第21話② 王国冬季六月十日 曇天
「この俺を謀ったな マイティア」
ハサン王の声は、枯れていた。
ずり落ちそうな王冠に掛かる色褪せた金髪と白髪。
装飾された枯れ木だ 垂れた下瞼、剥き出しになった混濁した碧眼。
側近も近衛兵も、威厳も歴史も、風化した王の間。
左右と真後ろに近衛兵に囲まれ
多くの血を吸っただろう赤い絨毯の上で跪く私を
王は玉座に肘つきながら、見下している。
判決の決まっている茶番。王は重苦しい溜息から始めた。
「それ自体を問うつもりはない。策とは騙すもの。
出し抜かれた者が愚かである。俺はお前に騙された愚か者である。
それは認めよう。俺はお前を過小評価し過ぎていたらしい」
ゴッ……ゴッ…ゴッ ゴッ、ゴッ、ゴッ
玉座の肘掛けを叩く指の音が速くなる。
「トトリとポートをバーブラの魔の手から退けた功績も聞いておる。
優先順位が著しく異なる事はさておき、この王国の領土を悪しき魔物から取り返した点だけについては、百歩譲って、お前の能力もあろう。それは勇者たる者の評価も兼ねて、認めよう。
だが、マイティアよ 連れて参る筈の勇者が半壊しているのは何の冗談だ?」
「……勇者は、四天王ゲドとの戦いで……重傷を 負いました」
王の間にどよめきが起きた。ランディアと同じように、良くも悪くも驚きと、呆れだ。
「何故止めなかった 勇者がゲドに勝てる算段でもあったのか? 予知夢というもので」
「…………わかりません」
「わからないだと?」
「彼の予知夢を私は見ることは出来ません。勝算があったかは私にはわかりませんでした。 ただ、止めきれませんでした」
「その左足はどうした まさかその戦いに首を突っ込んだわけではあるまいな」
「……ば、爆発に巻き込まれただけです。私の不注意です」
「……して、ゲドを倒したのか?」
「確認できておりません……氷漬けになったゲドの生死よりも、勇者の救命が優先と……その場から早急に離れてしまいました」
「全く……勇者とは、とんだ曲者だな。
マイティア、これまでの間にせめて、勇者を少しは躾けたのだろうな」
「……し、しつけ? しつ、……しつけ………。」
頭の中をぐるぐると巡る……トラブル トラブル 識字……5つのリンゴを2つたべてのこるリンゴの数の衝撃“8つ!“……あぅ。
「野蛮人をこの王の前に連れてくるつもりだったのか」
「……か、買い物が、出来るようには……お釣りが、わかるように……」
「はあ?」
頑張ったと理解されるばかりか、この場で私が冗談を言ったかのような空気だ……吐きそう。
「まあいい、ゲドと戦えるだけの力を有している事は朗報であろう。
王都騎士団に勇者の身柄を預けよ あれが目覚め次第、任を与える」
勇者に関する話は根掘り葉掘り聞かれることはなかった。既にタナトスやホズを介してネロスの報告は済んでいるからだろう。
「問題は、お前の落とし前である」
肘掛けを叩く指が止まり、静かに私を指す。
「バーブラとの戦いを強行した結果、王国南部の貴族が軒並み誘拐された。これ自体にお前個人の責任を問うつもりはないが、一部の者よりお前の独断への告発があった。
お前は、勇者の戦闘意思を折り、独断で休憩の指示を出した。この指示により、勇者がトトリに向かうべき時間が遅れ、トトリの被害が拡大したとな。
異論があるのなら言え」
「……先ず、私の独断ではありません。当初の作戦から変更があったのは事実ですが、事前にポートの指揮官ナリフ町長及び、彼女を通じてトトリの指揮官グランバニク侯爵の許可を得た上で、同士から作戦変更が伝えられていた筈です。
それに当初の作戦を立てる段階から、主砲となる勇者の体力管理は想定しておくべき事であります。作戦途中で勇者が倒れるようなことがあっては全てが水泡に帰する。それ故に指示を出しました。」
「ならば、戦闘前からお前が提言しておくべき事だろう?」
「私自身に作戦への口出しは許されていませんでしたが、勇者本人に提言致しました。しかし、彼本人はその必要がないと」
「必要のない休憩を取らせたと?」
「定期報告でもお伝え致しましたが、勇者は魔によって身体強化がなされる特異体質です。また、それに伴って彼の理性に負荷が掛かります。
実際、休憩を取らせる前、彼は疲労している様子でした。いくら口で大丈夫と言っていても、あのまま戦闘に向かわせるにはリスクが高いと」
「まあよかろう。
勇者が自己管理も出来ぬ奴ということはわかった」
ごめんネロス。正直に言い過ぎたわ。
「次に、語るのも億劫だが、タナトスのことだ。
愚か者とはいえ近衛兵長であるアレを無断で私兵として同行させ、挙げ句の果てに職務放棄に至った事に関して。
当然、アレの地位は全て剥奪し、王国領土内で発見したらばその場で逮捕し、極刑に処する。
並びに、その主君、及び配偶者たるお前にも、アレを連れて行き、逃がした罰を科す。異論はないな」
「……ありません」
私を罪人と思っている近衛兵たちに比べれば、彼の同情心には世話になった。彼が今何処で何をしているのかさえ判らないが、いっそ王国から出て帰らないよう祈っておこう。
その他諸々……枚挙に暇がない罪を読み上げられ
「異論はありません」と認めていくだけの時間が過ぎる。
首に掛けられた縄がゆっくりと……締め上げられていく感覚。
いっそひと思いに底板を外し、殺してくれた方が楽だったが、私の死に場所は此処じゃない。
「プライマス・マルベリー男爵の殺害について。
奴は侵略者たるドワーフ共を王国領土から追い出すべく奮闘していた。その者を手に掛けただけの理由があるのだろうな」
当然、責められるだろうと覚悟はしていたが……。
マルベリーの処分については当初、“鷹派”のレバスが許可を出したとタナトスは抜かしていたが、レバスはマルベリーが無能だから消したかっただけだと後でホズから聞かされた……。
ハサン王は“女神派”の筆頭。2つの派閥の中間にいた前王セルゲンだから右腕となれたレバスは今、私の擁護など出来る立場にないとかなんとか……。
私は苦し紛れの言い訳を並べた。
「……マルベリー男爵は、ポート下民街の者たちの虐殺を企てておりました。収賄、恐喝、組織的犯罪組織との癒着については……ホズに、持たせ提出しました資料通りです」
「元凶を作り出したドワーフ共が作った証拠など当てにしよって……。
お前は不法移民が作り出した根も葉もない作り話を真実かどうか裏付けていなかったというのか?」
王族というだけで町の入り口で門前払いされかけた身でも、私は調べられるだけのことはした。
嫌煙されている私自身が行くよりも遥かに諜報活動がスムーズだろうホズに頼んで、天竜山でヌヌの下にいたときも彼の感覚共有を利用して聴き取りは続けていた。
マルベリーを殺してしまった後は、グランバニク侯爵の許可を得て、マルベリーの邸宅から証拠となり得る物品を一時借用し、その結果を踏まえて報告書を作った。町長たちの資料を鵜呑みにしたり、彼らの目を通した文書ではない……その旨を口で説明したが、王の心象は悪いまま。
「下民街が作られた原因は、数万に及ぶドワーフ難民の責任である。下民街へと落ちた者が流す血は、奴らが踏み荒らした血である。
お前は本来、マルベリー男爵の役割を理解し、協力者となる下民街の王国民を避難させた上で奴の掃討に助力すべきであったのだ」
結局、王の言いたいことはそれだ。
ハサン王は、ゲドの襲来から地底国より逃げてきたドワーフ難民船を、王都騎士団を使って沈める指示を出した張本人だ。ドワーフたちをポートから追い出すための口実としても利用できる絶好の機会を、よりにもよって私が無碍にした事に対する苛立ちが前提にある。
「お言葉ですが、ポートは慢性的な食糧危機に陥っておりました。王の仰る通り不法移民による急激な人口増加が主たる原因です。
一方で、同じ王国南部に位置するトトリは、広大な農地を持ちながらも長き魔物の支配下、人口制限による最小限の働き手が、統制の取れぬ魔物たちの身勝手な暴食から不足し始め、誰もいない見張り塔が物置にされている始末でした。
その状況下、下民街を掃討してポートの余剰人口を減らすよりも適材適所。人を流して均す方が大局的に最善であると、グランバニク侯爵、ナリフ町長各位、合意した結論です」
「マイティア、お前はこのハサンが下した決定を過ちであったと抜かすか」
「いいえ、過ちであったと思ったことはございません。
私が、彼らの肩を持つ立場にはいないこと、重々承知しております。
しかし、世界が魔物の脅威に曝され、かつての四大国、その3カ国が滅び、残されたこの国の旗本へ縋りつくよう亡命してきたドワーフたちは、決してポートを賊の如く攻め落とし私有化した訳ではありません。
先の戦い、国家機密であった弩砲の構築と組成を公表し、私たち王国民の分も含めた武器や鎧兜を量産した彼らは、勇者と共に積極的に前線へと向かいました。
ハサン王、ポートで戦死した102人のうち89人もの命は、王が不法移民と言い続けるドワーフなのです」
もう私への罰は決まっている。
細やかな自暴自棄だ。
「馬鹿馬鹿しい。あれらに王国への忠誠心などあるものか。
地底国の国土が解放されようものなら、奴らは挙って己が国に帰ろう。
この王国の資源物資を食い荒らすだけだ」
「王が、難民船を沈ませろと指示を出されたあの日から、既に20年近い年月が経っております。あの当時、赤子や子どもであった者たちが大人となり、子を育てるだけの長い年月です。
それだけの年月、私たちは国道トンネルの向こう側へ兵士を送る事はまずなかった。
それだけの年月、彼らは、王国民はあの場所で魔物を退けながら生きてきたのです。」
「ただの感情論だな」
感情論? 一体どの口が言っているんだ?
全ての人を等しく救う事なんて人にも女神にも出来やしない
誰かを救いたければ誰かを見捨てるしかない選択を
その責任を取るのがこの血の務めじゃないのか?
あんたは下した選択で生まれた怨嗟如きを恐れて忌避している。
人の世が滅びかけている今でさえどうして過去の因縁に取り憑いて───価値を失いかけている玉座にしがみついていやがる。
女神の予言に縋って先見の明を失った節穴なんかに
過ちを恐れて歩けなくなった老害なんかに
民を 死に怯えた老害の肉壁なんかにさせるな────と………。
沸き立つ憤怒も、宿命から一時逃げた私に立ち上がる力を与えはしない。
( 所詮 私も コイツの娘だったのか )
せめてこの身で戦い抗う術が私に許されていたなら、いや、せめてこの知恵を振り絞り発言する権利が私に許されていたならばきっと、この骨肉血魂尽き果てるまで責任を果たそうと思えただろうに。
理不尽な苦痛に苛まれた心は、鞭を持つ老害一人に爪を向ける気力すら奮い立てられない───躾……いや、支配か 情けなくて泣けてくる。
王の爪が……肘掛けを削る、音。
漆が剥がれて白く抉れた肘置きの裏。
私の皮膚が剥がれた背にめり込む硬い異物の感触、血の臭い。
忘れたくても忘れらない身体の記憶が頭を劈いて、遂には理性にまで苦痛が染み込んできた。
私の首に隙間無く食い込む荒縄で擦れる感触すら覚える。息が苦しい。
「言い訳は終わったか?」
声で惹起される幻痛で頭が飽和してきて、思考が圧迫され、つい、もしかしたらと……脳裏に浮かんだ言葉に飛び付いた
「プライマス、男爵は 獣人化しておりました」
口走った直後───しまった───悪手であることを理解したが
「その魔物化を、確認し 討ちました」
まずい まずい まずい 余計なことを言った。
「その証拠はなんだ」
王は当然 当然、揚げ足を取ってきた。容赦などある訳がない。
「お前は、プライマスの名誉を毀損する発言をしている。
獣人化、及び、その魔物化を起こした者の殺害を正当化するためには、物的証拠となる血肉を差し出すことが条件だ。
王族ともあろうお前が、それを知らないはずがなかろう」
嗚呼、タナトス……。
あなたがマルベリーの死体を蹴落としていなければ……。
おお、ハサン王。お許しください。
ポートの第三水門辺りからレコン川の何処かにマルベリーの死体が漂着して残っているのです。もしかしたらレコン滝を落ちた神国方面へ、もしかすると海竜の腹の中までどうか探してみて下さい。どっかにあるのです……どこかに、ある筈なのです……。
ダメだ 言えるはずがない ダメだ やらかした────王は、ぼろを出した私にトドメを刺す鷹の目を差し向けた。
「お前は今、故人の尊厳を踏み躙った
見たと言い張るならば、マイティア、その目を己でくり抜き差し出してみよ。
その目に焼き付いた記憶から、その様相を調べられる可能性が万に一つあろうと、魔術学院の研究者共に賭けてみたらどうだ」
後ろと横に立たれている近衛兵が近寄り、玉座から放り投げられたナイフが乾いた音を立てる。
不必要以上に飾り付けられたナイフは……安物のカトラリーのようだ。
震えた腕を伸ばすこともままならず、近衛兵がナイフを拾い、私の右手に握らせ……その刃先を私の目に向けさせる。
やれというのか?
この期に及んで……娘から、泣く権利までも奪うのか 父よ
「いや、いっそ1つぐらいくれてやったらどうだ」
「盲目の実姉にその無用の目を」
ピキッ
ナイフに映る私の頬が引き攣り、みるみる真っ赤になっていく
なんだお前 他人事のように
腐っても父親だろ お母様を殺した父が
いくらなんでも……いくらなんでもっ
お姉ちゃんはお前のせいでッ────!
「その目を俺に向けるな」
近衛兵がグッと私の頭を地面に押し付けようと鷲掴みしてきたが、私は握らされたナイフを近衛兵の手から引き剥がし、近衛兵の肉壁の間から強引に投げつけ───カシャッカラっ カラララ…… …。
組み伏せられた後に、ナイフが玉座の足下に転がるのが見えた───魔力が使えていたらアイツの顔面に突き立ててやれたのに。
「心までも悪魔に売り渡したかハサン───魔に呑まれたか愚父よ!
お前の保身にこの地獄へ生み堕とされたっわた、したちッ お前の、子の生き血を貪る獣になり果てた魔物なんぞに! 女神の恩寵が授けられるものと思うなよッ!!」
近衛兵三人に取り抑えられながら、思い付く限りの罵詈雑言を吐きつけた
───姿を現さない まだ見ぬ魔王よりも
私にとってはよっぽどお前が“魔王”だハサン!
「喚くなマイティア。王の前であるぞ。
此処はフォールガス王家、その長い歴史の刻まれた王の間である。
その低劣な言葉でこの場を穢すことは許されぬ 弁えよ」
「何が王だ腑抜けめ! フォールガスの歴史に消えぬ汚点を刻んだのがお前だ!
今に見ていろ! 女神はお前の祈りに応えない!
記憶を消されようとこの魂に刻まれた屈辱を私は忘れないッ!」
「何をしている、黙らせろ」
両肩が脱臼しようが、砕けた左足を踏まれようが怒りで堪えたものの
「 」
鎧を着た大男三人にのし掛かられて息が出来なくなり、罵声が口から出ない。
「お前が城を出たのは三月五日である。
俺の前に現れたのは六月十日である。
その間、42日だ
マイティア、その間に死んだ王国民の数が判るか?
その数が、お前の犯した罪の数である」
肋が折れたか、激痛で呻く事もままならない。
涙だけ溢れてくる お姉ちゃん お姉ちゃんは 私のせいで
コイツのせいで────全て失くしたのに
「俗に染まった心身を捧げよ
欲に塗れた血肉を捧げよ」
「近衛兵 この罪人を懲罰室へ連れて行け。
神官 この愚か者に罰を与えよ。
これは苦行である。女神となるべく、俗を忘れ、欲を失う為に。
これは贖罪である。その苦痛で以て、お前が殺した民に償う為に」
「マイティア 精々、死んでくれるなよ。
お前が死んだなら 次はランディアだ」
2022/8/26改稿しました