第65話② 約束
「調子はどうだ?」
『調子? 悪くないよ。寧ろ良いぐらい』
マイティアは魔王の問いかけにそう答えた。その声は今までの生気を失った弱弱しい声ではなく、はつらつとした清々しさがあった。
『問題なのは、声がネロスにしか聞こえないってことかしら』
「ああ、術者と従者の関係の都合だろう」
『ちょっと寂しいな』
「必要なときは私が代読しよう」
『ありがとう』
大書庫に戻ってきた魔王たち。
木霊するのは、ルークのすすり泣く音だ。
『ルーク様はどうしたの? どうして私を抱いて泣いているの?』
その様を見て疑問符を浮かべるマイティアには、自分の娘かもしれない子の亡骸を抱えるルークの思いなど、知る由もなかった。
「……さあな。やめさせるか?」
『えっ、いや……ううん、なんだか少し嬉しいから、大丈夫』
だが、マイティアは魔王の耳にこそばゆく話した。
ハサン王の兄セルゲンの息子、つまり、マイティアの認識の中では従兄に当たるルーク。その彼がマイティアの死を嘆き悲しむ様は意外ではあったが、彼女が抱いたのは不快などではなかった。
『これからどうするの? 王国方面に大女神の魂は逃げて行ったように見えたけど』
「ああ。王国へは向かう。だが、その前に」
「パッチャ村に向かえ」
そう、“ホズ”は言った。
パッチャ村とは、王国の最北端にあるスノーエルフの村だ。また、遥か昔から銀青の竜スティールが住まう地でもある為、八竜信者にとっては特別な地でもある。
「聖樹の苗を持って銀青の竜スティールの下へ向かうのだ」
「聖樹の苗とは、この植物の事か?」
ルークの問いにホズは淡々と「マイティアの亡骸ごとを指す」と口にした。
「待て、埋葬すらできないということか?」
「聖樹の苗床としてしかるべき場所で埋葬される。そして、その場所が新たな聖樹の居場所となる。
それが、雪白の竜ファルカムからの言伝だ」そう言いつつ、ホズの顔は申し訳なさそうに拉げていた。
「フォールガス王家の守り神であるファルカムからの言伝とは……しかし、パッチャ村となると、かなりの遠出になるな。一番近い王都からでも一月ぐらいかけて進む距離だ」
「トトリの外れまでは私の転移魔術で運ぶことができる」
「そこから北上して地竜の背越えをし、王都に入ってから更に北上して、一月、か」
『冬季の王国を進むだなんて……みんな大丈夫なの?』
「私は寒さを感じない」
「地竜の背越えだろうが、パッチャ氷原だろうが俺は行くぞ。
マイティアを他の誰かに任せておけんからな」
『ルーク様……』
「俺も……行きます」
傷だらけの身体で、ホロンスは徐に立ち上がった。
「ホロンス、無理をするなよ。この空間ならば外からの干渉を受けない。まずは傷を治すのが先決だろう」
「いえ、ご心配には及びません。寒さも、スノーエルフの俺には問題ありません。
それに、銀青の竜スティール様の言葉は、エルフじゃなきゃ聞き取れない」と、ホロンスは頑なに譲らなかった。
「今更故郷に戻って、合わせる顔がないことは、重々承知しているのですが……会いたいんです。スティール様に」
その言葉の後、最後に、皆の視線がゼスカーンに集まる。
「私は魔王に仕える身。転移魔術が必要とあれば何処へでも同行させていただきます」
「……決まりだな」
兵器アビスと勇者の戦いから5日後。
「沈みだしている? この国がか?」
大神殿の破壊された執務室に呼ばれたラタは、グランバニクとネイマールを前に素っ頓狂な声を上げた。
「ええ。兵器アビスとの戦いで裂けた空の割れ目から、滝のように落ちている暗闇のせいなのか、海面が急激に上昇しているのよ」
「南部のユイフォートの港では、波が港に押し寄せ始めていると言います。
神国は国としては標高が全体的に低い。このペースで海面上昇に晒されれば、半年後には国の7割が沈む計算になってしまいます」
「7割!?」
「事は急を要します。
シェールに国民を移動させる方針は引き続き取っていた方が良さそうです。シェールの標高は神国よりも高いですから」
「そういうことならひとっ飛びして、俺からもシェールに声をかけておくぜ。事情を話せば聞き入れてくれるだろうしよ」
「助かります」
「しかし、あの暗闇は一体なんなのでしょうか?」
「わかんねぇ……ゴルドー様も、こんなことは何も言ってなかった」
魔王と兵器アビスという、八竜に相当する者同士が衝突し合ったのだ。もしかしたら八竜にも予想外なことが起きてしまったのかもしれない。
(あの暗闇がなんなのか、魔女に聞きに行った方が良さそうだな)
復興作業の進む大神殿の入り口で
「あなたは王都へ向かうのですか?」
「ああ」
セルジオ、アスラン、ワンダの前にいるのは、炎と鎧の姿で、鎗の名手であったワドと同じ名前だという屈強なブルーエルフだ。
「俺はこの国の者たちを大勢殺してきた。
罪滅ぼしが俺に許されるのなら、先ず、今すぐにでもここから離れるべきだろう」
「ナラ・ハの森に魔族の集落があるわ。そこへ戻る気もないの?」
「俺は元々トト・ポロから離れて神国へとやってきたんだ。今更帰る選択肢はないな」
「そう」
「お前らこそどうするつもりだ? 不法入国者なんだろ」
「多くの魔族たちが亡くなってしまったことは残念だったけれど、魔族を人に戻す術があるってことがわかったことは大きい。不法入国のことを責められる前にこの朗報をトト・リムにいる人たちに教えに帰ることにするよ」
「ああ、その方が良いだろう。
それともし、バーブラ様に会うことがあったら、どうか術式を唱えて差し上げてほしい。
あの御方は魔族で終わるべき人ではない」と言い、ワドは再び礼をして、去っていった。
兵器アビスとの戦いから10日後のこと。
シェールを経由して北上し、魔女の家に向かったラタは
「ん? どうした?みんな集まって」家の前で集合している魔族たちに再会した。
「勇者!」「ラタだ!」
「そ、それが……」
どもる彼らを掻き分けて、扉を開け家の中に入ると、そこには
「!?!」
机にぐったりと突っ伏したまま動かないレキナがいた。
その姿はしわがれていて、年をめいたおばあちゃんのようでいた。
「おい、おいしっかりしろよ! レキナ! おい!」
「ダメなのだ……既に死んでいるのだ。衰弱死だろう……」
「そんな、嘘だろ……レキナ、死んじまったのか」
「……元はと言えばエバンナを倒す執念で生き残っていたようなものだ……先の戦いで糸が切れてしまったのかもしれん」
ヨハネはレキナの手元で広げられている紙を、彼女を起こさないかのようにゆっくしと取り上げ
「恐らく、これはお前に向けたメッセージだろう」
ラタに差し出した。
そこには、魔女が書いたとは思えない程、美しい筆跡で
『深淵がこの世界を覆う前に、白の箱舟を手に入れなさい』と書かれていた。
「深淵……白の箱舟ってなんだ?」
「深淵とは神殺しの、人の魔のことだ。
白の箱舟は“王城アストラダムス”のことだろう」
そう言って、ヨハネはレキナの家にある背表紙から一冊を取り出し、付箋の入ったページを広げる。
「フォールガス王家の住まう王城アストラダムスの地下には、空を飛んでいた機構が隠されている、と、されているのだ。勿論、おとぎ話に近い話だがな」
「城が空を飛ぶだなんてすげぇ話だなあ……しかし、待てよ。
ってことは、レキナは俺に王城を手に入れろって言ってんのか?! フォールガス王家差し置いて?!」
にわかには信じがたい話だが、信頼と実績のあるレキナの最期の言葉が冗談の類である筈がない。
「彼女には、悪いことをしてきた。
誰よりも苦しんでいたのは彼女だというのに、我々は……」
まるで穏やかに眠るかのよう息を引き取ったレキナを見て、ヨハネは拳を握り、奥歯を噛み締めた。
「努力や献身とは関係なく、神は終わりを告げに来る。ならばせめてもの、苦しみのない最期であってほしいものだ」