第69話 携帯鎧
ファンファンファン! 屋敷中を駆け巡る感知式のサイレン。
「ドップラーの魔物が接近してくるぞ!」
熱気が一瞬にして冷め、張り詰める空気。息を殺し、縮こまる人々。
その上をラタたちが飛び越え、屋敷の門へと向かう。
「野犬どもめ、匂いに釣られてきたのか」
現れたのは飢えた野犬たちだった。素早い息と垂れ落ちる唾は緑色で、ドップラーの毒に冒されているのが目にも明らかだった。
「あんたの実力を見ようと思ったけど、鎧がまだ出来てないんだったわね」
「毒を浴びるな、だよな」
「具体的に言えば、一撃も食らうな、返り血も浴びるな、ね。勿論、あの息を吸うのもアウトよ」
「それならこれでいこう」
ラタは門越しに走ってくる野犬たちに照準を合わせ、落雷の雷魔術を唱えた―――ズドン! 鼓膜を劈く音を轟かせながら、雷が野犬たちを消し炭にした。
「へぇ、魔術も使えるんだ」
だが、ドップラーの魔力を感知するサイレンはまだ止まない。
「あれは……」
「王都騎士だ!」
血で赤錆びた鎧を着た死体が、鎗を引きずりながらゆっくりとした歩みでモンジュの屋敷に近づいてくる。
デリカたちの顔に殺意と慈悲が宿る。かつての仲間の一人が最期まで戦った、その勇士を汚すドップラーに対しての殺意。そして、仲間の身体を一刻も早く解放してやりたい慈悲だ。
「あれは私たちがやるわ」
そう言うと、デリカが「え」瞬く間に全身に鎧兜を装着して、グレースと共に門の外に出た。
「な、何だ今の!」
兜は猛禽類の頭部を模したフルフェイスで、鎧は体のラインに沿ってピッタリサイズに作られている。革の胸当てしかつけていなかったデリカの全身を包み込むように、鎧兜が膜のように広がったみたいだった。
ドップラーの魔物と化した王都騎士が二人の姿を視認すると、その手に握っていた鎗を構えて走り出した。
ガキィン! ドップラーの魔物の鋭い一撃がグレースの円盾に弾かれる。体勢を崩すかと思いきや、ドップラーの魔物は関節を無視した動きで鎗を突き出してきた。それを今度は大盾で逸らし、円盾でドップラーの魔物の頭を直接、ゴシャ、叩き割る。
だが、頭が割れてもドップラーの魔物は倒れない。拉げて剥き出しになった歯列から血を滲みだしながら、緑色の息をまき散らす。
グレースはその息ごと突風の風魔術でドップラーの魔物を突き飛ばした。
激しい風に飛ばされたドップラーの魔物が地面を転がっていく方に、気配を消して先回りしていたデリカが、太刀でドップラーの魔物の身体を上下二等分に切り裂いた。
上半身と下半身で真っ二つになってしまったドップラーの魔物だが、それでも、上半身はずるずると動き出す。そこに、デリカが唱えた炎上の炎魔術が放たれ、緑色の息ごと燃え上がる。
(鎧ごと人体を軽々一刀両断できるデリカ姉ちゃんもそうだが、盾使いの兄ちゃんも熟練って感じだな……)と、ラタは思わず舌を巻いた。
奇妙な動きをする魔物相手に、一撃も食らわないこと、返り血も浴びないことにも徹底した手慣れた連携だった。長年、“圧倒的不利”な戦いを強いられ、培われた特殊技術なのだろう。
(ドップラー……想像以上にやべぇ相手だぞ)
屋敷のサイレンが止み、二人が帰ってきたところで
「なあ、ドップラー本体は何処かにいるのか?」とラタは尋ねた。だが、彼らは揃って首を横に振った。
「それが判っていたらこんなところで立ち往生しちゃいないよ」
「ドップラー本体がいるのかさえ定かじゃない。この毒自体が本体じゃないかとな」
「毒が本体?」
「だが、わからない。10年以上戦っているが」
グレースは拳を握り締め、深い溜息をついた。
その直後だ。
『なんだよ、つまんないな』
「!?」
何処からともなく、子供らしい上擦った声が聞こえてきた。
辺りを見渡していると、ラタたちの上空で緑色の霧の集合体が現れていた。
「ドップラー!」
グレースがそう呼ぶ、霧の集合体はまるで顔のように濃淡が出来ていた。
『もう少し苦戦してよ。こっちの手駒も無限じゃないんだか―――ら』
ラタは雷鎗の雷魔術を唱え、霧に向けて放ったが、それはするりとすり抜けた。
『こっちが話しているときに何すんだよ』再び緑色の能面が現れ、その子供っぽい声を荒げた。
「あ? 悔しかったら降りて来いよ、畜生が」
『―――下等生物が』
ラタの軽い挑発にも乗ってきたドップラーは『今度は大群で向かわせてやるからな』と、宣言した。
『せいぜい足掻けばいいさ。役立たずいっぱい抱えて、何処まで生き延びられるかな。
アハハハハハハ!!』
「―――っ」
ラタに続き、デリカも炎上の炎魔術を霧に向けて放ったが、時すでに遅し、ドップラーは散り散りになって消えてしまった。
「なるほどな、毒が本体という説がある訳だ」
「奴が俺たちの前に現れたのはこれで三回目だ……いつ聞いても腹立たしい」
「まるでガキなのよね。こっちをおちょくってくる」
胸の内から込み上げてくる怒りを抑え
「大群で押し寄せるって言っていたぞ」と、ラタは身震いして言った。
一体だけでも注意深く倒さなければならないのに、その大群が押し寄せてくるとなると、流石のラタでも肝を冷やした。
「前もそう言って数百体のドップラーの魔物が来た時はあったわ。
そのときは王都騎士団が生きていたから何とか持ちこたえられたけど……」
「…………。」
重苦しい空気が漂う空気――――を、切り裂くように
「出来たぞ!」
ラッキーが三人の下に駆け込んできた。
「何って顔をするな!
あんたの携帯鎧を急ピッチでこしらえたのだ!
感謝のかの字も顔に出ていないとは何事だ!」
「あ、ああ、出来たのか」
だが、ラタに渡されたのは、鎧の概念を覆す延べ棒状の端末だった。
「え、これ?」
「我々の技術の結晶だ。モンジュの鎧は手のひらサイズにまで収納出来る」
「紙切れじゃあるまいし、そんなわけ」
「最初は皆がそう言う。物は試しだ!」
魔力を通したまえ、と言われたラタは渋々、鎧の延べ棒に魔力を注ぎ込むと
「うお!?」
延べ棒状の鎧が突如開き、ラタの身体に吸い付いていく。ものの数秒で全身鎧兜が装着された。
サイズはぴったりサイズで無駄がない。鋼鉄と遜色ない硬さでありながら鋼鉄製と比べると遥かに軽く、関節部は楔帷子で出来ている。
何より注目すべきは魔法陣だ。この鎧には無数の魔法陣が刻み込まれている。
「すげぇ……! これ、魔石の鎧か?」
「そうだ。装着車に魔力を還元する補助機能もついている」
「携帯鎧、俺たちはそう呼んでいる」
「外すときはどうするんだ?」
「魔力を抜けばいい。故障したら脱ぐしかないがな」
言われたとおりに魔力を抜くと、数秒後、携帯鎧の留め具が自ずと外れ、そのまま折り畳まれ、元の手の平大の延べ棒に戻っていった。
「革新的だな!」
「そうだろう!そうだろう! 鎧の着脱という煩わしさから解放したこの携帯鎧を、王都騎士全員にオーダーメイドしているのだ!」
「そのお陰様で、ドップラーの魔物と化した王都騎士が難敵となっているのだがな」
「グレース、その責任を俺たちに擦り付けるのはお門違いではないかね」
「そうよ、グレース。モンジュたちに八つ当たりしないで」
グレースは何度目かもわからない溜息をつき「頭冷やしてくる」と、込み上げてくる激情を抑え込むように拳を握り締め、その場を後にした。
「彼、本当はこんな人じゃないのよ」
「仲間を大勢失ったんだろ」
「そう……大勢ね。苦楽を共にした仲間たちを、一度の不覚で失った。その責任でおかしくなっちゃったの。
せめてランディアがいてくれればもう少し歯止めが効いたんでしょうけど」
「ランディア? ああ、トノットで一緒に戦った女騎士の事か!」
「トノット???」
デリカは首を傾げ「シェールで戦ったって何? あの子シェールに行ってんの?」少しご立腹な様子でいながら、胸に手を当てて溜息をついた。
「確か魔女に何か頼み事されていた気がするぞ」
「魔女に頼み事???」
デリカは最早、天を仰いだ。
「嗚呼、八竜よ……あのお転婆娘にちゃんとした導きをお与えください」