第74話 大水殿
「爺、耄碌してなかったんだな」と、ネロスの方を見やるヤドゥフにホロンスは憎まれ口を叩いた。
遠くから見ていただけで、ドップラーの毒の正体を見抜き、魔王の特徴と当てはめて、ドップラーの毒の解毒方法を見出したヤドゥフ。流石は元、青の賢者といったところだろう。
「ホロンス、早まるなよ」
ヤドゥフはホロンスの思惑を見抜いているように言い、ルークのポケットの中に入っている木彫りの人形に顔を向けた。
「ベラトゥフが使命を果たせなかったのは、お前の責任ではない」
「爺……」
「相手が悪すぎたのだ」
テスラ、その名を脳裏に浮かべ、ヤドゥフは眉間に皺を寄せた。
共に戦ったかつての友が、敵に回ったこと。
そして、かつては敵であった魔王が今では味方でいることに、彼も戸惑いを隠せていなかった。
しかし、スティールの導きはヤドゥフにとって絶対だ。それが例え、愛する身内を友に嗾ける事になろうとも。己の両腕を引き裂いた相手に名を忘れられようとも、だ。
「ホロンスよ、ベラトゥフの肉体を“作り”、カタリの里へ連れて行け。
そこで、ベラトゥフの記憶を取り戻すのだ」
「!」
ヤドゥフはスティールの話さない脈絡を読み解き、ホロンスに打ち明けた。
「それは―――、マイティアの身体をどうにかするには、姉貴の記憶が必要ってことか?」
「そうだ。記憶を奪われる前のベラトゥフは“聖樹の召喚術”の術式を構築出来ていた。
その術式が今、必要なのだ」
ベラトゥフはカタリの里に連行される前に、ゴルドーからヒントを得て聖樹の召喚術の術式構築に成功していた。そのことをスティールは察知し、ヤドゥフに伝えていた。これはベラトゥフがテスラに負けた場合に拾うことになる伏線であると。
「これが出来るのはお前だけだ、ホロンス。
ベラトゥフではなく、お前でなければ出来ない事なのだ」
ホロンスはぶるる、と、身を震わせた。
これまで一度だってそんなことを言われたことはなかった。いつもヤドゥフの下に呼ばれるのはベラトゥフだけで、スティールもベラトゥフにしか眼中にないようだった―――それが今や、自分が必要とされている。その慣れない感覚に、こそばゆくなったのだ。
「やれる筈だ。なんたって、お前たちはこのヤドゥフの孫なのだからな」
「うるせー爺」
「これを、あんたに」
一夜明け、パッチャ村の村人の一人が手袋をつけて、ネロスにとあるものを差し出した。
それは、鉄で出来た骸骨の仮面だった。
「本来なら罪人につける仮面なのだが……その骨の顔を隠せば、人前に出ても死霊だとバレないだろう。
あんたの気配はなんだか……ごちゃ混ぜだからな」
「ありがとう」
「あんたがいなければこの村は全滅していただろう。
助かった。村長として礼を言わせてくれ」
ネロスの頭をすっぽりと覆う骸骨の仮面は、首元まで隠れるようになっており、目元と口角だけに穴が開いている。
それをしっかりと被ると、ネロスは傍目、死霊と判らなくなった。
『ネロスらしくなったね』
「そう?」
マイティアの言葉にこそばゆく歯を擦り鳴らし、ネロスたちは王都南部へと転移した。
「帰ってきちまったな……地獄に」
吹雪で白くなった外套を払いながら、ランディアは携帯鎧を着用し、剣を抜いた。
「完全に出来上がっちまってんじゃねぇかよぉ……」
「この程度でビビってんじゃねぇよ、リッキー」
リッキーが縮こまるのも無理はない。彼らの眼前に見えているのは、王都(故郷)に跋扈する動く死体たちなのだから。
「ギュビ」
「お、ポテトス!」
そのとき、ランディアの相棒の“鷹王”ポテトスがボインボインと雪の上を“転がってきた”。王都入り口の門で相棒の帰りを待っていたのだ。
「よし、それじゃあ大水殿まで走るぞ。私たちから離れるんじゃないぜ」
「絶対置いてくなよ……!?」
ランディアはポテトスを脇に抱えると、誰も雪掻きをしていない新雪の上を走りだした。そのすぐ後ろを縮み上がったリッキーが追う。
ドップラーの魔物が走り出す二人を認識して、攻撃しようと試みるが、雪を掻き分ける力が弱いのか、雪慣れした二人には早々追いつけない。
「リッキー伏せろ!」
「ひぃい!!」
だが、例外はある。王都騎士だ。
ガキィン! 物陰の死角から突き出してきた剣と剣が火花を散らし、追撃してこようとするドップラーの魔物を、ポテトスの斥力波が弾き飛ばした。
「大水殿の結界まで逃げれば勝ちだ! 気張れよポテトス!」
「グビビィ!」
いつになくやる気に満ちたポテトスの雄叫び。ランディアとリッキーはドップラーの魔物に背中を追われながら、王都の中心にある大水殿へと駆けて行く。
「よし! 見えて来たぞ!」
膝まで沈む雪道を汗だくで走りながらようやく、大水殿のある街の中心部へと辿り着いた。
大水殿は八竜信仰における重要な神殿であり、王都が作られる前から存在していたとされる由緒正しき、魔石で出来た建造物だ。大水殿の周囲には冬季でも凍らない水が張られ、八方を八柱の竜―――モーヌ・ゴーン、ゴルドー、ファルカム、スティール、エバンナ、アッヴァ、グェダ、ウェルドニッヒの石像が守っている。
この大水殿の周囲には魔の者を払う結界が張り巡らされており、八竜信者の中でも信仰の厚い者が(※女神信仰における神官に値する)結界を維持している。
そこへランディアとリッキーは滑り込んだ。
その直後、バシィン! 彼らを追いかけてきていた王都騎士や他のドップラーの魔物たちが結界に弾き飛ばされた。しばらく結界の内側に逃げこんだランディアたちを恨めしそうに睨んでいたが、届かないと理解したのか、そのうち彼らは散開した。
「ふぃ~、逃げ切れたな」
「王都騎士が出てきた瞬間、俺、ちびりそうになったんだけど」
携帯鎧を外し、剣を鞘に納めたランディアはリッキーを連れて大水殿の中へと入っていった。
「女神よ……どうか、お助けを……」
「八竜様……」
大水殿の中では、避難してきた王都の民でひしめき合い、女神信者も八竜信者も分け隔てなく残り少ない非常食を分け合っていた。
その中を掻き分けるようにして進んでいくと
「ランディア!? リッキー!??!」
「げっ! ダッキーおじさん!?」
住民に非常食を分配していた王都騎士たちの中でも目立つ禿げ頭がランディアとリッキーを見つけて声を荒らげた。
「お前ら一体どこへ行っていたんだ!?」
「野暮用で」
「カタリの里とやらに向かってから行方知らずになりやがって!
俺たちがどれだけ心配したことか!」
「それはごめん」
ランディアがそう謝ると、ダッキーは安堵の溜息を吐き
「まあ、生きてりゃいいさ。
お前もな、勘当者」
「…………。」
リッキーは顔を伏せ、何かを言いかけて唇を嚙んだ。
「で、野暮用が終わって帰ってきたってところか?」
「シルディアに会いに来たんだ」
そう言うと、ダッキーは思い出したかのように飛び上がり
「そうだ!会いに行け!今すぐに!」と、二人の背中を押した。
ダッキーの興奮の訳もわからないまま、二人が大水殿の2階にある医務室へと向かうと
「あら、姉さん」
「あら?」
ベッドの上、身動ぎをする一人の女性。
ランディアはポテトスを、リッキーは荷物を取り落とした。
「起きられちゃった♡」