第67話 デリカ
「ポートか……またこの町に戻ってきたな」
肩幅の広いガタイで、酒に酔って頬を赤らめた、お節介が顔に出ている朗らかな大男。金髪の短めな一つ結びで、眉は太く凛々しい。
彼はラタ・ガッド・フォールガス。かつて、大女神テスラと共に魔王を封印した勇者だ。
『深淵がこの世界を覆う前に、白の箱舟を手に入れなさい』
ラタは今、荒れ地の魔女レキナからの遺言を手に、王国南部にあるポートに到着していた。レコン川を遡上して王都に入る為だ。
「まだ彼らは生きているのですよ!」
「そのうちに処理しなければこちらが手遅れになるんだ!」
「んん?」
すると、街中から悲鳴染みた喧騒が響いてきた。ラタはその声の方に吸い寄せられるように駆け足で向かった。
「おい、何しようってんだお前たち」
そこには、ガスマスクに手袋をつけた人間たちと顔色の悪いドワーフたちが言い争いをしていた。
「何って、“感染者の連行”さ」
「これは虐殺ですわ!」
「今のうちに処理しておかなくちゃドップラーの魔物になるじゃないか!」
「ドップラーの、なんだって?」
何も知らないラタを振り解いて、ガスマスクたちはぐいぐいと地下街へと向かっていく。
同じく、ドン、と弾き飛ばされた顔色の悪いドワーフの老婆に「大丈夫か?」と声をかけると、彼女はしゃくりあげた声を漏らしながら、パニック状態で、首を何度も横に振った。
「ドップラーの魔物が現れてから、全て……全て、ポートはおしまいよ……直に住民すべてに毒が蔓延するわ!」
「落ち着け、どうしたらいい? 魔物なら俺が倒してやれるぞ」
「違うわ―――違うのよ! 魔物を倒しても意味がないの!」
「?」
「そう、魔物を倒しても意味がないのよ」
状況を読み込めていないラタの下に、一人の人間の女性が音もなく現れた。
すらりと引き締まった体形、黒髪のポニーテール、切れ長の目をした化粧要らずの美人顔。革の鎧を身に纏う背中には太刀を背負っている。
その女性はじろじろとラタの体格、そして、背負われたオリハルコンの大剣を見ると
「あんた、強いわね」と、笑みを浮かべた。
「まあ、そうだな。
だが、そう言うお前さんも強そうだな」
その女性はふふん、と鼻を鳴らした。
「私はデリカ。王都騎士よ」
「王都騎士!?」
ドワーフの老婆は突然、素っ頓狂な悲鳴を上げ「どうしたどうした」ラタの後ろに隠れてしまった。
「王都騎士よ! この町にドップラーの毒を運んできたのは王都騎士なのよ!」
「はあ、その“王都騎士を倒してあげたのも私なのに”、酷い嫌われ様ね」
「どういう訳か、聞いても構わないか?」
「ええ、話し相手になってあげる」
ラタとデリカは場所を変え、町役場の前のロータリーにあるベンチに座った。彼女は腰を落ち着けるなり重い溜息をついた。
「数日前、王都騎士数人がこの町にやってきたの。そして、住民を殺し始めた。彼らはドップラーの魔物になり果てていたから。
当時町長だったナリフってドワーフたちが何とか被害を食い止めようとしたけれど、王都騎士を止めきれずに彼女たちは感染してしまった。そこへちょうど私が通りかかって王都騎士たちを片付けたって訳。
はあ、少しは感謝されてもいいのに、同じ王都騎士だと名乗った途端に邪見にされて、さっきの通りよ」
「ドップラーってのは、幻惑術か何かを使って人を操っているってことか?」
「いいえ、幻惑術というより死霊術に近いわ」
死霊術、その言葉を聞くと、ラタは険しい顔つきになった。
「ドップラーの魔物というのは、ドップラーの毒で死んだ者のことを指すの。
死んだ彼らは皆、ドップラーに操られ、私たちを殺そうとしてくる」
「毒にかかり、殺された連中が、ドップラーの魔物に変わるってことか……」
ここでようやくラタは、レキナが王都騎士ランディアの血から濾し取ったものがドップラーの毒だったと思い出した。
「そう。そして、魔物化した連中は大量に毒をまき散らし始める。
蔓延と魔物化を防止するためには、ドップラーの魔物の迅速な駆除と、感染者の火葬が大切なの。流石の毒も、燃やせば無効化されるらしいからね」
「じゃあまさかさっきの奴らは―――」
「感染者を火葬場に連れて行こうとしていたところね」
居ても立っても居られずベンチから立ち上がったラタに「無駄よ」デリカは短くラタの思い付きを否定した。
「解毒方法がわからないから、感染したらゆっくりと死に向かって苦しみ続けるだけ。だったら、眠っている間に殺された方がマシじゃない?」
「じゃあ黙って見ていろっていうのか!?」
「そうよ」
デリカは、瞬き一つせず、視線で射殺すように言い切った。まるでそうやって何人も“見殺し”にしてきたような目つきだった。
「あんた、名前は?」
「ラタだ」
「ラタ、どうしてこの町に来たの?」
「王都に向かう為だ」
ラタがそう口にすると、デリカは初めて切れ長の目を丸めて「ハッ」砕けた笑みを浮かべた。
「王都はドップラーの魔物で占領されているわ。
死にに行くつもりでないのなら、どうしてか聞かせて貰える?」
「王城アストラダムスが欲しいんだ」
「あはははは! 何よそれ、冗談のつもり?」
「いや、ほんとなのよ」
真剣な顔つきから、嘘をついていないことを察したのか、デリカは
「まあ確かに、フォールガス王家も潮時かしらね」と、何処か王家に対して諦めているかのような溜息をついた。
「いいわ、その冗談を真に受けてあげる。
だけど、その為には籠城状態の王城を開城しないとならないわ」
「籠城状態?」
「あんた、本当に何も知らないままで王都に行くつもりだったの?」
ぽかんと口を開けたままのラタに、デリカは呆れの溜息をついた。
「ドップラーの魔物の封じ込めが決壊したのは、三月ほど前よ。
宿舎に戻ってきた王都騎士の一人が、魔物化していたことに気付けなかったことから始まった」
デリカは顔を引き攣らせながら、出来る限り冷淡に装って言葉にしているようだった。
「ドップラーは魔物化した奴の技術を受け継ぐらしくてね、王都騎士がドップラーの魔物となった途端、王都は瞬く間に死の都と化したわ。
勿論、王城アストラダムスにもドップラーの魔物が攻め込んで来たわ。だから、王城は籠城したの。外から何者も入れないよう結界まで張ってね」
「つまり、ドップラーの問題をどうにかせにゃ、王城アストラダムスは開城しねぇってことか」
「その通り」
ようやく合点がいったラタにホッと息をついたデリカへ、今度はラタが
「お前さんはどうしてポートに来たんだ?」と、尋ねた。
「食糧調達。
だけど、エバンナが倒されたって風の噂で聞いてね、八竜を倒せるような奴がいるのなら手を貸して貰おうかと思って、情報収集もしていたの」
「ああ、それなら俺の事かな」
数秒の沈黙の後。
「八竜様の導きかしらね」
デリカはラタの言葉を鵜呑みにした。
「疑わないんだな」
「筋肉は嘘をつかない」
「そりゃそうだ」
「王都へ行く準備が整ったら、港にいる私に声をかけて。
船を出させるから」