③
「ラタ、おめぇどうやってその女買ったんだよ」
「そこはほら、コネだよ」
「んな訳あるめぇ!」
村人たちに知られないよう、ラタはバイデンの死体を防風林の地中深くに埋めた。
(さて、何処へ逃げたものか……やっぱり山間部か?)
ラタの住む漁村は神国という国の南端にある。そして、バイデンの部下たちが逃げて行ったのは恐らく、中央区、神都の方だろう。もしくは、その道中にある南区のユイフォートで折り返してくるかもしれない。早く出発しなければ追手が来ることだろう。
「熱ひでぇなあ」
テスラの体は真っ赤になるまで熱が籠もり、鎮痛薬が効かないぐらいの痛みで寝込んでしまっていた。ラタの簡素なベッドに寝たきりで、水にふやかし、解したオートミールを少しだけ口に運び、あとは薬草を煎じた飲み薬をスプーン一杯ずつ口に含ませるしかなかった。それでも、大半は飲み込めず、口から溢れてしまう。
「すみません……」
「まさか迷惑かけてるって思ってんのか? 気にすんな、大丈夫だよ」
「……どうして、看病、してくれるんですか……?
あなたに……何をしたわけでも、ないのに……」
「言ったろ? 俺は頼りにされるのが大好きなんだよ。
あーだが、元から縋り付いてくるようなのとはちと違うんだ。
私は一人で生きていけますから、結構です、って強がってる様が少しずつ解けていって、ころぉ~って俺に寄り掛かってくる……あれが大好きなんだよ~」
「……ただの変態だったか」
「それに、ゴルドーとか言う奴にも、お前さんと一緒に魔王を討てとか言われたしさ~。よくわかんねぇけど、協力しろってことだろ?」
「!!?」
テスラは糸目を真ん丸と見開き、ラタの口からゴルドーの名が出たことに驚愕した。
「ゴルドーが!?
まさか、この男が―――そうだと言うの?!」
「ん?」
驚きと呆然、テスラの深い溜息が無垢な笑顔を浮かべるラタの顔にかかる。
「ああ、ゲィデ・ザザン……神よ、何故」
「ゲィ……、なんだって?」
テスラは熱で魘された赤い顔で
「あなた……自分がしたこと、よくわかってる?
あなたはこの国、神国から追われる羽目になったのよ」と、ラタに遅すぎる警告をした。
これに彼が素知らぬ表情を変えないまま小首を傾げるもので、テスラは再びの溜息をつき、腕を額の上に置く。
「その上……魔王を討て、だなんて……。
魔術も使えない人間相手に何故導きを……ゴルドーは何を考えているの?」
「まあ何はともあれ、今晩、山間部にまで逃げようと思うんだ。俺がテッちゃんの足になってやるから、頑張れるか?」
全くゴルドーの導きの重さも理解していない男の無知な優しさに「―――どうなっても知りませんよ」テスラは結局、(彼女なりに)甘んじた。彼女には今、選択肢がなかったのだ。
村人たちの眠る宵の時間、雨。
ラタはテスラを大きな外套の内側に入れ、バイデンの部下から受け取った金を軍資金に、大荷物を背負った風に装って外に出て、駆け足で北の山間部を目指した。
「なあ、テッちゃん。
テッちゃんは“人間”なのに、どうして魔術が使えるんだ?」
その道中、ラタはテスラにそう尋ねたが、テスラからの回答はなかった。
ラタはテスラが熱で寝込んでいるからだと思ったが、テスラは敢えて彼の質問を無視していた。自分がもし混血児であることがバレたら、いくら優しいこの男でも、手の平を返して自分を捨て置いて行ってしまうかもしれないと思ったからだ。
尖った短い耳……ハーフエルフは汚らわしい存在だとされている。
人間の社会を形作る神教においても、エルフの社会を形作る八竜信仰においても、ハーフエルフは汚らわしいものとして、受け入れられていない。
ラタはハーフエルフを見たことがないから区別がつけられないのだろう。ハーフエルフは戦争孤児や奴隷にはそれなりにいる。だが、彼らの誕生には必ずと言っていいほど愛情はない。戦争が生み出した負の遺物だ。
知らないのなら知らないままでいい……テスラは胸の中で重い溜息をついた。
ぬかるんだ地面を踏み走る足音だけが長く続く。
そして、ラタが防風林を抜けて山林に入ろうとした―――そのときだった。
「よう、木偶の坊」
「!?」
事前の気配もなく、突如何処からともなく若い男の声が聞こえてきた。
「忠告しておく。
さっさとその荷物を置いて逃げた方がお前の為だぜ」
「なんだ? 何処にいる?」
キョロキョロと左右を確認するが見当たらず、ラタはダメ元で見上げた。すると、木の上に一人、リラックスした様子で腰掛けているエルフの男がいた。
つば広な帽子を被り、長い銀髪を丁寧に束ね、エルフ特有の長く尖った耳、翡翠色の目をしたすまし顔は細い輪郭だが、筋肉は人並みにある。
そして、最も特徴的なのは肌だ。肌が雪のように真っ白なのだ。
(すげぇ……なんだ? 目の前にいるってのに、気配がまるでないぞ)
その男はまるで気配がなかった。声を掛けてくれなければラタは気付かず、この男の眼下を素通りしたことだろう。
ラタは身震いした。コイツにはどうやっても勝てないと、本能が告げている。
「もう一度言おうか? 背負っているその荷物を置いて、逃げた方が賢明だぞ」
それでも、ラタは自分を頼りにしてくれている女の為に虚勢を張った。
「てめぇ……あのキンキラキン鎧の仲間か? それともただの追いはぎか?」
「キンキラキン鎧? ああ、金属鎧のことね」
男は指を左右に振りながら舌をチッチと打ち「俺は追いはぎでも誰の味方でもない。強いて言えば傍観者さ」と、言って、雨粒をラタに向け指先で弾いた。
すると、小さな雨粒がパキパキと音を立てて“凍り”「いたっ」豆サイズの氷の粒がラタの額をコツンと打ち、コロコロと彼の足元に転がった。
「気を付けてラタ―――この男、“出来る”魔術師よ」
テスラは男の“魔術”を見抜き、小声でラタに警告した。
だが、ラタは一歩も引かなかった。
「やいやい!人を見下ろす位置から偉そうに! 傍観者だと言うくせに何様で俺に指図するんだ!」
「指図じゃない。忠告だと言っただろ。
別に従わなくたって俺は一向に構わない。だが、その結果がどうなるかはお察しだがな」
「ぐぬぬぬぬ!」
「同じ結果になるのなら、争いはない方が良いだろ」
「…………。」
「断る! 俺にだって俺の矜持ってのがある!」
はあ……、男は雨季だと言うのに結露した白い息を吐き
「俺は忠告したからな」
シュン、と、ラタの目の前で、瞬く間に消えてしまった。
「な、な、な、なんだ今の!消えた!?」
「転移魔術よ……それも、無詠唱で……」
名乗らなかった男の魔術技術に、テスラは舌を巻いた。
(高等魔術師以上の実力だわ……だけど、どうして人間の領域にエルフの魔術師が現れたの?)
高等魔術師は、魔術師の中でも選りすぐりの魔術師だ。全ての属性魔術は勿論、変性術や召喚術、幻惑術、錬金術にも通じていなければならない彼らは、世界でも数十人いるかいないかのレベルである。
しかし、男はその高等魔術師が到達するレベル以上のことをしていた―――それをテスラは理解していた。
そんな男がラタを“気遣った”意図は分からないものの
『“同じ結果になる”のなら、争いはない方が良いだろ』
男の発言は、テスラを怯えさせるのに十分だった。
男がいなくなり、再び走り出すラタ。
「ラタ待って……彼の言うことが正しければ、これからまずいことになるわ」
「仮にそうなるとしても俺はテッちゃんを置いて逃げたりしねぇ」
「…………。」
ラタも危険を承知でいる……彼の慈母の如き優しさに縋りたくなったが、だからこそテスラはラタから離れようともがき始めた。
「ダメよ、やっぱりあなたを巻き込めないっ」
「ちょ、ちょっと、暴れんなって」
彼を死なせてはいけない―――テスラにそんな思いが宿った、その矢先だった。
「見つけましたぞ、金の賢者」