第14話 聖剣の行方
女神期832年 王国冬季 六月三日
その日、みぞれがチラついた。
王都の大水殿が凍ったという知らせは特にないが、王国の中でも温暖で、雪の積もりにくいポートでみぞれが見えたとなれば……王国は、長い冬に突入したと言っていいだろう。
町長の部下から呼び出しを受けて町役場を訪れた私は、ナリフ町長たちから“闇市”の開催場所の情報を教えて貰った。
「ナラ・ハの森の北東、かつて魔術師たちの登竜門、バスティオン魔術学院と学徒の為の学生街があった場所です。
ただ、その学院跡地も見る影も無く、腐敗した森と魔物の巣窟が広がるだけ……地図は当てにならず、方位石も使えません。おまけに、上空に濃く流れる瘴気によって日や月の方向すら確認できない」
「じゃあ……闇市に参加したい人たちはどうやってそこへ辿り着くのかしら」
「“風頼み”を使うことになりましょう。」
ナリフ町長は机の中から丸々太った革袋と丸い虫眼鏡の様な道具を取り出した。
「これはケバという木を灰にしたもので、とてもありふれた素材です。この灰を一掴みし、空中でそっと放せば灰は当然の如く、風に乗って落とすだけ。これが風頼みです。
ナラ・ハの森は、森の中心にある最古の世界樹レンス・タリーパから常に風が吹き降りてくる地形であり、レンス・タリーパは何処からでも視認できますから。」
言い分はわかるが、見たところ、灰はかなり粒子が細かく、地面に落ちてしまったら全く判別がつかなくなる……。
つまり、かなり目を凝らした状態で灰が落ちていく様を確実に見ていなければならない。風を可視化するためなら炎魔術で起こす煙でも手軽に使えそうだが……わざわざ灰を撒く利点はあるのか? 私が不思議そうな表情をしていると、町長は今度、虫眼鏡を持って説明してくれた。
「これの利点は、仮に風を見逃した後でも簡単に確認できる点、音や臭いなどを出さない為、魔物を誘き寄せることがない点です。
光を偏光する変性術が組み込まれたこの魔導具を使えば、ケバの灰は黄金色に見えてきますよ」
「へえ……」
試しに使ってみると、周りが暗く変色する中で革袋の中身が「うわっ」まるで砂金の山の様に見えた。
これは……そうか。
「錬“金”術の元ネタってこれなのね」
金に目が眩む者は灰を掴まされる……金に執着し過ぎるなという昔からある教訓だが、まさか種明かしがちゃんとした変性魔術だったとは初めて知った。しかも詐欺行為から命名されていたとは……。
「マイティア様、どうかこちらをお持ちください。お金に困るような事があれば換金して頂いても構いませんので」
「え、いや、こちらの灰はまだしも、魔導具をいただくのはいくらなんでも……」
魔法陣を様々な道具に組み込んだものを魔導具と呼ぶが、それらはまあまあ高価な代物だ。おいそれとはいただけない。
「いいえ、これは“落とし前”ですから」
しかし、ナリフ町長は何があろうと動じない様な堅い表情のまま、ハッキリと言い切った。その理由を少し考えた後……「ありがたく、頂戴致します」前言撤回し、私はそれらを頂いた。
貰っておかないと寧ろ、“デボン“に恨まれるかもしれない。
「聖剣の加護がないって事はだ、ネロス、お前はガッチリと装備をしていくべきだ!
そう!布は裸だ!鉄を着込め!!」
町役場から戻って来ると、グラッパが白昼堂々、勇者に押し売りを始めていた。しかし、苦戦しているようだ。ネロスが稼いだお金をたんまりと食べた財布の紐を、私が握っているからだ。
ネロスは最近、自分で考え、稼いでくれるように成長したものの、彼はすぐに財布を空にするのだ。空にすることに使命感さえ抱いている。
グラッパの家に居候させて貰い、且つ、衣食住の面倒を見て貰っているため、彼はまだ生活するのにお金が掛かる事をあまり実感していないのだ。ついでに言うと、お釣りの計算が完璧ではないので、ネロスはいつも過払いしている。領収書を書いて貰うよう言うが、彼はすぐ忘れてしまう。
「都合の良いことに! ハンマーを盗まれる前に既に! 作り上げていた新作の! 鎧一式がここにある! 加えて今なら! 聖剣と同サイズの鋼剣に! 耐性の強いクリスタル加工を施した! 盾もおまけでどうだ!!」
「盾は使い方わからないから要らないよ」
「じゃあこの鎧の背中部分に取り付けておいてやる!」
武具をどっさりとテーブルに積んでいくグラッパ……私はまだ革財布の紐をピッチリと締め上げている。グラッパはまだまだ諦めてはくれないらしく、指をチッチッ左右に振った。
「金は要らねぇ!」
「え」
「代わりに! 頼みがある!
闇市でもしもオリハルコンが売られていたら買ってきてくれ!
あれがもう一つだけ足りねぇんだよ……“アレ”を完成させるためにはな」
「うん、分かった。」
ネロスはすぐに承諾した。だが、闇市でもお目にかかれるかわからないような希少鉱石を買える金が、数日働いたぐらいで稼げるわけがなかろう。
「ネロス、オリハルコンは宝石の数百倍は高いのよ。普通に買える代物じゃないの」
「そうなの? じゃあ約束できないかも」
「なんでい それじゃあこの穴の開いた鍋と余った革で作った寄せ鍋装備で行ってきな」
鉄鉱山解放前に使っていた壊れたガラクタ鎧を売るとは良い度胸だわ……私とグラッパがバチバチと視線をぶつけ合う中、“優者”は間に入ってきた。
「ごめんね、財布の紐は僕が握ってないんだ、グラッパ。
オリハルコン、だっけ? 手に入る機会があればちょっと交渉してみるよ」
「そうかいそうかい、いいだろう、持ってけ泥棒!
使ってくれる奴がいなけりゃあ、せっかく作ってやった甲斐がねぇ!
ハンマーがなきゃ仕事にもならねぇしよぉ……俺は大人しくガキ共と部下の世話でもしてらぁ」
「オリハルコンっていうのがないと、出来ないものがあるの?」
「出来上がったらお前に握らせてやるよ。このグラッパ様が前地底国女王に献上するはずだった、嵐を食い千切る大剣、伝説のストームファングをな」
グラッパはそういって、ネロスに新しい装備一式を渡した。
明日の早朝から出発しようと打ち合わせし、私は夜が明ける前に、とある場所へ向かった。
薄暗い世界から、風に揺れる光でぼんやりと浮かび上がる鮮やかなガラス窓を仰ぎ見て、ひび割れた彫刻の門を通り……大きな扉を押して入る。フードを被った女神像が正面に、信者を薄目で見下ろしている。
そう、此処は教会だ。
かつては女神の予言を聴く為の拝聴台と祭壇、それに使う為の水盆も見えるが今は、慰霊台として使われていた。
赤い布地の祭壇は、戦没者の数だけ溶けた蝋燭で白く覆われていて、赤色が見えない程だった。今もゆらゆらとか細い火が見えるが、その火も間もなく消え……死者の魂は死の世界へと向かっていく事だろう。
この戦いに勝てたとしても一時凌ぎ。無意味なんだ…………
ホロンスの言葉が脳裏を過る。
目の前にこびり付く無数の蝋、か細い灯火が無垢に消える。
立ち上る灰色の煙を、私は静かに見つめていた。
しばらくすると大扉が開く音が背後から聞こえてきた。
振り返ると、彼もまた約束の時間よりも早く、此処に訪れてきたようだ。
既に黒い鎧を身に纏い、ただ真っ直ぐと正面を歩き……私が座るチャーチベンチの横に大きな荷物を置き、顔を上げる。
「僕が、振り返らずに王都へ向かっていたのなら……この人たちは死ななかったのかな」
私が敢えて口に出さなかった後悔を、彼は口にした。
私は女神の御前で横柄な言い訳をした。
「トトリの2回の襲撃で89人、ポートの犠牲者が102人。
それで2つの町を取り返せたのよ」
「そんなに死なせてしま」
「それだけしか死ななかったの」
私はかなり強引で横暴に、彼の言葉を潰した。彼は私に顔を向けたが、彼が反論してくる様子はなかった。
彼が私に愚痴を零した訳ではなかったが、彼も助けた筈の町民から心無い言葉を浴びていたと聞いた。
勇者がバーブラにちょっかい出さなければ、この戦いは起きなかった……そんな主旨の誹謗中傷である。彼はそれを気にしているのだろう。
「それだけ、と……思うことは、残酷なことではないのか?
助けを求める人がいるなら、その人を一人でも多く助けようとするのが普通なんじゃないの?」
「……そうね、あなたが普通よ。あなたは何も間違ってはいない。私の言ったことは、人の命を軽んじた、邪な考えでしょう。
だけど……あなたがどれだけ強かろうと、その手から零れ落ちる命は必ずある。
私たちが此処で戦没者に祈りを捧げる下、ネズミの徘徊する下民街で飢え死に、病で死ぬ人がいる。
壊れた瓦礫の下敷きになったまま救助されず、そのまま息絶えた人もいたでしょう。
魔物に攫われ、なぶり殺しに遭った人もいるのでしょう。
そうやって零れて行く命だけを数えていても、掬い取った命だけを尊んでいても、何も解決しないのよ、ネロス。
人の命が零れて行く原因である根源を絶たなければ悲劇は終わらない。魔物を、魔王を倒すことが―――他の誰にも出来ない、勇者の使命なのだから
どれだけの死体を積み上げ、踏みつける事になったとしても、あなたは進まなければならないわ。
助けを求める声があろうと、その先に倒さなければならないものがいるなら、立ち止まってはいけない。
その背中を指差し責める声に、あなたが応える必要なんてない。」
勇者は為政者ではないし、為政者になるような柄でもない。
ネロスは王都へ真っ直ぐと向かうべきだった……それは確かだ。勇者の行動に伴う責任を彼個人にではなく、王に背負わせる為にも。
ただ、こうなってしまった以上、起きてしまった過去は変えられない。
彼の見る未来を、私たちが“正しく”導いていく他にないのだ。
「あなた一人に背負わせたりしないから」
私がそう言って立ち上がると、ネロスは少し赤い目を擦ってから、2人分はあろう大きな荷物を軽々と持ち上げた。
そして……教会を後にする私たちの足下に、十字架の陰が伸びる。
女神期832年 王国冬季 六月四日
私たちは、聖剣を取り返すべく、ポートを出発した。
2022/7/25改稿しました