⑬
控室で闘技場の様子を眺めながら、レキナは煙草を吹かしていた。
『シャーナもナリフも下すなんてすごいんだねぇ、スノーエルフくん。
出来ればもう一人の賢者の力をこの目で見てみたかったな』
その傍らには、伝文の聖魔術が刻まれた小さな土人形が座っていて、男性の声はその土人形から出ているようだった。
「魔術師協会会長のお殿様がたかが一人の襲撃者相手に後れを取るなんてざまあないわね、トナー」
伝文先の男性の声は苦々しく笑い『いたたたた……』わざとらしく痛がった。
『こんな為体で申し訳ないね……何せ両手に花を持っていたもんだから』
「……話は本当なの?」
レキナは魔術師協会会長トンプソンに真偽を確かめた。彼の口から明かされたのは、“ナラ・ハの女帝マーガレットが既に死んでいて”、トンプソンが彼女を死霊術で操っていたという衝撃的な事実だったからだ。
更に、黒の黙示録から解き放たれたエバンナが、魔王の魂が眠る黒曜石の原盤を持って何処かへ消えてしまったというのだから一大事だ。
『本当だ……そして、君に助けを求めたい』
しばしの沈黙の後、レキナは耳を掻いた。
「全く、女神の選定に出ろだの、今度は助けてほしいだのと、弟子の扱いが酷いんじゃなくて?」
『それは謝るよ、ごめん。祭りが面白くなると思ったんだ、君が正々堂々本気を出したところを見せれば、みんなが君を“魔女”などと呼ばなくなるんじゃないかって』
「はあ……大きなお世話だわ」
土人形はぽてぽてと動き出し、魔力を使って空中にとある魔術の術式を映し出した。
それを見て「この私に、あの女の人形使いをしろと?」レキナは露骨に嫌そうな顔をした。
レキナはマーガレットとの間に埋めようのない確執があった。
それは、マーガレットによる陰湿な虐めによるものであった。当時女神教団の神官であったレキナはマーガレットの憂さ晴らしの標的にされ、神官としての地位も奪われ、住処も追いやられ、心に深い傷を負わされ、性根がねじ曲がったのだ。
そのマーガレットの操作を、トンプソンはレキナに頼もうとしている。
『彼女と君との間で起きたことは私も知っている。だけど、君にしか頼める人がいないんだよ……死霊術を使ってくれる人が』
「…………。」
煙草の先から立ち上る灰色の煙が溜息に揺れる。
「レキナ、出番だぞ」
そして、彼女が返事を口にする前に、スタッフが出番を呼びに来た。
(いよいよ最終戦……今までの相手とは全く違う、幻惑術師かあ)
ベラトゥフは先に闘技場に出て、レキナが出てくるのをワクワクと待っていた。
だが。
「あの、棄権だそうです」
「へ」
「レキナ、棄権するとのことで」
「ええええええええっっ!!?!?!?!」
「ここに八番目の女神の誕生を宣言する!」
「ええええええええええええっっ!!?!?!?!?!」
(姉貴が女神に……なる……?)
ホロンスはその事実に呆然としていた。
(女神になったら……二度と会えない?)
女神に選ばれた者は、肉体は聖樹の糧となって、魂だけの存在になる。
ホロンスは無意識に持ち場を離れ、走り出していた。
(姉貴……っ! せめて、せめてもう一度だけでも)
ベラトゥフとは喧嘩別れしたままだ。それが最後になるだなんて嫌だ―――ホロンスは無我夢中で走り
「団長!」
「んん?」
彼は女神騎士団団長グランバニクに事の次第を話した。
これに、グランバニクは何かを思いついたかのように笑みを浮かべた。
とんとん拍子で女神になってしまったベラトゥフは、通された待合室で、緊張した面持ちで座っていた。出入口には白装束の神官兵が金属武器を持って立っているせいで、威圧感さえ覚える。
(もしかしてこのまま一直線でカタリの里に向かっちゃうのかしら……?
まだ聖樹の術式解析も出来ていないのに、どうしよう……思ったより時間がないわ)
術式の構築はおろか、実際に死者の世界へ覗きに行って光の樹が何処にあるのかも探らなければならないというのに、圧倒的に時間が足りない。そもそも死者の世界に行くためとはいえ死霊術を人前で使うのも、流石に憚られる。
一秒でも惜しく、頭の中をフル回転させているうちに、扉をノックする音が聞こえてきた。
中に入ってきたのは、剃髪で壮年の男性、大神教主ジュスカールだった。
「まずは、おめでとうございます。あなたの戦いぶりは見事でした」と、彼は拍手した。
「どうも」
「魔術師協会の資格を持たない方と聞きましたが、その技術は独学で?」
「祖父が師匠で」
「なるほど。素晴らしいお爺様だ」
柔らかな物腰で話しかけてくるが、何処となく上っ面な言葉だとベラトゥフは感じた。
「さて、今更ではあるのですが、お聞きしない訳には参りません。
八竜信者であるあなたが、どうして女神になろうと?」
また来たか、その質問―――ベラトゥフは、八竜は関係ない。自分の意志だ、と答えようと口を開いたとき
「失礼いたします」
「!」
再び扉が開かれ、中に入ってきたのは
「ハル?!」
「あ、姉貴、ごめん……」
グランバニクに後ろ手を掴まれたホロンスだった。
「これは脅迫ではありませんか?」
「そう思われるのは、バレてはいけない理由があるからではありませんか?」
ベラトゥフは顔に青筋を立て、険しい表情を浮かべた。突けば埃が出るだろうとジュスカールは確信した。
「我々もこの儀式に賭ける、百年越しの思いがあります。それを、八竜の思惑に利用されては堪ったものではない。
申し訳ないと思っております。ただ、隠さず、素直に話してはいただけないでしょうか?」
「…………。」
俯き、荒れる呼吸を整えるベラトゥフ。静かに、ゆっくりと、彼女の口が動く。
「……聖樹を、作り直す必要があるんです」
「!?!」
「今の聖樹は古くなっていて、効果が弱まっていている。だから今、聖樹の術式を考案しているんです」
「それは……今の聖樹を破棄して、新しいものに変えるということですか?」
ベラトゥフは頷いた。彼女は大きく嘘をつかなかった。嘘をつくのが苦手なことを彼女は自覚しているからだ。
大女神を殺す為に女神になれ。それが承った内容ではあるが、それに関連した聖樹の問題が存在する。それを解決しなければ世界を大混乱に陥れてしまう。それを避けたい願いを、ベラトゥフも当然持っているのだ。
ベラトゥフの回答に、ジュスカールは唸った。
「なんということだ……それでは、大女神たち先代の女神たちの魂はどうなる? 御方らの魂をも死者の世界に帰してしまうというのですか? それはまずい」
「では、いずれ効力を失っていく聖樹のままでいいと?」
「あなたは聖樹の術式をご存じなのですか?」
「八竜にヒントをいただきました。時間さえいただければ完成させられましょう」
ジュスカールの視線がさまよい、無意識に首を横に振った。それもそうだろう。女神経典の内容そのものが無くなってしまうようなものだ。女神教団にとっての信仰が大きく揺らぐことになる。
「ジュスカール様」
悩みに悩み、ジュスカールは厳かに
「……大女神の御言葉を拝聴しましょう」と、呟いた。
これに、ベラトゥフは―――しまった―――戦慄した。
「八竜の導きは信用ならないって言うんですか?」
「我らの神は大女神テスラである。その御言葉を聴くことに何の問題がありましょうか?」
「それは……」
八竜ゴルドーの話では、テスラは怨霊に“憑りつかれている”。更には、女神たちは未来を予言できるような方々だ。八竜の導きの内容、いや、ベラトゥフが大女神テスラを殺しに行くことを察している可能性が大いにある。
ベラトゥフの手汗が染み出る。どう足掻いても、これ以上は運命に身を任せるしかない。
「その間、あなたには聖樹の術式の完成を目指していただきたい。ですが、この大神殿の敷地から出ることは許可できません」
「本当に信用していないのですね、私の事」
「私が信用するのは女神になった者だけです」
そう言って、ジュスカールたちはホロンスを置いて出て行った。
「姉貴、ごめん……こんなことになるなんて思ってもなくて」
「謝らないでハル。いいの、お姉ちゃんも嘘が下手っぴで、上手く誤魔化せなかったもの」
「嘘?」
「ハル、よく聞いて。これが最後になるかもしれないから。
これからどんなことが起こるか、お姉ちゃんもわからない。
だけど、スティール様が私に託した導きを、私は最期までやり遂げるわ」
「最期までって……姉貴、スティール様に何を仰せつかったんだ?」
「ハルは知らないでいいよ。こんな役目、ハルには押し付けられないもの」
「もしあの女神信者たちに虐められたら、王国のルーク王子って人を頼るといいわ。あの人、顔は厳ついけど、話せばわかる人だから」
「王子? 姉貴、王子にも面識あるのか?」
「俺の姉貴は女神になったんだぞって自慢していいからね」
「しねぇよ」
「ごめんね、お姉ちゃんらしいこと、全然出来てこなかったけど、ハルのことちゃんと愛しているからね」
「姉貴……俺も、俺も……ごめん、素直になれなくて……ずっと、突き放すようなことばかり言って」
「そう? 思春期のご愛敬だと思ってたわ」
「じゃあね、ハル。元気でいてね」
ホロンスが大神殿から出て行ってから数時間後。
ベラトゥフは拘束された。