表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の死霊術  作者: 山本さん
第一部
27/212

第13話 泥棒リッキー

 


 女神期832年 王国夏季? 五月八日


 バーブラの軍勢を退けてから7日経った。


 今年の王国は、暖冬のようだ。

 例年であれば、大水殿に氷が張り始める時期なのだが、まだ指先が悴む様な寒さは感じなかった。寧ろ、ちょっと汗ばむぐらいだ。冬季になるのは、六月以降になるかもしれない。


「タナトス……?」


 体温が人並みに戻り、厚手の服から解放された私はタナトスの病室を訪ねた。

 だが、そこには刃先の折れた鉤爪だけが置かれていて、彼の姿は何処にも見当たらなかった。

 看護師に訊くと、昨日の夜にそそくさと杖を突いて出て行ったのだという。その際に、鉤爪をへし折って行ったとか……。

 あの戦いから、幾度見舞いに向かい、幾度謝っても一言も話してくれないまま……そうか、彼はいなくなってしまったのか。

「彼は……何も言ってなかった?」

「その……治療費は姫様が払うってだけ……。」

「……あ、後で払います……」


 タナトスが私を置いていなくなったのは“二度目”だった。


 タナトスは正直言って悪いが、心が弱かった。

 すぐに拗ねるし、怒る。言い返すと勝手に職務放棄して帰ったり、放っておくとまた怒る……私に責任をよくなすりつけるし、文句言うし、面と向かって唾を飛ばしてくる、そんな男だ。


 突き付けられた生まれと才能の格差、宰相さいしょうである父親から見放され、除け物扱いされ続けた挙げ句、無様な死体を出さないよう前線で戦う事のない職───近衛兵長にされた。その役が自分の力量に見合っていない事など、誰よりも彼自身が判っていたことだろう。

 どれだけ努力しようと乗り越えられないトラウマが積み重なり……そのダメ押しに、女神となる予定の私と書面上の関係を持つことを強要された。既に肉体関係を持っている“愛人”がいたのにも関わらず。

 きっと……私が早く死んでくれることすら彼は望んでいたのかもしれない。そうしなければ、彼は愛している者と一緒にいることは勿論、愛人との子を作る事すら許されないのだから……。


 しかし、彼は嫌々でも結局、私に付き合ってくれた。

 悪い人じゃなかった。それは確かだ。

 様々な派閥の目がある王城の中で、彼は私によく“同情”してくれた。王の命令を破ったことがバレれば誰であれ殺されかねない監視と緊張の中で、彼は何度も私の望みを聞いてくれた。そのせいで幾度となく罰も受けただろうに。


 彼が握り続け、赤褐色に擦り剥けたグリップ部分の、幾度も潰れただろう血豆の汚れ……最終的には私が、彼の心にトドメを刺してしまったのかもしれない。


 だからもう、私の影に彼はいないし、二度と戻ってはこないだろう。

 彼は鷹王の爪であることをやめた……その証明として、彼は爪を折った。


 これから私は 一人きりで────旅を続けることになる。


「そう落ち込むなよ、ミト

 振って然るべきさ、あんな腰抜け」

「別にそんなつもりじゃ……」

 ホズは人の心を見透かした様な目を向けた。そして、私の腕に飛び乗り、私の革手袋の上で器用に座ると首を胸の羽毛の中に沈める。

「フォールガス王家への忠誠に相当する鉤爪を折り、お前を置いて一人で逃げた野郎に、これ以上気を遣う必要なんかないぜ」

「……だけど、彼は片足のままよ。転移石を自分で壊しちゃったし……あれじゃあ王都へ戻るのも」

「因果応報だ、マイティア。

 テメェが助けない奴に助けて貰おうなんざ虫が良すぎる話よ。

 お前も、みつがねぇ野郎に施しなんざ与えるべきじゃない。

 お前は命を賭けているんだ。それに見合うもんをちゃんと差し出させろ」

「…………」

 ホズたち鷹王は、王族である私たち一人一人に1羽与えられているが、彼らはただの鷹ではない。王国の初代国王ハルバート・フォールガスよりも古い……王族が“キキ島”という離島で暮らしていた頃から共にいる、私たちの守護神であり、動物の様に繁殖はしない。

 フォールガスの名を持つ者が誕生する際、大元である存在から“分裂”し、王族一人一人に分け与えられるのが鷹王である……そう聞いたことがあるが、大元が何であるか私も教わったことはない。

 ただ、ホズは鷹王の中でも例外で、彼は私と同い年ではなく、“年上”だ。

 彼は私の母の、鷹王だったから。

 私が生まれて間もなく命を絶った母の代わり、彼は私を見守り続けてくれている。


「それはそうとミト、気晴らしにワシをモフモフしてもいいんだぞ?

 ……いいんだぞ? うん?」





 折られた鉤爪を持ち帰り、私はそのままネロスの病室へ向かった。


 大きく痕は残ったものの、昨日ようやくネロスの顔の傷は塞がった。酷かった目眩も収まったことで、体を起こして自分で食事も取れるようになった。今日にも退院出来るらしい。


 今度こそ、王都へ向かう。


 その為の船を急遽きゅうきょ、ナリフ町長たちが用意してくれた。私がこの町で出来ることも、もうないのだから。

 グラッパの家に置いたままだった私たちの荷物も持ってきたし、退院したその足で港へ向かおうとしていた……そのときだった。


「いい加減にどっか行けよもうっ!!」


 病室の扉を開ける前にネロスの怒鳴り声が聞こえてきて、急いで開けると

「ひっ」

「ひぃいっ!!」

 混沌こんとん恥辱ちじょく憤怒ふんぬで煮詰めたような……光景が目に飛び込んできた。

 筆舌に尽くしがたく、オブラートに包むと……人の営みである。暖かな陽光の下、穏やかな一日の始まりからずいぶんと忙しいようではないか、勇者よ。

「ちがうちがうちがうちがうってコイツらあの魔物3兄弟の――」

「えぇ~そんなわけないじゃな~い♡ アンタが呼んだくせにぃ~♡」

「んなわけあるかッ!! 今すぐに!! どっか行けよう!!」

「真っ赤になっちゃって~♡ 鼻血が止まってないじゃない~♡」

「怒ってんだよ!! 姿を戻せよ! 卑怯だぞ!! ああ! 触るな馬鹿!! あっちいけ!!」

 私は静かに扉を閉じ「ミト! 誤解だって! 誤解しかないッ!」深呼吸してから、扉を蹴破った。

 帯刀していた剣を殺意を込めて抜き放ち「ヒャアアアアッッ!!?!?!」無様に悲鳴をあげるつるっつるんの裸体をバラバラに切り刻むつもりで振り下ろす。避けられたので、ヅカヅカ追い詰めていく。

 奴は惨めにって、泣きわめきながら逃げた。その足を突き刺すように剣を突いていき、壁を背に追い詰めたとき、いい加減に化けの皮が剥がれた。

「降参だ降参!降参するって!!」

 天竜山でネロスを突き落としたあの小賢こざかしい、道化師の様な魔物の一体になった。確かルター兄弟とか何とか……。


 異様に大人げなく腹が立ったので、私は奴の顔すれすれの壁に剣を「ひぎっ!?」突き立てた。

「バッ───俺が人間の女だったらトラウマもんだぞ! 鬼! 悪魔!」

「クソが」

「勇者! なんだこのクソ怖い女は! お前のボディガードか!?」

 流石に魔物に戻れば「イテェッ!!」ネロスも問答無用で殴るようだ。だからさっさと聖剣で消し飛ばせばいいのに……いや、待てよ。


「ネロス、聖剣は? いつも横に立て掛けてなかった?」

「え?」


 辺りを見回してみるが、聖剣が見当たらない。鼻血で汚れたネロスの顔が青くなっていき、じわじわと汗が浮き出てくるのが見える。


「お前らまさか……!」

「ギャハハハ!! 今更気付いたのかバァカが!!

 お前が俺様の魅惑ボディに鼻血垂らしているうちに弟たちがお前の聖剣を盗んでいったのさ!!! 今頃レコン川の底にでも沈んでんじゃねぇかぁあ!! ギャハハハ!!」

「なぁあんてことをするんだッッ!!! ベラを怒らせたらどうなるか!! 怖いんだぞ! 凄い根に持たれるんだからな!! ちくしょう!」

「聖剣を盗まれるぐらいにコレを凝視してたってこと?」

「ちがっ―――ミト 違うんだって――」

「呆れた……鼻血まで出して、近くで聖剣が盗まれてるのも気付かずに? はあ……信じられない」

「―――来いルター! お前ら三人とも吊し上げてやる!!」

「あら勇者♡ そういうご趣味? ずいぶんな性癖だこ───ぃいいいたたたたたたたッ!!!!」





 ルター3兄弟のクソ長男を小脇に抱えてネロスはレコン川を目指して飛び出していった。

 ホズに彼の後を追わせながら、私は怒り狂った感情を抑えるべく、道中でタオルを買ったり、朝ご飯を買っておいたり、グラッパの鍛冶屋に顔を出したりしつつ深呼吸がてら後を追っていくと

「うっ……うぅぅん……」

 取り急ぎ作られた港の桟橋さんばしで、ネロスがレコン川を覗き込んでいる姿が見えてきた。その横に、たんこぶを重ねて気絶しているクソ兄弟が縄でまとめられている。

 いつまで経ってもネロスはじーっと下を覗き込んでいるだけで、レコン川へ飛び込もうとする様子は見られない。


「もしかしてだけど……、泳げないの?」


 海とまではいかないものの、レコン川の川底はかなり深い。港近くでも足は着くような浅瀬はない。

 しかし、何とも情けない顔。まさに泣きつかんばかりだ。


「勇者もダメなことがあるのね」

「足が着かないところで、頭まで水の中に入ると……パニックになるんだ。顔を外に出して浮かぶのは、何とか出来るんだけど」

「じゃあどうするの? 聖剣、レコン川の底に沈めとくつもり?」

「………釣れるかな」

 聖剣を釣るな。

「トトリの時、聖剣があなた目掛けて飛んで来たじゃない。

 ああやって引き寄せられないの?」

「あれはベラの力で、僕には出来ないんだ……ああ、どうしたら」

「何してるでおじゃる?」


 ちょうどそこにヌヌが通りかかった。訳を説明すると「仕方ないでおじゃるな」泳げないネロスを叱咤しったした後で、召喚術で魔獣を呼び出し、川底を捜索するように指示を出した。

 それから間もなく魔獣は帰ってきたが「ない? 何処にも?」聖剣は見つからなかったらしい。


「おいこら! お前ら聖剣をどこにやった!」

 縛られたままのルター3兄弟を再度、尋問じんもんすると

「ギャハハハ!騙されてやんの! さーて何処行ったんだろうなあ!!」と、一番うるさい帽子を被った奴が弟二人の方を向く。しかし、二人の弟たちは兄の視線から顔を逸らした。


「お前たち、本当に川底に沈めてやったんだよな」

「……うん」

「本当に本当に本当に? 嘘じゃない?」

「……兄ちゃん」

「う、えぇ…………本当は……途中で盗まれました」

「は?」

「はあ!?」

「と、途中で盗まれたって川に沈めたって、勇者を困らせればバーブラ様から褒められるじゃんよ! だから……いいかなぁって」

「……まあ、それもそうだな。よくやった盗人ぬすっと!」

「覚悟はいいな、お前ら……」


 ネロスはそう言うと「「「え」」」縄でくくった3兄弟をがっしりと掴むと、「反省しろ!!」勢いよくレコン川に向けてぶん投げた。悲鳴を上げながら大きな放物線を描き、水飛沫みずしぶきを上げて流れていった。

「ちくしょぉおお!! 何処だ盗人ぉおお!!!」

 それを見届けるまでもなく、ネロスは坂上の町の方へと走っていった。


「ミトちゃんや、もう身体の調子は良いでおじゃるか?」

 ネロスをゆっくり追っていこうと思っていた私に、ヌヌは声をかけた。しかし、彼女は私に背を向けたまま、水面から顔を出す魔獣に餌をやりつつ、つばの長いとんがり帽子を深めに被っていた。

「まだ少し右肩に違和感はあるけど大丈夫。試し撃ちでも誤差数ミリで当てられたし、もう少し解れれば問題ないと思う」

「そうか、それは良かった 本当に良かったでおじゃる」


 その言い回しに、私は少し違和感を覚えた。ヌヌはまだ私と顔を合わせることなく、魔獣が巻物に回収された後も、レコン川の水面を眺めている。その背中はなんだか……悩みを抱えているかのような、重い背中だった。


「ホロンスが……ミトちゃんに、怪我をさせてしまったようで

 申し訳なんだ」


 一瞬、何の事か判らなかったが「あれはヌヌらの部下であった」そう聞いて……私は一度、大きく深呼吸をした。

「だが、ホロンスはああいう奴ではなかった……あれはひどく女が苦手でのぅ、喋るのは愚か、触ろうものなら素っ頓狂な声を上げ、目を合わすことも出来ない。魔術戦ではいつも下から数えた方が早い順位。馬車馬のように走り回り、雑用ばかりさせられていた田舎者。お世辞にも強いと思ったことは一度としてなかったでおじゃる」

「ず、ずいぶん言いますね……」

「あれには、姉がいたのじゃ。

 魔術師として最高位の名誉に相当する、賢者を有した姉が。

 じゃが、魔王復活の動乱……その数年前に、事件が起きた……。

 その事件で、ホロンスは“殉職”した筈だった。」


 その男が実は生き延びていて、バーブラたち魔族と行動を共にしている……。


「これは、ミトちゃんとは関係のない怨恨でおじゃる……ましてや、元とはいえ、女神の騎士であった者がお主を傷つけたこと、あれに代わり謝罪したい……申し訳なんだ」

 ヌヌは堅い表情でとんがり帽子を取り、深々と頭を下げた。私はそれに慌てて「どうしてヌヌが謝るの」頭を上げるよう言うが、ヌヌは頑なに謝り続けた。その円らな目を、涙で滲ませながら。





「あっち行ったぞ! 下民街だ!」

「待てやぁあ!! 泥棒ぉおお!!」


 侯爵の元へ行くと言うヌヌと別れ、ネロスを追って町中に戻ると、てんやわんやと走り回る集団を見かけた。その中に、見慣れた姿も入っていた。

「俺のハンマーを返せぇええ!!!」

「あ、グラッパ!」

 ちょうどそこに、別の場所から飛んできたネロスも合流。彼の姿を見つけたグラッパは走り回る集団から離れ、泣きついてきた。

「ネェロスゥウ!! 頼む! あのコソ泥を捕まえてくれ!

 足が速いの姿が消えるの手をすり抜けるのなんのって、俺たちじゃ手に負えねぇんだよ!」

 グラッパが指差す先、屋根から屋根へ飛んで渡る人影が見えた。

 毛根のない特徴的な禿げ頭を見るに……恐らく下民街の長、デボンの後ろにいた男だろう。

 確か、リッキーと呼ばれていたはずだ。

 そいつの手には

「あああッ!!!」

 木製の剣が握られていた。柄から生えたタカマタの花がひらひらと左右に揺れている────聖剣だ。


「待てこら! 泥棒!! ベラを返せぇ!!」

「あ?」


 標的に狙いを定めた筋肉塊は、病み上がりだと思わせない速度で走り出し、聖剣の加護もない自前の脚力で二階の窓枠に手をかけた。そして、そのまま軽やかに壁の凹凸に手足を引っかけて登り、屋根へと到達した。

 明らかに他の連中と違う、と察したのだろうか、追っ手をからかいながら逃げていたリッキーは血相を変えて走り出す。


挿絵(By みてみん)


「あれは、あんたたちなりの復興支援なのかしら?」

「ひ、姫様っ、ご冗談を……あれは俺の指示じゃあありませんて」

 部下にリッキーを追わせつつ、人混みの中に紛れていたデボンの背後を取ってやると、彼は慌てて弁解し始めた。

「“コレット”の紹介で少し面倒見てやっていたんですよ。

 それがいきなり手の平返しであの調子。しかも、貴族や司法局員共だけ選ぶってんならまだかばいようがあったが、あの野郎、下民街や一般商店からも盗みを働いていやがる」

「コレットって?」

「ぼったくりの旅商人さ。ネコみたいな面した獣人だよ」


 ああ、戦闘前夜、ネロスに買い物をさせてみたときの獣人のことか……。


「ただ、あの禿げ野郎はとんでもない変性術の天才だ。勇者でも力尽くで捕まえられるかどうかわからないぞ」

「変性術で勇者の猛追をかわせるってこと?」

「奴は“壁抜きリッキー”の異名を持つ厄介者だ。

 魔法障壁をつけた壁すらもすり抜け、走りながら透明になれる」


 デボンの言葉通り、ネロスに追っかけられて屋根から屋根へ跳び移った───次の瞬間、目立つ禿げ頭は空に混じって見えなくなった。

 あれは変性術。間違いなく、透過の変性術だ。


(すごい……歪みがまるで見えなかった)


 変性術は物の性質を魔力によって変化させる魔術域で、錬金術の派生元となる原点だ。その応用範囲はかなり広く、変性術のノウハウを活かした属性魔術も数多く作り出されている……魔術における技術力は、変性術で測れると言っても過言ではない。


 そんな変性術の中でも有名な1つが、透過の変性術だ。

 この魔術は対象を透明にする訳ではなく、その周りの空間をゆがませることで見えなくさせる、目の錯覚を利用している。その為、いくら魔術の発動が出来てもそれを違和感と思わせない、正しく維持し続ける技術がなければ実用性はないし、一般的な効果範囲はせいぜい手の平の上ぐらいだ。巨大な物や術者自身、尚且つ移動している際に使うならば、途端に上位魔術相当となるクセの強い変性術だ。


 だが、鷹王の目を借りた私の目ですら、気のせいか?と思わせる程の透過度で、あの泥棒は私たちの上空を跳んだ。これはそんじょそこらの技術ではなし得ない。

(ネロスは彼を認識できているのだろうか?)

 後追いするネロスの様子が気になり、ホズに追跡を頼んだところ……彼はリッキーと思しき何かを追って迷わずに走っているとのこと。視力に頼らず、音や魔力の残滓ざんしを認識しているのだろうとホズは言うが、何が何だか私にはさっぱりだ。


「困ったなこりゃあ……素手で鉄を打てってか? 冗談じゃねぇやい」

 荒げた呼吸を整えるグラッパに「そんなに高価な品なの?」訊いてみると

「高価も何も先代から受け継いだハンマーだ、俺たちの血と汗が染みこんだ唯一無二な代物だっ! 値打ちなんざつけられねぇ!」と言った。

 これはもしやと思い、怒っている野次馬たちに訊いてみたところ

「俺のそろばんも取られた!」

「私の店の看板も!」

「テーブルクロスを7枚も取られた!」などなど。

 リッキーは、モンジュの時計の値打ちを私よりも詳細に理解していたし、盗ったものは皆、中古品など。食糧は盗られていない。

 これは……“誘導”かもしれない。


「手垢塗れの古い金槌のような、値打ちが“ない”ものを盗んだところで何処にも売れない。

 アイツは売る気がないんだわ」

「ん?姫さんちょっと待て手垢まみれってどういう」

「デボン、あんたは元部下の尻拭いをするつもりあって外に出て来たの?」

「……いやはや、目敏いですな、姫様。

 被害を受けた店は部下に見張らせていますとも。

 こんなときに火事場泥棒なんざ、俺から動かないとナリフのババアから殺されかねないんでね」

 盗人を追って店主が店から出て行けば、個人店などは無防備に近い。せめて被害が少なく済めばいいが。

「……非常事態だったとはいえ、下民街のマフィア共とよく真正面から話せるな、姫さん……とんでもねぇ人徳だぜ」

「褒めないで……不本意なの」

 ともかく、周りをおちょくっているあのコソ泥を捕まえさえすれば大事にはならなそうだ。聖剣を盗まれて火が付いている勇者が相手なのだから、そう長くはかからないだろう────。


 そう、疑わなかったのだが




 どうやらネロスは取り逃がしたらしい。




「何やってんのよ、ネロス

 予知夢はどうしたのよ予知夢は」

「うぅ……面目ないです」


 人集ひとだかりの中、ネロスは地面に首近くまで埋まっていた。何故こうなったのか訳が分からない、と、僅か地表に残った手首をスナップさせてパタパタ地面を叩いている。

 地面を液状化させてネロスを埋めたのだろう……全くあの禿げ頭め、才能の無駄遣い甚だしいぞ。


「予知夢、見えにくかったんだ」

「見えにくかった?」

「以前にも何度かあったんだ。聖剣でちょっと指を切ったとき。すぐに掠った程度とは思えないほど痛くなってね、一日二日は予知夢がもやもやしてた。

 今回は深く顔に入ったから……まだしばらくもやもやしたままかもしれない」


 まさかそんな弱点があるなんて……寝耳に水で、私はしばらく目を丸めたまま唖然とした。

「聖樹の魔力ってあなたにとって毒なの?」

「そんなことないよ。僕は聖剣の樹液で育ったってベラが言ってたし」

「せ、聖剣の樹液? 予知夢はまた見えるようになるの?」

「時間掛かるけど、大丈夫だと思う」

 予知夢が再び見られるようになるならば、そこは一先ず問題ないだろう。

 それよりも「あの……、ミト……此処から出してくれたりしますか?」

「ごめんなさい」


 町の人からスコップを借りてきて地道に掘り、ネロスを地面から引っ張り上げると

「急いで追わなきゃ」

 いきなり走り出しそうだったネロスを呼び止める。


「町の中じゃあるまいし、闇雲に探したって見つからないわよ。

 コソ泥、何か喋ったりしてなかった?」

「左の方、レコン川の、森の方へ向かって……だけどすぐわからなくなって……。確か、“闇市”がどうの、“荒れ地の魔女”がどうのとかは言ってたけど」


 荒れ地の魔女―――それを聞いた途端、予知夢なんてなくても嫌な予感が目に飛び込んできた。迫り来る未来に重大なトラブルが待ち構えている事が見える………よりにもよってなんでこう、立て続けにトラブルを……。


「闇市ってのはな、魔物共が不定期に開くゲテモノの祭典さ」

 話を聞いていたらしいホズがそう口を開いた。

「一般に出回らないような代物、魔物との取り引きなど。口に出したくないようなものがわんさか出て来る」

「そんなことする人もいるの?」

「昔も今もいるさ。盗んだ品を売ったり、危険物なもの、違法なものを欲する奴らが。

 まあ、闇市で一番見掛けるのは、“錬金術”の材料を買いに来た錬金術師だけどな」

「錬金術師って……ヌヌみたいに鍋に色々詰めて煮る人たちのこと?」

 ずいぶんと極端な言い方だが、間違いではない。

「錬金術師は任意の複数素材と魔力を掛け合わせて別のものを作り出す錬金術に秀でた人たちのことよ。錬金釜を使うのは加熱を要する場合だけで、素材を編み込む裁縫針や、改良品種を芽吹かせる為に土を使う事もある。

 この錬金術の材料は植物から鉱物、動物や魔物の血肉……そして、人体まで……多岐たきにわたるの。だから、危険物や違法である為に希少価値の高い素材が、違法取引される訳」

「なんだかわからなくなってきたけど、悪いお祭りってこと?」

「まあそうね」

「バーブラとの戦いで有名になった勇者の聖剣とくれば、魔物は喜んで集まってくるかもしれないな」


 ホズがそう煽ると、ネロスの顔はみるみる真っ青になっていき

「まずいダメだよ!

 ベラがいなくなったら───どうしようっ“止められなくなる”!」

 そう頭を抱えた。

 ちょくちょく意味のよくわからない言葉が出て来るが、ネロスがあたふたと慌てる様子からして、かなり都合の悪い状態らしい……が。



 これで、三度目だ。


 私は今度こそ、彼を王都へ連れて行かなければいけない。


 今回をのがしようものなら、非常にまずい。命に関わるような罰を課せられたとしても文句は言えない。

 私だけでなく勇者であるネロスの命運すら賭けられている深刻な事態になりかねないのに、私は彼の能力を過信していた。これは彼の落ち度ではない、最悪を想定していなかった私の落ち度だ。


 盗まれた聖剣を差し置いて、王都へ向かう事をネロスが承諾したとしても……彼はどのみち聖剣を探しに向かうだろうし……予知夢能力も治っていないまま彼を王都へ連れて行くのも危険すぎる。王都の戦いは、トトリやポートの戦いと比にならないから。


 私は天を仰ぎ、青空に漂う雲をしかめ面で睨み……盛大な、溜息を吐いた。


「聖剣を取り戻すの、私も付き合うわ。

 早めに動かないと誰かに売られたり、破壊されたり「そんな!!」何より、女神になりそこなった魔女が何しでかすかわかったもんじゃないし」

「ミト ごめん、その」

「何とか説明してみるわ…、タナ……、あ」


 私は、最も重大な懸念事項を、今の今まで全く思い至らなかった。


 そう、今まで タナトスがやってくれていたから

 報告を


 ハサン王に

 報告を─── タナトスがいないから


 私が や ら な け れば な   ら  な─────────い 。



 ブツッ。


 私の中で なにか大事な 糸が切れた。



2022/7/25改稿しました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ