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勇者の死霊術  作者: 山本さん
第一部
32/212

第15話② 虫の知らせ

 

「念の為、これを持ってな」

 老エルフは私に小さな香り袋を渡した。一触即発な空気を一変させた先程の匂いとは違い、燻製くんせいの様な香ばしい匂いがした。

「さっきの煙は、筋弛緩用のもの?」

「ああ、少し強めに調整してしまったからな、嬢ちゃんみたいに細身だと効き過ぎちまう可能性がある。

 これはいわば、その効果を打ち消すためのものだ。大事はないとは思うが、今日はこれを傍に置いていてくれ」


 老エルフはそう言うと、騒動を見ていた他のエルフたちにも香り袋を配りに向かった。


 野郎共がいるバーから最も離れた、宿泊用の受付にあるソファに私は腰掛けた。そして、未だに落ち着かない様子のネロスを横に座らせる。


「ありがとう、ネロス。

 でも、あれはやり過ぎよ」


 ガラの悪いエルフたちに絡まれ、私の腕を掴んだドワーフの腕を、彼は容易くへし折った。その行動の理由を考えれば、私は大いに感謝を伝えたいのだが……私は、彼の為にも叱るべきなのだろう。


「アイツは君を傷つけようとしていたし、ひどいことを言った」

「ええ、その通りよ だけど」

「君も僕も何にもしていないのに、一方的に難癖なんくせつけて来たんだ。

 その上、割れたガラス瓶を突きつけてきたし、君の腕を強引に掴んだ」

「ええ……そうね」

「僕は何もしなければ良かったのか?

 それとも言葉で言い返せば良かったの? それでアイツを追っ払えたの?」


 そう言われて、私は答えに詰まった。

 ネロスは悪気などなく、自分の意見を述べている。

 やり返すにも程があるなんて、その程度を知らない彼に対して主観的で曖昧な答えでは……引き下がりはしないだろう。


「僕は僕が間違っていたとは思わない。勿論、剣を抜かなかった君も、間違っていたとは思ってないよ。ひどいこと言われていたのに、やり返したりせず、穏便おんびんに済ませようとしていたんだろ?

 だけど、アイツはそれを踏みにじった。酔っ払っていただなんて理由にはならないよ。間違っていたのはアイツだ。アイツだけだ。」

「ネロス」

「僕はアイツを許さない」


 ネロスは、あの時と同じ目をしていた。

 ポートでの戦いの最中、休みを取るよう彼を説得していたとき……暴言を吐かれる事なんて日常茶飯事にちじょうさはんじだと冗談交じりに私が愚痴を溢すと────彼の目に何かがかすんで映った。

 茶褐色の目の奥に、青いもやが掛かったような

 鋭くて冷たい、何か……。


 それが今、彼の目の奥にいる。


「ネロス、私たちは無数の人々と繋がって生きているのよ。

 あなたが着ている服も、その剣も、食事も、この施設も、何もかもあなた以外の誰かが作ったもの。

 その誰かに魔物と戦う力がなければ、彼らは時として護衛や傭兵ようへいを使う事もあるでしょう。例えあんな奴らでも、それに頼る人はいる」

「腐った奴らは魔物になるし、奴らが傷つけた人が魔物になる事だってある。

 魔物に生まれる奴は生まれてくるべきじゃないのなら、腐った奴らなんかいなくなった方がいいじゃないか」

「それは極論よ。

 あなたの言う腐った奴らは、そうなるまでの人生や環境があって」

「奴らに傷つけられる人にだって! 一度きりしかない人生があるじゃないか! それを踏み躙っておいて被害者面なんてあんまりだ!」


「いいね、若いねぇ。

 いいぞ、そのまま続けな。

 ジジイは外から相槌あいづちを打ってるわ」


 香り袋を配り終えたらしい老エルフが戻ってきた。彼は少し遠い椅子に深く腰掛けると、長いパイプをくわえた。乾燥した茶葉に火を付け、煙を吹かす。むせ返るようなキツイ香りではなく、何故か果実の様な香りがする……人間社会では出回らない煙草たばこだろうか。


「おじいさん、僕は、間違っているのか?」

「間違ってなんかないさ。人の分だけ答えがある。同時に、それが唯一の答えとも限らない。

 こういった問題は、坊主たちの4倍ぐらい長生きしているジジイにだって難しいんだ。

 ただ確実に言えることは、お嬢ちゃんは坊主の極端な考え方が危険だと、答えがないなりに噛み砕いて教えようとしているって事だ。

 ちゃんと聴いときな。それだけは間違いなく、坊主のためだ」


 そう言われて、ネロスは何度か深呼吸した後「……ごめん、カッとなってたみたいだ」顔を何度も手で拭った。再び顔を上げたその目には、もやの様なものは見当たらなかった。


「私も、あなたの意見は理解できるわ。

 魔物は人から生まれるもの。人を傷つけ、傷つけられ、魔にけがされた魂が行き着く存在。

 そして、人を傷つけることに躊躇ためらいを持たない人は種族に限らず沢山いて、そういう人が魔物になる魂を間接的に増やしている……それは、確かだと思う。

 だけど……人を傷つけた者を、いましめるために傷つける行為もまた、断じて正義ではないと私は思うわ。力による警告、恐怖と脅迫……見せしめよ。


 それを政治的に利用したり、犯罪が横行する町で行う分に抑止力となった例もあるから……間違っていると言い切ることは私には出来ない。

 もちろん、殺意を持って向かってくる相手に容赦をかけろとは言わない。

 身を守る為、誰かを守る為に振るう刃に躊躇ちゅうちょは要らないわ。


 ただね……力で言うことを利かせる行為は最後の手段だと覚えておいて欲しいの。あなたはとりわけ、私たちよりも強いから……。

 魔物になるような腐った奴らと、あなたが言う……まだ人である者すらも殺し始めてしまったら、他の誰より、あなたが魔物になってしまうわ」


 口調こそ穏やかにしたが、強い言葉だ……ネロスは僅かうつむき、肩を落として

「僕は……魔物じゃない 魔物じゃないよ」

 まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。


『身体中に力がみなぎる一方で、溢れすぎてムズムズするというか……力加減がしにくくなるというか……』


 ネロスは以前、魔を引き寄せやすい体質であることを告白した。そして、その調整を聖剣の中にいる女神ベラが行っていたのだと。


 女神不在の今、私が彼の調整役になるしかない。


 彼を“魔物”にしてはいけないのだ……絶対に。





 数時間後、私たちは早めに個室ベッドへと入った。

 しかし、横で老エルフの寝息が聞こえてくるのに、私は横になっても眠れる気配がなかった。瞼が開ききっているのだ。

 掴まれた腕を摩りながら、私は個室ベッドの中で、掛け布団を殻のように被りやんわりと丸まった……こうなったら気絶するまで意地でも目をつむっているしかない……。



 ゥ …… ゥ ゥゥ……


 鼓膜を小刻みに震動させる、不快な物音。それが徐々に近付いてきた。

 地下壕でまだ起きている従業員たちが慌てて耳を塞ぐ動作をする。眠気が遠い私も見様見真似で耳を塞ぐと……間もなく


 ヴウウウウウウウウウウウウウウウウウッッ!!!!!!!!!


 肌を貫通してくる轟音ごうおんが、肺と心臓を激しく揺さぶる。

 頭に金属バケツを被らされて外からガシャンガシャン忙しなく殴られ続けているかのように、私たちの神経をけたたましく逆撫さかなでる音波。

 目眩も誘発させてくるのか、堪らず、私は頭を地面につけて深呼吸した。地下にいて、尚且つ対策しておいてこの威力となれば、地上で不意打ちされようものならあっという間に意識を持っていかれそうだ。


 不快な音波に晒され続けること数分、ようやく虫の羽音が遠くへと消えていった……。 

 それでもしばらくは、全身がぐわんぐわん揺れたままだった。


「な、なにっ?なに? 今の」

「虫だよ、虫……はあ、相変わらず不快な音だ、起きちまったよ」


 老エルフが寝ぼけ眼を擦りながら耳を搔く。そう言えば、夜に虫型の魔物が現れると言っていたか。


「数千もの虫型の魔物が夜に地竜平原を巡回しやがるときの羽音なんだ。これがうるさいのなんの……」

「巡回って……もしかしてこの騒音、何度も起きるんですか?」

「多ければ一夜に五回も来る」

 腰が抜けそうになった。あんなものを一夜に五回もやられたら気が狂ってしまいそうだ。

「しっかし……あの音で寝覚めないとは、すげぇな坊主」

 老エルフの言うとおり、薄手のカーテンで仕切られた個室で、彼のシルエットは横になったまま微動だにしない。


 もしかして……と思い

「ごめんなさい、開けるわよ」

 カーテンを開くと……ネロスは、青白い顔で眠っていた。


 血の気が失せ、呼吸音もほとんど聞こえず、ピクリとも動かない。触れても体温は低く、瞼に隠れた目の瞳孔は開ききっている……言い方は悪いが───まるで死人の様だ。


 予知夢を見ているのかもしれない。


「まさか……兄ちゃん死んでんのか?」

「いいえ、少し独特な眠り方をするんです。彼」


 聖剣をはね返されて顔を抉られたあの日から、ネロスの予知夢はずっと不調だった。そのお陰かは知らないが、彼の寝相は良い意味で人並みだったのだが、予知夢の力が戻ったのか。


「これ、幽体離脱じゃないか?」

「ゆ、幽体離脱?」そんなもの聞いたことがない。

 老エルフは懐から使い古した手帳を取り出し、無数の付箋の1つからとあるページを開いた。

「魂が身体置いてどっかいっちまってる状態よ。

 俺も何人か見たことがあるんだ……意図的に出来る奴もいた」

「それで何をするの? 魂は何にも干渉できない筈では?」

「うーむ、なんでも“死者と話をする”為らしい。意図的に幽体離脱して、死者の世界に覗きに行くそうだ」

「まさか……」

 ずっと予知夢と思っていたが、未来を知る何者かに“未来を聞きにいく”行為だったと? 誰に? 女神にか?

「勿論、眉唾まゆつばと思うだろう? 俺も信じちゃいない。

 だが、俺たち人には判らない魔法領域は、確かに存在するのさ。

 高等魔術師となっても尚、理解の届かない分野がな」

「…………。」


 今の今までこの面倒見の良い老エルフの素性をあまり気にしていなかったが、実は只者ではなかったようだ。

 高等魔術師は世界中で20人程度しかいないと言われていた有段者だ。

 属性魔術、変性術、幻惑術、召喚術、錬金術……この五大魔術の上位魔術を使いこなし、魔法研究や戦闘実績を残した者にのみ与えられる名誉ある肩書きを持っているとは……通りで高価な魔石を所持したりする訳だ。


「一先ず、何度も起こされるのは嫌だろうが、少しでも眠っておいた方が良い。日中に移動距離を稼ぐためにもな」


 私たちは再度、ベッドに入ろうと した


「!!?」


 老エルフは唐突に毛布を投げ飛ばしながら飛び起きると

「まずい……この魔力はッ!」

 慌てて魔術を唱え、何も判っていない私と眠ったままのネロスを含め、3人分の防護膜を張った。

「こ、こんどはなに?」

「静かに 奴が来る」

「奴?」


「ゲドだ」



2022/7/27改稿しました

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