

 ───やめろ! ミトを殺さないでくれ!」

 ネロスの前に何人もの守り人が壁となり

 身動きの取れない私は二人の守り人に両脇を抱えられ……聖樹の袂へと為す術もなく運ばれていく。


「ネロス……ごめんね ごめんね」


 守り人に取り抑えられ苦しそうに喘ぎ、霞んで見えなくなっていく彼に

 さようなら すらも つらすぎて────。




 とぽ……ん 。。 。  。

 重く 纏わり付くような 水の中。


 聖樹の水場……聖樹から絶えず流れ出る樹液の溜まり場。

 薄く青みがかり、とろみのある聖樹の樹液はいわば聖樹の血液で、人の回復力を著しく促進させる────聖樹の魔力が凝縮したもの。

 だが、回復力は生命力から搾り出されるものだ。生命力は有限であり、私の生命力はもう残っていない。ただただ、僅かばかりの寿命を削って、苦痛をマイルドにしているだけ……無惨に刻まれた皮膚に聖樹の樹液が纏わり付いている間だけ、痛みを和らげているに過ぎない。


 死の淵に立たされ、退路を断たれた絶望感に近い倦怠感は拭えないまま……枯れ果てた聖樹を仰ぎ見る。

 こんな搾りカスのような命で……この巨大な老木を光り輝く聖樹へと元気づけられるのだろうか……折れた骨と乾いた皮しかない私なんか美味しくないだろうに。


「マイティア 君には一度、使命の意義を考え直す猶予ゆうよを与えた」


 水場にぷかぷか浮かぶ私に、水場の外から、守り人は声をかけた。

 私を名前で呼ぶ守り人は一人しかいない。魔王復活の兆候があってから守り人に志願した、最後の守り人……ウィリアムスだ。


「過酷な運命を覚悟した者が背負うべき役目を、君は予言という形で強いられるも、魂を捧げる覚悟が君にはあった。

 それにもかかわらず、虐げられた……哀れな子どもに再考の猶予を……我々は与えた。

 そして、君は此処に帰ってきた。女神に使役された死霊を連れて」


 父の暴力に堪えかねて心身を壊した私が、唯一疎開を許されたカタリの里で……幼さ故に里に入る事を拒む守り人の中で、私を保護してくれる事を承諾してくれたのが彼だった。


「君は女神に予言された女神の子。

 使命を果たす覚悟はあるのだろう?」


 ないわけがない……そう言いたげだ。

 女神の予言がくつがえされるわけがない。

 己の人生を捧げて信じてきた女神の言葉が、たがえるわけがないと……。


 ネロスは知らされていないだろうが……私が女神になることを拒んでも、私はどのみち殺されるのだ。

 カタリの里へ入るための魔力の印を……心臓から外すため

 私は“心臓が見える、胸を切り開かれた状態“で、カタリの里の入り口、極寒の樹海へ投げ出されることになる。1分も保たないだろう。


 ウィリアムスは他の守り人たちと話し合った後で「準備が終わり次第、儀式を始める」と言って、その場を後にした。


 ふと 視界の端に、折れた枝が目についた。

 聖樹の、細い枝。

 その根元は、斜めに……鋭利に 割れて……。





「女神よ」


 私は 出迎えられた死刑囚の気持ちで その声を聞いた。


 そうだとすれば、私は何の罪を犯したのだろうか? 

 生まれてきた罪とか? 前世の罪? 日頃の行い?

 女神を怒らせた? 置物の女神像の頭に十字架を乗せて遊んだのを根に持たれていたらどうしよう、お姉ちゃん

「はっ」

 ばかばかしい……最期に思い返すことがそんなことだなんて

 本当に……。



 シャン シャン 鈴の音が一糸乱れず、鳴り響く。


 水場の外で守り人が頭を垂れて儀式用の錫杖しゃくじょうを鳴らしていた。喪服にも見える色彩の服装、鼻の奥でツンと刺さる焼香の煙。

 誰の顔も、フードと頭を垂れる姿勢で見えない。人の喉から出ているのかも分からない低い歌が鳴る。それは祈りや感謝ではなく、ゆるしを乞うものなのだという。

 守り人二人に両脇を抱えられ、引き摺られるように一本道を登り

 辿り着いたまつり場には、魔法陣の刺繍ししゅうされた祭壇があり……私はそこに仰向けで寝かせられ……私を喰らう聖樹の前で

 目をつむ

 ただ……目を瞑り 守り人の “詠唱”を聴くだけ



 〽️ゆるせよ子よ ゆるせよ母よ 

 いつか還るだろう お前たちの腕の中へ

 その日まで ねむれよ子よ ねむれよ母よ

 暗き海底へ 暗き深淵の奥へ 

 いつか還るだろう その日まで ゆるせよ ねむれよ

 私の物語きおくを子守歌にして



 繰り返されるにつれて 水の底へ沈んでいくように

 深く。

 深く。

 。。

 深く。

 。。 。

 深く

 。 。

 。



 深く



 。



 深


 く






 。





 そのうち 聞こえなく なって


『ァ ア゛ア゛

 ア゛ ァァ゛

 アァア゛ ァ』


 奇怪な雑音の摩擦 と 金縛り


 赤 子 の  喃語なんご────?





「女神よ」


 呼ばれた気がして目を開けると

 私は……枯れた聖樹の前でねていた


 声がした方に顔を向けると、フードのついた白いコートを羽織った黒い……モヤモヤが私の前で、膝っぽいものを地につけて、言う。


「聖樹の御前へ参りましょう」


 私は目をパチパチとまばたいてぼーっとしていると、モヤモヤした何かが、なんと「ひゃっ!」私の手を取った……指に握られたような感触もする。モヤモヤしているのは人なのだろうか? もしかして……亡霊とか?!

「人!?」

「人です」

 人なのか……そっか、私は疲れてるのか 人がモヤモヤして見える程、遊びすぎて寝ちゃったのかもしれない。


「ごめんなさい、ちょっと待ってね 自分で立つか、ら……、ふぐっ……あれ?」

 腕が重くて……力を込めるとぷるぷるするし、腹筋使って起き上がろうとしても胴体がピクリともしない。

 前言撤回して助け起こして貰うも「か、体がふにゃふにゃだわ……私、スライムになっちゃったのかしら」糸の切られた人形みたいだ。


 これは異常事態だ 私の身に何かあったんだ

 たた、痛みは全く感じない。何となく息苦しいだけ……。

 不安になってきた……。


「私、今までどうやって 生きてきたのかな……やだ、これじゃ一人でお手洗いにもいけないじゃない」

「女神よ 聖樹の御前へ」

「それってどうしたらいいの? 這ってでも、いかなきゃダメ?」

「我々がお連れいたします」

「あなた様の体は聖樹の魔力の効果が切れるまでしか保ちません。今すぐに向かわねば」

「そうなの? だけど」

 ぐ~……

「お腹も空いてるわ……喉もカラカラなの」

「それは 」

「それと、“お父様“は?

 “お母様“はどこにいるの? 私一人なの?」


 モヤモヤは違うモヤモヤと近付くと大きくなって、首辺りをくにゃりと折り曲げて、何やら困っている様子だったが……しばらくすると、ふらっとモヤモヤがひとかたまり出て来て

「女神様が“お勤めを果たされた後“、お迎えにいらっしゃいますよ

 きっとお食事もご用意なさっておいででしょう」と、言った。

「ほんと? じゃあ腹ペコでもがんばってみるね」

 モヤモヤは私の返事に安堵して分裂し、一つずつのモヤモヤになった。

「それでは、参りましょう」

 人の手のような感触に支えられて起き上がり、両脇を抱えられる。足先が地面から離れて、足をスイングできそうなほどぷらぷらだ。

「このまま遠くに飛んでいけないかなぁ」

 風が強く吹いたら、ふわっと飛んでいって、何処までも広い空へ……いっそ色んな場所へ行ってみたかった。そうそう、“鷹“みたいに───。



 …  ゥ ゥ  ゥウ──バ キンッ!


 それは突然だった!

 すごく大きな音を立てて空気のガラスみたいなものを破壊して 私たちの前に何かが飛び込んできた! 人だ! モヤモヤしてない人!


「───ミトッ!!!」


 怒号 骨の仮面を被ってる人が モヤモヤに飛び掛かって

「わっ」

 私の手を握り、引っ張るが───


 幾つかのモヤモヤがくっついて大きくなって、木の剣や槍でその人を抑えつけてしまった。

 なんだか焼けるような音までしてきて、その人の体から焦げるような臭いのする黒い煙が上がる。痛々しく赤黒い血が、べちゃべちゃ、あふれ出ている。


「赦さないぞッ! お前らも王も魔女もッ! どいつもこいつも!!

 寄って集って───よくもッこんな───ミトっ ミト きみは 」


「あなたは私を知ってるの?」


 教えてもいない筈の ミト……マイティア(わたしのなまえ)の愛称


「い やだっ どうし て  ミト……」


 骸の仮面の奥に見える、円らな キレイなあめ色の瞳がみるみるうるみ、ぼろぼろと泣き出してしまった。それはもう大粒の涙で、仮面の下から流れ落ちて、彼に引き倒されてうつ伏せの私の手が温かく濡れていく。


「どうして泣いてるの?」

「どうし て? どうしてだって?

 つらくてたまらないんだよ 苦しくて 胸が痛いの」

「私は大丈夫だよ、心配しないで。

 お勤めが終わったらね、お父様と、お母様が迎えに来てくれるのよ。

 きっとね、頑張ったねっていっぱい褒めてくれるわ。

 きっと、ぎゅーって抱き締めてくれる。

 きっと……お腹もいっぱいになるほど食べてもゆるしてくれるんだ。

 だからね、もう少し我慢するの。私、我慢するの得意だもの」


 ゴロンッ ベルトか何かが切れて、骸の、鉄製の仮面が落ちると……顔を真っ赤にして泣きじゃくる男の子が現れた。


「ミト……帰ろうよ」

「帰る? どこに帰るの?」

「此処より温かいところ……グラッパたちのところに帰ろう。

 帰って、美味しいごはんを、お腹いっぱい食べるんだ。もう我慢なんかしないで。僕の分も全部あげるよ」


 丸っこくて緩んだ輪郭、左の頬に大きな傷があって、ひげは全く生えてない。鼻は赤くて丸く小さい鼻筋、あせた茶色っぽい短い髪の男の人。ただ、いたいけなうるんだ目は私よりも子どもらしくて……何となく汗っぽい匂いにすごく安心感があった。彼は優しい人だとわかった。何故だろう、盲信的に。


「君が望むのなら僕は ─── ぼくは なんだってするよ。 

 だから 僕の手を取って……一緒に帰ろうよ」


 ただ、差し出した彼の手に「うぐっ!」木の槍が刺さってしまった


「お願い この人を傷つけないで」

「いいえ、この死霊は危険です。

 コレを御身の前で自由にさせることは出来ません」

「死霊? どうして? この人は生きてるわ。

 私の目にはあなたたちの方が死霊みたいよ?」

 そう言うと、フードを被ったモヤモヤは「そんな訳は」「女神っ」なんだか掻き消えそうな程に薄くぼやけていって


「ふぎゅ」

 男の人はモヤモヤを退かして、私をむぎゅーっと抱き締めて

 私も彼に身をゆだねた。


「人って、こんなに温かかいのね……」

 人の熱……、生きている命の温もりが心地良い。

 ただ、彼は凄く震えていて、鼓動も息も荒かった。彼の背中や足には焼け爛れた深い傷ばかりで、足には木の剣が突き刺さったまま……あっという間に血溜まりが出来ていく。きっと膝立ちでいるのもつらいはずだ。


 私も彼を抱き締めようと 彼の背に手を回すと……私の右の手の平が、赤く腫れているのが見えた。

 ぎこちなく指を開いてみると

「ね、ろす?」

「!?」

 文字として読める、真新しい切り傷が見えた。


「もしかして あなたの名前?」

「  、  」

「ネロス……そう、私ったら、あなたの名前を手に書いちゃったの?

 なんだか不思議ね まるであなたに会うことがわかってたみたい……」


 周りの黒いモヤモヤが色濃くなってきて、彼の血に濡れた木の槍たちが彼に向けられる……私の息苦しさも倦怠感もみるみる強まっていく……そろそろ、彼と別れなければならないみたいだ。


「ねえ、ネロス……あなたはすごく優しい人だから

 これからいっぱい、色んな人に出会えると思うの。

 あなたを好きになる人にも あなたが好きになる人にも」

「ミ ト 」

「だからね、もう少しだけ 文字の読み書きもがんばってね。

 みんなと一緒に考えて みんなと一緒に戦って

 全部終わったら幸せになるのよ ネロス」



「ありがとう さようなら ネロス 

 私の勇者……あなたでよかった」



 どうしてそんな言葉が私の口から出たのかはわからない。

 どうして彼の名を呼ぶ度に私の目から涙が溢れるのかはわからない。


 何も思い出せないけれど

 きっと……私が忘れてしまっただけなんだろう。



「ああああああああああああああああッッッ!!!!!」

 まるで 悲鳴のようだった


 熱のない手に掴まれ、彼の腕から引き剥がされ

 遠退いていく彼は、ずっと私に手を伸ばし 泣き叫んでいた。





 枯れ枝でヒビ割れた 白い空。

 聖樹の正面 太い幹に出来た瘤……大女神の御神体が眠る 棺。


 歴代の女神が……人としての生涯を終える、神聖な場所。

 教典の挿絵でしか見たことのない場所。


 モヤモヤに抱えられてずるずる ずるずる

 聖樹の樹液で満たされた女神の御前を進み


 中央に立てられた、白く細い柱を背に、聖樹と向かい合うように座る。

 背筋を伸ばせない私の、首から顎へ、タオルの様なものを掛けて、その結び目を柱に当てて顔を上げさせる。


 何一つ自力ではないだらしない様だが───ようやく、此処に来られた───諦観ていかん

 意識の芯すらも抜けて……役目を終えたかのように、瞼を閉じた。



 それから間もなく 風が吹き


( よくぞ 来てくれました )


 頭蓋の中で 女性の声が響く

 穏やかで ハッキリとして


( 古き王の血族 あなたを待っていました  ずっと )




 冷たい 声 が  。


( 次 は お 前 の 番 よ )





 ズッ

 鈍い衝撃が 胸を貫いた


「…… ?」


 落ちた葉が宙で止まり 水紋が止まり

 太く鋭い聖樹の根が迫る目前に 空間が僅かに歪んでいた


 そこから伸びる何かが

 私の胸に刺さっている


 まるで誰かの腕のようだった。


 誰? 

 女神? 魔物?

 硬い 腕

 わか

 らない


 どこ

 かで

 みた

 ?

 ど

 こ

 で

 み


 た


 ?


「げほっ」


 誰の腕かもわからない 私の胸を貫くそれが

 胸の中で 蠢く 音 体が動かない 息が出来ない

 悲鳴も出ないまま 


 首から下げていたらしい指輪から

 光が 弾けて


 胸から引き抜かれた 真っ赤な4本指が 掻き消えた





 遠くで ざばざば 音がして

 声はもう聞き取れなかった が



 熱いぐらい 温かい 匂い で

 少し 安心 し て ・・・……──────





「ミト!」


 ネロスは飛び出した。

 守り人たちの怒号など聞き入れず、四つん這いの体勢で聖剣を押し退け、聖槍を掻き分けて、小綺麗な処刑場へと頭から転がり出た。

 そして、跳ね上がる聖樹の樹液を浴びながら、マイティアを呑み込もうとする聖樹の根を───女神が宿る聖剣で切り飛ばした。


「聖樹を───この愚か者めがッ!!!」


 そう憤るくせ、守り人は聖樹の御前に出てこなかった。だが奴らは、神聖なる場所を土足で踏み込む───戒律を破る行為を躊躇っているのではない。マイティアから流れ出る大量の血が聖樹の樹液と反応し、聖樹の魔力が霧状に可視化して噴き出しているから入らないのだ。

 あらゆる病に効果があるありがたい薬草も、度を超せばただの毒となるように、いくら聖樹の魔力が神聖なものとはいえ、人の許容を超せばただの“瘴気”だ。人の命を瞬く間に奪う吸熱は、死の霧と呼んでも差し支えないもの……それが、神聖な場所を埋め尽くそうとしている。


 しかし、ネロスは憶することなく霧の中に飛び込んだ。この昂ぶる熱を奪い切れはしないと彼は確信していた。寧ろ涼しいぐらいだと呼吸を躊躇わない。その確信通り、ネロスは平気だった。死の寒さなど慣れっこなのだ。

「手を出すな死霊ッ!! これ以上の儀式の妨害は許さぬぞ!!」

 じ気づいた守り人の怒号などに目もくれず、ネロスは指先も霧に紛れる程の悪い視界の中、身を屈めて血の色濃い方へと向かい───氷のように冷たくなった、青ざめたマイティアを見つけた。

「    」

 彼は言葉にならない悲鳴をこぼしたが、込み上げる涙も冷え固まって出ない。せめて彼女の体を抱き寄せようと手を差し伸べるも……彼女の身体は凍っているかのように固く、無理に動かそうとすれば粉々に割れてしまいそうだった。


「女神に触れるな! 異例な事態ではあるが───このまま御方の魂を聖樹に宿らせ、身体を聖樹に献上すれば儀式は完了する!」 

「ふッざけるな! お前ら一体ッ人の命を何だと思っているんだ!?」

「これは神化の儀式である! 御方を人と同列に語るな!不届き者め!」

「その女神の非常事態に腰抜かしてんのはどこのどいつだ死人のくせに! 文句があるなら入ってこい! 二度死ぬのがそんなに怖いか意気地いくじなしが!」

 そう怒鳴り散らすネロスの手元で、聖剣が僅かに震えた。


『ネロス 私を聖樹の樹液に浸して

 この聖樹の枝を修復させないと此処から出られないわ』


 ネロスの手の中、聖剣に宿る女神ベラトゥフは

『ミトちゃんの身体はもう死んでしまっているわ』

「そん──『聴いてネロス』」

 彼が口を挟む間も与えないように彼女はまくし立てた。


『彼女の魂が身体から切り離されていない。

 身体は腐り始める前に凍っているから奇跡的に、ミトちゃんは蘇生魔術の適応範囲になる。

 期待しすぎない程度に期待して。

 私の蘇生魔術の成功率は100パーセントよ、一回しかやったことないから!』

「それは助かるの? 助かる可能性があるってこと?!」

『聖剣にどっぷりびちゃびちゃ魔力を詰め込んで、ネロス。

 蘇生魔術は尋常じゃない魔力を使うの。途中で魔力が切れるなんて笑えない』

 ネロスはベラトゥフの言うことを半分程度しか理解できなかったが、指示通りにヒビ割れた聖剣を足下の樹液に浸した……間もなく、ヒビの中を埋めるように聖樹の樹液が流れ込む。母木の樹液に浸り僅かながら修復していく感覚を───血に魔力が溶け込むような記憶をくすぶる感覚を、ベラトゥフは擬似的に知覚した。


『心臓が止まっても肉体新鮮、魂残存という限定的な条件で成功率もシビアという、戦闘が出来る回復魔術師にしか需要がないスーパーマニアック上位魔術、蘇生魔術はタイミングが重要なの。

 魔術で無理矢理心肺機能を叩き起こしても外傷の治療も行っていないと意味がないから。

 だからネロス、よく聴いて覚えて。

 先ず、カタリの里を抜けます。その間、私はミトちゃんに回復魔術を使い続けるからあなたに応戦できない。

 外に出たらミトちゃんのお姉さんがあなたの帰りを馬車と共に待機してる筈だから、あの人を説得して馬車を動かす。

 特急で近くの医療所へ駆け込んだ貰いつつ、氷の樹海を抜けたタイミングで私が蘇生魔術を唱えて、医者のところへ飛び込み傷を塞ぐ』

「外に出て、お姉さん説得して、馬で町へ、ベラが唱えて医者」

『オーライ完璧!

 けど、慌てない程度に急いで。

 彼女の魂が離れていってしまったらもうどうにも出来ない』

「…………」


 聖樹の樹液でびちゃびちゃにふやけ、純白な刀身になった聖剣を革の鞘に収め

「───っ 」

 自ら踏み込んだ“道なき道“を前に

 恐怖を 後悔を 憤怒を 自責の念を───

 冷たく固まったマイティアを───ネロスは、抱きかかえた。



2022/9/9追加しました

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