⑫
「上等です。やめろと言われて誰がやめてやるもんですか」
もう関わるな、と、ハルバートに警告されたテスラだったが、彼女はより一層に干渉する意欲を示した。
「自作自演で幕が下りる問題なら、わざわざ八竜が私たちに導きを下したりしません。
絶対に何か奴らの想定外の事が起きるのです」
「それは言えてるな」
「そう言えば、そろそろ3か月経ったから、オリハルコンの武器が出来ているかもしれないな」
「私は此処で待っています。ハルバートが現れたということは、今度はここに魔王が現れるかもしれませんから」
そう言って、テスラはシェールの安宿に留まった。
一人残ったテスラは、すっかりと細くなった足を両手で持ち上げて伸ばしながら窓の外を眺めていた。
(少し前まで一人が当たり前だったのに……)
伯母に育てられているときも部屋から出して貰えず、独り立ちしてからもずっと一人で戦ってきた。それが彼女の普通だった。
だが、たった数か月、ラタたちと共に過ごしてきただけでこうも一人が寂しく感じることになろうとは、彼女も思ってはいなかった。
(はあ……早く帰って来てくれないかしら……)
そんな風に思っていた矢先だった。
ブォン、突然全身を覆い尽くす圧、そして、常に維持していた飛翔の風魔術が切れて、尻餅をつく。
(封印術───ッ!?)
気付いた時には、部屋の扉をこじ開けられ、金属鎧の男たちが雪崩れこんで来ていた。
「貴様は金の賢者!?」
「通報は本当だったのか!」
(通報? まさか───ハルバート!)
「捕縛しろー!」
テスラは成す術もなく捕まってしまった。
「手荒な真似をして申し訳ない。
だが、あなたは私の警告に耳を傾けるような人ではなさそうだからな」
図星であった。
テスラは封印術の腕輪を嵌められ、ハルバートの転移魔術で神国の首都、神都へと連れていかれた。だが、バイデン神官兵やゴリアテ大神官に連行された以前と比べると、まるでご令嬢を相手するかの様な対応で彼女は出迎えられた。
「この戦争を終わらせるために、他の誰でもなく、私が勇者にならねばならないのだ」
豪華絢爛な客室の、ふかふかなソファに座らせられると、ハルバートは独りでに語り始めた。
「千年戦争……竜の島に人が移り住んでからというもの、二つの種族による長き因縁は、今の今まで断ち切ることが出来なかった。これは、八竜が二つの種族を争わせることで、魔術の発展と増え過ぎた人口の減少を図っているからだ」
「馬鹿な、八竜が人如きの戦争に関与するなんてこと」
「あるのだよ。寧ろ、人の滅亡を望む八竜もいる。奴らの強力な運命の舵取りから、人類を救う為には、互い以上に、積み上げてきた憎悪を向けられる新たな存在が必要だ。そして、その巨悪を共に手を取り合って倒すことで世界は近づけるのだ」
「あなたは大きな間違いを犯しています」
「わかっている。私は償いきれない程の罪を犯している。それでも、新たな時代を切り拓く為の礎となる必要があるのだ」
「そういう意味だけではありません」
なにかね? と、首を傾げるハルバートに、テスラは言い放った。
「死霊は、そう思い通りにいく存在ではない。
必ず報いを受けるわよ」
それでも、ハルバートの表情は崩せなかった。
「その報いも受け止める覚悟だ」
「救いようがない馬鹿ですね」
「馬鹿で結構。誰かがその役を務めなければならないというのなら、私は喜んでその役を引き受けよう」
ハルバートの頑なな意志を崩すのは無理だろうと諦めたテスラは
「ラタは、あなたの弟なのですか?」別の話題に切り替えた。
「……顔を見ればわかる。あれは私の弟だ」
その話をするときだけ、ハルバートの固い表情は僅かに解れた。
「アイツはキキ島に生まれ、私たちと同様に島の中で暮らしていた。だが、五十人しか生きられない島に生まれた五十一人目の誕生を祝う為に、アイツは海竜の住まう海域に自らの意志で飛び込んだ。
誰しも助からないと思っていたが……恐らくはゴルドーの気まぐれだろうな」
「彼は過去の記憶力ないようですが」
「その方が幾分マシだろう。あの島での生活は、虜囚と同じだったからな」
そう言って、ハルバートはテスラの目を見る。
「アイツにはアイツの人生がある。
これ以上、危険な目に遭わせてくれるな」
ラタと同じ彼の深い青色の目には、実の弟を心配する兄の思いが滲み出ているようだった。
「事が済むまで大人しくしていればいい。そうすればすぐに解放しよう」
ハルバートの指示で、神官たちはテスラにおもてなしのお茶や菓子を持ってきた。テスラはそれらを押し退けて「死霊術師め」ハルバートを睨みつけた。
ハルバートは一瞬だけ竦んだが、振り返ることなく客室から出て行った。
客室から出たハルバートは“用意された舞台”へと向かっていった。
カーテンが開けば、そこには糸の繋がった悪役が立っている。ハルバートがやることは、派手な大立ち回りをした後に、その糸を断ち切ることだ。
簡単なことだ———しかし、大舞台を前にしてハルバートの手にじっとりと汗が滲む。
『死霊は、そう思い通りにいく存在ではない。
必ず報いを受けるわよ』
テスラの言葉がハルバートの覚悟に水を差し、彼の脳裏に“犠牲となった者の悲鳴”が過る。
(大丈夫だ……この日の為に、どれだけシミュレーションを重ねてきたか。
俺は失敗してはならんのだ———“一族”の為にも)
己の心を奮い立たせ、一歩ずつ舞台への階段を上っていく。
以前テスラが破壊した開け放たれたテラスに、一人の、フードを被った信者がハルバートの眼前に映る。
「魔王……お前を屠り、世界を救う……!」
空の満月を見上げ、大根役者のような台詞を吐く。そして、ハルバートは斧鎗を召喚した。
(始まった———)
ずずずず……頭上から押し寄せる振動にテスラは顔をしかめた。
何も聞かされていないのだろう末端の兵士たちが、バタバタと集まっていく足音も明瞭に聞こえてくる。
(それにしても……死霊術を使っているとはいえ、化け物染みた力を持つ魔王をハルバート一人が操っていたなんて……質的に可能なの?)
テスラの目からしても、人間にしては、ハルバートは魔術が使える優秀な波長と血筋を持っていた。だが、強いて言えばそれだけで、彼の魔力量や魔術技術はテスラやヤドゥフと比べれば、かなり下の方だ。
そんな人物が一体どんな死霊術を使えば、魔に満ちた荒ぶる魂を抑えつけていられるというのだろうか?
(───一人じゃなかったとしたら?)
ふと、彼女の頭の中にその可能性が浮かんだ。
魔王の死霊術師が、複数人───ハルバートの他にもいる場合だ。
(それなら、あれだけ膨れ上がった魔の塊でも、現実的に抑えつけられる可能性がある……。
それなら誰? 彼と同じ目的なら、戦争を止めようとしている人たち?
首脳陣が殺された、後釜たちとか?)
魔王に殺された各国の首脳陣は皆、千年戦争の戦火を焼べている人物だった。そんな彼らの後釜となったのは───ユニバーシュ、ゲルニカ、ファウストだ。
(ファウスト……!
そうよ、黒の賢者であるあの女が関わっていれば死霊術の知識が彼らに行き渡っていたとしても不思議ではないわ)
ずずずん! 頭上から土埃が落ちてきて、テスラは思わず背筋を伸ばした。
(随分派手にやっているわね……見せつけるためだから当然とはいえ……)
天井が壊れて落ちてきたらテスラは逃げられない。這って逃げるなんて潰してくれと言わんばかりではないか。
バン!「金の賢者!」と、そのとき突如、客室の扉が開かれ、剃髪の男が入って来た。まさに今、テスラの中で死霊術師候補に挙げられたユニバーシュ大神教主だった。だが、その顔はなにやら焦燥感に駆られているようだった。
「なんですか」
「勇者が殺されそうなんだ! 彼を助けてほしい!」
「はあ???」
テスラは素っ頓狂な声を上げ、困惑した。
封印術の腕輪を外され、兵士に背負われバルコニーに向かう(連れていかれる)テスラの目に、今にも事切れそうな程に血塗れなハルバートが映る。
「なにやってんの!?」
さっさと死霊術を解けばいいものを! そんなテスラの視線を察したのだろうハルバートだったが、彼は首を横に振った。
「暴走を、始めたのだ……!」
ハッ、と、テスラが魔王の方に目をやると、魔王はバルコニーの手すりに寄りかかり、満月を見上げていた。そして、そのままの格好で魔王は口を開いた。
「私はこの世界が嫌いだ」
中性的だが、男の声。ハキハキとした喋り方ではなく、比較的のんびりとした喋り方だ。
「滅んでしまえばいい」
魔王が足元で死んでいる神官の手を踏みつけると、血の魔法陣が地面に描出されだした。
「ッ」
それを止めようとテスラが電磁砲の雷魔術を放つが、魔王の魔法障壁を前に霧散してしまう。
「消えてなくなれ」
そう言うと、綺麗な満月の空に向けて手を伸ばし、膨れ上がった魔の塊を放った。
すると、空を覆っていた厚い雲が払われ、露わになった青白い満月が徐々に血のような深紅色に染められていき、禍々しい魔を放つようになっていく。
「まずい───この魔法陣は!」
テスラはその組成の危険さを理解し、すぐさま魔法陣の破壊を試みるも、魔王の魔法障壁が邪魔して魔法陣まで届かない。
「テッちゃん!」
「! ラタ!」
ちょうどそこに“竜”にまたがったラタが、オリハルコンの大斧を携えてやってきた───が、寸前遅く、魔王の魔術は発動してしまった。
パキーン、と、放たれたその魔術は魔の衝撃波となって大神殿中を駆け巡る。
それから一度静まり返った……次の瞬間だった。
「う、お、お、お、お」
テスラの横にいた兵士たちの様子がおかしくなった。胸を押さえて苦しみだし、背中がぼこぼこと音を立てて変形し始め……そして、数十秒経てば。
「ウオオオオオオオ!!!」
彼らは魔物に変貌してしまった。
「なんだなんだなんだ!?」
「魔物化の変性術よ!
一定以上の魔力量がない者を魔物の姿に変えてしまう禁忌の術! それを広範囲に放ったの!」
神国の人間たちの多くは、魔力量が少ない。そうなればどうなるか。
阿鼻叫喚だ。
大神殿中、魔物となった人々が溢れかえり、建物を壊し、魔物同士で傷つけ合い、残った人を襲撃し始める。その数は数千体にも及ぶだろう。
テスラは動けないハルバートを抱えて飛び上がり、魔王と、魔物となった人々から距離を取った。
「大丈夫かテッちゃん!」
そこに竜にまたがったラタが近づく。普段は明るい彼の表情も流石に絶望が滲み出ていた。
「ええ、私は大丈夫です……その竜は?」
「ヤドゥフだ」「え」
「竜化という魔術だ。緊急事態だと思ってね、八竜の姿を借りている」
そう言うヤドゥフの声も、気持ち早口になっている。
そんな彼らを見上げ、魔王は余裕気に
「私を屠り、世界を救うとほざいていたな……勇者よ。
この私と戦う前に、世界にまだ、救うべき価値が残っているかどうか……見てきたらどうだ?」
そう、言い放った。




