第80話① 王族の決闘
「コイツは私に任せて先に行け!」
「頼んだぞ!」
ネロスがアズを抑え込んでいるうちに、その脇をすり抜けてルークはハサンを追った。
ビシャン! しなやかで無数の肢体が地面を鞭打つ。
王ハサンに尽くしてきた女神派の宰相アズは巨大な触手の塊と化した。何処が胴体だかわからない、毛玉のような魔物に。
その長い腕を、ネロスが即座に切り落としていったが、すぐさま触手はじゅるりと復活してしまう。この手の奴は、何処かに復活しない本体がある筈だ、と、視界を覆う無数の触手の幕を切り分けながら、触手の根元の方へ切り進むが、ネロスの目に何も見えてこない。
どう倒したらいいかを、攻撃を躱しながら考えていた、そのときだ。
(なんだ?)
何者かの気配を背後に感じた。だが、そいつは怯えているのだろうか、震えているばかりでなかなかこっちに来ない。
「あ」
『ネロス!』
背後の気配に気を取られている隙、ネロスの手が触手に弾かれ、剣が地面を転がる。
すると、その背後の気配が意を決したかのように飛び出してきた。
「うおおおおおお!!!!」
そいつは、斧鎗でネロスを襲う触手を引き裂きながら、次々に迫りくるネロスに向けられた触手の攻撃を受け流した。
その隙に、新たに召喚武具(剣)を呼び出す。
「ありがとう」
「あ、ああ……」
触手攻撃を躱しながら、そう感謝した後で、ネロスはその声の主のことを思い出した。
「タナトスか?」
「!」
白髪交じりの金髪は少し伸び、無精髭も生えている。見れば片足は木の義足をつけていて、手は鎗を握りながらも僅かに震えている。
「何故、俺の名前を……」
「私はネロスだ」
そう明かすと、タナトスは目を丸め、同時に「そうか」震えが収まり、仮面を被った強者の正体に納得したようだった。
「お前の前に現れたことはなかったが、お前は俺の事を知っていたんだな」
「ああ」
「……俺がマイティアを置いて逃げ出したことも」
「ああ」
『…………。』
ネロスも、マイティアも特に何も言わなかった。
ポート・トトリの戦いで、ホロンスと戦闘。片足を失う大怪我をした後、護衛相手のマイティアを置いて何処かに去ってしまったタナトス。
彼の心にどんな変化があったのかはわからないが、少なくとも彼は今、この激戦地に自らの足で赴いた。その決意を今、評価すべきだろう。
「“エルフの鎗術師”に会って、手解きしてもらったんだ。
少しだけかもしれないが、加勢するぞ」
「助かる」
(機関室だと?
ハサンめ、一体何をするつもりだ)
地下機関室への階段を滑り落ちるようにハサンの後を追うルークは、溢れんばかりの怒りを堪えていた。
歴史ある荘厳な王の間で敵に背を向け、数々の王の象徴であった古き王冠を投げ捨てる様などは、最早ただの耄碌した爺だ。フォールガス王家の尊厳を貶める存在である。何より、そんな男に―――マイティアがルークの娘であることを確認するために、今は亡き妻レミアとの事情を聞かねばならないということが、ルークには耐え難かった。
それでも、奴しか知らない情報かもしれない。ここで調べなければ永遠に闇の中だ。
(突き止めてやるからな―――待っていろ、レミア)
ルークが最下層のクリスタル安置部に向かうと―――バリィイン!
「!?」
ガラスが割れるような音が聞こえてきた。
「ハサン!? 貴様なんてことをッ!」
急ぎ駆けつけたルークの目に飛び込んできたのは、巨大なホワイトクリスタルに突き刺さる鎗だった。
ハサンは汗と油で汚れたおぞましい笑みで振り返った。
「これで……王城の機能は、使えない……」
ルークはハサンの胸ぐらを掴み、怒鳴りかかった。
「答えろハサン!
貴様、レミアに手を出したか!?」
思いがけないその問いに、ハサンは首を傾げた。
「さあ、どうだろうな。忘れたわ、そんな女のことなど!」
「―――っ!」
無詠唱で召喚された短剣で手首を切られ、ルークは後退った。垂れ落ちる血、それでもルークは引かなかった。
「レミアはこの俺の妻だった!
お前なんぞに抱ける女ではない!」
「俺の? 何を言っている、お前は魔物ではないか」
ルークは言葉に詰まりながらも「俺はルークだ」と明かした。
「俺が、ルーク・バル・フォールガス本人だ!」
本人や親しい者にしか明かされないミドルネームまで知っていることに、ハサンは目を丸め「ハッ」ルークを指差し、嘲るように笑った。
「遂に魔物になり果てたか!不信人者め! 女神様の怒りを買ったに違いないな!」
「ああ、そうかもしれんな」
嘲笑に返す冷めた返事に、ハサンは唾を吐いた。
「マイティアは俺の娘だ、そうだろう?」
「フン! 女どもの事などどうでもいいわ、私にはジャックさえいればよいのだ」
「このクソ爺が……ッ!」
ルークは剣を呼び出し、ハサンの短剣と鍔迫り合いになった。互いに血統の良い召喚武具同士。その切れ味は、互いの身体をバターのように切るのに十分過ぎていた。
「ぐぬぅ!」
流石に老いと疲労には勝てないのか、ルークの振るう剣捌きにハサンは容易く押しやられていき……カキィン! と、彼の短剣が空を舞う。
「なあっ!」
そして、ルークの剣がハサンの首飾りを弾き、パキィン! と、青いオリハルコンに大きな傷を入れた。
「やめろぉおおお!!」
地面に転がる青いオリハルコンの首飾りを、ハサンはすかさず頭から飛び込んで死守した。まるで子どもを守る親のようだった。
(なんだ? 先程の土人形といい、この青い魔石に何かあるのか?)
一瞬の戸惑い、しかし、ルークは剣をハサンに差し向け、顔を真っ赤にして声を荒らげた。
「答えろハサン! 貴様のせいでレミアは自害したのだろう?!」
「違う! 違う! あの女は勝手に毒を飲んで死んだのだ! 俺を“捨てて”死んだのだ!」
「―――っ!」
遂に、ハサンは一部を自白した。そのままマイティアのことまで告白させようと、ルークはハサンの肩を踏みつけた……そのときだった。
「ジャック……、お前なら一緒にいてくれるよな? ジャッ……ク」
青いオリハルコンの割れた隙間からモクモクと緑色の瘴気が現れ「!?」ハサンを包み込んだのだ。
『パパは負けないんだ! パパは死なないんだ!』
「なんだと?」
『パパは強いんだ! パパは強くなきゃいけないんだ!』
「ジャ……ック、ゲホッ、ゲホ」
ハサンはその瘴気を吸い込み、激しく咳き込んだ。苦し気に胸を押さえ「がはっ、あ、あ」地面に転がる。しかし、瘴気はハサンに周囲に纏わりついて離れない。
「ジャ…ック…、……グガアアアア!!」
口や鼻、粘膜や肌から徐々に瘴気を吸収していくハサンの目がみるみる真っ赤に血走り、枯れ枝のようだった手足がみるみる膨化していった。そして、胴体も服を引き千切るほどに肥大化しながら緑色に変色していく。
「な、にぃ?!」
瞬く間に、折れそうなほど老いぼれていた爺が固く鍛え抜かれた身体を手に入れた様に、ルークは目を見張った。
「うぐっ!」その隙、ハサンの鋭い回し蹴りがルークの脇腹を貫き、ルークは機関室の壁に突っ込んだ。
「ジャックの、ため、に―――お、前を、前を、こ、殺す、殺す」
『そうだそうだ!やっちゃえパパ!』
ハサンは、限りなく人の形を保ったまま魔物と化し……ルークはその様を鼻で笑った。
「フッ、フハハ……お得意の女神のご加護とやらは何処へ行った?
だから言ったろ、俺たち王族は、女神に守って貰おうなんざお門違いなのだとな!」