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ラタを背に乗せたまま、ヤドゥフは魔王の拳を振り切って旋回し、魔王の背中側に回りながら後頭部へと飛んだ。
そして、空へと飛んだラタは内から沸き立つ魔力を肉体強化に注ぎ込み、オリハルコンの大斧を魔王の角へと振り下ろした。
ゴォォオン!! 鈍い音と火花を散らして魔王の角とオリハルコンの大斧が衝突し、角に数センチ程度の切れ込みが入った。だが、それは複数ある角の一本でしかなく、角の幅は十数メートルもある代物で———掠り傷と言っても過言ではないだろう。
「まだだ、こんなもんじゃ倒せねぇ……!」
撥ね返る衝撃に震える両腕をなんとか堪えているうち
「うごっ!?」
魔王の放つ底知れない魔がラタの中に雪崩れ込み、彼は感じたことのない暴力的衝動に駆られた。勇者の死霊術によって、魔王の魔が吸い寄せられたのだ。
(ぐぉ———ち、からがッ)
心臓が跳ねあがり、ドンッと押し出される血に溶けた魔が、ビキビキと音を立てて全身に巡り、目が血走る。
魔王の魔の中に含まれる負の感情がラタの脳内を瞬く間に埋め尽くし、それでも尚供給されてくるやり場のない激情の津波をなんとかコントロールするよう歯を食いしばると
「うおおおおお!!」
ラタは再びオリハルコンの大斧を魔王の角に向けて振り抜いた。
バキィイイン!!!
ラタの攻撃に、魔王の頭部は大きくよろめいた。直撃を受けた十数メートルはある角が砕け、よろめいた魔王が大きく足を広げる。
「効いた!」
ヤドゥフは思わず感嘆した。魔王と比べれば虫のような大きさのラタの一撃が、竜化した魔王の身体に確かな傷を負わせたのだ。
だが。
「はぁっ! はぁっ!」
ラタは激しく息を荒げ、血が滲むほどオリハルコンの大斧を握り締めていた。そうしていないと押し寄せてくる衝動に負けて人格が壊れそうだった。
宙でよろめいているラタに向け、魔王は角を振るう。その極大の角突きが迫る直前、ヤドゥフがラタの襟首を噛んで回収し、一時離れる。
『ラタ、気を確かに持って』
少し遅れて、死霊術を介して、テスラがラタに聖樹の魔力を送り込む。すると、鎮火するかのようにラタの思考を蝕んでいた魔が浄化され、彼は暴力的支配から解放された。同時に強張った身体から力が抜け、彼は安堵の為か何度も大きく深呼吸した。
「ぜえ……はあ、俺のアイデンティティが吹っ飛んじまうかと思ったぜ……サンキューテッちゃん」
「これが勇者の死霊術か、まるで狂戦士のようだな」
「魔王に俺の攻撃が効いてくれたのは良かったが……」
ヤドゥフの口に咥えられたまま魔王の攻撃を回避しているうちに
「ちくしょうめ! 回復能力まであんのかよ!」
確かにヒビ割れていた魔王の角がみるみる元通りになっていき、ヤドゥフが再び魔王の頭上へと上昇したときには完全に塞がってしまっていた。
「魔王に確実なダメージを負わせるには一気に畳み掛けるしかないか」
『そして、聖樹の魔力を魔王に叩き込むしかないわ』
テスラはラタの頭の中に語りかけた。
『ラタ、オリハルコンは魔石よ。魔力を込め、纏わせる事ができるわ』
「武器に魔力を込め、る?」
実のところ、ラタは意識的にやったことがなかった。ファウストとの戦いのときはテスラがラタを補助し、雷魔術をオリハルコンの大斧に纏わせていたからだ。
だが今、テスラはラタに流れ込んでくる悪意(魔王の魔)から彼の魂を守るべく慣れない魔力管理で手一杯であり、武器の魔力付与まで手伝っている余裕がなかった。ラタが自力でやるしかない。
『手から斧に向けて魔力を込めるの』
「うーむ、こうか?」
試してみるも、一度で理想通りになるほど彼は魔術技術に秀でている訳ではないし
『下手くそ』「ひどい」
誰に教えられずとも多くの魔術技術を自分のものにした天才的超感覚の持ち主であるテスラには、ラタが魔力付与を使いこなせない理由がわからなかった。
「なんだ、テスラと何を話しているんだ?」
テスラとの会話が聞こえないヤドゥフが、もごもごと独り言を話すラタに訳を訊ねる。
「魔力付与? そんなもの肉体強化より簡単さ」
結局、一からヤドゥフに教えて貰ったラタは、初歩的な技術である魔力付与を物にした。
「うおー!」
聖樹の魔力を纏った琥珀色のオリハルコンの大斧は、力強い白色のオーラを放ち始めた。それはまるで魔王の禍々(まがまが)しい瘴気を晴らす松明のようであった。
「素人のお前には維持が重要だ。飛翔の風魔術、魔力付与を保ちつつ肉体強化を切らさず、戦闘に集中しないとならない。魔力管理も頭の片隅にちゃんと置いておけよ」
「やること多くない!?」
『いいです、ラタ。ずぼらなあなたの代わりに魔力管理は私がします』
「ヤドゥフさん、俺、ずぼらと言われました。
代わりにやってくれるそうです」
「言ってやりたいことは山ほどあるが……まあ、今はその方が安心か」
薙ぎ払われる魔王の腕や尾を躱し、ヤドゥフは今一度ラタを魔王の頭上で放した。
魔王目掛けて落下、接近するにつれてラタに再び魔王の魔が吸収されていく。今度はその力の加減をテスラが調整しつつ、聖樹の魔力を纏わせたオリハルコンの大斧を振りかざす。
「グオオオオオオオォォ!!!」
「!!」
だが、ラタの攻撃が充分脅威であることを理解した魔王は、エバンナを噛み千切った口を開き、ラタに向かって咆哮を飛ばす。
魔王から放たれた衝撃波はラタの身体を容易く突っぱね、遥か後方のどす黒い雨雲さえも弾き飛ばした。
「おぇっ」『まずい……!』
巨大な飛竜に体当たりされたかのような衝撃でラタは血を吐き、怯んだ。同時に、その衝撃波は魔の津波でもあり───否応なくラタに魔が押し寄せた為、テスラは聖樹の魔力による浄化を急ぐ必要があった。
(ダメだ、魔の質量がデカ過ぎて、微調整が効かない……!)
魔の吸収量をそれなりに増やさないと攻撃力そのものが出ない。だが、丁度いい塩梅に合わせたと思えば、魔王からの攻撃で吸収量が急激に増えてラタにダメージを負わせてしまう。かといって身構えてばかりいては魔王に回復する猶予を与えてしまう。
「仕方ねぇな、俺がチャンスを作ってやる」
ヤドゥフは魔王の眼前から頸椎、背骨に沿って骨盤、膝関節へと、魔法障壁が及ぶ範囲スレスレで飛びながら、凍える霧を吐いた。魔王の周囲が銀色の霧に包まれ出すと、雨で濡れた魔王の身体が徐々に凍り始めた。
ぎこちなく軋みだす首、背中、膝。宙に停滞する銀色の霧を振り払おうと腕が触れると、同じく雨に濡れた腕さえも凍りついた。
魔法障壁を物ともしないヤドゥフの攻撃が厄介と感じたか、魔王はその場に留まる霧から抜けるべく南に向かって大きく踏み出した。そして、常に魔王の背後に回りながら上昇してくるヤドゥフを落とそうと尾を鞭のように撓らせ、広範囲に魔の衝撃波を放つ。
しかし、ヤドゥフは背中に生えた翼を自分の両腕であるかのように操って攻撃を華麗に躱し、巧みな魔術技術で衝撃波をも打ち消した。そして、そのまま垂直に近い角度で黒く分厚い雨雲にズボッと頭から突っ込むと
「!?」
突如、雲から———魔王の尾にも匹敵する大きさの氷鎗が放たれ、魔王の胸を突いた。
巨大な肋骨にヒビを入れた重い一撃に魔王は後方へよろめき、後ろ足をずらして堪えた———その時間のうち、雨雲から突き出した無数の氷鎗の先端が魔王に照準を合わせていた。
水滴の代わりに降り出す氷鎗の雨。
次々に撃ち出される氷鎗の弾幕に南の外海近くまで押しやられながらも、魔王は魔力砲を放ち、氷鎗の雨ごと周囲の雨雲を消し飛ばした。
雨が止み、これで雨雲の水分を用いた氷魔術は使えないだろうと思った矢先、魔王の頭上に巨大な影が差し込んだ。凍って軋む首をもたげて仰ぐと、魔王の身体の半分近くはあろう巨大な氷塊が魔王に向けて落下してきていた。
落ちてくる氷山を避ける間もなく、魔王は両腕で受け止めた。だが、巨大な姿とはいえ骨と魔力管だけで形作られた魔王は見た目以上に軽いのか———重力も加算された異常な重量に魔王の両肘両膝は押し負けて曲がり、そのまま圧し潰された。
ズズズン!! 魔王と氷塊の重さによる衝撃が神国の地面を伝う。
『私が戦った時よりも遥かに魔法障壁が厚いのに……魔術でここまで応戦できるなんて』
材料となる水(純物質)がふんだんに空に浮かんでいたという好条件下ではあったものの、ほぼすべての魔術を封じる魔法障壁を展開している状態の魔王に対して、魔術で傷を負わせた魔術師は、世界広しと言えども、ヤドゥフ一人ぐらいかもしれない。
だが。
「グオ、オオオ、オオオオッッッ!!」
魔王を圧し潰していた氷塊が徐々に割れ砕けると、雄叫びと共に勢いよく魔王が立ち上がった。氷鎗と氷塊が与えたダメージは見る限り修復してしまったようだ。
「さて、結構な時間は稼いでやったぜ、大将」
「うおおおっしゃあああ!!!」
傷を治し、調子を万全に整えたラタは、聖樹の魔力を纏ったオリハルコンの大斧で魔王の後頚部を打ち抜いた。
ゴォオオン!! 魔王は大きく前のめりとなり、態勢を崩して片膝を着いた。後頚部の蛇腹状になった骨の鎧がその重打で砕け、血管のように脈打つ魔力管が一部露わになる。
回復する暇を与えないよう続けて、ラタは後頭部の魔力管に刃を落とした。すると確実に、魔王の魔力管が裂けて瘴気が吹き出してきた。ラタはそれを吸わないよう急いで離れつつ、このチャンスを逃してたまるかとばかりに後頚部へ畳み掛けていく。
(いける……! 手応えはある!
延髄が急所かどうかは知らんがこのまま叩っ斬る!)
しかし、首の裏を走る魔力管が半分ほど裂けた時だ。
「グガァアアアアアアアア!!!」
「!?!」
苦しむ魔王の全身から、瘴気とは違う黒い魔が溢れ始めた。
『攻撃が効いているってことよ、ラタ! 攻撃を緩めないで!』
「お、おう!」
先程と同じ様にテスラが作る聖樹の魔力を盾にして、ラタは魔王の後頚部へとオリハルコンの大斧を振り下ろした。
『!?』
しかし、魔王の身体から溢れだしていた黒い魔がオリハルコンの大斧に付与された聖樹の魔力を容易く塗り潰し
『ラタ! 魔力の出力を上げて!』
ザグッ、魔力付与を失ったオリハルコンの大斧が魔王の首(魔力管)にめり込んでピタリと動かなくなった。
「げっ!」
オリハルコンの大斧を引き抜こうと焦るラタを首に乗せたまま
「うおおおっ!?!」
魔王は勢いよく上体を起こした。遠心力に弄ばれ、オリハルコンの大斧ごと魔王の首から引き剥がされたラタを———魔王の尾が薙ぎ払う。
「ぐっ! うっ、魔力、付与が」
『焦らないで、ラタ。
魔王の魔に侵されただけ、聖樹の魔力を注ぎ込んで上書きすれば元に戻るはずよ』
空中で体勢を立て直し、魔王の追撃を回避しながら、黒ずんだオリハルコンの大斧に聖樹の魔力を流し込む。少しずつだが、魔王の魔を吸い込んでしまったオリハルコンから黒々しさが抜けていく。
だが、それを魔王は待ってくれなかった。
「なんだ?」
ラタたちは唐突に息苦しさを感じ始めた。まるで水の中に深く沈められたかのようだ。
見れば、周囲一帯の魔が魔王に向けて凝縮されていき、魔王の開かれた口の先に現れた漆黒の球体がみるみる大きくなっていった。
『———ラタ、一旦離れ』
そして、テスラの言葉が終わるか否かの瞬間だった。
ズ———。
漆黒の球体が風船の如く弾け飛び、全方位に向けて“深淵”を放った。
月を赤く染めたそれは───激しい衝撃波などはなく、ただただラタたちの身体を静かに突き抜け
「———」
彼らの魂を冒した。
———殺してやる 神を 八竜を……!!
誰のものとも分からぬ神(八竜)への激しい殺意と憎悪が思考を一方的に蝕み、ラタたちは瞬く間に正気を失いかけた。
(や、めろ——— 俺 は )
聖樹の魔力による加護を塗り潰す、魔王の魔に呑まれた時と比べ物にならない程の魔の浸食に、ラタは動けなくなってしまった。
魔王は空気中の魔を集め、深淵に置換させた。
生物は呼吸によって魔を取り込み魔力とするため、ただそこにいて息を続ける限り深淵が人々の魂を冒す───ヤドゥフたちでさえ嗚咽を漏らし思考停止に陥る中、死霊であるラタには深淵の親和性が高過ぎたのだ。
『いけない———ッ!』
テスラが聖樹の魔力で深淵を必死に押し返そうと急ぐも
動けないラタ目掛けて、魔王は一片の容赦もなく巨大な拳を振り抜いた。
ゴッ———。
ラタは全身の骨を砕かれながら、猛スピードで遥か南方に吹っ飛ばされ
キキ島に建つ白塔の壁へと叩きつけられてしまった。
『ラタ!!』
魔王の攻撃を直に受けても、奇跡的に原型を留めていられた。しかし、ラタの骨はバラバラに砕けてしまった。彼が生体であったならばショック死していたことだろうが、幸か不幸か、彼は死霊だった。死ぬレベルの苦痛を味わうも、テスラが勇者の死霊術を解かない限りラタは死なない。
「ま、だ……、俺 は……ごふっ、負け…、な い………」
ただ、全身に力が入らないのか、ラタはオリハルコンの大斧を握っていられず手放してしまった。
『しっかりして! 魔を浄化したらすぐ傷を治すから!』
テスラがそうラタに語り掛け続けるも、ラタの意識はみるみるか細くなっていく。
…… ィ ィ ィ ン
そんな中、白塔の壁にめり込んだままのラタを仕留めるべく、魔王は魔力砲に必要な魔力を集めていく。八竜エバンナの肉体すらも滅ぼす魔力砲だ———ラタの肉体が消滅してしまえば、勝機はなくなる。
咄嗟に死霊術を介してラタの身体を無理矢理動かそうとテスラは試みたが、彼の身体は骨が砕けてふにゃふにゃで言うこと効かず、魔力を上手く練られないせいで魔術を唱えられそうになかった。
『くっ……!』
絶望に瀕した一秒一秒が、テスラはとても長く感じた。
(ここまでやって———届かないというの?)
自分の肉体を犠牲にしてまで
ラタを死霊にしてまで
魔王を討つ為に、死力を尽くしてきたのに———。
魔王の魔力砲が
無慈悲に 放たれ る
『———?』
だが、魔力砲は大きく外れ、キキ島に掠りもせず暗い海を蒸発させた。
魔力砲を撃つ直前に、魔王の頭が逸らされたのだ。
『誰? ヤドゥフがやったの? それとも———』
テスラは一時、魔王の横へ視界を飛ばした。そして、魔王の頭上に立ちはだかる、一人の男を見つけた。
ブロンドの束ねた髪、金の混じる藍色の目をした───ラタに似た顔をした、若い人間の男を。
「魔王よ……貴様に、弟を二度も殺させはせん……!」
ハルバート・フォールガスは、その手に”黒い円盤”を携えていた。




