⑯
テスラから引き継いだ情報を共有し、ラタとヤドゥフが臨界から立ち去ろうとした……まさにそのときだった。
「これはこれは……想像だにしていなかった光景ですね」
「ファウスト……!?」
テスラの眠る聖樹の袂に、突如ファウストが部下のエルフたちを引き連れ現れた。手には既に杖が握られ、その矛先は聖樹に向けられていた。
「その術は八竜を害するものです。八竜信者である我々にとって悪なるもの。よって破壊する」
ファウストたちは聖樹を破壊しに来たようだった。
「八竜を害するだって?」
「八竜は魔力の根源たる魔を生み出す者であり、同時に魔そのものでもある。その大いなる恵みである魔を全く別の物に変えてしまうなど言語道断。神の存在を脅かすものの存在を許すとお思いですか?」
「待ってくれ! 聖樹は魔王を倒す為に必要なものなんだ!」と、ラタが説明しようとも、ずい、と距離を詰めてくるファウストたちに対して
「この聖樹が単に八竜を害する目的であるだけなら、八竜はとっくに俺たちに制裁を加えているはずだ。なんてったって八竜魔術だ、神の領域に踏み込んだ魔術を、自分たちを弱らせる為に使われたんじゃあ、干渉を控えている場合じゃないからな」と、ヤドゥフが前に出る。
「だがそうしないのは、聖樹の力を使い、俺たちに成し遂げさせなければならないことがあるからだ。
魔王を倒すという、定めを」
「魔王を倒す目的で八竜の力を弱らせるですって? 何を言っているのやら」
「とぼけるなよ、ファウスト。俺たちは知っているんだぞ。
魔王が赤月の竜モーヌ・ゴーンの力を有していることも、お前らが魔王の死霊術師であることもな」
その言葉に、ファウストの部下たちは驚いて振り返り、ファウストの否定を期待した。だが、ファウストが冷えきった表情のまま「私が信用ならないとでもいうのですか?」と返すと、部下たちは視線をサッと正面に戻し、杖を構えてきた。
赤の他人の言葉を信じてくれることを期待してはいなかったヤドゥフは短く溜息を吐くと
「ラタ、これを使え」
「おう」
召喚術を使って、丸腰であるラタの為に大剣を呼び出した。
その飾り気のないシンプルな大剣をラタが握った瞬間、ファウストの部下たちは即座に魔術を放った。
爆発の炎魔術の連鎖。空気を焦がす爆炎が瞬く間に拡散し、灼熱と黒煙を上げる。だが、その黒煙が晴れると、僅かに表面が溶けただけの分厚い氷の壁がラタとヤドゥフの前に現れていた。
「お前ら、殺す気あるのか?」
四方に飛び、ヤドゥフとラタを囲む部下たちの攻撃を、氷の壁で防ぎつつ
「!」
動き回る部下の一人の眉間を氷の弾丸で撃ち抜いた。それは、発砲音も発動音もない無音でいて、目にも止まらぬ速さを持ち───何より、エルフたちの魔法障壁を容易に貫通していた。
部下たちは身内をどうやって殺されたのかを理解するのに数秒を要した。そして、理解すると同時に、部下たちはヤドゥフから距離を取り、自身の前に氷の障壁を建てた。
だが、そうしたところで、ヤドゥフの放つ洗練された氷弾の氷魔術の勢いは止められず、氷の障壁を薄氷の如く砕き部下の心臓を穿つ。レベルの差は明らかだった。
「我が手に暗黒を分け与えよ、黒紫」
ファウストは自らの手をナイフで切り裂き、血を散りばめると、飛び散った血から影が勢いよく染み出して広範囲の地面を瞬く間に覆い尽くした。
「八竜の冥利……!」
信仰する八竜に名を認識された一部の者に与えられる妙技───その力で、ラタとヤドゥフの足元までもを影が飲み込むと、槍状になった影が二人目掛けて突き上げられた。二人は同時に飛翔の風魔術で飛びあがり避けると、ラタはそのままファウストへ向かって滑空し、大剣を振り下ろした。だが、その攻撃は彼女を覆う影に阻まれた。薄っぺらい影であるにもかかわらず、まるで鋼鉄の壁を叩きつけたかのような反響があった。
「どうして魔王を作った!?
てめぇは魔王にされた奴のことを少しでも考えたことがあんのか?!」
「しつこいわね、知らないと言っているではありませんか」
ファウストを覆う影がラタに向かって棘状に伸び、ラタは後方に飛び退る。しかし、その行動を先読みしていたのだろう「うぐっ!」ラタの背後に待ち受けていた影爪がラタの背中を切り裂いた。
これにファウストは眉をひそめた───ラタの身体を真っ二つに裂く程の威力で放った攻撃は彼の背中の皮膚を軽く裂いただけに終わったからだ。
「たかが人間が」
ラタの予想外な耐久度に気に入らないと唾を吐くその頬を、ヂッ、氷の弾丸が掠り、真っ赤な血が顎を伝う。
「ひどいわね、皆殺しにするなんて」
少し目を離していたうちに、七人もいた高等魔術師の部下たちは全員影に沈み、次は殺すぞと殺意を持ったヤドゥフの指銃がファウストの目を狙っていた。
「だけど、誰を相手にしているのか、忘れているのではなくて?」
ファウストはそうほくそ笑むと、頬から流れる血を拭った指でもう片方の手のひらに術式を描き、影に覆われた地面に転写した。
すると、影に沈んでいた部下たちの身体に影が一斉に潜り込むと、死体がむくりと独りでに立ち上がり、ぐらりぐらりとよろけながらもヤドゥフに向かって走り出した。
「自分の部下に死霊術をかけるか……畜生め!」
「その言葉、テスラに言ってやったらどうかしら? そこの男、死霊でしょう?」
ファウストは魔力の流れから、ラタが死霊であることや、術者がテスラであることも見抜いていた。
「力があるから少し買っていたけれど、所詮は半端者の子どもね。死霊術は支配の術だというのに、対象に自由意志を与えるなんて論外だわ」
ラタは奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締めて、ファウストに飛び掛かった。
「てめぇに何がわかるってんだ!?」
ラタからの猛攻撃を、死霊七体に囲まれながらも隙を見て飛んでくるヤドゥフの魔弾術をも影で守りながら、ファウストはジリジリとラタに攻撃を加える。その様には余裕さえ感じるほどだった。
「自分を守ってきてくれた愛おしい人が亡くなり、死霊術に手を出した。典型的な導入だわ。
だけど、死霊術は魂を魔に晒すもの。あなたも最終的にはテスラの手によって醜い死霊に変わるのよ」
「ああ、上等だね! てめぇらをぶっ飛ばせるのなら化けて出てやるってんだ!」
ラタが大剣を振りかぶり、ファウストに突撃しようとしたそのとき
バチチチィ!「!?」
大剣が雷を纏い始め、次第に雷が竜を模していった。
「そんでもって───魔王の魂を救ってやるんだ!」
「!」
大剣から放たれた雷の竜は、激しい光を発することでファウスト周囲の影を遠ざけながら、彼女を呑み込んだ。
ファウストは咄嗟に同属性の雷魔術で雷の竜を相殺したが、想定外の威力に左腕に切り裂かれたような火傷を負った。
「テスラめ……」
ラタの身体には、術者であるテスラの魔力が流れ込んでいる。先程の電撃は、ラタの意志ではなくテスラがサポートしたのだろう。そうでなければ、人間如きに傷を負わされた説明がつかなかった。
「癪に障りますね」
影を纏わせ、左腕の火傷を一瞬で治したファウストは、十匹もの巨大な蛇を影から生み出し、ラタに目掛けて黒い泥状の酸を吐き出させた。
それを飛翔の風魔術を駆使して避けながら、ファウストへ接近しようと試みるラタを
「!?」
誘い込む網のように交錯した蛇の尾がラタを取り囲み、止まりきれず罠に入り込んだ獲物を地面に叩きつける。影の中に身体が沈んでさえしまえばファウストの手のひらの上だ。続け様に影から伸びる刃がラタの体を縦横無尽に切り刻んでいく。
「ぬぐぅうううう!!!」
「死霊は死ねないのよ、テスラ。
この男はあなたのせいで死ぬ苦しみを永遠と味わうことになるわ。
大人しく死霊術を解呪したらどう? それともこの雑魚が、私に勝てるとでも思っているのかしら?」
みるみる影に流れ出る血が飲まれていき、気が遠くなっていくラタ。
『……、……って 立って ラタ!』
その頬を引っ叩くように、ラタの頭に直接、稲妻の如き声が響く。
『あなたの本当の力はこんなものじゃない!!』
その力強い言葉と共に、切り刻まれていく苦痛が和らいでいき、ラタの体の奥底から沸々と力が湧き上がっていく。そして、次第にラタの体に黄金の雷が宿っていく。
「ああ、そうだ、よな…テッちゃん……俺は、俺はこんなところで、くたばっちまうような魂じゃねぇよなァ!!!」
カッ! 眩い閃光がラタから放たれ、彼を覆っていた影が光に掻き消される。
「なに!?」
ズタボロに刺し貫かれた筈の傷は瞬く間に蒸発し、一時弱まっていた魔力が途端に息を吹き返す。影を寄せ付けない程の雷光を全身に被った、その姿はまるで小さな黄金の竜の様だった。
「何なの、この力は!?」
漲る力を足に注ぎ、一気に飛び出したラタは───ファウストの目にも止まらぬ速さで彼女を通り過ぎ……その刹那に振り払った大剣がファウストの腹を斜めに切り裂いていた。
「ぐっ……!」
常人であれば胴体が真っ二つに裂けたであろう一撃だったが、ファウストの傷は浅かった。あらかじめ服の下に影を忍ばせていたからだ。
「どうしててめぇはこんだけ強いくせ魔王が必要だったんだ!?
どうして自分の力で平和を成し遂げようとしないんだ!?」
再びファウストに大剣を向けながら、ラタは顔に血管を浮かび上がらせて怒鳴った。
「魔王に仕立て上げられた奴の苦痛を! 一度でも考えたことあんのかてめぇは!」
「たかだか……一人の人間の犠牲で何百万もの命が助かるというのに、何の不満があるというのですか?」
知らぬ存ぜぬを押し通すことを止めたファウストは、開き直った様子で泥爆弾の土魔術による弾幕を張った。
爆発して泥状の石化毒を撒き散らす大砲の弾幕を、高速で避けながら飛翔するラタ、その視界の外から影の蛇が酸を吐き「ゔっ!」ラタの右足に深い火傷を負わせる。
「一人の力で変えられる程度の未来よりも、一人の敵によって変えられる、人々の意識が作り上げる未来の方が堅固なのです。
国は人々が作り上げるもの、決して個人の力で支えられている訳ではない」
「魔王だってその一人だったんじゃねぇのかよ!」
「はて、何か誤解していらっしゃるようですが、人間やハーフエルフは当然、その限りではありません」
再びラタの眼前に飛び出してくる影蛇の群れを、雷が宿った大剣で切り裂きながら回転し、大きな泥爆弾ごと一気にファウスト側へと押し返すと
「種族の違いなんてどうでもいいじゃねぇか!
外見がどんだけ違ったって話し合えば中身は同じだってよ、頭いいなら気付かねぇもんかね!?」
ラタの身体に蓄積した雷が竜頭の形を模し、振るう大剣の勢いに乗って放たれた。
鼓膜を破らんばかりの轟音を発しながら、ファウストの眼前に展開された雷の障壁に噛みつく。その威力はますます強くなっていき、相殺しようとするファウストの両腕が耐えきれずに血が飛び散っていく。
「全くっ相容れませんね!
我々エルフは、八竜(神)が生み出し神の化身! 猿と同一視しないでいただきたい!」
「ハーフエルフが生まれる事が出来るのは! 人間とエルフが愛し合えるからってことじゃねぇのか!?
俺たちの命は同価値なんだよ! 一緒に生きたっていいんだよ!!」
「ッッ!!」
遂にはファウストの雷の障壁を食い破った雷の竜は、ファウストの身体を呑み込んだ。
全身を覆っていた影の守りが剥され、全身に深い火傷を負わされたファウストは、プスプスと黒煙を上げながら……膝を着いた。
「この、私が……こんな、猿、如き…に……」
「どうしても分かり合えねぇってのか?」
ファウストはガタガタと震える足で立ち上がり、焼け爛れた顔でラタを睨みつけると
「認め、ない……! こんな、結果……ハァ、ハァ……!
“ファウスト様”!! 私にもッと、力をッ!」
「?!」
そう声を荒らげた。
その瞬間だった。
ドスッ———。
ファウスト?の胸から黒い巨大な刃が生え、胸を真っ直ぐと貫通すると———破裂するように全身から黒い刃を咲かせた。
「な、なんだ!?」
戸惑うラタの目の前で、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちたファウスト?は、しばらく痙攣した後で絶命した。
それから間もなくして、仮面が剥がれるかのように顔の表面がドロドロに溶けて、全く別人の顔をした女性のエルフが現れた。その顔は絶望一色に染まっており、血走った目からは血混じりの涙が溢れ出していた。
「べ、別人!? 俺が戦っていたのは、偽物だったってのか!?」
「いや、完全に別人って訳じゃないだろうな」
七体の死霊を氷の粒にまで粉砕し、ラタの覚醒を傍らで見守っていたヤドゥフは、死んでしまったファウスト?の額に描かれた術式を一目見て理解した。
「本物のファウストは別の場所からこの女を媒体に自分を召喚し、操作していたんだ。そして、その同調が切れ掛かった媒体の女が術のカラクリを口走ったから、切り捨てたってところか……しっかし、ここまで高度な召喚術は流石の俺も見たことがないぜ」
「な、なんて女だ……」
唖然とするラタの身体から少しずつ雷が抜けていくが、それと共に、蛇の酸で火傷を負った右足がすーっと治っていった。
「お、すげぇ。傷が治った」
「テスラが聖樹の魔力を使ってお前の足を治したんだろうな。
アイツの事だ、これからも死霊術を介してあらゆる方面からお前を助けてくれる筈だ」
「テッちゃん……」
ラタは今一度聖樹の方を見て、拳を突き上げた。
「俺たちで、必ずやり遂げっぞ」
魔王は、一人のエルフを追い詰めていた。
「まさか……はあ、冗談、じゃなかった、なんてね……」
黒の賢者ファウストの幼馴染にして、時空魔術研究の権威タイマラスは、彼の部下と共に研究室に侵入してきた魔王に、ありったけの上位魔術を浴びせかけた。だがそれでも、傷一つ付ける事が出来ず、部下は皆殺しにされ、一人残された彼は部屋の端っこに背をつけて杖を捨てた。
「降参だ、降参だよ……はあ……殺すなら一思いに終わらせてくれ……苦しいのは嫌いなんだ……」
魔王は壁際に追いやった獲物をじっくりと追い詰めるようにタイマラスに近づいていき、鉛のような魔法障壁で彼を呑み込んだ。
タイマラスがその瘴気に嘔吐き、咳き込む。
そして、魔王の手刀がタイマラスの腹部目掛けて放たれた瞬間だった。
ズッ、魔王の手がタイマラスの腹部を突き刺すと同時、タイマラスは魔王の身体に直接、魔法陣の描かれた羊皮紙を押し付け───魔術を発動させた。
バゴォン! 魔法障壁が及ばない0領域で発動させた爆発の炎魔術が魔王の身体を吹っ飛ばし、分厚い壁を貫通していった。その勢いで、タイマラスの腹部に突き刺さった魔王の腕が抜け、彼の右手もあらぬ方向にひっくり返り、焼け爛れた。
「くそ、痛ぇ……死んで、たまるか……”あの人”が遺した魔術を、時空魔術を必ず完成させて……お前をこの世から消し去ってやるからな魔王!」
そう捨て台詞を吐き、タイマラスは転移魔術を唱えて姿を消した。
タイマラスが逃亡したことを魔王の視界から確認したファウストは、ふーと長い溜息をつき、椅子に深く腰掛けた。
(テスラ……悉く私の邪魔をしてくれるわね)
す、と立ち上がったファウストは執務室の窓を開き、北東の方角を向いた。視界からは地竜山脈の山肌と、雲を貫く天竜山が遠くに見える———いつもの風景というだけで、別段変化は見受けられない。
だが、今も北東の方角から稀有な魔力の波動が脈打つように流れて来ていて、みるみる空気中の魔の性質が変わり始めていた。言うなれば、吸う空気が澄んでいく感覚だった。
(魔が浄化されている……この魔力に、死霊(あの男)の力が組み合されれば、実質、魔王の魔法障壁の強みが打ち消されてしまう)
そのため真っ先に聖樹を破壊しに影武者を向かわせたのだが、まさか返り討ちにされるとはファウストも思ってはいなかった。
また、死霊と共にいたのは、青の賢者だった。青の賢者は代々魔術学者の面が強く、中でもヤドゥフはエルフには使いこなせない筈の封印術を研究する為に、見つかれば即刻殺されるだろう神国にわざわざ隠れ住んでいる変わり者だった。実際に彼が封印術を使いこなせるのかどうかはファウストも知らないが、聖樹がある、北方の臨界に何人も入れないよう封印術で入り口を封じる可能性は高い。
(死霊術が有効である以上、魔王が負けることはあり得ないが……)
ゴロゴロ……。空が低く唸り始めると共に、ファウストの足元からとある圧が消えた。
(想定外のタイミングだが、この機会を逃す訳にはいかないわね)
ファウストは拳を握り、賢者を示す八つ星のコートを羽織った。




