第57話② バーブラ
バーブラは、ルーク・フォールガス。
(私の……従兄に当たる人)
ゼスカーンから明かされた衝撃的事実に、マイティアは言葉を失っていた。
ルークは、ハサン王の兄、セルゲン王の息子だ。また、セルゲン王の次代の王とされていた人物で、王国の右翼派、鷹派の筆頭の八竜信者だった。
魔王復活を予言する女神の言葉を受け再結成された新生女神騎士団、その長に選ばれたルークは、しかしながら、魔王復活の動乱の中で消息不明となってしまっていた。
一人息子を亡くし体調を崩したセルゲン王はそのまま崩御し、空白の玉座にハサンが仕方なく座することに……そして、“次代の王の娘が女神の子になる”、その予言に合わせてハサン王は子を無理して作り、マイティアたちは生まれることになった。
『私は女神の子。父にとって、それ以外の何物でもなかった』
鞭で打たれた古い傷跡をなぞりながら
(本当だったら……王子の娘が女神の子になる筈だった……。)
彼女は肖像画すら見覚えのないルーク王子の顔を勝手に思い浮かべる。
ルーク王子には妻がいた。レミアだ。そう、“マイティアとシルディアの母親”である。
ハサンは、未亡人となったばかりの母レミアとの間に双子を設けたのだ。
母レミアが双子を出産して間もなく自害し、ハサン王からは女神の子としてしか見られない以上、父母からの愛情を一度でいいから享受したいと思うのは、叶わない願いだろう。
(どうせ同じ運命の下で生まれるのなら……せめて王子の娘でいたかったな)
バーブラ(ルーク)が王国民を、神国民をどれだけ殺してきたかは数えきれない。だが、彼は同時に数えきれない程の民の先導者でもあった。記憶を失っている間に犯した所業の全てを許容出来るわけではないが、少なくともマイティアにとって、人として見てくれなかったハサンよりもバーブラの方が、自分の願いを叶えてくれそうだった。
「…………。」
ゼスカーンと何やら昔の話をしているバーブラのぼやけた背中を見ながら、マイティアは汗を滲ませていた。胸を締め付けるような痛みが、断続的に続いていた。
(どうして、こんなに……運命に、嫌われているのかな……)
そのうち、脂汗をかくほど強い痛みに変わっていき、遂には
ドサッ「!?」
彼女は倒れこんでしまった。
「死は私にとっての断罪だった。あなたが私を殺したことを責めるつもりなどない」
黒猫はするりと祭壇の上に登ると
「私は死よりも重い罪を犯した。故に、死した後も贖わなければならない」と、喉を鳴らした。
「贖い?」
「私は魔王に仕える。その一環としてあなたを助けただけに過ぎない」
「……それはお前が、魔王の魂を罪なき胎児に移植させたからか」
黒猫は「にゃぁん」とあざとく鳴いた。
「ジュスカールが発動させた魔物化の変性術の術式に組み込まれた狂乱化の幻惑術は、神国北部に効果があったと思ったほうがいい。無事でいた魔族など、そう多くはないだろう」
「……ジュスカール」
「そう、奴は生きていた。あなたの部下は復讐相手を仕留めそこなったのだ。
ルーク王子」
バーブラに驚きはなかった。ただ俯き加減に
「解呪の衝撃か、多少記憶が戻ったようだ」と、呟いた。
「そうか、それなら話が早い。
術式の差と、王家の加護に守られたことを幸運に思うといい」
―――バタッ
「マイティア!?」
そのとき突然、マイティアは倒れこんだ。
顔は真っ青になり、脂汗をかいて、胸を抑え込んで縮こまっている。
ちょうどそのタイミングを予知していたかのように魔王が外から戻ってきて
「大丈夫か?」倒れこんだマイティアを介抱するが、マイティアの顔からみるみる血の気が失せていく。
「発作が……来たみたい……最近、は、大丈夫だった、のに……」
複雑そうな表情で見つめるバーブラの横を通って、黒猫がマイティアの下へすり寄ると
「痛みよ、引き際を知れ」痛みを和らげる回復魔術を唱えた。
すると、少しずつマイティアの呼吸がおとなしくなっていった。ただ、脂汗はなかなか引かない。
「彼女の発作と呼ぶそれは致命的になり得るものだ。安静にさせておきなさい」
「発作の原因がわかっているのか?」
「私の目には彼女の心臓に根を生やす種が見える」
「種だと!?」
バーブラは素っ頓狂な声を上げた。
「その種が痛みの原因でもあり、彼女を生かしている理由にもなっているようだ。
私も初めて見るものだが、彼女から溢れ出る魔力の質から、おおよその推察はできる。恐らくは“聖樹の種”だろう」
「待て待て待て、人の心臓にそう簡単に種が宿る訳がなかろう。
何をどうすれば種が入り込むというのだ、それも聖樹の種だと???」
慌てふためくバーブラに、魔王はマイティアが予言を受けた女神の子であること、カタリの里での出来事など、これまでの経緯を話した。
特に、マイティアがハサン王の娘であることを告げると、バーブラは目をこれでもかと丸めて
「そんな……筈は……レミアは」
大きく動揺し、そして、静かに寝息を立てるマイティアを見て、拳を震わせた。
だが、その拳が四本指であることが目に入ると、彼は肩を落とし、大きなため息をついた。
「ゼスカーンよ。
マイティアはどのくらい生きられる?」
「わからない。ただ、そう長くないことは言える」
「では、同時に魔王も」
「無論、共に終わりを迎えることになるだろう。彼女が魔王の魂を握ったまま死を選ぶのだとすれば、だが」
「…………。」
魔王は無言を貫いた。魔王の運命を決めるのは魔王自身ではないとでも言うように、その視線をマイティアに向けるだけだった。
「何でこんなことしたんだ!?」
ラタは曇天に向かって咆えた。だが、彼の声に誰も答えない。
積み上げられた魔族の死体の山がゴウゴウと燃える様に全身を震わせながら、周囲の人々が委縮するほどの怒号を上げた。
「こいつらを元に戻す術があったんじゃなかったのかよッ!
俺を騙したのか!?
ジュスカール! 野郎は何処にいやがる!」
「ジュ、ジュスカール様は今っお忙しく」
「テスラに会わせろ! いますぐ!」
しかし、周囲に吠え散らかす大男を素直にジュスカールに合わせようとする者もおらず、ラタは痺れを切らしてテルバンニ神殿へと飛んで行った。
再びの豪雨で濡れ冷える体にも構わず飛び続け、テルバンニ神殿へとやってきたラタだったが、彼の目に飛び込んできたのは
「ジュスカール?」
「嗚呼、嗚呼、何故私めに嘘をつかれたのですか?」
護衛に囲まれ、涙を流しながら跪くジュスカールの姿だった。
彼の前には一人、フードを深く被った怪しげな者が、祭壇の上にあろうことか腰掛けていて、ジュスカールはそいつに何かを嘆願している様子だった。
ラタは慌てて気配を消し、物陰に隠れて彼らの会話に耳を傾けた。
「魔族との戦いでまた多くの者が亡くなりました。もし最初からそうわかっていたのなら―――」
「 」
雨音が強く、フードの者の声はラタには聞こえなかった。
「た、確かにシェールは手に入れたも同然です……ええ、邪魔者だったセルジオは」
「 」
「しかし、魔王の力は僅かしか―――」
そのとき、ジュスカールは黒曜石の原盤を取り出した。それは、ラタが持っていたものだった。
(俺がテッちゃんに操られている隙に盗られたのか?! それともテスラが?まさか―――)
「 」
「何故……何故ですか、ジュスカール様!」
(ジュスカール様だって?! 待てよ、あの禿げがジュスカールじゃなかったのか?!
しかもよりにもよって祭壇に腰掛けてる罰当たりっぽい奴が?!)
「 」
「誰だそこにいるのは!?」
驚きと共に消していた気配が復活してしまったラタは慌てて「やべっ!」その場を離れ、護衛たちの追手から逃げ出した。
「はあ、はあ……なんとかまけたか」
雨が止むまで数キロ山を下り続けて息を荒らげたラタは、雲の切れ間から差し込む光に照らされた方角へ、導かれるように目をやった。
「はあ……はあ……、そうだ……その手があった」
南の方角、そびえ立つ巨大な白い塔。
「ゴルドー様に会いに行こう……!
会えば話してくれるはずだ、八竜の導きを!」