第70話② ドップラーの軍勢
ラタは滑空しながら、屋敷中に蔓延るドップラーの魔物を片っ端から切り裂いていった。
『くそぉお!! なんだよ! なんなんだよ!』
直々に操作でもしているのだろうか、自分の手駒が次々になくなっていくことを悔しがるようにドップラーの霧がもじゃもじゃと蠢く。空を駆け、大剣を棒きれのように振り回すラタの攻撃を、ドップラーの魔物たちのもたついた足では避けきれないようだった。
「よし……! このまま押せぇえ!」
ラッキーの掛け声と共に、新たに作られた石像たちがドップラーの魔物に飛び掛かり、これにグレースたちも追随する。
そして、ラタたちの奮闘のお陰で、押されていた数の差がなくなり、あっという間に逆転した。
「ふぅん」
その様を屋敷の最上階から見下ろしながら、エルフの男は下の喧騒とは無縁と言わんばかりな欠伸をかました。
気だるげで大きな碧眼に長い耳、寝ぐせのついたショートのブロンド髪。中肉中背で、魔術師の法衣を着ている。
「第二期の肉体強化術式……それも独自に改良された癖の強い術式だな」などとぶつぶつ独り言を呟きながら、エルフの男はゆっくりとした動きで寝癖のついた髪をとかしていく。
「果たして、あの“フォールガス”なのか、否か」
ドゴォン! その間にも落雷が屋敷に落ちる。その度に男の耳がうるさそうに拉げる。
「うるさいな……クールじゃない」
そう言って、男は胸ポケットから懐中時計を取り出し、スイッチを押した。
カッ! 屋敷を覆い尽くすように現れる上空の魔法陣。
「なんだ!?」
身構えるラタたちを他所に、今がチャンスと駆け出すドップラーの魔物。
しかし。
『なに!?』
ドップラーの魔物は動かない。ピクリとも動かなくなった。
「なんだ?? まるで時間が止まったみたいな」
一方で、ラタたちの動きは止まっていない。ドップラーの魔物だけが、ピタリとその場で静止したのだ。
「今だ! 一気に叩き込め!」
グレースの掛け声に意識を戻し、各自動けないドップラーの魔物に攻撃を加える。すると、攻撃の加えられたドップラーの魔物だけの時間が動き出し、血を噴いて倒れ込む。
「なんだかよく分からんがチャンスだな!!」
ラタもこの機を逃すまいと、落雷の雷魔術で一気に十数人のドップラーの魔物を丸焦げにする。
『なんだなんだちっくしょう!』
遂には屋敷に踏み込んだ最後のドップラーの魔物がデリカに切り倒され、ドップラーの手駒がいなくなった。
ドップラーは顔をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、怒りを表現して
『覚えてろ!
今度の今度は絶対に殺してやるからな!!』と、負け惜しみを叫び、姿を消した。
「勝ったのか……?」
「勝った!」「ドップラーの軍勢を退けた!」
ラッキーたちは手放しに喜びを表し、グレースたちはその場に崩れ落ちるように安堵した。
「おっ、と……こいつは……」
だが、携帯鎧を脱いだラタは一人、自分の手についた僅かな血を前に呆然と立ちすくんだ。
返り血も浴びないよう細心の注意を払って戦っていたのだが、それをすり抜けてしまったのだろうか?
「ラタ、あんたのお陰で助かったよ!」
「お、おう」
ラタは慌ててその手をポケットに隠し
「それよか、さっきの魔術は一体誰のだ?」と、話題を逸らした。
「ああ、それなら」
グレースが屋根の上の方に顔を向けると、そこには一人の、見慣れないエルフの男が立っていた。
「罹ったな」
「え」
そのエルフはラタに向けて
「お前の戦闘は見た目に似合わず完璧だったよ。
お前は感染者の血に触れただけだ」と、言い放った。
「感染者の血に触れた?」
エルフはすっ、と下を指差した。その先にいたのは、ラタが先ほど救いあげた、レコン川に飛び込んだ従業員だった。
「隠していたのか!?」
「返り血が飛んで来たんだ……っ、だ、だから、飛び込んで―――だけどそれで、肩を切って……」
「馬っ鹿―――」
「待て待て、争うな!」
「ま、罹ったところで、死ななきゃいいだけの話だ」などとすかしたことを言うエルフに、ラタは「お前さんは?」問いかけた。
「私の名はタイマラス。
お前と“昔話”がしたい」
そう言い、エルフは髪をかき上げた。