第7話③ 港町の鉄の壁
女神期832年 王国夏季 四月一日
「ミト、今日ね お昼に何かあるよ 気を付けてね」
満月の夜の翌朝、本来なら一月の中で一番安心出来る瞬間なのだが、起きて早々にネロスが私に……すごく曖昧で不穏な予知夢を告げた。
「かつてないほどザックリとした予知夢ね……あんた、最近ちゃんと寝てるの?」
「まだ確定してないことばっかりみたいなんだよね、ごめん
だけど、昼頃にみんながワタワタしているのだけは見えたよ 大変そうだった」
「……今日の夕飯は?」
「ポトフとウサギ焼きだよ」
「あらほんと! じゃあ今日の夕飯はそれに決まりね!」
グラッパの奥さんの夕飯の献立を決める能力を発揮して貰った後、私はクロー鉄鉱山へと向かうネロスたちを見送った。
そして私は、頭に叩き込んだ資料に漏れがないかを確認した後、ポートの上層街の門を叩いた。
「……………」
上層街の門番は私の顔を見てもまるで反応せず、声すらも掛けてこないまま、じとーっとした目で睨みつけてきた。事前に訪問する事は伝えてあったはずだが、あろうことか連絡を受けていないのだろうか?
仕方なく、私は首に提げたままにしている───チェーンに通された飾り気のない指輪を取り出し、僅かに魔力を込めた。
「うおっ!?」
鈍色の指輪が私の魔力で白く、ぽわっ、淡く光った。射し込む柔らかな陽光で微かに溶けた雪の様な、僅か透明っぽい淡い白色。フォールガス王家がその血を証明する為に用いる────魔石の一種で作られた古い指輪だ。
それを見せると、門番は流石にこの意味を知っていたのか、青い顔で慌てて門を開き始めた。
豪華な外装、分厚い鉄壁、巨大な庭を手入れする外の召使いたちの顔は暗く、痩せ細っているものの、私を案内する召使いは恰幅がいい。
トトリの貴族たちからすれば、港町ポートの貴族・マルベリー男爵は柄が悪いらしい。
規律や統制に厳しいグランバニク侯爵の管轄から少し離れているせいか、彼らが務める司法制度は『信頼』と『金』で左右されているのだとご丁寧に教えてくれた。だが生憎、肥えた腹の足しになるような賄賂を作れる余裕が私の財布にはない。
プライマス・マルベリー男爵。
町議会の一員でもあり、南側一帯を守るグランバニク侯爵の配下に当たる人物。
慢性的な食糧不足であるはずのポートで目立つ“丸々”とした輪郭、束ねた銀髪は裁判官の帽子から不自然に浮き上がっている。鼻を劈くような香水は、屋敷中の至る所に設置してあった香炉と同じ臭いで、今は手に入ることのない高価な香木を惜しみなく使っているようだ。
服は新品のような光沢で、十に近い指輪なりブレスレットなりブローチなり、副装品もやたら多く、豪華だ。公的な訪問におあつらえの服を急遽借りた私の存在感がとても霞む。果たしてどっちが役所務めだかわからない。
召使いの案内で応接間に通され、恒例の簡単な挨拶を交わした後で早速本題に入ったのだが……。
「下民街の治安悪化は凄まじいのです、殿下。この一月でも1000件を越えた検挙があるのです。ええ。その九割九分が窃盗や強盗、時に組織だった誘拐や強姦……挙げ句、それに伴った殺人も増え続けるばかり。墓堀りは土地代を払えない身内のない者は埋めもしないせいで、レコン川の衛生も悪くなる一方。ポートの地下牢はずっと昔から犯罪者共で溢れかえり、牢を警備するべく必要不可欠な職員も、町の防衛がなんだと駆り出されて不足し、脱獄囚まで現れる始末で────」
まるで話が止まらない。声を挟む暇すら与えない喋りに「男爵、宜しいですか?」無理矢理口を挟むしかなかった。
「マルベリー男爵、此度、私は1つの代案を持って参りました。お忙しい中恐縮ですが、手短に話しますのでお聴きいただけますか」
「おお、おお、そうでしたそうでした 重ね重ね失礼を、お許しくだされ殿下」
「では率直に申します。下民街掃討案を取り下げていただきたい」
当然、男爵の顔は険しくなった。口元は笑みを浮かべているが、目つきで判る。彼は私が何も持たずに現れた時点で、私の話を聞き入れるつもりなんてないのだ。
だが、この侮辱的な扱いを受けて引き下がる程、私の腰は低くない。
「男爵がこの案を出された背景については承知しております。
妥協点として、ポートの人口の2割を先ず、トトリへ移住させる案を提案致します。その後、移住者を少しずつ増やし、ゆくゆくは当初の5割ほどを、と」
「いやはや、マイティア殿下、何を仰るかと思えば……確かに、トトリが女神教団の魔の手から解放されたという朗報は聞いておりましたが、どんな病を抱えているかもわからない下民街の住民をトトリに移動させるなど、トトリ側が受け入れたくないものでしょうに
そもそも微々たる税金すら納めようともしない連中ですぞ? 由緒正しき美しいトトリの外観が犯罪者共の土足で踏み荒らされてしまうではありませんか そのようなことになれば、侯爵のお膝元を私が汚したも同然」
「税については、金を稼ぐ手段を与えていないから納められないだけだと私は思っております。
この町に住まう労働人口すべてを何かしらの職に就かせられる状況にするには、鉄鉱山を解放したとしても充分ではない。一方で、トトリとの交易を再開させるには、トトリの復興と人手不足を補う必要が───」
「しかし───」
マルベリー男爵はやたらと食い下がってきた。その理由に耳を傾けてみても“トトリに行かせたくない”に終始していた。ポートの食い扶持減らしを提案しておきながら、この町から人をトトリへ移して人口を減らす案には決して首を縦に振らない。
「殿下、ご理解いただけませんか? 無理なものは無理なのです。
下民街の掃討は───ハサン王が批判を覚悟し貫き通した決断と同様、情に流れてはならないことなのです」
「……王国の存亡も危ぶまれる時代で生き抜いてきた術を、私はあなた方のやり方を真っ向から否定するつもりは毛頭ありません。
本来この国の民を守るべき王家が地方を見棄てた……その事実が私の言葉の前提に存在する以上、どれだけ聞き心地のいい言葉を並べても戯れ言や詭弁に感じていらっしゃることでしょう。
しかし、情勢は常に移ろいゆくものです。
トトリを取り返した今、そして、クロー鉄鉱山が解放されれば、多すぎると感じていた人は寧ろ、足りないと嘆くことになりましょう。
失った命は取り戻せず、人はすぐには育たない。
今は人を活かすべき時です。それがゆくゆくはあなたの、この町の発展に寄与する筈だ。
どうか考えを改めてはいただけませんか?」
今回の交渉で決めきる切り札は私にはなかった。男爵が引き下がらないのなら、彼の主張を覆すための材料を揃える必要がある。
これ以上やっても平行線かな……そう思いつつ、立ち上がって私に背を向けてしまった男爵を見つめていると……マルベリー男爵は僅かに振り返った。襟で隠された口元から媚びる笑みは失せ、黒く濁った目を私に向けて……特有の臭いが漂った。
(なに……? 鼻につく……これは……)
強い香水に紛れているが、どこか生臭い……いや、獣臭い。獣の生肉でも食べる悪癖でもあるのか? 普通の食事や加齢等で臭う類とは思えない不自然さを私は感じ……鳥肌が立った。
「───男爵、次の議会までの間、どうか前向きにご検討ください」
「貴重なご意見をいただき、感謝申し上げます」
心のない言葉の羅列。
嫌な予感がして、早めに話を切り上げて部屋から出ようとした
そのときだった───!
「プライマス様! バーブラが!」
「!?!」
バカンッ! 突然、扉が開かれ、息を荒げた司法職員が駆け込んできた。
「何があった!」
「わかりません! 奴が突然上空に現れて───港の船が!」
(バーブラ?! 何故ポートへ?! 攻め入る兵力があるのなら、勇者がいなくなったトトリを襲撃するべきじゃ────)
状況はまるで把握できていないが、私たちは慌てて外に出た。
2022/7/18改稿しました