第58話 ゴルドー
人間とエルフが血を血で洗っていた戦争の時代、魔術天下と呼ばれていたその時代に、あらゆる魔術を無効化する化け物が現れた。
山よりも大きい骨の竜。戦場に突如現れた化け物に、人々は成す術もなく蹂躙された。
長きに亘る戦争が生み出した魔が作り出した化身とみなされ、人はその化け物を魔王と呼んだ―――。
その魔王が現れてから数か月。
『我が賢者と共に魔王を討て!』
黄金の竜ゴルドーの導かれた、フォールガスの一人ラタ、金の賢者テスラ、そして、青の賢者ヤドゥフは、魔王と、彼を取り巻く闇と戦った。傷つき、ときに心折られそうになりながらも戦い抜いた彼らが目にした、魔王の最期は、実に哀しげだった。
『もう、疲れた』
大嵐の日、白塔へと誘い込んだ魔王との激闘の末
身体を真っ二つに裂かれ、四肢を雷の杭に打たれ、黒曜石の原盤に魂を吸い込まれる最中に、魔王はラタたちにそう言い残して消えていった。
『魔王は、何の罪過もない、ただ一人の人間だった』
その真実を、ラタは悩み抜いた結果、明るみに出さなかった。
だが、ただ一人に全てを背負わせた選択が絶対的に正しかったのだとは、彼はさせなかった。
勇者と女神は、“四人の王”に罪を背負わせた。
筈だった。
ざざーん……ざざーん。
暗色の海が打ち寄せる白い砂浜に、ラタは三度、足を踏み入れた。素っ裸で。
「海竜め!俺の一張羅を食いちぎりやがって!」
住処に立ち入る不届き者を狙う海竜に一点物の服を食われ、あられもない姿になってしまったラタは
「まあ、誰もいないから許されるか」と、開き直った。
キキ島。
ラタは此処で生まれた。
八竜が一柱、黄金の竜ゴルドーが支配するこの小さな島で。
(立つ鳥跡を濁さず……か)
僅かに暮らしの跡が残っているが、島には人っ子一人いなかった。周囲は海竜の住処があり、頻繁に嵐がやってくる。自生する苔や海藻ばかりが増え、とても腹を満たすものが手に入らない過酷な環境だ。
遥か昔に、此処に住んでいたフォールガス王家が今の王国に移住してからというもの、この地にわざわざ移り住むような命知らずの物好きなどいないのだ。
懐かしむようなところもなく、ラタは真っ直ぐと島の中心、天竜山よりも高かったとさえ言われている白塔へと向かった。
だが今の白塔は折れている。勇者と魔王の戦いによって、ポキリと上がもげ、暗き海に呑み込まれていったのだ。それでも首が折れるほど見上げても天辺が見えない程だ。
島にない筈の純白な石材で作られた塔の入り口は固く閉ざされていたものの、ラタが近づくと、彼が言葉を発する前に開かれた。招かれているのだとすぐにラタは察した。
数百年ぶりに中に入ると、塔の中は昔から変わらず、遥か地下から吹き抜けになっていた。完全なる初見殺しである。招かれざる客が扉を破壊して来ようものなら一歩めで宙に投げ出され、雷に打たれ、地の底に落ちていくことだろう。
勿論、招かれた客も自力で飛ばなければならない。主の性格が出ている住処である。
「来たぜゴルドー様ァ!」
塔の中でそう声を張り上げると、ゴゴゴゴゴ、塔の中でみるみるうちにどす黒い雲がモクモクモクモクと湧き出て、稲光を放った。
「遅い!!!!」
「うばばばばば!!!!」
ラタは目覚めの雷と共に一喝をくらった。
「運命2回り遅いわ!!!
この空けがッッ!!!」
現れたのは、雷だ。雷の身体を持つ竜。
その体は後光と呼ぶには眩し過ぎる閃光を放ち、その声は落雷の如く轟々としている。
八竜が一柱、黄金の竜ゴルドーだ。
「黒曜石の原盤を寝取られたばかりか、何年寝過ごした?!
貴様のせいでテスラが“負けた”のだ! おぞましい怨霊に!」
ラタが言葉を挟む余地を与えずにゴルドーは続けた。
「貴様の目覚めが遅すぎたせいで、罪深きドワーフがもたらした火種が、四人の王との契りを破った! 安寧の導きが狂わされ、テスラに付け入る隙を与えてしまったのだ!」
「それはその―――くそ!ゲルニカっ!!」
「急遽スティールの導きが若き魔術師に与えられたが、我が賢者テスラを殺すには、あれはまだ若すぎた!
反旗を翻したテスラと我らが衝突し、死者の世界の奥地へと逃げた後、唯一の救いになったのは、魔王の魂が肉体となった小僧を生かしていたことだ! その点を活かし、我らは青の賢者を小僧の下へ送り込んだ!
だがしかし、失敗した! 小僧はカタリの里への供物の命惜しさに、千載一遇のチャンスを棒に振るったのだ!」
「……それが、マイティアちゃんの言ってた勇者ネロスの話か」
「エバンナに魔王が拾われるのを防ぐ為に一時助力をしてやったが、青臭い青の賢者はテスラに背を向け一撃を食らい! 魔王が竜化し、エバンナの肉体を消滅させた! 八竜同士の導きが荒れ狂っていたが、概ねマシな結果になったといえよう!
魔王の主導権をファルカムの隷属が握っている間はいい! あれは既にファルカムの導きを受けている! だが、絶対に他の者に主導権を渡してはならない!
深淵の力が悪用されればこの世は闇に包まれる! 奴の力を正しく使え!」
その言葉を聞き、ラタはずっと強張っていた肩の力を抜いた。
「ただし馴れ合いはやめておけ! 貴様らの運命はいずれ衝突する!」
「…………!」
ゴルドーは惜しげもなく導きを与えた。
「聴けラタよ! テスラを殺せ!
あれは既に憑き殺されているようなものだ!」
「そん―――俺にテッちゃんを殺せっていうのか!?」
「そうだ!」
だが、ラタにはテスラを殺す術がない。そもそも彼は彼女の死霊という扱いだ。彼女を殺せばラタも消えてしまう。
そんな大きな懸念を
「この我が貴様に命を与えてやろう!」
ゴルドーは実に神らしく晴らした。
「死霊でなくなれば、貴様はテスラの操り糸にかからなくなる!
故に! 死ぬなんて無様を我に見せるなよ勇者!」
ゴルドーの言葉の後、眩い光がラタを覆い
「おおおおおっ!! 何か変わったのか良くわからんが腹減ってきたァァ!」
ラタの身体に僅か血色が戻り、マイティアの聖樹の魔力に当たり壊死していた左腕の傷が治り―――みるみる体中に力が湧きあがっていった。
だが。
「ん?」
キィインン!! 同時に何かの魔法陣がラタの身体を包み込み―――
バゴォォオオオオオオンンンン!!!!!!
激しい爆発を起こした!!
その爆発の規模はあまりに大きく、白塔が土台から崩壊し、暗き海に崩れ落ちるまでの威力があった。
「ゴルドー様!」
一寸先も見えない冷たい黒煙の中、キラキラと輝く光の残滓が舞う。ラタの身体は五体満足だ。ゴルドーがラタを庇ったのだ。
「これで分かったな、テスラは既に怨霊に憑かれているのだと」
「罠があるってわかってて俺に―――なんなんだよ、怨霊って何だよ……一体誰なんだそいつは!」
「原罪アラナ―――死を超えた怨霊。八竜を滅ぼす、深淵の魔物。
テスラはアラナに負け、操られているのだ……」
そう言い残し、ゴルドーの光はラタの前から消え失せた。ただ、八竜は不死だ。死んだ訳ではないが、本体である魂が傷を受け、眠りについたのだろう。
「俺がゴルドー様に会いに行くってわかってて、ゴルドー様をヤる為に、俺の身体に罠を張っていたっていうのか……テスラ……」
いや。
「原罪アラナ……そいつが倒すべき野郎の名か……!!」
戦友を操る、倒すべき者の名を知って、ラタは拳を握り締めた。