第16.5話 王族と八竜信仰
ゼゼとウロとの話を終え、私を置いて行ってしまった男たちの方へ戻ると、二人は何やらトランプの様なものを拡げて睨めっこしている様だった。
「何やってるの? 遊んでるの?」
「あんた、“イェスファグム”いうんを知っとっか?」
「いぇ…ふぁ? なんて?」
「これから夜は長いやろ? 暇やから、占いでもしてやろか思てな」
コレットが手にしたのは手の平大の、紙の束。トランプに近いが、あれより少し大きくて分厚く、数も八枚しかない。
「当たるの?」
「当たるで」
きっと先に占って貰ったのだろうネロスの顔を伺ってみると「僕は何事も空回り易いから、ちゃんと考えて動けって」と、眉尻を下げた。これは当たるかもれない。
「どうせ金取るんでしょ」
「今回限りはタダでやってやるわい、けちんぼう。暇やからな」
タダならやろう。タダだし。
「札には向きがあんねん。天と地。
天がお日様印で、地はお月様印や。
そんで、好きな札をな、好きな数だけ選び、天地をあんたで決めて、おいらに見せなはれ。見せる順番、一度に見せる枚数もあんたの好きなようにしいや」
「それだけ?」
「最後に、おいらが8枚のうち適当な札をあんたに見えんよう持つわ、天か地か、どっちが上になっとるか訊く。それが合ってんのが良い訳ちゃうからな、思った通り、適当に言いなはれ」
渡された札には、関係性のわからない独特な絵が描かれていた。
人が抱き合い涙する様を見る鳥の絵
人を踏みつけて誇らしげな者と雷雨の絵
病に伏した子供と立ち上る煙の絵
蜘蛛の糸に絡んだ骨に絡みつく蛇の絵
燃やされる案山子と槍を片手に踊る獣たちの絵
眩い日を映す鏡を持った四対の手袋の絵
杖を持つ老人の手の甲に時計が埋め込まれた絵
氷海を泳ぐ光る魚と寝そべり歌う魔術師の絵
それらの絵に射線が引かれる事で絵は半割されており、それぞれの枠に天と地を表す印がついている。
私は無作為に札を選んだ。深く考えたって仕方ないものだから。
「天と地、どっちやと思う?」
「天」
コレットは選ばれた札や数などをメモして、それをじーっと見つめた後、一度、大きな溜息を吐いた……。
「あんたは早死にするか、めっちゃ長生きするかの両極端やな」
「いきなり物騒ね」
「怪我に病気、責任、降り掛かる不運は人の数倍ある。ただ、悪運に好かれとるのか、なかなか死なんのぅ。運気の流れは確実に悪いが絶望的やなく、長く続きさえすれば持ち直してくる。あまり見た事ない、前途多難な相やわ」
「やだ……悪運に好かれたくない」
「良い意味でも悪い意味でも、あんたは自分以外の運命に左右される。自分で自分の未来に舵が効かん。
一方で、あんたは関わる者の運命を動かす力がある。
仕事や人付き合いの相は、アレや。裁判官やお役所仕事が性に合う奴やな。ただし、感情に流されやすい。芯がブレんようにしいや」
合ってるような、認めたくないような……。
「最後に、分岐の相。いわば、人生の転換期やけど。
あんたの運命の分岐は2本ある。ただ、その二つとも、どちらかが袋小路……死、挫折、暗闇を意味する。
気ぃつけな。1本目は近い将来に来そうやで」
たかが占い、されど占いだ。
身に覚えがある、様な事が幾つもあった……気がする。この手の話を信じ過ぎるのも良くないと思う真っ当な理性は、ネロスの予知夢を盲信している私にも一応はあるらしい。気を付けておこう。
「それにしても珍しい占いね、見たことないわ」
だが、この発言にコレットは嫌みったらしく
「ハァ~女神信仰に神様、鞍替えしよった王族からそないなこと言われるとは哀しいのぅ」
ねちっこく、クソネコは言って来た。
「……まさか、それって……“八竜信仰”の占運術なの?」
うんともすんとも応えず、クソネコは大きな溜息を吐いて来た。腹立つわぁ……!
(そう言えばこのクソネコ、私が王族と知ってるのね)
恐らくは、私がマルベリーを追って下民街に来たときだろう───コレットと手を組んでいた禿げ泥棒リッキーはデボンたちと一緒にいた───当然、私が王族であることも聴いていたはずだ。その後、ポートで騒ぎを起こすに当たり、打ち合わせがてら私のことが話に出ても不思議ではない。
「八竜? 8匹の飛竜のこと?」
「おお? 知らんのか?
いや、お前さんは若いもんなあ 小せえ頃から女神様に祈っとるんにゃ、八竜信仰を知らんのもしゃあないわ。お前さんは」
「……この竜の島の神よ。エルフの生みの親であり、魔法や魔術の祖である八柱の竜神を八竜と呼び、彼らを崇めるのが八竜信仰。
エルフの信者の方が多いけど、人間でも八竜を信仰している者もいる」
「その数少ない人間の八竜信者筆頭が、姉ちゃんたち、フォールガス王家やったんやで。昔は。が~っつりと。八竜万歳しとったもんなあ~。
そぉれが、神国の圧力に悲鳴上げて神様クルッと鞍替えしよってからに、恥知らずもいいところや。なあ? ちゃぁんとお城に関連書物を焼き払わずに残しときゃあ、おいらがこのカードを拡げた途端にピーンと閃いたやろに」
そうなの? そんな素直な疑問符を顔に浮かべるネロスが私を見る。
私は苦々しい顔をしたのだろう……クソネコの言っていることにまともな反論が出来ないのだから。重苦しい溜息しか出ない。
「大いなる力、大いなる意志、その化身が八竜や
八竜は世界の流れ。つまり、導き。
人には見えん道なき道に立てられた看板やな。あっちに地獄があり、こっちに天国があるぅ教える看板。それが八方向にある感じや。
八竜の導きは、世界を変え得る分岐点……まさに神!
人が、ちょいと先の未来が見えるだけ言うて、女神ぃ崇めて縋るんとスケールがちゃうねん。レベルがちゃう」
「はあ」ネロスの視線が宙を舞う。
「女神信仰と比べると、かなり曖昧な部分が多く、信じて救われるものではないけど」
「かーっ! 王族様からそないなこと言われる日が来るやなんて、八竜様もガッカリしとるやろなあ」
「ふえー」ネロスの顎がしゃくれる。もうダメだな、これは理解を諦めている意思表示だ。
どのみち平行線を辿るだけの宗教話を切り上げて、私たちは5人で見張りを交代し、眠る事にした。
日課である日記を書きつつ、私は首から下げたままの古い指輪の感触を、服の上から確かめた。
この指輪は、王族が王族であることを示すもの────長きに渡り、八竜を信仰して来た王族が、王族であることを示すものだ。
八竜には善悪の概念がない。
人を贔屓することはないし、信者だから救われるという訳でもなく、寧ろ、賢者の様な有能な者であるほど使いパシリにされることの方が多いという。
八柱それぞれも特性や性格が異なり、運命や生命、才能、均衡を司る竜神もいれば、自然災害から疫病、戦争、死などの恐怖の対象を司る竜神もいる。
それでいて、八竜を信仰するのはやはり……大いなる意志の化身だからだろう。その動向を注視することで、世界の運命を見定める情報となり得るからだ。
だから八竜信仰は、町や国の舵取りを担う者や、世界情勢を見極めて金をやりくりする商人や投資家、魔法・魔術、理を網羅する八竜の知を見出したい魔術師たち、自然のあるがまま生涯を遂げる者たち……そんな人たちに崇められてきた。
フォールガス王家が女神信仰に傾倒したのは、前王セルゲンの時代。王家の歴史から見れば、ごくごく最近の事だ。
魔王が復活する20数年前、百年ぶりの女神の選定という世界の祭りが実施されている最中、四大国は……戦争を起こしかねない極度の緊張状態に置かれていた。
国土が狭く、他三国と比べ物にならない程、軍事力の乏しかった王国は、人間の国の中で群を抜いて力を有していた神国と同盟を組む為に、女神信仰を受け入れた。
その条件を呑んでから生を受け、女神の子として女神に予言された私たちは有無を言わさず、女神信仰を基礎として教え込まれた。王城にも女神教団の神官が入り、王城の書庫にある八竜信仰についての書物は焼かれたか、没収された。そのため、私の八竜信仰の知識は“ホズ”から言葉で教わって来ただけに過ぎなかった。
女神信仰と八竜信仰の関係は、昔から険悪だった。
女神の始祖とされる大女神テスラはかつて、金の賢者……つまり、八竜に仕えた魔術師であった。魔王を封印に至る経緯も、女神経典では省かれているものの、当然、八竜による干渉を受けていた筈だ。
だから本来、女神は八竜の下に位置するのが自然だった。
しかし人々は、人間が持っていた神教……八竜とは全く関係のない神を女神で上書きし、教えを広めてしまった。
神教から派生した女神信仰は、八竜信仰と競合する宗教となってしまったのだ。
魔王という大きな脅威に晒された昔、それに打ち勝ったのは女神たち“人”であり、八竜は導いただけ……その力で、人々を救った訳ではない。
八竜やその信者にとっては、なんとも烏滸がましい考えだろうが。
金の賢者と勇者たちが活躍したあの当時も、恐らく今も
人が求めているのは、拓けた未来へと導きを与える神ではなくて
その手を汚して魔王を討ってくれる、勇者や女神なのだろう。
私は胸の奥で溜息を吐き、日記を閉じた。
信じるべきものを変えてまで保身に走った王族が、女神の予言を失って路頭に迷う様を、八竜は今頃……嘲笑っているに違いない。
2022/7/31追加しました