第48話② 神託と信託
「この国は、レジスタンスと自称する旧女神教団の連中と我々とで二分されている。
姫君を襲ったのは神官兵、魔王の力を狙ったのだろう」
会議室から書斎へと場所を移したマイティアは、バーブラと親衛隊ロロベトに挟まれるようにして立っていた。
「抵抗勢力がいることをわざわざどうして教えるの?」
バーブラに仇をなさないように、魔法陣が刻まれた魔石の首輪をつけられたマイティアは、その重さに辟易した思いをぶつけるかのような声色でバーブラに問いかけた。その様をロロベトに睨まれるも、魔王が部屋の端にいてくれる為か、マイティアは臆することはなかった。
「隠すことでもない。
それに、教えたところでお前がレジスタンスに傾倒するとは思えんからな」と、バーブラは自信を持って答え、目をぱちくりと丸めるマイティアにその訳を明かした。
「神国という国、その根幹にあるのは宗教的な、人間という種族の優生思想だ。
主神ハダシュ神の子、日の子、それが人間であり
闇の神、八竜によって作り出されたエルフは闇の子である。
獣人や魔族など以ての外、というな。」
「神教……」
「その通り」
女神教の分派元、神教。その戒律は女神教よりも遥かに厳しく、八竜信仰と真っ向から対立する―――人間だけの為の宗教。神国の建国は、この宗教が基となったといって過言ではない。
「姿形が違うことが受け入れられない、前時代的、いや、閉鎖的な人間だけの社会を目指す連中に、姫君が与することはなかろう?」
「……単刀直入に、言ってもいいかしら?」
「構わん」
「あなたたちは、王国の民をたくさんの人を殺したわ。
私の事情を差し引いたとしても、どうして王国の姫が自分につくと考えたの?」
公的な立場で物を言えば、マイティアはバーブラの味方になどならない筈だった。自国民を何百、もしかしたら何千人と殺してきたかもしれない相手に首を垂れる事がどれだけ忌むべき行為か―――それを差し引いても、魔王の手を取るべくして民を裏切ると、バーブラは何故わかったというのだろうか。
「俺は、優秀な人材を見つけると誘いたくなる性分でな」と、バーブラは捉えどころのない笑みを浮かべた。
「……それで、先の戦いで多くの人を攫ったの」
バーブラがトトリとポートに向けて数千の魔物を嗾けた戦い―――その大規模な戦闘の最中に彼らは、王国民の多くを誘拐していたことが後々に判明した。
「勿論、最初は素直に応じる者は少ないがね。話をしてみれば意外とコロリと手のひらを返すものよ」
「……マルベリー男爵も、そうやって買収したの?」
彼の名前が出ると、バーブラは僅かに顔を顰めた。
「地上戦を囮にして、地下街を通り、制圧する。
それがポートを手に入れるために俺が組んでいた作戦だったのだが、マルベリー男爵は作戦が”成功しやすくなる”為にも本願であった地下街の掃討を遂げようと、事を急いた。その不審な行為が結局、姫君を地下街へと誘い、作戦を妨げたのだ。
あれは、俺の采配ミスだった。」
「バーブラ様!そんなこと仰らないでくだされ!」
「正義の剣を振るい、血を浴びる役目を担える男に不名誉な死を与えてしまった。
ああ、だが、この件に関して姫君を追及することを今はしない。この俺の仲間でいるうちはな」
「つまり……その面目潰しを吞み込んででも、今、魔王の力が欲しい状況に晒されているの?」
「口を慎め女ァ!今ここでその首を吹っ飛ばすぞ!」
「フフフ……、ハハハハハ!」
高らかに笑い飛ばしたバーブラは頭三つ違うマイティアを見下ろして
「…………」
つー……、と、鋭い爪先で魔石の首輪をなぞった。
「特定の魔術を感知すれば、この首輪は即座に爆発する。それを弁えた言動をするべきではないかね?」という脅し文句に
「お前が魔術を唱えるのと、私がお前を殺すのと、どちらが早いか試してみるか」と、部屋の端にいた魔王は食い気味にバーブラを睨みつけた。
実際、魔王の無彩色の波長が書斎中を包み込んでいる為、魔術の発動が叶わない事をバーブラたちは知らない。彼らを殺すならまたとない機会なのだが、マイティアはそれを望んでいないかのように魔王への魔力連結を強め、彼の自由を抑え込んでいた。
鼻を鳴らしたバーブラは
「会って貰いたい男がいる」と、単刀直入に話を切り出した。
「名前はゼスカーン。古き血族、その一人だ。
奴を探しだし、俺の傘下に入れろ」
「面白い子じゃない、あんた
勇者の仲間だったくせに、魔族の仲間になる事に抵抗がないどころか、魔王を手にするだなんてねぇ」
「…………。」
任務の概要を伝えられた後、マイティアと魔王は、親衛隊の一人、蟷螂女ナル・メルとホロンスから大神殿の案内を受けていた。
「…………。」
マイティアは恨めしい視線をホロンスに向けていた。ラタたちの追及や神官兵の奇襲から守ってくれたことには感謝しているが、転移した先が敵のど真ん中。挙げ句、爆発する首輪を起動する魔術はバーブラだけでなく、親衛隊各位が知っているというからだ。
(ネロスの魔法障壁で魔術の感知を防げる可能性があるとはいえ……)
魔術が起点となるならば、魔王の無彩色の波長が魔術の発生を防げるが、それはマイティアが魔王のすぐ傍にいる状態であれば、の話だ。
「それと、ホロンスに感謝しておきなさい。
指切りの刃を凍らせて止めていたの、彼なんだから」
「え」
彼の山なりにひん曲がった眉を見るに、握っていた拳が解ける。
「錆び付いていたんだよ」
「あ、ありがとうございます」
「いや、だから錆び付いていてだな───ううん」
(わかりやすい……)
大神殿は神国の中心、地竜山脈の尾にぐるりと囲まれた神都の大部分を占める、巨大な神殿だ。
女神教になる前、神教の時代から信仰の場所として用いられており、とりわけ、神官、大神官が神事を執り行う神聖な場所であった。その為、千年近く前に作られた掠れた壁画がそのままであったり、逆に幾度も修復を重ねられた、彫刻と一体化した柱などが残されていたりしている。
白と金を基調にした外装、大量の雨を流す為の三角屋根が続く、冬景色な王国とはまた違う風景。町の全体には排水溝が張り巡らされ、地下には水を海へ流す川があるという。逆に言えば、川の上に町が作られているような形だった。
(そうだ、王国と似てる……王国が神国のこの街造りを雪国様に変えて真似たんだ)
「その他、北はモルバノ、南にユイフォート、西にエストという街があるわ。
ただ、口惜しいことに、今は”レジスタンス”の連中に押され気味でね。エストもユイフォートも半分取られちまった」
「……大女神の予言が復活したから」
「全く、困ったもんだよ。
最初は集団妄想か誰かの戯言かと思っていたけど、何か希望とやらを目に灯した連中は、やたらと食い下がって来るもので、手薄になっていた南側の地域を取り返されてしまったの。
ほんと、予言を味方につけた奴らはどうも苦手よ」
「はあ」
ざざっと大神殿本殿周囲の説明を終えた後、マイティアが案内されたのは、大神殿の中でも端の方にある神官たちの木造の宿舎で
「此処が、あんたたちの寝食する場所だよ」
6畳程度のシングルルーム、壁と一体化した収納が僅か。他には何もない。
「バーブラ様からの招集がかかるまで此処で休んでいらっしゃい。もしくは、あなたのお望み通り、彼とお話をしていても構わないけれど。ふふふ、二人きりで、うふふふ」
「はあぁ……」
「ミト」
扉が閉められたあと、マイティアはその場に両膝をつき、ぺたんとお尻を地面につけてしまった。腰を抜かして動けなくなり、もう一度空気を抜いて脱力し、情けなく天井を見上げる。
「ああ……」
そしてようやく、彼女は心配そうな目をしている魔王と目を合わせ
「やっと、やっと会えた……ずっと会いたかったの」
「…………。」
それはまるで、大人のふりに疲れ、気の許せる友に話しかける子供のような声だった。さっきまでの気丈さなど何処にも残っていない。
「大丈夫? 苦しくない?
死霊術は苦痛を伴うって、言われてて…、いや……大丈夫なんかじゃない、よね、ごめんね」
大きくて丸い目をうるうると潤ませながら、魔王の身体を頭から足まで見つめる。
魔王の姿は骨だ。人骨。ただ、肋骨が少なかったり、尾骨が長かったり、小さな角が生えていたりする―――死霊だ。人間ではないのだ。
「大丈夫だ、なんともない」
魔王は頭を振った。
「ほんと?」
「本当だ。嘘なんてつかない」
彼はハッキリとそう言った。事実、そうでもあった。エバンナと強引に契約状態にさせられたときと比べれば、苦しみのくの字もない。ベラトゥフとの契約状態のときと同じように、マイティアの死霊術は非常に“精巧”だった。
だが、当の本人のマイティアの脳裏には罪悪感が渦巻いていて
『死霊術は! 人の!魂を穢す術だ! わかるよな!?
自分たちの利権のために誰かの魂を歪ませ利用する! それが罪だとわからないほど!お前さんはバカじゃねぇだろうがよッ!』
ラタの言葉が、じんじんとマイティアの頭の奥を締め付けていた。それでも、彼女はこの汚れた魔術に手を染めた言い訳がましい理由を譲るつもりはなかった。
「ネロス……ずっと、魔王であることを、隠していたの?」
恐る恐る、マイティアは言葉を選びながら慎重に並べた。魔王の癪に障らないように緊張しながら。
魔王はその問いに下を向き
「違う……ずっと、その事実を知らなかった。
ネロスは知らなかった……自分の魂の中に魔王がいることを。知る由もなかった。」と、拳を握った。
その言葉の意味をマイティアはしばらく噛み締めたあとで
「私はあなたを……ネロスと呼んでいいの?」と、確認した。”ネロスは知らなかった”と、自ら言うということは、あなたは別人なのかと。
魔王は、しばらく間を開けても……”頷かなかった”。
「私は……君が覚えていたネロスではない……。
ただ、そう呼んでくれるのなら、拒む理由はない」
「…………。」
どうして? どういうことなの? そう問い質すべきなのだろうが
「ネロス……」
マイティアにはその体力が残っていなかった。
「お願い……少しだけ、抱き締めさせて」
腰を抜かしたまま立ち上がれないマイティアの口から零れ出た言葉に、魔王はキョトン……と、その場に固まったが、マイティアを抱き上げるように少しずつ腰を下げていくと、マイティアは魔王に手を差し伸べ、彼の背中に手を回した。
そして、ぎゅっと抱き締めたまま、動悸の激しい胸を魔王の胸骨に合わせた。
「ごめんね……話したい事、本当にいっぱいあるんだけど、今すぐ言葉にならなくて……ちょっとだけこうさせて……。
さっきの、流石に少し腰抜かしそうだったから……あ、いや、怒らないで、ネロス」
ちょこん……と、魔王の胸の中に小さく収まり、縮こまる様はあまりに幼く、愛おしかった。魔王は泣きつく幼子を抱き締めるように手を回し、マイティアの抱擁に応えた。
「実はね、カタリの里で起きた事や、私が眠っていた時に起きた事は、ベラとレキナから聞いていたの。
エバンナがあなたを狙っていた事とか……神殺しだとか、理由がよく理解出来なかったけど……。」
「ベラは無事でいるのか?」
「……深く傷ついて、今は眠りに……それでも無理をして、色々私に教えてくれていたの」
マイティアはバッグの中から木彫りの人形を取り出して、魔王に見せた。
手の平より小さな木彫りの人形は黒く汚れていて、今にも割れ砕けそうなヒビが入っているものの、ふわふわと柔らかな魔力を放っていた。それが、かつて聖剣だった木片だと、魔王はすぐに理解した。
「私がいっぱい持ってる聖樹の魔力が、彼女の魂をちょっとずつ癒せるみたいで……だからずっと傍に。
それと私、時々、ベラの声も聞こえるのよ。優しい声の人……いつもあなたの心配をしていたわ」
「……そうか。」
ネロスが魔王の魂を孕んでいたことに驚愕しながらも、最後まで彼を、魔王を信じ、改心させようとしてくれていたベラトゥフ。大女神と八竜と魔王、その強大な三つ巴の中に果敢に飛び込み、そして、魔王の魂を守る事に成功した彼女を―――。
「 」ぐぎぎぎ。魔王の拳が軋む。
彼女を攻撃したのがエバンナか、大女神かはわからない。だが、どちらでもいい。
エバンナは倒れたのだから、あとは大女神に思い知らせてやるだけだ。
「あなたは、私の味方でいてくれるのよね……?」
無意識に零れ出していた殺気に、魔王の腕の中で震え、自信なさげに問いかけるマイティアに気付くと、魔王は力を抜き
「勿論だ。
世界を敵に回してでも、君の傍にいるさ」と、魔王は力強く、そして、優しく即答した。
「……ふふ、嬉しいな。
だけど、本当にこれからどうしようね……どうにも思いつかなくてバーブラの仲間になっちゃったけど……」
「大丈夫だ。私の”導き”が、君の安全を確保する」
今度は魔王から、ぎゅっ、と、マイティアを抱き締めた。
か弱い子を守る親のように。
「今度こそ、必ずだ」
マイティアは彼の言葉に安堵し、彼の腕の中で眠りについた。
(嗚呼……ネロスは私の味方だ……。
やっぱり彼は―――私の、勇者なんだわ……。)