第49話② 擬態する毒
『ランディ、お前はいつまでも可愛い奴だな』
それは”悪夢”だと、ランディアも自覚出来ていた。
だが、久し振りに出会えたボルコワースとの会話に、彼女は涙なしにはいられなかった。
『王都騎士団に入るって駄々こねてたちんちくりんの頃から、お前はずーっと真っ直ぐな太刀筋をしている。俺はその太刀筋がお気に入りだったんだぜ』
『ボッコス……』
ランディアはボルコワースを、ドップラーに操られた彼を手に掛けた。そして、その返り血を浴びてしまった。
『何度こっぴどく転がされても、何百回と立ち上がってくる根性があるくせに、何かあるとすぐにわんわん泣いちまうし』
『うっ』
『女神の子の話になると、すぐ気負い始める』
夢の中のボルコワースは、5,6歳に見える、ぐずる彼女の両脇を抱え、たかいたかいと天井すれすれに掲げた。
『だって私、ミトに、何も……何も”しなかった”んだよ?
クソ親父を信じるって言って、サッチたちが―――大変な時に、私は一人、別の場所にいたんだよ?』
ハサン王の乱心。その矛先が幼い子供たちに向けられたとき、ランディアは一人、父親の正しさを盲信した。だって、父親だから。何より王だから。
その結果、ランディアは一人になった。
サーティアは頭部に重傷を負い、王を殺そうとした罪で投獄され
シルディアは意識不明となって目覚めなくなり
マイティアは心を壊し、カタリの里へ連れて行かれ、十年と戻らなかった。
『あの場に行って何が出来たのかなんて問題じゃない―――行けなかったことが、私の弱さなんだ……』
ランディアはずっと罪悪感を抱えてきた。妹を信じてあげられなかったから、瀕死になるまで痛めつけられた妹の見舞いにも行けなかったから。
だから、好きな人が出来ても、幸せになっちゃいけない気がしていた。
グレース……王都騎士団、引いては王城の戦士長の男との恋愛も、いつも、心の底で罪悪感を引き摺っていた。
『お前はイイ姉ちゃんだよ、ランディ。
手足が千切れてもお前は国を守る為に戦い続けたじゃないか。妹が帰って来る場所を守り続けたんだ。
お前の妹はお前を恨んでなんかない。憎んでなんかないさ。お前が幸せになる事を僻んだりしねぇよ』
ランディアはボルコワースに抱えられたまま、情けなくわんわん泣き出した。
『後戻りすんな、ランディア。
前見て 進 め ―――』
「はっ!?」
夢がブチッと遮断され、飛び起きると、ズゥン、と重い頭痛に苛まれ、ランディアは顔をしかめた。彼女は手術台に乗せられていて、その手首には細長いチューブが差し込まれていた。
「ええええ!?」そして、チューブの先では漏斗のような機構で血が濾され、またその血が反対側の手首へチューブの導管を流れて行っていっていた。
「わ、私は、一体何を……」
「あら、意外と早く起きたわね、野蛮人」
ランディアが慌てて丸腰の腰に手を当て、顔を青ざめる様をレキナは鼻で笑ってから、漏斗を指先でカツンと弾いた。
「血の中に溶け込んでいた魔力を取り除いてやったわ。身体中に浸透する前でよかったわね」
「魔力?」
「そう」
漏斗には魔法陣が描かれた淡いピンク色の薄い皮紙が張られていて、そこにカスのような黒い粒子がこびり付いていた。
「ドップラーって奴は特殊な魔力を使うのね。まるで擬態する毒だわ」
「ぎ、擬態?」
「魔力には個人個人に波長があるの。個人を特定できるように特有のものが。
だから、別の者の魔力が混じれば当然、すぐに分かるものだけど、あんたの血の中に溶けていた魔力は、その波長をあんたの波長に合わせて擬態しながら増幅していたわ」
数秒の沈黙のあと。
「…………つ、つまり、なんすか」
目を点にするランディアに、レキナは盛大な溜息を吐きつけた。
「はあ……つまり、あんたは少しずつ、少しずつ
”別人の魔力で置換されていっていた”のよ。
あんたそっくりな別人のね。」
ぞくっ……背筋も凍る衝撃に、全身の毛がざわざわと逆立つ。
「なん、なんだよ、その、気味の悪いもんは―――!」
「さあ、調べたばかりで何とも言えないわ。
ただ、想像の範囲だけど、自分の魔力で置換した連中を操作できるんじゃない?
そういう幻惑術か、召喚術……作れなくはないでしょうし」
ランディアは強い吐き気を覚えた。つい今さっきまでその毒が自分の中で沸々と置き換わっていて、もう少し遅ければ、操られるところだったのだから。
「あ、ありがとう、ありがとうございます……急に来て、横柄な態度を取ったのに助けて貰っただなんて……」
同時に、レキナに対する敵意識が消え、信頼性がランディアの中で生まれた。この魔女の言うことは手厳しいが、事実であると。
「あら、意外と躾のある野蛮人じゃない」
だけど、タダで助けたつもりはないのよ、と、レキナはスツールを手元に引き寄せ、腰かける。
「お使いに行って貰うわよ。素材集めの旅に」
その言葉にランディアは両手のチューブを揺らし、動揺した。
「いやいやいや! 私はそんなことしている場合じゃないんだって!
こうして、血の中に入ってる別人の魔を取り除けば、みんな助かるって事なんだろ?! だったら―――」
「初期段階の奴ならね」
レキナはランディアの希望の芽を摘んだ。
「この薄い皮膜一枚作るのにどれだけの高級素材が必要か分かるの?」
「それは……」
「ただの瀉血じゃ助かりはしないし、その血で被害が拡大する可能性だってある。
それに、ドップラーの魔が置換を終えるのにかかる時間がどれだけかわからない。
一度に入った量が多ければ一瞬でしょうよ」
「その……。」
「そもそもあんた、この膜の組成、錬金術で作り出せるの? 私はやらないわよ」
「ぐっ……」
「今までは素材を育て、集める要員がいたけど……今は足腰の悪いババアのみでね、フッ。
恩を仇で返すなんて、騎士のやることじゃないわよねぇ?」
「…………。」
ぐうの音も出ず、押し黙ったランディアは、助け舟を求めるように周囲を見渡すも「おっさんとリッキーは?」魔女の家の中には誰もいなかった。
「ハゲは外で農作業」
「早速!?」
「デカいバカは再び切れ散らかして神国へ向かったわ。
あんたの妹を探しにね」と、言うと、レキナの予想外なことに、ランディアは俯き加減になり
「なあ……本当に、意味がないのか?
ミトは、女神の子に……なるべきじゃないのか?」と、震えた声で尋ねだした。
「さっき言った通り。二度も説明しないわよ」
「……、そっか」
はあ……と、つく深い溜息には確かに、安堵があった。ドップラーの毒で焦燥感に駆られていたとはいえ、予言が必要だと、あれほど他人に激昂していた一方で。
レキナは再び煙草に火をつけ「……他人のこと言えた義理じゃないわね」と、自戒するようにぼやいた。
飛翔の風魔術を使い、急ぎシェールへと向かうラタ。その脳裏にレキナの言葉が過る。
『エバンナを倒す手助けをしてくれた礼として、忠告しておくわ。
大女神テスラには気をつけなさい』
魔王と共に戦った”戦友”の罵倒に、ラタは不快に口角を下げた。
『確かにテッちゃんは口が悪いけどよ……』
『魔王を蘇らせた人類に幻滅したのかもしれないわね』
ぐぎぎぎ、奥歯と拳が軋む。
『何が言いたいんだ?』
レキナはラタに、エバンナから魔王を取り返すため、一時大女神テスラと共闘したときのことを伝えた。20年と音沙汰なしでいた大女神が突如現れ、そして、魔王の魂を取り返した賢者ベラトゥフを攻撃したことも。
ラタは大きな目を真ん丸と見開き『違う……違う、俺の知るテッちゃんはそんなことしねぇ』と、頭を振った。
『そりゃあ、あんたの知る女じゃないでしょうよ。
あんたが臨界に入ってから数百年という年月を、大女神は鬱屈と過ごしてきたんだから』
『…………。』
『ねえ、八竜(神)に認められるだけの力を持っているあんたがこの時代に目覚めた理由は何なの?
ゲルニカが世界平和を喰らい尽くした事後に
女神が消された後に
エバンナがナラ・ハを破壊した後に
バーブラが神国を支配した後に
ドップラーが王都を機能不全に陥れた後に
―――勇者の夢を見ていた魔王が、現実に絶望した後に、あんたは何もかも遅すぎたタイミングで現れた。』
『…………。』
『あんたが目覚めた理由は魔王を倒す為なの?
未だ小娘とイチャイチャしているだけのアレを?』
『そんなこと―――俺だって分からねぇよ!』
声を荒げるラタを諌めるよう、レキナは今一度、忠告した。
『一刻も早く”導き”を見つけなさい。
誰しも道の選択を誤るときはあるのだから―――あんたが本物の勇者であろうとね』
―――俺だって、魔王を倒したいって訳じゃない。
誰も救ってやれなかったアイツを、俺は助けてやりたいだけなんだ。
―――だけど、死霊術は悪だ。人の魂を好き勝手に操る、悪い魔術だ。あれに囚われ続けている限り、アイツは救われやしねぇんだよ。
『私は……』
『彼と―――話、を』
震えた声で、小さな拳を握る、幼い娘。
彼女から”勇者”を奪ったら―――記憶を失った彼女に何が残ろうか?
「はっ」
呼吸が乱れ、飛翔の風魔術が解けてしまい―――ズサササ! 着地がよろけて四つん這いになる。
シェールの町まではまだまだ距離がある。魔物との戦いで焼け野原になった地竜平原で一人、冷めた灰を握り締める。
「クソッ!! ちくしょうが!
一体何が正しいってんだよ!!」