第60.5話 色
「大丈夫か?」と、心配する魔王の声に
「うん」と、ソファの上で目覚めたマイティアは短く返した。
しかし、彼女はぐったりとして、起き上がらない。ゆっくりとした深呼吸を続け、隈の濃い目を幾度か瞬き
「ネロス、少し、いい……?」
マイティアは静かに切り出した。
「ずっと頑張ってたんだけど……、私の身体……そろそろダメみたい」
魔王は既視感を覚えた。それでも彼の胸が軋む。それが現実に言葉として出されたことがひどく冷たく、魔王の心に突き刺さった。
「ただ、あなたに会いたかっただけなのに……運命って残酷なのね」
「…………。」
記憶を失ってから、自分の日記を頼りに探してきた“勇者”。
その勇者が、魔王の魂を持った死霊だった。その事実をちゃんと受け止め切る前に、怒涛のように事が進み、マイティアたちは袋小路まで来てしまった。
重傷を負ったホロンス、バーブラだったルーク王子、魔王に仕えると言うゼスカーン。木彫りの人形のまま行動制限のあるベラトゥフ。頼もしくも心許ない彼らとこれから何をどうしたらいいのか? 魔族は皆殺しになり、神国はレジスタンスの手に渡った。魔物の姿をしたバーブラ(ルーク)と魔王を連れて何処に落ち着けるというのだろう? 否、世界から“敵”とみなされている魔王とバーブラのことだ、誰に危害を加えてしまう前に人知れず術者たちと共に滅びるのが“正しい”のかもしれない。
いずれにせよ、頼りになるのは魔王の予知夢だろうが、魔王は寡黙なままで、未来のことを誰よりも知っているはずなのに話さないでいる。もしくは、話したくないのだろうか。
「ネロス……」
すっ……と、血の気の失せた細い指が魔王の強張った頬骨に触れる。
「魔に包まれた魂の奥で……私の冷えた心を温めてくれる、優しい光が見える」
「ミト……」
「例えあなたがどんな姿でも……私にとってはあなたがただ1人の勇者なの。
だから……最期まで……、……」
魔王の頬に触れていた手がすっ、と、羽根のように落ちる。
魔王はその手が落ちる前に手に取り
「ミト、君はまだ“生きられる”んだ……」
まるで祈り縋るように握りしめ、魔王は無責任な言葉を発した。
魔王の予知夢が描いた断片には、彼女の選んだ未来が示されていた。彼の導く未来に、彼女は“いる”。それは確かになるだろう。だが、それは選んだ結果でしかない。選ぶ権利は彼女にあるのに。
魔王の言葉に、マイティアは驚く様子を見せなかった。既に覚悟を決めているのだろう。
「……これが最後になると思うから……。
ねぇ、ネロス……我儘を叶えてくれる?」
彼女は薄らと笑っていた。
雪のように真っ白で、触れたら溶けて消えてしまいそうな頬に無骨な指骨が触れると尚、無垢な笑みを浮かべた。
「私はこの魂を捧げる……魔王の罪を、共に贖うために……」
「……マイティア」
「嗚呼……愛してる ネロス
あなたの魔さえも……私の肺を温かく満たし
あなたの呪いさえも、熱い抱擁のよう……。」
「報われなくても構わない……だからせめて」
「ネロス
あなたの色で、私を穢して」
拒む理由など、彼にはなかった。