第21.5話 回顧
女神になる者の条件、儀式の段取り、霧と霜に覆われた天竜山脈の麓の、森の奥に隠されたカタリの里の入り口……これらは長年、女神教団が独占していた情報だった。
だから、ほんの少し前までは、百年に一度行われる厳しい女神の選定を通り抜け、女神になることは人が成し得る最も非常な“名誉”とされてきた。
人々の道導となる予言を下し、死者の魂を管理する“職業”……カタリの里に生える聖樹の力を用いて、世界を守る者たち―――しかし、彼らは聖なる存在でなければならない故に、人として俗世に戻る事はない。
だが、女神教団が表に出さなかった事実を―――当時の女神騎士団団長グランバニクが、前王セルゲンに漏洩した。
カタリの里で、女神に課される儀式は、生きたままの肉体から魂を剥がしていくためのもの。
色んな欲望を消され、人との繋がりを忘れていく清浄を経て、覚えていられるのは自分の名前と教養 無意識に残るのは性格と癖。
女神になることが何を意味するのかを知ってしまった王族から“女神を出せ”と予言が下されたのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
『 新たな王の娘が 女神の子となる 』
その予言に当たる王は、前王セルゲンも、現王ハサンも含めて皆、セルゲンの一人息子、王子ルークのことだと思っていた。
鷹派である王子ルークは極右思想を持っていたものの、長尊短卑なエルフ社会でも一目置かれるカリスマ性の持ち主だったからだ。
だが、魔王封印の為に女神騎士団を再編成し、世界の代表として先陣を切った王子ルークは、魔王復活の動乱の中で消息を絶ち……その死体すら見つかっていない。
息子を失ったショックで倒れた前王セルゲンは持病の悪化で急逝し、数多の王位継承者たちが最後の王となることを恐れて雲隠れしていく中、押し付けられてくる責任から逃れられなかったハサンは、王国の歴史上最も高齢の王として、最悪の時代に即位した。
生涯の伴侶を早くに亡くしたその一人だけとしていたハサンだったが、そんな主張も女神の予言と世界の危機の前には罷り通らず、ハサンは幾人もの女を抱え 4人の娘を地獄へ生み堕とした。
長女サーティア
次女ランディア
三女シルディア と 末妹マイティア
不審死を遂げた母たちの代わり、私たちは乳母に育てられた。そして、王城の神官たちが管理する修道院へと移り、6歳になるまで……世の中が滅び始めているとは感じないほど穏やかに、天真爛漫な日々を過ごした。
その生活が、王たちの犠牲によって成り立っていたツケを 払うことになるとも知らず────。
ただ、本当に逃げようと思えば、私にも逃げる道はあった。
心の臓に刺さった白羽の矢を、姉の一人に突き立てる道だ。
胸にポッカリと空いた心の虚ろを罪悪で埋め尽くされようとも───心が捩れるほどの苦痛の矛先を自分の姉へ差し向ければ、この運命からは逃れられた。
だが、仮にそうしたところで、使命も責任も果たせぬ卑怯者の烙印を押され、生涯に亘る侮蔑と、止まぬ罵声を浴び、死ぬまで終わらぬ懺悔を───顔の皮が剥がれるほど地べたに平伏し、女神となる姉に自戒を求め続ける一生を、私は私に強いることになろう。
だから、私は逃げなかった。
逃げない“選択”を、私が下した。
周囲が私を軽蔑し、見放している事は寧ろ、姉さんたちへの免罪符とさえ思った。
決めたのは女神で、私を指定したのは王だ。姉さんたちは何も悪くない。罪悪感を抱くことなどない。姉さんたちは私を見捨てていい。
これは苦行だ。神へと昇華する為の、長くつらい修行。
失って困るような関係を、万が一にも生きていたいと思わせるような人生への欲を断って……断って……清浄にかかる時間を短縮し
長き苦しみの果て、死の向こうへ 神化すべく────。
嗚呼、父よ。せめて、私たちを愛してくれていたのなら!
慰めを求めて、短い旅に出ることなどなかった!
ネロス、あなたと出会うことが女神のお導きならば
この別れはきっと必然で、私の最期の試練なのでしょう。
だからどうか 悲しまないで ネロス
あのときと同じように
『僕、ずっと誰かと握手したかったんだ』
女神として、あなたの道標と現る私の手を、祈るように握ってくれればいいの。
私があなたを、勇者に導いてあげるから。
2022/8/31追加しました