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勇者の死霊術  作者: 山本さん
第一部
43/212

第21話① 王国冬季六月十日 暁

 

 私は一睡することもなく夜明けを迎え

 間もなく、医者に呼ばれた。


 ネロスの天性と呼ぶべき生命力は、私の不安を嘲笑あざわらうかのように彼の身体を修復していた。医者はまるで化け物を見るような顔で「折れた骨が目の前で引き寄せられるように治っていくんだ、コイツ、本当に人間かね?」堪らず欠伸あくびをして帰って行った。


 一つしか使われていない病床、サイドテーブルの上の水挿しと水溜まり、その横のスツールに浅く腰掛ける。

 人々の目覚めには早い暁、小鳥のさえずりが耳を擦る。

 包帯とガーゼの隙間から垣間見えるネロスの顔に血色はなく、青い唇は人の熱だけを吸う。味気ない乾いた皮膚、消毒液の匂い。

 雑に引っかけられたままの掛け物を体に被せ、焼けただれた右の掌を避けて、手首を静かにさすりながら……垂れ下がる無骨な指へ恥ずかしげに絡める。握り返してくれやしないと知っているくせ、淡い期待を抱いていたが───それは砂時計のゆるいくびれの様に───指の合間から擦り抜けて……。


 コッコッコッ、窓を突く音がして

 私は素知らぬ顔で 指をほどいた。


「ホズ……」

 昨夜のうちに連絡しておいたホズが、神妙な面持ちで窓から歩いて入ってきた。

「お姫様が片足を粉砕骨折だなんて、一体何をどうしたらそうなるんだ?」

「爆発で吹っ飛ばされて……打ち所が、左足だけ悪くて」

「爆発だぁ? またノリで錬金釜に火薬草でも入れた訳じゃないよな」

「……もう、そんなことしないよ」

 ホズは呆れた様子でベッド脇のサイドテーブルに飛び上がると「このバカチンが」「突いちゃダメよ」眠っているネロスの包帯塗れの顔をついばもうとしたが、私が寸前で止めた。ホズは気軽に啄もうとするが、結構、痛いのだ。


「マイティア」


 ホズは、私の目を見つめ、名前だけを呼んだ。

『本当にいいんだな?』彼は、そう訊いているのだろう。


 彼の硝子玉のような目に、私の情けない顔が映る。

 まるで今にも泣き出しそうな子どもの様だ。悪いことをして、怒られることが判ってて、それでも悪いことをしたと正直に告白するべく、良心の呵責かしゃくに動かされる子……修道院から引き摺りだされた8歳のときの、私そのものだった。


 だけど私は───戻るべきだ。そう決めたのだ。

 トトリやポートで立ち回れたのは私が王族であったからで、侯爵たちは私の身体に流れる血に敬意を示しただけ。

 王国から出てしまえば、私はただの人間の女。

 野蛮なドワーフ一人の手を振り払えず、老エルフを見殺し、ゲテモノの祭りに狼狽え、魔女の幻惑術に抗うことも出来ず、化け物を前に勇者一人引き止められない無力な人間だ。ゲドへ与えた一撃だって、リッキーがいなければ擦りすらしなかっただろうに。

 勇者の好意に舞い上がったお荷物が、遂には足を不自由にしたのならば……それは、引き際であろう。


 ネロスに必要なのは、心身の折れた脆い傷物ではなく……女神のように、共に戦える者。少なくとも、彼に背を任せられる者であるべきだ。


 だから……私に出来る最大限の貢献は言わずもがな、女神になる事だ。

 しかし、聖樹がある、女神の儀式を行うカタリの里の場所の情報は王たちしか持っていない……女神になる事を決意することは、王都に帰らねばならないことと同義なのだ。


 帰ることが───罰せられることが怖いと……駄々をこねるにはみっともないよわいにまでは、生きられた。

 最初で最後の親孝行を……それが、ケジメだ。



 ホズは何も言わず 私に背を向け、背負った小さな筒状の容器を差し出した。

 その中に何が入っているのかを……私は、理解していた。


「……、……。」


 震えた手で不器用にホズの荷物を開けると、案の定……巻物が入っていた。

 指先で巻物をつまみ出し、開けた場所で広げる。描かれているのは転移魔術の魔法陣。時間を置いて、空中の魔に反応して、導火線のように魔法陣が青く光り出していき……中心の術式が発火し、巻物が焦げると共に空間が歪み出した。


「!!」


 パッ 転移してきたのは、あまりに見慣れた、男女だった。


「随分と薄汚れたところにいるわね、ミト」

「姉さん……、戦士長」


 腹違いの姉、次女のランディア―――短い金髪で、目は細く、顔も小さい。凛とした立ち姿で、他国へ転移してくることを配慮してか、快活な普段着でいて

「はあ……無事で何より」

 それ以上の多くを語ることはせず、私をギュッと強く抱き締めてくれた。それだけでも目が潤んできた。


「美味しいの、ちゃんと食べてた? 城から出たときよりガリガリじゃない」

「忙しかったり、して……ただ、美味しいの食べたよ いっぱい食べた」

「嘘つけ、ワシより食べなかったくせに」

「鷹王の食い意地が凄いだけじゃない?」

「ランディ、お前の飛べない鷹と一緒にするな」

 そっ、と離れると、ランディアは横で眠っているネロスを睨みつけ

「大丈夫? 変なことされてない?」

「さ、されてないよ」

「人のかわいい妹を散々に振り回してくれちゃってる勇者くんとは、どんな奴かと牽制けんせいしたかったのに、来てみれば何この童顔と醜態……タナトスしかり、男運酷すぎじゃない?」

「それは……わからないけど……。

 この傷は……その、ゲドと戦って」

 そう言うと、ランディアは細い目をまん丸と丸めて、私の痛々しい左足とネロスを交互に見て

「……ちょっと待って、私ちょっと耳が詰まってたのかな?

 ゲドって言った?」

「うん」

「……あの、災食ゲド? 地底国を滅ぼしたっていう……」

「そう」

「その足は?」

「その爆発に、吹っ飛ばされて……、けど、私も彼を止めきれなくて……逃げ切れなかったのも悪、い……と、思う」


 ランディアは頭を抱えてけ反った後「わっ」私の肩をわし掴み

「取り敢えず姉さんコイツを一発殴るわ!殴らせて!」拳を振り上げ「落ち着けランディ」戦士長に羽交い締めに遭った。その身長差でランディアの足がぷらぷらとぶら下がる。

「勇者は、ゲドを倒せたのか?」

「……判らない。結局、ゲドの死を確認出来ないまま、この状態の彼を引っ張って離れたから……痛み分けに近いと思う」

「……そうか」


 縮れた黒髪の大柄の人間の男、グレースは王城の守備を担う城兵の一人で、本来の立場は戦士長だ。城の守りを担う兵士たちをまとめる役職。

 だが今は、王都騎士団の団長代理として前線に駆り出されていることがほとんどだろう。


 王都騎士団は当初、“女神派”貴族が王都に女神教団を招き入れるロビー活動のためのギルドで、女神派の派閥に入る貴族たちのステータスとして長く使われていたが、いざ前王セルゲンによって王族の女神信仰の解禁を代償に神国との同盟が結ばれると、高まる戦争危機から実力者を女神騎士団へと中抜きされ、解散した。

 その直後ぐらいに、王都内の定住と地位の確保を約束された王国内外の猛者たちが、“鷹派”筆頭の王子ルークの名の下に招集され、編成されたのが今の新生王都騎士団であり、以前の御飾り組織とは名前以外の共通点はない。

 よく言えば実力者の集まりだが、悪く言えば忠誠心や統一信仰、団結力すらもつたない、癖の強い傭兵集団だ。おまけに、王都内の定住など言い出しっぺの王子ルークが魔王復活時の動乱で行方不明となった為、反故ほごになった事に憤る彼らをまとめたのは、当時の戦士長グレースの兄だ。

 その兄が亡くなった後、弟のグレースが後を継ぎ、技巧派モンジュの武器や鎧を身に纏った彼らは今や、四天王ドップラーの魔物から王都を守る要とまでになった。


「話はホズから粗方聞いている。タナトスのこともな」

「タナトス……彼は王都に帰れたの?」

「何も聞いていない。だが、アイツは帰らないべきだ。帰ってきたところで、アイツのために橋は降ろされない」

「鎧に着飾られている野郎なんかほっとけほっとけ。

 そんなことよりさ、ミト……」

 何事かと心構えしていると、ランディアの目に、童心そのままな好奇心と熱狂が宿った。

「トトリとポートからバーブラ追い出したんでしょ?! 私たちそればっかり話してたんだ! くーっ!バーブラ軍との合戦に私たちを呼んでさえくれれば勇者のワンマンプレイさせずに大将の首まで手が届いたかもしれないのに!

 せめて私が非番だったら日帰りで直行してたわ……惜しい!」

「ひ、日帰り……」

「地底国の弩砲どほうどうだった?! ヤバくなかった?! 山崩しの弩砲! 大砲より軽いんでしょ!?火薬の湿気に強いってマジ?

 いや、いやいやそれより!グランバニク侯爵生きてたんでしょ?!オネェ侯爵!白狼だよ白狼!強かった?!」

「あ、はい……」

 侯爵の戦闘をほとんど見てはいないが、強かったというのはネロスからも聞いている。

「見ッたかったァ~!白狼の神国剣術ザンババ!人ぐらいの大剣が曲剣のようにぐるんぐるん曲がるの!」

「ね、姉さんちょっと落ち着ぃ」

「ドワーフの大盾隊の隙間を縫う精確な突き!弩砲の雨にすら怯まず突っ切る低姿勢な元祖獣型鎧に身を包み!砦の奥の指令官の首を刎ねた特攻!それにもかかわらず王国の白き鷹王の紋章に血の一滴すら浴びさせなかった近代最強剣士と呼び声高い白狼に会えたなんて───羨まし過ぎる!!」


 ランディアは……まあ、その、武術や剣術の習得や魔術との複合技を生み出して実践するのが趣味な根っからの武人だ。

 鎧や武器のメンテナンスや運搬、宿舎の雑用をしていた頃から数えれば10年近く、前線に出てから5、6年近くは経っているだろうか、王都騎士団ではかなりの古参だと聞いている。

「サイン貰った?「貰ってないです」くっ! 頼めば良かった……!」

 彼女は裏表がなく、立場や地位にこだわらない人だ。貴族にも平民にも、老若男女にも同じ様に接する……眩しいぐらい真っ直ぐな性格をしている。


「……そうだ、姉さん リッキーに」

「ん? 禿げのこと?」

「リッキーに助けて貰ったの。

 彼に此処までネロスと一緒に連れて来て貰って」

 しかし「ふーん……」思ったより冷めた顔で鼻を鳴らし

「王国の姫が困っていたから助けたって、それぐらい王国男児として当然じゃない。寧ろ他人様に迷惑かけた張本人が、この程度で償い以上になったとでも思っているのが解せないわ。小生意気な禿げね。」

(見透かされてる……)

「まあわかったわ、今度会ったら可愛い妹が世話になったわねってコブラツイストお見舞いしといてあげる」


「ランディア」


 グレースは、腕時計を私たちに見せた。


 ついつい話し続けてしまったが

「まあまあグレース、少しぐらい延長しててもさ」

「いいの」

 あまり話しすぎていると 覚悟が消えてしまう

「帰るわ、姉さん……騎士二人を、私の都合で付き合わせてはいられない」

「だけど……、……。」

 ランディアの戸惑いと、口篭もる素直な人柄に甘えたくなるが……もう充分過ぎるぐらい、姉さんたちには愛して貰った。

「……ごめんね、姉さん」

 今度は私が、姉さんたちの重荷を降ろす番だ。


 ランディアたちが持ってきた転移魔術の巻物を用意している最中

 ふと、私はネロスの方へ振り返り


「 行くよ 王都に 」


 ネロスからの返事は……なかった。




 

 ネロスの治療費をサイドテーブルに置き、私たちは転移魔術で王都に帰還した。


 着地時に触れた左足が痛み、思わず吐いた溜息が白く残る。一息吸えば、肺が温度差に強張り、乾いた咳が出る。

 王都の、転移点として常用されている南門すぐ手前の女神教会の祭壇。

 トトリの大教会よりも小さいが、日の光を浴びれば一面に鮮やかな装飾が浮かび上がる場所も、ぶ厚い雲に閉じられた世界では洞窟のように一様な壁、蝋燭の火の影でしかない。

 予告した帰還だからか、私を出迎える面子が頭を垂れて涙ぐんでいるが、彼らが泣いて喜ぶのは自分の安堵だ。もしくは、私よりも勇者の歓迎か。

 脇見もしたくない人の道を、踏み固められた絨毯を見つめて歩き、教会の扉を開けてすぐ、寒さが肌に張り付いた。


 南方向へ広がるは、雪によって色を失い始めている王都。

 北東には灰色の吹雪の霧に包まれたパッチャ氷原と

 北には人の侵入を拒む天竜山脈の壁。

 王都は、王城を頂点にした緩やかな坂になっていて、下ろした雪を水路に落としレコン川へと流していく為の大水路が王都中を迷路状に張り巡らされているため、水路に掛けられた無数の橋が目立つ。

 貴族たちが口うるさく決めた屋敷群、王国の魔術師協会も兼ねた王都魔術学院とその学生街、政治犯の死体を呑み込んできた氷牢監獄、技巧派モンジュの操舵輪と歯車を掛け合わせた紋章を掲げる機関からくり工場、王都騎士団の宿舎、真新しい女神教会が建ち並ぶ中で

 王都中心の大水殿に立つ、白い柱を囲う八柱の竜の石像。

 八竜信仰から女神信仰へと変わっていく途中の、城下町。


 町のあちこちで上がっている白い煙はきっと、本格的な冬季到来を前に、水路の水が凍らないよう天竜山脈からの地熱を利用する魔法陣の試験運転なのだろう……。


 教会から出てすぐ、ギギギ……右手の方から、軋んだ跳ね橋の降りる音。

 天竜山脈から吹き降りる寒波のカーテンから、巨大な要塞が現れる。


 王城アストラダムス。


 城に格納されている幾万の大砲。三方を巨大な水路に孤立し、背を天竜山脈に守られた立地。東、南門、南西門の三つの跳ね橋でしか繋がっていないこの城は、技巧派モンジュが王族への忠誠に作り上げたと言われている機関城であり、かつてはレコン川を遡上そじょうし、現在の場所に錨を降ろした“舟”だったというが……本当かは、遂には判らなかった。

 フォールガス王家が、人が住むには寒すぎるこの場所から離れないのは、この城と共にあり続ける為らしいが……その秘密は玉座に座る者にしか知らされないからだ。


「マイティア様」

 王城からぞろぞろと、私を迎える近衛兵たちが橋を渡ってきて、ランディアから私の身柄を受け取ると

「よく、戻ってこられましたね」

 下がるランディアたちにも聞こえる声で、近衛兵は私に言った。

 兜の隙間から覗く軽蔑と嫌悪の目。

 指が震えてきても、寒がる私の手を握ってくれる手などもうない。冷たい空気だけを握り締めて、込み上げてくる弱音を呑む。潰えた希望を溜息に吐き出し、白い息が私の頬を撫でて消えるばかり。

「荷物は預かります。何かあっては困りますから」

 腰に下げた剣も、刃毀はこぼれしたナイフも、ウエストポーチも差し出し

 その代わりに、女神教団から貰った魔力使用に制限を掛ける“封印術“の腕輪を右手に……ガチンッ 嵌められた音で―――心臓が、訴えるように暴れ出した。身体が危険を感じて強張るも、腕輪によって魔力が虚しく霧散する。

 こうすべきなんだ これしかないんだ これが最善なんだ……どれだけ苦しくたって、あと、数日。

 長かったじゃないか 自由と選択を奪われてから十数年……それもあと数日なんだ

 私の心臓よ、堪えられるはずだろう?


「王がお待ちです」


 絞首台へと繋がる見えない縄が、蛇のように首に絡みつく。

 前と後ろに近衛兵に立たれ……私は、振り返った。


 真一文字に口を結んだランディアと、グレースは、王都騎士団の宿舎へ、担いだ……ネロスを、連れて行く……。


(ごめんね、ネロス……ごめんね……)


 それ以上の言葉も浮かばず

 後ろの近衛兵に背中をぐいと押され……杖にしがみつきながら、歩き出した。出来る限り足下を見て、刺すような視線を背中に浴びて、自分の鼓動にだけ耳を傾ける。

 歩くのが遅いと鎧に急かされつつ

 一歩ずつ 一歩ずつ……。


 私を断罪する 王の、御前へ



2022/8/26改稿しました

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