第9話① 召喚士ヌヌ
夜が明けてからヤマタ滝を迂回するように山道を登りつつ、対岸へ渡る石橋を渡り……昼過ぎではあったが、先に野宿をした。これから訪れる村には、朝方に行った方が“失礼”がないからだ。
女神期832年 王国夏季 四月四日
王国の北側から地底国の北東部は、雲を貫く程に高い天竜山脈が連なっており、特に王国北西部は年中雪と氷に包まれ、雲の高さまで隆起した大地が続いている。
空気が薄く、肌を裂くような寒さと不毛な大地だが、人には厳しい環境で敢えて生活している“亜人”たちがいる。
「お客でおじゃるぅ」
「来客でおじゃる!」
「おじゃ!」
「おじゃる??」
ネロスは見たことなかったようで、膝を曲げて、彼の膝下ぐらいしかない身長の、小さな亜人たちに挨拶をした。
「こんにちは、僕はネロス。勇者だよ」
「勇者?」
「ゆーしゃぁ」
「男の子だぁ」
「よしこさんよしこさん」
小さな亜人たちは器用に肩車すると、膝を折るネロスの頭を撫でた。彼は何故か満更でも無い顔をしていた。まあ、子供のような可愛らしさから油断する気持ちはわからないでもない。
「彼らは亜人 マロ族よ。
私たち人間よりも魔力の扱いに長けていて、平均300年は生きる長寿な種族。だけど、その見た目に騙されないことね」
「え」
「勇者にしては魔力少ないの」
「魔術もろくに使えないのか? ひどいでおじゃる」
「勇者を名乗るには精神が貧弱」
「精神が貧弱っ!?!」
「マロ族はみんな毒舌なのよ。
人の言葉を教えた人がどぎつい毒舌だったせいか、それがデフォルトだと思われてしまったらしいわ」
マロ族は手足が短く、胴長。白く長い毛で覆われていて、頬に長方形の赤毛が生えている。ネコのような耳は頭の上に生えていて、可愛らしい見た目をしているが、自分たちよりも大きなオオトカゲやクマ、ヘビサソリなどを狩猟して喰らうため歯は鮫のように鋭利だったりする。
魔術が得意なこともあり、彼らはまあまあ好戦的で、集団戦が得意だ。
私は借りた馬を、付属の巻物に描かれた転移魔術を使い、ポートへと送り返した後で、ネロスにわらわらと集ってくるマロ族の前で膝を着き
「マタタビだぁあ!!!」
手土産を渡してから、頼み事を言った。
「ヌヌに会いに来たの。彼女は此処にいる?」
「ヌヌは角に籠もったまま 半年ぐらい降りてきてないでおじゃるよ」
「角って……まさかとは思うけど あれ?」
ネロスが指差したのは、ただでさえ高い標高の大地から、雲を突き破る尖った山々が連なる場所。垂直に近い勾配が続くそれを指した。マロ族はおじゃおじゃ頷いた。
「マタタビをくれた君は登り船に乗せてあげるでおじゃる! 角の付け根までひとっ飛びでおじゃるよ!
そっちは登るでおじゃる。マタタビをくれなかった勇者」
「ぐっ……ミト、教えてくれても良かったのに」
「ああ、知らなかったの?
予知夢なら言わなくても分かると思ってた」
「んぐ……くそぉ、今日の夕飯が美味しそうな魚料理って事だけは分かってたのに……どうしてそんな大切なことが見えないんだぁあっ」
日常的な勇者の予知夢は、毎日の献立に困らないメリットしかないのか。
私がそんな彼を鼻で笑ってやると、彼は少しだけ、ムッとした。
マロ族は魔物を使役する操獣術という彼らにしか使いこなせない召喚術がある。彼らは使役された魔物───“魔獣”と共に暮らし、魔獣と共に戦う。
天竜山の角の真下、手懐けられたトカゲのような魔獣が私の入った籠を引っ張るようにして天竜山の壁をすらすらと登っていくその横
「ふぅ……。
タタリ山 より キツいなぁ」
ネロスは聖剣を背中に回し、両手足を器用に使って、登り船とさほど変わらない速度でよじ登っていた。よくもまあ、軽々しく壁のような山を登っていけるものだ。マロ族曰く、万が一落ちても魔獣が拾ってくれるらしいが、拾いあげそこねたら川へ真っ逆さまだ。
天竜山の角の付け根、登り船が登っていける最高度の場所まで来ると、ネロスは流石に息を切らし、汗を拭った。
「はあ はあ、ごめん、ちょっ と、はあ……空気が 薄くて はあ ……少し 待っ て」
ネロスが汗をボタボタ垂らして息を整えているうちに、私はマロ族から貰った天竜山の地図を確認していた。人を襲うことは滅多にないとはいえ、獣の中でも最も強く、“神聖な”飛竜のテリトリーをむやみやたらに踏み荒らすべきではないだろう。
「うわっ 寒」
身体を持っていくような強い風と、耳を劈く雷の音。防寒具がなければ凍死してしまいそうな過酷な環境だ。流石に汗で濡れた彼が極寒な風に当たればただでは済まない。
汗だくで茹だっていたネロスの分の防寒具を荷物から取り出した……そのときだ。
「ん?」
ネロスの騒がしい呼吸が突然聞こえなくなり、私は振り返った。
何処までも広い空と、霧のような薄い雲海の下に荒涼な大地が広がり……ネロスは何処にも見当たらない。
(まさか落ちた!?)
私は焦って、登ってきた断崖絶壁から顔を出すと
「ミトォオオオオォォォォ!!!!
たああすけてぇえぇええええ!!!!!」
ネロスは落ちていた。いや、正確には左手で聖剣を壁に突き刺して堪えている。
しかし、彼の右手と両足に道化師の見習い?のような姿の魔物が三体、しがみついている。見るからに下級程度の魔物だ。
「ギャハハハハ! 勇者! お前をここから突き落とせるまで数十時間待ってたんだぜ!!!」
「鉄鉱山ではよくも俺たちをレコン川まで吹っ飛ばしてくれたな!! あのときの恨み! ここで晴らしてやる!!」
「兄ちゃぁああん!! 落ちるの怖いよぉおお!!!」
「怖いんだったら右手を離せぇえええ!!!」
ネロスはどうやらクロー鉄鉱山でこの魔物たちに恨みを買ったらしい。
(あんなの、すぐに倒せる筈なのに、どうして倒さなかったのかしら)
「ミトッ! ロープかなんかない?!」
「はあ……、待ってて。
そいつら先に撃ち落としてやるから」
「「「へ?」」」
私が召喚術で弓矢を出すと、魔物共は急に慌て始め「勇者を盾にしろ!」「了解兄貴!」「あの人怖いよぉおお!!!」三体とも私の射線にネロスをはさみ始めた。
「何なのこの騒がしい魔物」
「クロー鉄鉱山の 崩落で 閉じ込められて た みたいだったから 助けたのに 急に 邪魔し始めてッ痛!コラ!噛むなよ!!」
「消せばいいのに」
「ひっ! 兄ちゃん! あの人めっちゃ怖い!!」
「堪えろ三男! 勇者が力尽きて落下するまでしがみつくのだ!!!」
「それって君たちも落ちないか?」
「え」「確かに」「一理ある」
一射、そいつらの一体だけが被っていた帽子のようなものをスパッン、と貫き飛ばしてやると、奴らは途端に青ざめてネロスに抱きつき始めた。
「勇者、交換条件だ。俺達を助けろ。あの女を止めろ。
そうしてくれれば俺達はお前の邪魔にならないようにしがみつき、お前の右手と足を解放してやる」
「人を突き落としたくせになんなんだよ! 何が交換条件だ!」
「ネロス、頭を少し前に倒して。左足にくっついてる奴が狙いやすいわ」
「うわあああああああああ!!!!! 兄貴ぃいいいいい!!!」
「次男ッ!! くそぉおおお!!! 血も涙もない勇者の連れめ!! いいのか!? もしも次にその矢を放ったら俺は勇者の尻に切れ込みを入れるぞ!! 勇者が一生切れ痔に悩まされてもいいっていうのか!?」
「このくそったれ!! 助けた恩を 仇で返すなよ!
やりやがったらもう許さないからな!」
「ごめんよぉぉ勇者ぁぁ 兄ちゃんたちを許してよぉぉぉ
僕を一人にしないでよぉぉぉ」
「うっ……そんな目で僕を見ないでくれよ」
私は面倒臭くなって矢に魔力を込め、3本同時に、目標とは違う方向へわざと放ってやった。
「ギャハハハハ! どこ撃ってんだよ!!」
「くそぉぉっ 左手が痺れてきた……っ!
君たち重いんだよ!!」
矢が奴らの魔力に反応して反り返ってくることを、奴らは気付いていないようだった。
「ヒヤッ!」「ギャァア!」「ムギャア!!」
私は矢に追尾能力を持たせたり、弾道を自在に変えることが出来る。まあまあ魔力を消費し、五秒ほど詠唱しなければならないが。
お望み通りに奴らの尻にそれぞれ矢が突き刺し切れ痔にしてやると、奴らは都合良くしがみつく手を緩めた。
「この下! 確か川だったから落とすよ!
多分魔物だから大丈夫だろ!? 多分!!」
ネロスはそんな甘いことをぬかしながら、手足にくっついていた奴ら三人を、身を捩って、払い落とした。
「「「ああああああああああああ!!!!!」」」
奴らのしょうもない断末魔が遠く遠く、消えていった。
「ああ……助かった ありがとう」
「何だったの? あれ」
「ルター3兄弟って、この前、名乗ってたよ……。
鉄鉱山を仕切ってた奴の下っ端で、色々パシりにされていたらしくって」
「消し飛ばしてやれば良かったのに」
「なんか悪い奴らに思えなくて……」
「魔物に善悪もないでしょ……魔物は悪意の塊なんだから」
女神経典から言えば、魔物は魂が魔に穢され、実体化したもの。
人は死ぬと魂が遊離し、自然と死者の世界へ導かれるという。しかし、この世に悔恨を持った魂が、その導きから逸れてしまい、空気中の魔を吸着してしまい……魔物になっていく。
だから、そうならないように女神が“管理”をしていた筈だった。
世界に流れる魔の量を そして、遊離した魂を……。
「ねえ、ミト……切れ痔って痛いかな」
「私に訊かないで」
地上から見上げていた雲の層を肌に感じる天竜山の角付近には、地上からは見えない窪みがあった。吹雪や雷雨を免れるその空間は、私たちには少し狭く感じる居住空間が出来ていた。
「久し振りでおじゃるな、ミトちゃん
元気そうで何よりじゃ」
マロ族特有の小さな背丈、丸い顔。厚めのマントを羽織り、つばの広いとんがり帽子を被っている。その様は私が幼い頃からちっとも変わっていなかった。確かもう280歳近「ミトちゃん?」「すみません、お久しぶりです」
「ところで、そのとぼけた顔の主は何者でおじゃるか?」
「僕はネロス 勇者だよ」
「勇者ぁ?」
ヌヌはじろじろとネロスに眼つけながら一回り、納得ならないのかもう一周。そして「あたっ」ネロスの脛を蹴ってから、近くの小さい椅子にちょぼんと座った。
「確かに、聖樹の魔力と類い希な肉体の質を感じるのう。ウンム、そこらのへんちくりんではなさそうじゃな。顔はともかく」
「顔はともかく???」
「ヌヌはヌヌでおじゃる。召喚士ぞ。
ちょっと前までは女神騎士団にいたでおじゃるよ。ロウ・グランバニクはヌヌの同期でおじゃる」
ちょっと前というか……20年以上前の話だが
「ヌヌも侯爵ってこと?」
「ンムゥ? ロウから聞いていたよりもお主は頭がすかぽんたんでおじゃるな。ちゃんと中に身は詰まっとるのか? ンン?」
(ロウから聞いていた?)
「詰まってる……と思う。振っても音しないし」
ヌヌは溜息をついて、回る椅子でくるくると回り始めた。
「ガキンチョ、お主はろくに魔術を使えんな?
せっかくじゃ、ヌヌが魔術の使い方というものを教えてやる。その代わりに、飛竜らの餌やりをして貰うぞ」
「ガキンチョ……あの、僕ら、バーブラの軍勢と戦うために、君の力を借りたいって、つもりで、来たんだけども」
「どっこい承知でおじゃる。
じゃがのう、ヌヌの力があれば、此処からポートまで半日もかからずに着く。故に、まだ十日ほどの猶予はあるって事じゃ。
それならば、ウスラトンカチなお主でも使えそうな魔術を叩き込むなり、鈍った肉を解しておいた方が後々の為になるでおじゃろ?」
「ウスラトンカチ……僕は今、何回貶されているんだろうか」
「ヌヌ、侯爵から話を聞いているのならそう言ってくれればいいのに。
私、ここまで来る意味あったの?」
「ミトちゃんはヌヌたちのご飯を作って欲しいでおじゃる! ヌヌはミトちゃんといっぱいお話したいでおじゃる!」
「何、この扱いの差」
「やかましい」
まあ今更一人でポートに帰る訳にもいかないし、彼女の言うとおりにご飯でも作るほかにやることがないだろう……。
「わかった、今更文句言ってたって仕方ないわね。
そう言えば……ネロス、今日の夕飯の予知夢は何を見たんだっけ?」
「魚……、そっか! あれはミトが作ったって事になるのか!」
「なんでもいいと言われるよりかは幾分マシね」
褒めてないのに得意気に顔を緩め、余裕そうな態度だったが
この後彼は、ガッツリとヌヌに搾られてゲロ吐いて帰ってくるのだった。
2022/7/18改稿しました