第11話② ポート・下民街の乱
「俺の名はデボン。この猿山のボスだ。
貴族の“餞別”や“施し”や“賄賂”や“つまらないもの”は大歓迎だぜ、姫様」
「お生憎様、大した手持ちはないの。
諦めて」
「ケチぃなあ」
追われているだろう男の荒息と悲鳴、そして、仰々しい鎧の音を頼りに下民街を縦断していく。地理的に、マルベリーは港の方角……レコン川方面へ走って逃げているようだ。
駆け足で進む私の横、何故か付き纏ってくるゴロつきたち。そして、その長であるデボン。
彼は風貌の荒々しい中年の大男で、顔に獣のものと思われる4本の傷痕がある。そのうちの1本が左目を抉ったのだろうか、彼は左目に眼帯をつけていた。
「その耳飾り、魔石だろ? なんの魔術を込めてあるんだ?」
「防寒」
「ああそう……なあほら、王族らしくよ……代々受け継ぐ腕輪だとか、爪ぐらいデカい宝石つけた指輪だとか、ネックレスなり、ブローチなりある……よなぁ、あぁ……髪留めすら革紐かよ、王族ならもう少し着飾ってて欲しいんだけどなあ」
人を舐めるように見回して……ずいぶん失敬な奴だ。
「何なの? 強盗する訳でもなくついてくるのは」
「どうしてって? へへへ、姫様ともあろう御方がチンケな場所に一人でいらっしゃるからでしょうに」
下卑た笑みを見せられ、腰に提げた剣を顔面に突き立てたくなる衝動に駆られた……マルベリーの極端な優生思想にも理由があるのを身に染みて感じる。しかし実際、護衛であるはずのタナトスが突っ走ってくれたお陰で私が一人きりなのは事実だ。
「……わかった。だけど、本当に渡せるものは大してないの。
全身ひっぺ返してもこれしか出せない」
私が『安全の保証』として渡したのは、懐中時計だ。
特別な素材で作られたわけではないものの、時間を寸分の狂いも生じず精確に示す技術は難しく、認定を受けたところのものでないと時計と銘打って売ることは出来ない。時計を作れるのは、王国では1カ所だけ……相場は知らないが、当然、値は張るだろう。
「おい、リッキー。お前んとこのじゃね?」
「そっスね。高いっスよ、上の家が買えますね」
「はア?! こんなのが!?」
どうやら“モンジュ”家系の奴もゴロつきに混じっているらしい……王都騎士の鎧や武器、城のメンテナンスも担う彼らは王国貴族同等の扱いを受けるはずだが、いくら技術力があろうと彼らの末端すら食うに困り始めているのだろうか……。
「オーライ。十分だぜ、姫様よ。
このデボンが、あんたの身の安全を保証しよう。
気が済むまで下民街でマルベリーと追っかけっこしてくれよな」
「あんたたちは戦闘に加わる気はないのね」
「そうさな。身を守ることはしても、戦う筋合いはない。
奴らドワーフ共は俺たちから住処と仕事を奪った。そこをバーブラの野郎から狙われているってんならテメェらで戦えって話だろ? ナリフのババアにもそう突っ返したね」
「……そう」
「だが、もしもあんたがクソデブを殺してくれたなら、そのときは戦ってやってもいいぜ。
俺たちを豚箱へ詰め込み、家も金も家族さえも不当に奪った野郎に正当な裁きってもんを与えてくれるのならな」
デボンのお墨付きを貰ったせいなのか、下民街の至る所にいるゴロつきたちが一人きりで走る私にちょっかいを出すことはなかった。信号役として時計が手元にないと正直困るのだが、テハーズ含めて他の貴族は皆、個人で時計を持っていた……命と比べれば安いものと思う他あるまい。
調整室で開閉していた水門が見下ろせる場所まで下水道を降りていったところ
「ちょこまかと逃げやがって」
タナトスの苛立った声と、気持ちばかり汚れた鎧姿を水門前の橋で見つけた。彼の前には息を荒げるマルベリーが四つん這いでいて、その身体には無数の傷と汚れがついており、小汚いナイフも肩に刺さっている。逃亡するマルベリーをゴロつきたちも寄って集って攻撃していたのかもしれない。
「いい加減に追いかけっこにも飽きたぞ
これが最後だ、祈る時間をくれてやる。
だが、これ以上俺の手間を増やすようなら……楽に死なせんぞ」
「ゴミ掃除なんかやる気はなかったんだ……望んでもない汚れ仕事を、お人好しな親父が引き受けやがったせいで……俺の人生めちゃくちゃに!クソ……クソが!」
「何が望んでもいないだ、それはお前の義務だ、プライマス。
お前はこの町の司法を任された貴族レンブラント・プライマスの息子。その任の重さに見合った見返りを貰い、享受し続ける為、お前は男爵位と共に責任と義務を負った。それにもかかわらず、魔物の片棒を担ぐとはなんたる恥晒しか。
レンブラント一代で築き上げたプライマスの名誉を、未来永劫に貶めたお前は、ただの無能などら息子だ」
「俺を蔑む権利などお前らにはない! 俺たちを見棄てたお前らにはない!断じてないッ!
ハサン王は難民共を虐殺しておきながら、その難民共がこの町に住み着いた頃には我関せずと見放し! 後ろ盾を無くした俺たちは町の舵取りを短足共に奪われ追いやられた……!
ゴミ共には恨まれ憎まれ、その度にこの手を穢した───平等も公平も公正も何もかも!全て力なんだ! 力だけがすべてだ!
王族がこの町に関与しないと見棄てたならば! この町の秩序のため!バーブラの力を使うことの何が悪い!?」
マルベリーは堂々開き直った。バーブラとの協力関係を、奴は寧ろ誇らしげに自白した。
「バーブラはゴミ共よりもよっぽど話の判る魔物だ……俺たちがゴミ共の反逆に苦しみつつも汚れ仕事をこなし続ける苦労を、拉げた心を、奴は労った……俺たちの必要性を! 俺たちの存在価値を認め!高く評価し───」
「うるせぇな」
タナトスは斧槍の先でマルベリーの肩を「ぷげっ!」貫き、細い橋の上で地に頭を押し付けた。橋には無数のヘドロもこびり付いている、お世辞にもキレイとは言えない地面で……マルベリーは顔をつけないよう堪えていたが、その頭をタナトスは踏みつけた。
「つまり、なんだ?
俺の頑張りを認めろ、相応の評価をくれ、そうしてくれないなら、褒めてくれる魔物に下るぞ、か?
その器で男爵とは笑わせる そんなにゴミの掃除がしたいのなら清掃員にでもなればいいものを」
「な、んだとぉ…おおっ!!」
「まあ、俺個人は掃討案に賛成だがな……王族様が、ダメだ、と仰るならば俺たち国民はそれに従うしかないんだよ。
判れよ、ゴミクズ。テメェを肥えるまで育ててやったのが何処の国と思っていやがる。
この町は王国にある。王の、国だ。テメェの国じゃねぇ。
その太い骨肉すべてを削ぎ落としでも、魂を捧げて国の恩義に報いるのが、テメェらの義務だろうが」
「お前らが俺たちを見棄て───ギャッ!」
タナトスはマルベリーの頭を鷲掴み、強く地面に叩きつけた。何度も。
私は思わず目を逸らし、鼓膜におぞましい音がこびり付く度に身体を強張らせて目を瞑った。
音が止み……微か横目で……立ち上がるタナトスの足下を見ると、キレイだった筈の服は泥に塗れ、水路の激しい水飛沫が壁に広がる汚れを呑み込んでいく。嗚咽も悲鳴も、荒い呼吸ももう、聞こえなかった。
権力を以て命を奪うとき、死への慈悲は何人にも与えられるべきだと私は思っている。殺すつもりでいるのに、死ぬ前の、長く辛い苦痛を与えるのは……相手が何者であれ、私は嫌だ。ただ、その理由は確立されている理屈ではなく、とても感情的で儚い。堪忍の緒や目頭ぐらい脆いものだ。
もし自分の大切な人が酷く傷つけられ、長い苦痛を以て殺された事を知り、その犯人の首に刃を落とす機会が訪れたとしたら……私は容易く、この綺麗事を撤回するかもしれない。
それでも……そんな機会など私には来やしない───ある種の自信を持って、ネロスの予知夢よりも私は正確に予知できる。
強いて言うならば、私はむごたらしく殺される側であり……私の酸鼻な死に対して報復の決意を抱き、私の血を浴びた者に刃を振り下ろす者など……現れたりはしないのだ。
それはとても簡単な理由だ。その死が惨いと、誰も思ってもいないだけだから。
「マイティア、会話の一言一句まで記憶する癖 まだあるよな」
その一人であろうタナトスから呼ばれて数秒後「だから何よ」と、私は少し不機嫌に返した。
「後でコイツの腐った主張を書面に起こしておけ。俺はもうコイツの汚ぇ悲鳴しか記憶にない」
その手で殺した者の名前すら既に忘れていそうな口振りだ……ただ、彼の切り替えの早さにとやかく言っている時間は私にもない。すぐにでも地上の戦闘へ参加しなければ。
「……ぜ、ん、員……ぶっ殺じで やる……」
「あ?」
突然、マルベリーがタナトスの足を掴んだ。足甲に奴の指が食い込むのと同時に「ぐあああああッッ!!!」タナトスは突き刺したままだった斧槍を奴から引き抜き、斧で足を掴む腕を切り落とした。
しかし、片腕を失っても尚、ヘドロで汚れ砕かれた顔面から覗く血走った目に確かな殺意が宿っている。その狂気的な気迫に押され、タナトスは僅かにマルベリーから距離を取った。
「ト カゲの、尻尾だ と……みく、びるな よ……ッ」
肩に刺さったままだったナイフを抜くと、マルベリーは───水門の脇にある壁目掛けてナイフを真っ直ぐと投げつけた。
まさか───その壁にあらかじめ魔法陣の細工がされていたなど、知る由もなく……。
バゴンッ!!
魔法陣がマルベリーの血に含まれる魔力によって起動し、小規模だが爆発を起こした。その衝撃は巨大な水門を支える鎖と壁の一部を破壊し───レコン川の水が勢いよく ヒビ割れた水門を更に破壊しながら流れ込んできた! 当然のように魔物らしき姿もいる!
「ぎぃぁ ア ア ア ア」
マルベリーは狂ったように呻きだした。
爪を立てて自らの顔を剥ぐように掻きむしり、歯茎から黒ずんだ血がブクブクと湧き上がる。
まるで沸騰しているかのようなその血からは、薄く褐色な煙が立ち上っており……内臓処理をしていないままドブで煮詰めた肉を喰らう獣の不快な臭いが、私たちの鼻を劈いた。
そして───マルベリーの身体が、この臭いを撒き散らしながら急激に膨張し始めた。
身に付けた装飾がベキベキと音を立てて外れ、高価な服が不自然に引き千切られていく。露わになった青白い肌はみるみる黒ずんだ剛毛に覆われていき、紅潮した上半身からは無数の角が生え出し、ぐるぐると不規則な螺線を描いて伸びていく。それは拉げた顔からも生え散らかし「コイツっ」自らの左目も角に刺し貫いても尚、伸び続けた。
人間の身体が異様に変形していく様に……タナトスも後退り、私も呆然と立ち尽くすしかなかった。
これは……死した魂に魔が宿る、魔物化ではない。
獣人化だ。
────マルベリーは、獣人を通り越して、魔物に成り果てたのだ。
恐らく、マルベリーは獣人化の兆候が現れてから 何年もの月日が経っていたのかもしれない。
ほとんど上級の魔物と呼んでいい、禍々しさを放っている。
「 アヒッ」
しゃっくりのような裏声、唇が裂けて露わになる歪な黒い歯列。無骨な身体に分厚い剛毛、曲がりくねった角は空気に触れてみるみる硬化していき、体外へ尖った先端が向く。
「あばばるばがだばにばび」
マルベリーだった魔物は血に溺れたかのような赤い泡を吹きながら、角の生えた太い腕を振るい、タナトスの斧槍を力尽くで弾き飛ばした。
火花が散り、想像以上の力を受け流しきれなかったか、真っ逆さまに流れ込むレコン川へ落ちる斧槍を諦め、タナトスはすぐさま鉤爪の短刀でマルベリーの脇を狙った。しかし、うねうねと捻じ曲がった角に阻まれて身体に刃が届かない。
「タナトスいったん離れて!」
「俺に指図するな!」
そう言いつつ彼が一瞬だけ指し示した方向には、下水道を昇っていく魔物たちがいた。言葉は悪いが、タナトスは恐らく『俺に構うな』と言いたいのだろう───武器を弾かれておいて一人でやれるとは驕りにも程がある。
私は弓矢ではなく、剣を2本召喚した。双剣の召喚術、その1本をタナトスの足下へ乱暴に投げ渡す。
鎧兜に反響するほどドデカい舌打ち。感謝の気持ち1つ表さず私の魔剣を拾いあげると、体当たりしてくるマルベリーの首目掛けてタナトスは斬り上げた。
「ブギィッ!」
魔力剣は硬くうねる角を容易く切り裂き、首の肉を抉った。だが、致命傷になるほど傷は深くはなく、マルベリーはタナトスから距離を取ろうと後退り───タナトスが立つ石造りの橋を土魔術で破壊し、彼を宙へと放り投げた。
タナトスは鉤爪の短刀に魔力を流し、鉤爪部分を短刀から分離させて真上へ放ち、鉤爪は頭上の配管を捉えた。そのまま、振り子の要領で勢いをつけ、タナトスは私の横へと着地する。
「よけぃ」
「余計な御世話だと言うつもりならそれは使わないで」
「…………。」
図星らしい。
召喚武具の精度は術者の技術と血質に依存する。一般人から比べて2倍ほどの魔力量を誇る王族の血で作れば、魔力剣はそれなりの切れ味と耐久性を持つ。
3分ほどしか維持できないのは欠点だが。
「長期戦なんかしていられないの」
「言われなくても判ってる」
レコン川から昇る魔物たちが下民街へ続々と向かっている。マルベリー……いや、この魔物を早々に片付けなくては。
2022/7/20改稿しました