第72話 パッチャ村
「ようやくワシも合流できるな」
地竜の背越えを乗り越えたネロスたちに、暴風雪の上を乗り越えてきたホズが合流した。
「なあホズ、今更過ぎて聞きづらいんだけどさ」
「ん? なんだ?」
「ホズは八竜の使いなのか?」
真っ白なフクロウのように毛並みを膨らませたホズは
「ワシら鷹王は皆、雪白の竜ファルカムの化身だ」と頷いた。だから、ファルカムからの言伝を教えることなど造作もないことだとも続けた。
「ファルカムやスティールは、グェダと同じように僕たちを導いてくれるのか?」
グェダ、タタリ山でネロスが世話になった八竜の一柱(紅朱の竜)だ。彼の導きによって、ネロスはベラトゥフと共に勇者を志すことになった。だが、八竜の中にはエバンナのように人を滅ぼそうとする者もいる。ファルカムやスティールが一概にグェダと同じだとは言いきれない。
ホズは少しの間を置いて頷き
「取り急ぎ、スティールがお前さんたちの行く末を導いてくれるだろうさ」
そう言いながらも
「だが、八竜(他人様)の言葉を待たずとも、自分の足で踏みだしてもいいんだぜ?」とも微笑んだ。
「自分の足で、か……」
「それよかネロスお前、戻ってこられたんだな」
「え」
『ん?』
ネロスは慌ててホズの口を塞ぎ
「詳しいことは言わないでっ」
そして、震えた小声で「寧ろなんでわかるの?」と続けた。
マイティアには、魔王と自分が全くの別人であることをネロスは伝えていない。魔王の方が良いと思われたくないからだ。
「鷹王の目にかかれば造作もないことさ。
お前さんはあのネロスだ。それでいいじゃねぇか」
「―――。」
ホズは得意げな顔でそう見抜き、ネロスの空虚な度肝を抜いた。
『二人とも何を話しているの?』
「なんでもないよ、ミト」
「男同士の秘・め・事・さ」
「その言い方どうにかして」
トトリを出発してから凍てつく大地を進んでから、約一月(12日)。
「あそこだ」
ホロンスは久方ぶりの故郷を指差した。
パッチャ村。竜の島で、人が住む最北端に位置する場所。永久凍土に囲まれた中にぽつりぽつりと獣皮のテントが建てられていて、飼い慣らしているのだろう狼のように大型な犬がネロスたちの来訪を察知して唸りをあげている。
「俺が先に行く。爺に話をつければ、攻撃してこない筈だ」
杖をつきながらゆっくりと村へと歩み寄るホロンスに対し、テントから少しずつスノーエルフたちが現れ、それぞれが杖を握っていく。
「何しに帰ってきた、ホロンス」
「爺と話がしたい」
「いやダメだ。ヤドゥフ様の所へは通せない」
だが、例え同郷のエルフでも、警戒を解こうとはしない。
「魔物2体を連れて来たな」
「それも高位の魔物、一体に至っては死霊だ」
ネロスとルークの見た目は魔物で、おまけに女性の死体を持っている。そんな二人を故郷に連れて来たなど、ホロンスに対して悪い考えしか浮かばないのだろう。
「スティール様なら彼らが敵じゃないことがわかってくださる筈だ」
それでも、ホロンスの説得にも応じない頑ななスノーエルフたちとの一触即発の中。
「やめんか!」
キーン、と耳に響く鋭い声が発せられた。その方を皆が向くと、氷の洞窟の中に一人の小さな、姿勢の良い老人が立っていた。
髪は抜け落ち、髭の長い痩せこけた顔。額にはスティールを示す紋章が刺魔してある。
だが、一番に目を引くのは、袖が風に揺れること。両腕がないことだ。
「ヤドゥフ様」「しかし」
「彼らを連れてきなさい、ホロンス」
「はい」
ヤドゥフがそう言うと、村のエルフたちは大人しく杖を降ろし、ネロスたちを村に通した。「…………。」
だが、本音は怖いのだろう―――テントの中で怯える子供たちの顔を見て……ネロスは静かに拳を握った。
小さな老人ヤドゥフに連れられて氷の洞窟を進むネロスたち。
『ここ……なんだか外と違う』
先に違和感に気付いたのは、マイティアだった。
「この空間の違和感はなんだ?」マイティアの代わりにネロスが尋ねる。
「この空間はスティール様の影響によって、人はほぼ老化しない」
「老化しない?」
「ヤドゥフ、その名を聞いてもピンとこないか? 魔王」
ホロンスにそう言われ、ネロスは少しムッと下顎を突き出して「ない」と言った。
「ヤドゥフはお前を封印した当時に“生きていた”魔術師だ」
「まさか」
「爺は800年以上生きている。ただ、この空間から出られなくなってしまったがな」
『800年以上……大女神と同じだ』
しかし、先頭を行くヤドゥフは何も語らず、振り返ることもせず、ネロスに無反応でいた。それは魔王の気配を感じていない(ネロスである)からなのか、ヤドゥフの感覚が衰えてしまったからなのか、ホロンスにもよくわからなかった。
しばらく進んでいくと、ぴちゃ……ん。足元に水が張っている、だだっ広い空間に出た。
氷に囲まれているというのにこの空間だけはやけに暖かく、祈る為の祭壇があった。
〈よくぞここまで来た〉
そして、この空間の中心、祭壇の上にいたのが、青みがかった銀色の鱗を持った美しい竜―――翼の被膜を掛け布団にして眠っている―――八竜の一柱、銀青の竜スティールだ。
ネロスたちを足先で踏み潰せる程のサイズの竜が丸く折り畳まり、しっかりと目を瞑ったまま。ただ、ネロスたちを歓迎する声はやたら近くでした。
〈聖樹の苗は持ってきたな〉
スティールはヤドゥフを通じて声を出していた。
〈聖樹の苗をこちらに〉
「…………。」
ネロスは一瞬躊躇い、ルークはマイティアの身体を固く持ちながらも、ネロスはルークから彼女の身体をゆっくりと大切に預かり、祭壇の前にある氷の棺へと、ネロスはそこへマイティアの身体を名残惜しく沈め……祈りを捧げた。
〈あとは術式を理解できる者が必要だ〉
「……待ってくれ、何の話をしているんだ?」
ネロスが戸惑いつつそう言うが、スティールは言葉を発さない。
「スティール様は寡黙な御方だ。一から十までのうち、二ぐらいしか語らない」
「それでは困るじゃないか」
ネロスはヤドゥフに食い下がった。
「八竜は導く者の筈だ。聞きたいことが沢山あるんだ。
ミトの身体はこれからどうなる? 聖樹の苗って一体なんだ? 術式を理解できる者ってなんだ?」
『ネロス……』
「…………。」
だが、ヤドゥフは何も語らなかった。
「スティール様、俺に、教えてほしい術式があります」
ネロスに変わって、今度はホロンスが切羽詰まっている様子で声を上げた。
「人体錬成の術式を教えてほしい」
「!?」
「錬金術の知識なら、レキナには叶わないが、ある筈です」
すると、ヤドゥフの耳が僅かに動き
〈八竜魔術、人体錬成に必要なのは知識や素材ではない。神性だ。
人に、人体錬成の成功はなく、その必要もない〉と、首を横に振った。
「なら、どうやって“術式を理解できる者”を用意できるのですか?
俺や爺で出来ないのなら……、……」
ホロンスは拳を震わせる。
〈何が最低限に必要かを熟考せよ〉
スティールはそれだけを伝え、寝息を立て始めた。
スティールからの続報がない以上、パッチャ村に長居することもない、と、ネロスたちは王都に帰ることにした。だが、日が暮れてから時間が経っていたため、ヤドゥフの申し出により、一夜をパッチャ村で過ごすことになった。
「実は―――こういう訳で」
リリス(ゼスカーン)とホズ、ホロンスとルークは食事をとりながら、ヤドゥフにこれまでの経緯を説明していた。
「つまるところ、空が割れ、暗闇が漏れ出したのは魔王の力ということか」
「まあ、そうなるな」
ホロンスの説明に、ヤドゥフは眉間に溝を掘って唸った。
「爺、あれが何かスティール様から聞いているのか?」
「あれは深淵、神殺しの魔だ」
首を傾げるホロンスとルークに、今度はヤドゥフが説明する。
「神、すなわち八竜への殺意。人の魔である。
それが、竜の島の外側を満たしているのだ」
「外側を、満たしている?」
「うむ。
八竜たちはこの深淵から竜の島を守る為に結界を張った。それの一部を魔王は破壊したのだよ」と、ヤドゥフは竜の島が結界に包まれている様子を宙に図示した。
「もし深淵に呑み込まれたら、どうなる?」
「この島までもが深淵に覆われれば、八竜たちは死に、人は魔に冒される。
この世の終わりだろう」
「そんな……!」
「どうにかできないのか?」
「その方法が聖樹の召喚術なのだと、スティール様は仰っている。
だが、残念ながら、“私は”聖樹の召喚術の術式を知らない。故に、術式を発動させた後、どうなるのかは私にはわからないのだ」
ヤドゥフは背中を小さく丸め、そう語った。
『二人きりで話すの、なんだか久しぶりだね』
食事をとる必要のないネロスとマイティアは、ひび割れた空から黒い滝が流れ落ちてくる横、ひびの隙間から垣間見える青白い月を見ながら話をしていた。
かつては赤い月を見上げていたものの、空が割れて以来、青白い不気味な月が顔を覗かせるようになった。いや、本来は青白い月が正しいのだろうが、ネロスとマイティアにとっては、生まれてからずっと赤い月を見て育ってきた為、青白い月に違和感を覚えていた。
『この前、話してくれたことは本当なの?
予知夢を見られなくなったって』
「うん……」
ネロスは眉間に溝を作り、頷いた。
魔王が力を貸さないと言った通り、予知夢の力がネロスから無くなっていた。だからといってネロスは魔王に予知夢の力をくれるよう懇願するつもりは更々ないのだが、生まれてこの方、ずっと見てきたものがなくなると不安に駆られるものだった。
「本当に、これで良かったのか……よくわからなくなってきた」
ネロスは再度、疑問を呈した。無論、マイティアの身体の事だ。
結局、スティールの口からは、彼女の身体がこれからどうなってしまうのか明言はされなかった。強いて言えば、八竜の面前で安置された分、何者かに害されない安心感だけはあったが。
『私の身に起きたことは、贖罪なんだと……思うようにしてるんだ』
マイティアはゆっくりと、深呼吸をするように言った。
「贖罪?」
『本来ならラタが手にする筈だった名誉を騙り、手に入れた権力でフォールガス王家は成り立ってきた。
その罪滅ぼしが私の身に降りかかってきていて、私はそれを真摯に受け止めなくちゃいけないんだって』
これにネロスはムッとした表情で反論する。
「君は王家の恩恵を受けたことなんてないだろうに」
鳥籠の中で虐げられて育った彼女の人生において、王家の恩恵などどこにあったというのだろう? ネロスは首を横に振った。
『そうかもね……私もその為だけに生まれてきたなんて思ったら、流石につらいかな。
だけど、私、今ね、そんなにつらくないよ。一人じゃないもの。
ネロスがいるし、ルーク様もホロンスも、ゼスカーンさんもいるもの』
「……ミトは強いね。
記憶を失っても、君はちっとも変わらない」と、ネロスは指輪を撫でる。
マイティアはそんなネロスの肩に凭れ掛かった。その重みにネロスが気付いてくれていなくとも、彼女はそれ以上を望んではいなかった。
『ネロスもネロスでいいのよ。
かつて魔王だったのだとしても、今、魔王でいる必要なんてないんだから』
「……そっか」
かつてベラトゥフがそうであったように、今度はマイティアが自分の傍にいてくれている。例え肉体を失ってしまったとしても、その愛は、思いはここにある……ネロスは幽かな温もりを横に感じた。
「そっか、僕は僕のままでいいんだ」
骨しかない手のひらを握り、ネロスは何かを確信した……───そのときだ。
ズズズン!!
下から突き上げるような振動で、氷柱が落ちる。
「なんだ?」と、洞窟から出て来るホロンスたち。
「この気配―――まずい……!」
気配をいち早く察知したネロスは急ぎ、音がした方へ飛び出していった。
「…………。」
その背中を、ヤドゥフは静かに見つめていた。