小話・結婚とは
天竜山の八合目にある休憩所───最早、召喚士ヌヌの住まいとなっている場所で、ネロスとマイティアがヌヌと食事を共にしていたときのこと。
「ヌヌたちマロ族って、やっぱり人と同じように結婚したりするの?」
「ぶふっ」
ネロスのぶっちゃた質問にマイティアは食事を吹きかけ、ヌヌは平静に蛇焼きを噛み千切った。
「な、何か悪いこと、訊いた?」
「いや、別に。誰にでも湧く興味の一つでおじゃろう」
ヌヌは口に入ったものを飲み込んだ後、魔術で自分の皿を浮かし、布巾で汚れを拭いながらネロスの疑問に回答した。
「マロ族にはそもそも、雌雄がないでおじゃる」
「しゆう? あ、男も女もないってことか。
確かに見た目、みんな同じ感じだもんね」
「同棲することなどはあるが、お主らが言う結婚とは意味が違うのぅ」
「じゃあ子どもはどうやって増えるの?」
「あ、あんたね……食事中に」
「生み出すのでおじゃる。これでのぅ」
そう言って、ヌヌは錬金壺に手を当てた。
「う、生み出す???」
ネロスの目が飛び出さんばかりに丸まる。
「ヌヌらは錬成体なのでおじゃるよ。錬金術で呼ぶところの人体人形、合成獣と言ったもの。逆に言えば、人体人形などの組成式はマロ族の叡智を基に作られたと言っても過言ではないでおじゃる」
「それって、土とか木の枝とかからヌヌたちが作られているってこと!?」
「マロ族の組成式と素材は一族の機密事項でおじゃる。じゃが、少なくともそんなチープなもんは入っておらんわい」
「じゃ、じゃあ最初のマロ族は……別の誰かが、錬金術でマロ族を作った……ってことになるの?」
「そうでおじゃる。そして、ヌヌらは基本的に魂を使い回す。マロ族は死した者が現れたとき、その魂を回収し、記憶を濾過してから新たな肉体に移植する。いわば、お主らの言う子どもの誕生は転生を指すのでおじゃるよ。故に、マロ族の人数はよほどのことでは増えぬ」
「よく分かんないところばっかりだけど、マロ族ってすごいんだね」
「マロ族は人やエルフよりも遥か昔から存在しているとされる種族なの。神教の経典にも登場するぐらいにね。
一説によれば、八竜が最初に生み出した社会的活動を行う知的生命体とまで言われているわ」
「しゃ、しゃかいてき活動?」
「すごくざっくり言えば、とある区域の中で、外敵から区域を守ったりする者、まとめたりする者などの役割分担が出来るってことかしらね」
「難しい……」
「これでもダメなの?
……例えば、あんたが兵士で、私が王様だとする」
「うん」
「あんたは私に忠誠を誓っていて、私と、私たちがいる場所を守る役割がある」
「うん」
「そして、私はあんたたちの生活を快適にする為、色んなことをまとめたり、決めたり、指示したりする役割がある」
「うん」
「そういった役割をそれぞれが果たして、みんながまるで一つの生き物のように行動する。
それが社会的活動を行う知的生命体って奴」
「じゃあ、実は、僕は社会的活動っていうのをしている知的生命体になるの?」
「そう。よく分かったわね。永遠に知的生命体になってくれないのかと諦めそうになっていたわ」
「ミト、諦めないって大切だよ」
「どの口が言ってんのよ」
「さーて、このヌヌにあれこれ訊いたということは、覚悟はあるのでおじゃろうな〜若人」
「うん?」
ヌヌはにやにやと笑みを浮かべながら回転する椅子をゴロゴロと動かしてネロスに詰め寄った。
「ネロスよ、お主の結婚願望はどうなんじゃ?」
「ふゃっ!?」
「好・き・な・おなごはおるのかや?ええ?」
「ひぃーっ!」
ネロスの襟首を捕まえたヌヌは執拗にネロスの恋愛事情について追及し始めた。ネロスは必死に逃げようと試みているが、ヌヌはネロスの頭にしがみついて離さない。
「人に訊ねておいて自分は訊かれないと思っておるなら大間違いじゃぞ!
ほれほれ!答えてみぃ! 好きなおなごのタイプを言うてみよ!」
呆れ果てた顔で食事の片付けを行うマイティアの方をチラチラと見ながら、ネロスはしどろもどろに溢した。
「き、っ」
「き?」
「き……っ、きれっ……」
「きれ?」
「き、筋肉凄い人!」
「げほっ!」
盛大にむせ返るマイティア。そして、マイティアの反応を気にかけているネロス。
数多のカップルを見てきたヌヌの数百年にも及ぶ経験が、二人の反応に目敏く勘づく。
「ほほう〜、ほうほう、そういうことでおじゃるか〜、勇者よ、お主も隅においておけぬ奴よのぅ」
「隅に置いておけぬ? 僕を真ん中に置こうってこと?」
「黙らっしゃい」
平静と食事を終えた皿の汚れを拭いて落とすマイティアがいる前で、ヌヌは大きな声で
「なに? 綺麗なおなごが良い? ミトちゃんのようなぺっぴんさんが良いと???」
「げほっ!」
「そそそそそそそこまでハッキリ言わなかったじゃないか!!!」
「おお? ハッキリと言わなかっただけか? ということは思っておっ」
「わーわーわー!」
「あのね、二人とも。私は、既に結婚しているの」
ピーン……、と、静まり返る空気。マイティアの深いため息がよく響く。
「け っ こ ん ?」
「そうよ。私は既に男と結婚しているの。彼とは書面上だけの付き合いで、ろくな間柄じゃないけど、断る資格なんて私にはなかったから」
「えええええええええっっ!!!?!?!」
ネロスの悲鳴じみた衝撃は雲まで貫いた。
「なっ、なんで!? どうして!?」
「どうしてってあんたに言われても」
「い、嫌なのに結婚させられるなんておかしくないか!?!」
「王族貴族の結婚事情なんてだいたいそんなものよ。血脈の保持、政略、親の威信、金儲け、その他諸々、本人たち以外の様々な思惑がある。愛があって結ばれるなんてのは極一部でしょうね。
私の場合は、親の威信の為、といったところかしら」
「ミトちゃんや……勇者にもう少し甘〜い夢を見せてやっても」
「どうせ砕け散る夢なら早めに目覚めた方が、傷が少なく済むんじゃなくて?」
「う、うう……っ、ミトは……その男と既に……よ」
「なによ」
「よよ、夜の、営」
「す、する訳ないでしょ!!」
「へ?」
ネロスは目を点にした。
どうやら、グラッパから教わったらしいネロスの抱く結婚の概念は、つまるところ夜の営みであるらしい。
マイティアは全力で否定した。
「だいたい、あいつには両想いの愛人がいるの。親の威信の為に結婚させられて困っているのは私だけじゃないのよ」
「あいじん?」
「……結婚している人以外に、肉体関係を持っている人がいるってこと」
「浮気って奴でおじゃるな」
「まあ……向こうにとっては、私の方が”愛人”のような扱いなのかもしれないけど」
ネロスは絶句した。そして、まるでこの世を憎悪するかのような暗い表情で「そんなの許せない……!」と、一人で拳を握り締めた。
「あんたが私の泥沼事情に首突っ込むことないわ。これは私の問題。余計にややこしくなるから放っておいて」
「ミト! 僕は!想い合ってこそ!一緒になるべきだと思」
「はいはい。分かった分かった。この話は終わり。
さっさと寝て」
マイティアはネロスを冷たくあしらい、皿を棚に並べていく。
ネロスは何か言いたげに口をもごもごと動かすが、聖剣に宿る女神から何かを聞いたのか、しばらくするとマイティアの言う通りに床についた。
「ミトちゃんや、何か飲むでおじゃるか?」
「大丈夫。私も今日はこのまま寝ちゃうから」
ヌヌの誘いも断り、マイティアも早めに横になった。ただ、彼女に苛立っているような様子は見られなかった。
(言葉の割には感情的じゃなかったのぅ……これはもしかすると、意外と、満更でもない……ということなのか!?)
ヌヌは一人「勇者、そして女神……運命とは、面白いこと交錯するものじゃな……」感慨深い表情で、夜の紅茶を嗜んだ。