第12話② 女神騎士団
「そんな指輪を見せたところで何の証明にもならないわ。
あんたがそれを死体から剥ぎ取っていないと証明も出来ないのだから」
私は弓矢から剣へ召喚術を変更した。腰に差した剣を腰帯から雑に外して放り投げ、時間制限のある剣を握り締める。
「私に何の用件があるの?」
「バーブラ様はお前と話をなさりたいそうだ。
大人しくついてくるなら手荒なまねはしない」
ぞわっ……冷や汗が吹き出し、鳥肌が立つ。剣先が揺れ、私は剣を両手で握り締める。
「何を言い出すかと思えば……冗談じゃないわ 誰が大人しくついていくもんですか」
「抵抗するのなら容赦はしない。その腕をへし折ってでもな」
「下手くそな誘いね……女神の騎士ならば、エスコートの作法ぐらい知っておくべきよ」
私は剣に硬化の変性術を唱える。
その動作で、ホロンスは動き出した。
ホロンスの細くしなやかな両の手に氷の爪が作られる───剣を持たない見た目通り、コイツは魔術師だった。
魔術師は、魔法を修め、魔術を組み上げる───新たな魔法や魔術を生み出す研究者であり、魔術を駆使する戦士。故に、魔力補正を持たない金属武器に頼る魔術師は多くない。
王族の血質に補正された切れ味に、更にダメ押しで硬度を高めた魔力剣。私は氷の爪を叩き折るつもりで魔力剣を振るった が。
ガキィン!
氷の爪の1本と 火花を散らし 弾かれた!
(氷爪の氷魔術は属性魔術の下位、その中でも基礎となる単純構成の筈───硬化の変性術を加えた私の魔力剣が弾かれるなんてっ)
それに呆気に取られている暇もなく、氷爪が突き出され、私は鍔迫り合いになりながら一時距離を取った。
氷の爪と私の魔力剣では間合いが違う。接近されすぎないよう一定距離を保ちながら奴の隙を探したが、まるで見当たらない……そればかりか、ホロンスは私が距離を離した直後に手首を捻り、突然、氷爪が槍のように伸びた。届かないと思っていた私は避けきれずに、こめかみを削った。
「!」
こめかみを抉る傷から浮き出る血が一瞬で固まり止血されたものの、皮膚を引き攣るような冷えがこめかみから少しずつ顔へ広がっていく感覚がした───これはまずいっ───考えるよりも早く、自分の皮膚が焼けようと構うことなく、炎魔術を傷口に当てて溶かした。
「つぅ……」
冷感が痛覚を刺し、火傷後の染み入る疼痛が頭に響く。だが、火加減を一瞬でも調整しようと考えていたら……凍結の氷魔術が私の脳と血を凍らせていたことだろう。
「勘は良いようだが、あんたの魔法障壁では俺の魔術を打ち消しきれない。
直接攻撃が当たろうものなら尚更、勝ち目はないぞ」
「くっ……」
「ったく、何度世話を焼かすつもりだお前は」
思考が袋小路に嵌まってしまったそのとき、私の影から気怠げにタナトスが浮き上がってきた。
これに、ホロンスの顔付きが変わった。
「なんだ、護衛がいたのか?
護衛が主人の危機にいち早く出て来ないとは、性根腐ってるな」
感情を表に出さないような澄ました顔立ちから一変。怒りを露わにして、唾を吐いた。態度の差が大きいだけに、その感情は激しい様に思えた。
「……何様だお前」
こ、これに対して、タナトスは図星を突かれたかのように酷く苛立ち始めたが
「これが主人? 冗談じゃない。コレは身勝手に動き回るお荷物だ」
「ヒドイ……」
「筋金入りのクズめ
勘違い甚だしい馬鹿は、何かを失うまで己の愚かさに気付かないというが、お前は一生気付くことはなさそうだな」
「エルフの誇りとやらをドブに捨て、魔物に媚びへつらった様な奴にクズと言われる筋合いはない。 苦しませて殺してやる」
「……やれるものならやってみろ」
ただでさえ私に手加減していただろうホロンスがやる気になった……「気を付けてタナトス アイツは魔術師よ 金属武器ごと身体を凍らせてくるわ」何処から私とのやり取りを見ていたのかは判らないため、そう教えたのだが
「そんなもの周りを見れば馬鹿でもわかる お前まで俺を馬鹿にするのか」
「そ、そんな訳ないでしょ!」
「黙れ足手纏いだ、お前は手を出すなよ」
私は呆然として……思わず頭を抱えた。
「姫君の護衛がこの躾の悪さとは、傭兵を雇った方がマシだな」
タナトスは、見れば馬鹿でも判る、金属製の、斧槍と鉤爪を構えた。どうやら炎魔術で身体を覆い、ホロンスの氷魔術を相殺するつもりのようだが……その状態は常時魔力を消費してしまう。
(魔力を消費すれば、魔術の威力を抑える魔法障壁はその分だけ減ってしまう。ホロンスが氷魔術だけしか使わないなんて保証できないのに!)
タナトスはホロンスの真正面から斧槍を突いた。炎魔術を纏い、高温となった斧槍が冷気の霧を振り払い、ホロンスの氷の爪を溶かし切る。
ホロンスは僅かに半歩下がり、タナトスは合間を置かず、ホロンスの懐へと大きく踏み込み、鉤爪を構えた。
「!?」だが、先程と同様に詠唱なく分厚い土の壁が出現し、タナトスは粘土質の壁に頭から体当たりしてしまう。
「ぐっ、ぬぐぐっ……!」
加えて、タナトスの炎魔術を飲み込んだ粘土が途端に固まり始め、タナトスの身体が壁にめり込み、もがく羽目に。焼き物と化した壁を炎魔術で壊そうとするも、ヒビは入るがなかなか壊れない。
ホロンスは片手に氷のナイフを形成し、動けないタナトスの兜の隙間目掛けて振りかざした───その腕目掛けて、私は魔力剣を投げつけた。
それは容易く氷のナイフで弾かれたが、今度は、氷のナイフが容易く破壊された。
「そうだったな……薄れていても王族の血質だ」
奴が詠唱し直す隙、弓矢の召喚術を唱え直し、私は素早く曲線を描くよう矢を放った……土壁を越えた先で跳ね返った魔力矢は───しかし、ホロンスのマントだけを貫き───振り返ることもなく避けられ
「うっ!」
吹雪の氷魔術で身体を持っていかれそうな強風と肌を裂く冷気に晒される。思わず身体を丸めて縮こまると、急に視界が開け───ホロンスに至近距離まで踏み込まれた。
咄嗟に弓を捨て、迫り来るホロンスと組み合う形になるも、足元を霜で固められていることに気付かず───為す術もなく組み伏せられてしまった。
右肩が外れる寸前まで捻じ上げられ、抵抗虚しく頭を地面に押し付けられる。どうにか抜け出そうと試みるも「いっ!」遂には右肩を外され、首根っこを掴まれた。
左右の首の血管に冷たい指が触れる───魔術で首が刎ねられるか、血管を切られて失血死するか、魔力を流し込まれて重度の魔中毒で死ぬか───これは、首にナイフを突き付けられているのと同等の意味だ。
「フォールガス、古き人間の王、八竜の眷属。
一時は魔王封印に尽力した勇者と讃えられ、忘れられていた信頼を一度は取り戻すも、その血に宿る力の根源を裏切り、地に堕ちた。
窮地に陥っている今も、あんたの献身にかかわらず見放されている……それを肌身に感じていないわけがないだろう?
女神の子よ」
「!?」
何故その事をコイツが知っているのか───?
魔物にとって大敵になり得る存在と知りながら、ホロンスは何故、私をこの場で始末せず、バーブラの下へ連れ去ろうとしているのか───?
「大局的に見ろ。いくらあんたたちがこの町を、トトリを、バーブラ様から取り戻したところで、ハサン王は王都騎士を王都から手放したりしない。この戦いに勝てたとしても一時凌ぎ。無意味なんだ。
この町も、トトリも、いずれはバーブラ様の物になる。寧ろ、その方が賢明なのだ」
切羽詰まった私の頭が短絡的に導き出したのは───。
「……それは、バーブラが
その部下たちが……“魔族”だから?」
ピクッ、私の首に触れる指に力がこもった。
「魔王復活の動乱によって壊滅した筈の……女神騎士団が、バーブラたち、魔族に、なってしまったから?
それは本当なの?」
ホロンスの表情は見えない。
「……っ」私を地面に押し付ける力、首に食い込む指の力は増していく。
「女神経典の、中で……魔物化した人々はっかつて、女神の、力で元に戻ったと言われている……。
あんたたちは、私に何を望んでいるの?
“カタリの里”に、突き出すつもり?」
だが、私の予想に反して
「まさか! あんな忌々しい場所に二度と行くものかッ!
あんたはカタリの里に向かうべきじゃない それを教えてやる」
荒々しい程、嫌悪感を剥き出しにして
ホロンスの言葉は感情的だった。
「その汚い手を離せ!クソ! マイティアを離せ!」
一方、姿は見えないが、土壁から脱出出来たタナトスが迫ってきたのか、ホロンスの転移魔術の詠唱が中断され
「わっ!?」「!?」
ホロンスは地面に伏していた私を起き上がらせて盾にした。
大きく振りかぶっていた斧槍は私を避けるべくあらぬ方向へ無理矢理振り上げられ、タナトスは大きく体勢を崩した。慌てて影潜りを使おうとするも────その詠唱は間に合わず
ホロンスの氷槍の氷魔術がタナトスの左膝を貫いた!
「ぐああああああ!!!」
「タナトス!」
氷の槍は太く タナトスの左膝以下は、ほとんど皮一枚で繋がっている様な状態だった 出血の多くはそのまま凍結されて止血されてはいるが、あれでは───
「タナトス!すぐに王都へ戻って!」
「お、俺はっ───俺はまだ!」
「さっさと消えろよ、お荷物」
兜に覆い被された上からでも、タナトスの見開かれた目が見える。
悲壮と焦燥と憤怒……複雑に絡み合った赤く血走り、痛みで濁った目。
「タナトス戻りなさい!」
私が怒鳴ると、彼は震えた手で王都へ戻るのに使っていたらしい転移石を握り────「俺は逃げない俺は役立たずじゃない俺は捨て石なんかじゃない!」自ら地面に転移石を叩きつけ、木っ端微塵に破壊してしまった!
「気が触れたか? お前では俺には勝てないぞ」
私ももうタナトスが何をしでかすつもりなのか判らなかったが、タナトスの魔力に反応した鎧に無数の魔法陣が浮かび上がった。
ビキビキと音を立てて彼の鎧が歪に変形し始めていくと、彼の身体もそれに合わせるように背を丸め、大きく四つん這いになっていく……まるで、鎧を着た獣のように。
「……モンジュの“形状鎧”か」
魔法陣描き職人や魔石の加工知識などを独占している技巧派モンジュ、その技術で作られた特殊な鎧は、形状鎧や携帯鎧と呼ばれ、手の平大に縮小できたり、個々の戦闘スタイルや魔力量に合わせた肉体強化・変形を施す。とりわけ、着用者の姿勢を四つん這いとするような肉体変形を伴うものは“獣型”の鎧と呼ばれる。
タナトスは左足を引き摺っているとは思えない速度で飛び出し、低い姿勢のまま鉤爪を突き出した。
ホロンスは私を突き飛ばすと、地面に霜を這わせてタナトスの動きを止めようとするが、全身を炎魔術で覆っているのか、タナトスの手足に噛み付く氷はすぐに壊れた。そのまま左足が千切れようと構わず、執拗にホロンスの足元へ噛み付いていく。
「!」
そして、鉤爪を振り上げるようにタナトスは一回転し、変形した足甲の爪先でホロンスの頬を縦に裂いた。
傷口は浅いが、赤い血が頬を伝う。
「なるほど……多くの平民で新生された王都騎士団が異様に強いのは、この鎧のお陰ということか。
まさに擬似的な獣人化だ……だが」
タナトスの左足からびちゃびちゃと血が滴り落ちている……止血させたいがそんな余裕が何処にもない。
「所詮、お前如きには付け焼き刃だよ」
ホロンスは魔術を詠唱し始めた。
何の詠唱かは聞いたこともないが、肌に突き刺さる魔力の練度に嫌な予感がした。タナトスに加勢しようと息を整えた私は、ホロンスの詠唱を止めるべく彼に攻撃を仕掛けた。だが、私の下位魔術は避けるまでもなく奴の魔法障壁に打ち消され、追撃するタナトスの刃がホロンスの喉へ向けられるまでの約2秒────ピカッ! バヂィンッッ!!!
目を覆う程の閃光の直後、瞼を開くまでの時間差で、ホロンスの指から雷が放たれた!
その雷はタナトスを貫き、地面の霜すら伝って私の足へと貫通した。
足先から頭まで突き抜ける衝撃、すぐにやってくる激痛と灼熱感に声すら出せず、私は思わず煙が出る足を抑えて蹲った。
(ま、魔法障壁を…貫通してきた……!
雷魔術だ! 高等魔術師すら難しいと言わしめる魔術を……!)
魔術の威力を抑える為の魔力の防護膜───魔法障壁に全く干渉せず、私の身体を雷魔術が貫いた……筋肉が変に硬直したまま上手く動かせない。こんなの、心臓がショックで止まってもおかしくない。
(タ、タナトス……タナトスは……)
私よりもタナトスは至近距離でくらった筈だ……何とか首を捻って前を向くが、私の目に映ったのは黒いマントだけだった。
「はあ、手こずらせやがって。
さて……邪魔な犬は寝たぞ。
今度こそ終わりだ 魔物共も来ているようだしな」
「……っ」
ホロンスの言葉通り、周囲から物騒な足音と弓矢隊らの悲鳴が聞こえる……ドワーフ戦士たちは恐らくまだ膠着したまま動けていないのだろう……。
嗚呼、最後の手段だ。
私に出来る最後の。
私は懐から小さな紙袋を取り出し、ホロンスの手が届く前に握り潰し「!?」身体に残ったありったけの魔力を───“聖樹の粉末”に流し込んだ。
ブハッ───粉末は勢いよく白色の濃い煙を噴き出し、それは瞬く間に霧となる。
煙の量は尋常ではなく、辺り一面……風の影響もあるだろうが、恐らくはポートの五分の一近くまであっという間に蔓延したことだろう。
そして
「ギ、ギァ…ァ……」
魔物と思しき者たちの窒息するような呻き声が途切れ途切れに響く。下級から最上級まで、どんな魔物であっても致命的な効果をもたらしている。
そう、これは聖樹の魔力だ。
ネロスが振るう聖剣の魔力、それをただ拡散させただけのもの。人の傷に対する回復力の向上効果もある────聖樹の粉末は、女神の子である私がカタリの里の守り人から、魔物に囲まれた際の護身用で渡されたものだ。
ただ……これは最終手段だった。
何故かといえば 私が、死にかけるからだ。
「ぅぅ……ぅ……」
身体中の魔力をすべて奪われ、体温が著しく下がる。
まるで全身が濡れた状態で猛吹雪に曝されているかのような感覚だ。激痛と寒さで何度も気を失いそうになったが、時に唇を咬みきり、意地で何とか意識を現実に繋ぎ止める。
おまけに、この霧は持続しない。渡された粉末は僅かだし、私の魔力残量もかなり少なかった。霧はすでに晴れてきている。
「……なんて馬鹿なことを 聖樹は人の命をも貪る寄生植物だ。
魔力だけでなく、生命力すら奪うというのに……」
ホロンスが転移魔術を唱えているのがぼんやりと聞こえてくる。
私にはもう地を這う力すら残っていない……せめて一人でも多く、この霧で助かった者がいれば────もう私にやれることはやっただろう……。
心の片隅で、ネロスが戻ってきてくれる希望を抱きながら、私は必死に時間稼ぎをしていたが……、どうやら間に合わなかったみたいだ。
例え来なくとも、私は彼を恨むつもりなど毛頭ない。ただただ、この末路は私の、私たちの非力さに他ならないのだから。
(ごめんね、姉さん……せっかく、時間をくれたのに……)
ピィィィ…………遠くで 聞き馴染みの、鳥の鳴き声が聞こえてきた
バキィン!
何かがぶつかる音がして、ホロンスの詠唱は止まった。
身体を持ち上がる感覚がして、ぼやけた視界がぐるりと回る。
「ははっ……汗くさいな」
氷のように冷たくなった私には火傷するほどの熱が傍にある。目が覚めるほどとても汗臭いのだが……今ばかりは他の何よりも安心する匂いだった。
「お前、わかっているのか? 彼女は“女神の子”だ
たかが聖樹の枝に生かされただけで勇者などと自称するガキの手で振り回していい存在じゃない」
「だからなんだ」
「だからなんだ、だと?」
「彼女が何者であろうと、僕が何であろうと関係ない。
人の命を溝に捨てていくようなお前たちに……」
聖剣が煌々と輝きだし、白銀の刃が青い魔力を帯びる。即席で作り出したものなんかとは比べ物にならないほどに強く、確かな聖樹の魔力。
そして……それに掻き混ぜられていた筈の黒い魔力、その余剰分が彼の身体から溢れ出し、靄と歪みとして可視化する。それは強いだとか、濃いなんてものではなく……ただただ、恐ろしくも頼もしく、禍々(まがまが)しかった。
「ミトは渡さない……!」
2022/7/24改稿しました