第19話① 荒れ地の魔女
私たちは荒れ地の魔女に会うために、闇市から北へと向かった。途中から露店はなくなり、枯れ木が立ち並ぶ同じ様な光景の道なき道を、風頼みを使いつつ北を目指す。魔物の気配こそほとんどないが、北に向かえば向かうほど、見通しの悪い深い霧に覆われていく……そろそろ日が暮れそうな時間だ。
だが、休憩、夜を越す寝場所の確保もしないまま、ズカズカと進んでいくネロスを止める言葉が、私には見つからなかった。彼の怒りは尤もだ。このまま魔女の根城へ行き、ネロスは湧き上がる怒りそのままを魔女にぶつけるだろう。
彼の歩幅に、私は駆け足でいて そろそろ足の裏が痛くなってきた。
「ネロス、荒れ地の魔女は賢者、八竜に認められた稀有な魔術師よ。
話が通じる相手なら、戦わない方がいいわ」
「ベラを渡さないのなら僕は戦う」
「賢者は高等魔術師よりも強いの。恐らくあなたが戦ったホロンスよりも、確実に魔女は強い。
そんな相手を、聖剣なしで戦う羽目になったら」
「その魔女って奴も僕らの敵なんだろ? 八竜だか何だか知らないけど、この森をめちゃくちゃにして、人を苦しめる奴に協力してる奴なら敵だ。
魔女も倒すべきだ。倒せるなら倒すよ。敵は倒す」
女神の選定に出ていた、ただそれだけの経歴でさえ魔術の才能がずば抜けていることの証明に等しい。その上、魔女は賢者だ───エバンナ(魔物)側に付いている。
「僕は負けないよ。僕は知ってるんだ」
彼の“自信”に、私が過敏に不安になっているだけなのだろうか?
予知夢に従い続ける事へのネロスの不安を耳にしたからなのか、彼が“約束された”勇者ではない事に対する身勝手な失望なのか……彼の予知夢を基盤とした確信的な言葉すらも喉に閊えた。
しかし、魔女の情報も少ないのも事実で、聖剣を持たないネロスの力の底を知らないのもまた、事実だ。
そもそも戦闘になれば、一つ星の魔術師にもなれない私は間違いなくお荷物……闇市で待っていた方がネロスはマシに戦えるのかもしれない……云々。
私には彼を止めるべきかどうかの判断が出来なかった。強いていえば、嫌な“予感”だった。魔女は、今まで出会してきた奴らと次元が違う……そんな裏付けのない女の“勘”。当然、予知夢とまるで張り合えない。
(どうしよう……引くべきなのかな。
だけど、聖剣を、女神を取り戻さないと、彼がみるみる壊れてしまうわ……)
何か良い手はないか、乱雑なおもちゃ箱と化した頭の中をひっくり返して探してみるも、都合の良いピースは見つからない。
そんなことを考えているうちに「ぶわっ」私は綿の様な質感のものに体当たりした。目の前が真っ白になり、息を吸うために慌てて掻き分け掻き分け……ズボッ 突き抜けた。
「此処は……ど、何処?」
魔物の気配や瘴気の圧をまるで感じない不可思議な空間に出た。
白い霧に周囲を囲まれた空間で、草木が活き活きと繁茂している。先程までの鼻を劈く腐った大地ではない……まだ生きている空間だ。
この空間には小さい家が建っている。木をくり抜いて作られた家で、煙突や窓、葉の生えた枝が屋根のように伸びている。何も投函されていない木のポストの横には耕された畑があり、種類様々な薬草が育てられている。畑を耕すためだろう鍬やシャベル、肥料の袋なども見られ……農作業の途中に場を離れたのか、綺麗なティーカップが畑の横のウッドテーブルでのんびりと湯気を立てている。
人が生活をしている事に間違いないが、魔女が住んでいることを踏まえると違和感のある、素朴な家だ。
荒れ地の魔女、そう呼ばれている割には荒れ地ですらない。
「……此処で、良いのかな?」
流石のネロスも、先程までの怒りを普通そうな家の主に向けていいものか不安になったらしい。
「なんて声かければいいかな」
「取り敢えず……ノックしてみる?」
「そんなことしなくていい」
そのとき、しゃがれた声と共に扉が開き、中から「わっ!」干からびた女……? が、出て来た。
フードで顔は上手く見えないが、長めの袖から覗く手はしわしわだ。
(こ、この人が魔女……?
よぼよぼなお婆さんなの?)
「泥棒があんたに聖剣を渡したって。
それは僕の大切なものなんだ。返して欲しい」
「知ってる」
魔女は扉を大きく開いて手招きをした。
「入りなさい。
連れの女神の子も、ね」
「!」
「あんたの魂には印がある。カタリの里に入るための印。フォールガス王家に予言が下された、女神の子……あんたもだよ」
私たちは一度顔を合わせた後、不気味な魔女の家に上がり込んだ。
扉の中を入った途端に、フワッ 何処かで嗅いだことのある柔らかな木の香りが鼻に触れ……ネロスの強張っていた背中が緩むのが見えた。
何の香りだ?
しかし、その匂いの記憶を思い出す前に、私たちは目に飛び込んできた違和感に立ち尽くした。
外見から想像つかないほどに空間が、やたらに広い。
外見よりも何十倍も広く、何倍も高さがある。その空間をミチミチと錬金術の素材と釜が置かれ、それよりも多い魔法書、魔術書の山脈が乱立している。チョークの拭き跡が濃い黒板が至る所に、理解できない難解な魔法陣や魔法のメモが所狭しに描かれている。
「ンンンン!!」
そのど真ん中に、聖剣を盗みやがった―――あの禿げ泥棒が、床に転ばされていた。黒い茨で縛られ身動きが取れないようで、猿轡まで噛まされている。
「少し遊んであげるわ ガキ共」
リッキーを攫ったときに聞こえてきた声に振り返ると、内側に魔法陣の刻まれた外套を脱ぎ捨て、暗闇に紛れる程に黒肌と黒髪を持つエルフの“若い”女性が現れた。
セイレーンとも呼ばれる……ブラックエルフだ。
そいつが呆然と立ち尽くす私たちの間をすり抜け「ふぎっ!」途中でリッキーを踏みつけ、錬金釜の前のスツールに腰掛けると
「勇者、コイツを殺しなさい。
そうしたら聖剣を返してあげる」
「な、何だって?」
「ンンンっ!!ンンガッッ!!」
「この禿げを殺しなさい。
それが出来ないのなら……」
魔女は指を鳴らし「ベラ!」召喚した聖剣に、指先から出す青い火を近づけた。
「この聖剣ごと女神を消し炭にしてやるわ」
魔女は不敵に笑みを浮かべた。
2022/8/15追加しました