④
ザザ、現れたのは全身を金属鎧に包まれた数十人の兵士たち。そして、その中心に、神官服を着た、小柄で褐色目の、白髪白髭な人間の男が一人。
「見つけましたぞ、金の賢者」
「げっ」
ザザザ、と四方八方を囲まれてしまい、突き付けられる十字の鎗に、ラタは一瞬怯んだ。だが。
「テッちゃん、俺に掴まってろ」
「ラタやめて! 一般人のあなたに“十字軍”は倒せない―――」
ラタはテスラの制止も聞かず、腰に提げた日用品の鉈を抜き、構えた。
「おお、なんと恐ろしいことを……我々は金の賢者を迎えに来ただけだと言うのに」
「ほう! そいつは不可思議だな!
テスラが受けた傷は明らかに重傷だぞ! どこぞのクソ野郎が暴行オンパレードだったもんでな!」
「出来る事なら我々は平和的にこの場を収めたい。
その武器を収めてくれやしませんかね?」
「断る!」
「……ならば、致し方ありませんね」
白髪の老人は十字軍に合図を送り、十字鎗を握る兵士たちがラタににじり寄ってきた。
「ラタ諦めて! あなたはこの場をやり過ごす方法を考えるべきよ!」
「女一人捨てて逃げろってか? 嫌だね! 俺の流儀に反する!」
そう啖呵を切って、ラタは十字鎗を構える兵士に向かっていった。
当然、十字鎗がラタの鉈を軽く弾き、彼の身体に鎗を突き刺す。
「!?」
だが、ラタはそれを承知で兵士の一人に頭突きをかまし、鉈を手放して、頭突きをかました兵士から十字鎗を奪い取った。すると、自分の得物だったかのように器用に振り回し、兵士たちの十字鎗を一斉に弾き出した。
「なんということでしょう……体格差でしょうか、致し方ありません。
デ・ボルカ。“魔術の使用を許可します”」と、戦闘の様子を眺めていた白髪の老人がそう声を上げると、ラタの反撃に動揺していた兵士たちの様子が一変した。
鎧に着せられていたような体格の兵士の筋肉がみるみる膨らみだし
「うお」
ラタよりも二回り小さかった兵士が、ラタの十字鎗を弾き、突き飛ばしたではないか。
「ごふっ!」「うっ!」
そのあまりの勢いでラタは地面を転がり、テスラが地に落ちた。すかさずテスラを助け起こそうとするラタを「げふんっ」兵士たちは取り囲み、なぶり殺しにした。
「皆の衆、気持ちはわかりますがその辺にしておきなさい。
例え罪な魂であっても、贖罪の意志を持つ者は、長く苦しい道の果てに許されるべきものですから」
「ぜぇぜぇ……この、野郎…ッ」
全身を鎗で滅多刺しにされ、血塗れになるラタ。体中からボタボタと血が滴り落ち、震える手足で起き上がろうと試みるが、その背中を兵士たちが一斉に踏みつける。それはまるで人間の足ではなく、一つ一つが鉄塊のような圧があった。
(なんなんだ?! これが魔術なのか!?)
「さて……少々手間取りましたが、これでお話が出来そうですね、金の賢者」
「―――っ、彼を、離してあげて」
「ええ、あなたが素直に応じていただけるのなら、そう致しましょう」
白髪の老人は、口調は穏やかだったが、強かだった。
「わかった わかったから……これ以上、彼を傷つけるのはやめて」
テスラからその言質を取ると、尚、笑みを濃く浮かべた。
「皆の衆、その足を退けてあげなさい」
すーっと、ラタを抑えつけていた足が退けられると、これ見よがしに
「ふんぬらがあああ!!!」
「!!」
ラタは残された力を振り絞って白髪の老人に向かって突撃した。しかし、老人に手が届く寸前で兵士三人に取り押さえられ、組み伏せられてしまった。
「うげぇ!」
「お願いもうやめて!」
両肩の関節を外されてようやく、ラタは動かなくなった。
「なんと恐ろしいこれが生身とは……一体どうやってこんな大男をかどわかしてきたのですか?」
「ラタ……」
「うぅぅぇぇ……」
みるみるうちに血だまりが出来てきて、ラタの意識が酷く酔っ払ったときのように朦朧としていく。身体が鉛のように重くなっていき、激しい頭痛と眩暈で起き上がることもままならない。
「連れて行きなさい」
「ごめんなさい、ラタ……私がもっと早く、諦めていれば……」
「テッ…ちゃん……」
そして、テスラが兵士たちに両脇を抱えられ、遠くへと連れ去られていくのを、ラタはただ眺めている事しかできなかった。
―――ほぅら、言わんこっちゃない。
ラタの意識の奥深くに、誰かの声が小さく響く。
―――魔術も使えない奴が、魔術を使う奴に敵う筈がないだろうが。馬鹿め。
その声は、ラタを貶しているようだった。
―――あの数の差で勝てるとでも思っていたのか? 本当に頭に脳が詰まっているのか?
―――第一、多対一の戦闘に真正面からぶつかるなんて非常識にもほどがある。
―――第二に、逃げるという選択肢がない時点で三流以下だ。相手は重装備だったんだ。走って逃げれば万が一にも逃げ果せた可能性があったかもしれないのに。
―――第三に、特攻しか攻撃手段がないのが前代未聞だ。一般人め。
ラタはぼーっとした意識の中でも、彼の言葉で言い返した。
「男なら……泣いて……る……女、こどもを……捨て……おけるかよ……」
そう言うと、頭の中に響く声は黙った。
その代わり、大きな溜息が聞こえてきた。その吐息は氷のように冷たかった。
「お前が“導きの勇者”とは……。
せめてもう少し頭の切れる奴で欲しかったんだが……、まあ、頭の切れる奴が危険を冒したりしないものか」
「なん、だって……?」
ラタはゆっくりと目を開けた。眩い光で視界が封じられたが、徐々に世界に色味が足されていき……彼は身体を起こそうとした。
「いっ―――」
だが、激痛で身体が引き攣り、結局身を起こす事が出来なかった。
「傷が開いても、二度も治してやらないぞ」
「お、お前は……」
ラタの頭の中に語り掛けていた声、そして、目の前にいるこの男は―――あの、直前に十字軍の待ち伏せがあることを忠告してくれた、あの真っ白な肌のエルフだった。
「俺の名はヤドゥフ。
ヤドゥフ・カリトロ・パッチャ。“青の賢者”と呼ばれている。
出来立てほやほやのお前の死体を拾って蘇生してやったんだ。ありがたく思えよ」
ヤドゥフは結わえていた銀髪を解いた。引っ掛かりの一切ない髪が、さらりと彼の肩を撫でて降りる。
ラタがキョロキョロと視線だけで周りを見渡すと、そこは洒落た一人部屋といった風な光景が広がっていた。窓の外には草木が鬱蒼と生えており、その合間からは遠く小さい街並みが見下ろせる。
何が書いてあるかさっぱりわからない本が無数に並び、白紙には黒炭で無数の術式が描かれている。錬金術に使うのだろう素材がインテリアのように育てられており、とても酒瓶を並べまくっていたラタの部屋と比べ物にならない程、センスがいい。香りまで爽やかである。
「賢者……、……テッちゃんと同じ」
「テッちゃん? まあ、そうだな。テスラは金の賢者。
別の八竜に仕える、崇高な魔術師だ」
「……、テッちゃんを……助けに、行かなくちゃ……、くはぁあ……」
ラタは再度、体に力を入れようと試みたが……断念した。まるで自分の身体に鉛が入ったかのようで、無理に力を入れようとするとバラバラに裂けてしまいそうな感覚に陥ったからだ。
「諦めな、どれだけ早く動けるようになったとしても、神都に運ばれるテスラを止めることは不可能だ」
「ちくしょう……借りを、作っちまったな……。
だが、お前さん……なんで、俺を助けたんだ?」
そう尋ねると、ヤドゥフは淡々とした表情で
「お前が、導きの勇者だからだよ」と、口を尖らせた。
「導きの、勇者……?」
「お前、黄金の竜ゴルドーの導きを聴いただろ」
「ゴルドー……? ああ、そういえば……」
〈汝、この女、金の賢者と共に魔王を討つべし!〉
海中に沈んだテスラを助けるべく潜っていった先で、ラタは閃光と幻聴に見舞われた。
そのときの言葉がゴルドーの導きだと、ヤドゥフは言っているのだ。
「八竜の導きは、運命そのものだ。
お前はこの世界の舵を握る、栄えあるキーマンに選ばれたんだよ。
どうしてお前みたいな一般人が、という点は置いておいてな」
ヤドゥフは浮かない顔をしていた。それは勿論、体格の良さと根性は評価するにしても、戦闘知識も技術もない、魔術さえも使えない奴がキーマンに選ばれたからだろう。
「それに、選ばれると……何か、あるのか?」
「その通りのことが起きるってことさ。
つまり、お前はこれから金の賢者テスラと共に“魔王”と戦うことになる」
「魔王って何のことか知っているのか?」
「戦争の魔物だと言われている」
そう言って、ヤドゥフは付箋のついた手帳を胸ポケットから取り出した。
「お前も流石に知っているだろう?
この世界は今、人間の領域とエルフの領域で完全に二分されている状態だ。
そして、血を血で洗う、千年に渡る戦争を、今も続けている。
その最前線の戦場に突如現れたのが、魔王だ。
奴は山のように巨大でいて、人間もエルフも分け隔てなく、その場にいる者を殺しまくる。
数多くの魔術師が奴に挑んでいったが、何百人と返り討ちに遭ってきた。
ちなみに、誰しもが魔王に勝てないと諦めかけていた時、一人の魔術師が魔王に立ち向かった。
その魔術師は類稀なる魔術を駆使し、魔王を退けることに成功する。
その魔術師こそ、金の賢者テスラだ」
そう明かされてしばらく放心状態でいたラタだったが、徐々に頭に血が巡っていくと
「テッちゃんめっちゃ英雄じゃん!!! いッたァア!」
「ああ、そうだな」
テスラが有名であることを理解すると同時に、ラタの頭に疑問が浮かぶ。
「だったらどうしてあんな扱いを受けなくちゃいけないんだよ!」
「……テスラは人間でもエルフでもないハーフエルフだ。八竜信仰においても、神教においても都合の悪い存在だ。だが、その力をそのまま失ってしまうのは惜しい。故に、奪おうと愚かな奴らが思っているのさ」
「一ミリも理解できないぞ?」
「理解できない方が正しい反応だろう。理解できないままでいい」
ヤドゥフは遠く、降り頻る雨で歪む窓の外の光景を眺めながら、後ろ手を組んだ。
「何はともあれ、一番問題なのはお前だ。
ハッキリ言って、魔術を使える者にとってお前は図体だけデカい雑魚だ」
「雑魚!?」
「導きの勇者、少なくともその第一段階として、あの十字軍兵士をまとめて相手にできる程度の技量は最低限でも必要だ」
兵士たちになす術もなくボコボコにされた記憶が思い返され、ラタは身震いした。
「アイツらの力はとんでもなかった……。
魔術が使えないとどうにもならないんだろ? 俺にどうしろってんだ?」
振り払うこともできない鉄のような足に踏みつけられた感触を思い出し、ラタは珍しく弱音を吐いた。
ヤドゥフは得意げな顔で振り返り、顎に手を当てる。
「お前は神国生まれの人間にしては魔力量が多いし、波長も極彩色寄りで申し分ない」
「?」
「魔術を使う基本ってのは呼吸法だ。あとは理屈さえ理解できれば“誰でも”出来るものなんだよ」
そう言って、ヤドゥフは口角を上げた。
「賢者の俺が、お前に魔術を教えてやるって言ってんだ。
ありがたく思いな」