第53話② ワド
「ポルコフ大神官のことは残念でした。彼はグランバニク侯爵と共に、王国との橋渡し役として大いに活躍してくれた人物でしたのに」
ジュスカールの言葉には、予想外に、心からの哀悼の意があった。
シェールから海路で神国の西にあるニーノ港へ戻ってきたジュスカールは、その港町にある転移門からジワキ山へとやってきたという。ラタに陸路を要求しておきながら自分は海路で神国入りするという胡散臭さも増して、グランバニクの言葉をラタは反芻した。
“いる筈のない男”
その意味を理解するには情報が足りなさすぎるが、ラタの警戒心を上げるには十分だった。
しかし、ジュスカールからしてポルコフ大神官は大事な存在だったのだろうか、ラタの前で初めて血の通った反応を見せた。
「……悪かった、ちゃんと守れなくて」
「いえ、あなたが謝ることではございません。全ての元凶はバーブラ、そして、奴に与する連中のせいなのですから」
ポルコフ大神官の最期にも見せたバーブラたちへの憎悪、それが彼らレジスタンスの心を繋ぎとめているのかもしれない……ラタはなんとなしに、ジュスカールの被る皮の下には、獣の面があるのだろうと思った。信仰心厚い彼らの国を乗っ取った魔物の姿をした侵略者への復讐心、それが大女神の登場という後ろ盾を手に入れたことで爆発したのだと。
(テスラ……一体この国をどうするつもりなんだ?
いや、俺にどうして欲しいと言うんだろうか……?)
そして、わかってくれるだろうか? 彼女は自分の手の震えの訳について。
「こちらが、テルバンニ神殿。
神教の時代から神からの啓示を受けるに相応しいと呼ばれた由緒正しき場所です」
ジュスカールと彼の護衛に連れられて来た場所は、ジワキ山の上にそびえ立つ、リアノ様式の神殿で、神期時代の古い建造物だ。山の上まで運んできた68本の石柱と、見上げるほど大きな天秤を持つハダシュ神の石像、その前に備えられた祭壇には等身大の真新しい7体の女神像が祭壇で跪く人を見下ろすように鎮座している。
その祭壇の前に立ち止まり、ジュスカールは聖人のお面を被り直した。
「あなたを正しく導くためにも、大女神との会合、その約束を果たしましょう。
私が“触媒”となっている間は、私の意識はありませんので、どのようなお話をなされたか知ることはございません」
「触媒?」
「御方は死者の世界にいらっしゃいます。その言葉を現世に届けるには、現世の者の声が必要となるのです」
ジュスカールは護衛たちを横に離れさせ、祭壇の前に跪き
「彼方の祈りよ 我が身を通し、現の声となれ」と、唱えた。
すると、何処からともなく反響する水の跳ねる音が聞こえ始め、徐にジュスカールの体が光りだした。その蛍火のような光がゆっくりと彼のすぐ横に集まると、そこに薄っすらと幻影が浮かび上がる。
『ラタ、久しぶりね』
「―――テッちゃん」
金色の長髪、瞳を見せない糸目、ラタの胸当たりまでしかない小柄な身長。そして
『髭も剃らない、髪も整えない、不衛生な不格好で感極まられても気持ち悪いわ。自重しなさい』
「くぅぅぅぅぅううキッチィイ!」
不名誉な代名詞とも取れる口の悪さ。それはもう、ラタの知る、紛う方なきテスラ・パタリウスであった。
「テッちゃん……会いたかったぜ」
『……ええ、私もよ、ラタ』
思わずカーっと目頭が熱くなるところを、顔を逸らして紛らわすラタに『この魔術には時間制限があるわ。手短に済ませましょう』テスラは早口に捲し立てた。
『魔王が復活した。その意味は分かるわよね』
「…………。」
『この男には魔物化の変性術を解呪する魔術を伝えたわ。彼はそれを成そうとしている』
「魔物化の解呪……! つまり、魔王の魔物化の変性術の対策も、バーブラたちを人に戻すこともできるってことか! 流石テッちゃん!」
テスラは頷いた。
『魔物が蔓延り、人々は路頭に迷っている。
今のこの状況の諸悪の根源は八竜よ。
八竜と魔王を滅ぼせば、袋小路に導かれた世界を救えるわ』
その言葉の後、ラタは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
『運命を司る邪悪な蛇共が、人類を滅ぼすべく誤った道を啓示した。それがすべての始まりよ。そして、彼らは邪魔な私を滅ぼそうとした。それが叶わないと知るや否や、最後の“女神の子”を利用し、聖樹ごと私を殺そうとしたの。
私はそれを潜り抜けてきた。奴らの操る運命の糸を断ち切りながら、少しずつね』
「…………。」
『運命の悪戯と呼ぶべきか、彼らの悪癖のせいで、魔王は甦った。それも、今はあの“王族”の手に渡った状態でいる。
契りを破り、同じ過ちを繰り返したアレは万死に値するわ。』
「なあ、テッちゃん……」
『ラタ、私の言葉が信じられないの?』
ラタは苦しそうに顔をしかめ、冷や汗が頬を舐める。
「疑う訳じゃねぇよ……俺が言うのもおかしな話さ。
ただ、魔王が復活してから20年って月日、みんなに何もしてやれなかったのは、何か理由があってのことなんだよな?」
『……そう、信じられないってことね』
「し、信じてない訳ねぇだろ!
だけど、俺たちは八竜ラブだっただろ?
俺もテッちゃんもゴルドーの手下みたいなもんだったじゃねぇかよ。それをいきなり手のひら返して、親分を倒せって言われても……ほら」
『…………。』
テスラの表情に変化はない。
「それに……あのとき一緒に決めたよな、魔王を救おうって」
テスラの表情に変化はないが、ラタは続けた。
「俺たちはそうしようとして、八方塞がりになって、アイツを封印することにした……。
ただ、あのときと今回と、状況がまるで違うんだ。
魔王は今、愛されているかもしれねぇんだ」
「本当にそうなら……俺はそれを断ち切らせるなんてしたくねぇんだよ。
愛されたっていいだろ? アイツだって人間だったんだから」
テスラはラタの言葉をよく噛み締めて
『もういいわ』
「テスラ?」
感情を顔に出すこと自体珍しい彼女が
『一度ならず二度までも―――信じられない。もう誰も。すべて。なにもかも。
八竜―――私のすべてを奪った神のせいで!』
顔いっぱいに怒りの表情を刻み込んだ。
これに何かを感じ取ったのか、ラタはその場を離れようと飛び退ったが
「!?」
身体がピタリと固まり、動けなくなる。指の一本たりとも、ピクリとも動かない。
『ラタ、覚えてないの?
あなたはあのときからずっと私のものなのよ』
「テッ……ちゃん……、なんだ、何を、する、気だ?!」
テスラの光がラタを吞み込む。
『死霊術の基本は支配なの』