③
「おねえちゃんはね、おたんじょーびがね、いち日ちがうんだよ」
雪の切れ間から射し込む陽射しに照らされる教室に、声高で抑揚の強い幼気な声が響く。
「マイティア、召喚術の術式をちゃんと描いてきたでおじゃるか?」
東門の第1地区にある、リジッド様式の王都教会に併設された、王族御用達に“なったばかり”の修道院。
そこへは様々な者が訪れる。
「丸、三角、四角。オーソドックスな立体物を魔力の力で組み上げるのでおじゃる。
キレイな丸が出来たら、100点満点でおじゃるよ」
人間の半分程度の大きさ、ネコのような顔つきで、ラッコのような毛並み、数百年を生きる亜人、マロ族。その一人であるヌヌは、元女神騎士団の召喚士だ。
彼女は修道院へ、幼き姫の、魔術の指南の為に呼ばれてきた。
「ふっふ~んふ~ん♪」
ヌヌよりも小さい姫はまだ、机に座っているのさえ覚束ない女の子だったが、その顔は年の割にはキリリと整っていた。
癖のある長い髪は肩で結ばれ、丸く見開かれた目は藍色。肌は白く頬は赤く、もちもちとしている。彼女は陽気な鼻歌を歌いながら、ペンの持ち方を矯正する粘土をペンに嵌め、せっせとノートの端っこにらくがきをしていた。
「マイティア、宿題を見せるでおじゃる」と、言われると
「ねえねえ、ヌヌ、みて~ホズだよ」
「おじゃ?」
マイティアはノートの端に描いた鷹の絵をヌヌに見せた。その絵は、脚が翼の先に生えていることを除けば、比較的、写実的であった。
「きっと鷹王かのぅ……ふむ。
ミトちゃんや、お主は今、幾つになったのじゃ?」
「4さいですよ」
「人間というのは、なんと成長の早い生き物じゃ」
「レバスじーがね、ヌヌに、けーやくをね、おそわっておきなさいって言うの」
「よんしゃいには早いわい」
「そんなことないわ、ほら、ちゃんと描いてきたのよ、『じゅちゅしき』……『じゅとぅちき』」
呂律の甘いマイティアは、羊皮紙いっぱいに丁寧に描かれた契約の魔法陣をヌヌに見せた。彼女の目にも、マイティアの術式は非の打ち所が無かった。
「むむむ……ちゃんと描けとるではないか」
「ほんと?」「ほんとじゃ」「さいのーありますか?」
「食いつくのぅ……うむうむ、才能ビンビンじゃ。ミトちゃんは天才でおじゃる。」
「やったー!」
「ところでミトちゃんや、宿題はどうしたでおじゃる?」
「それで、ししょー。ホズとけーやくできるのですか?」
「ししょぉお?? む、むう、まあ、悪い気はせんのぅ。
しかし、マイティアよ、契約というものはじゃな、その者と命を共にするということじゃ。
主従関係、主が死すとき、従者も死ぬ。
その鷹王と、運命を共にする覚悟はあるでおじゃるか?」
「ええ? わたし、ホズとけっこんするの?」
「ちゃうわぁい。
あー、やはりよんしゃいには無理じゃ。従者に対する責任感と礼儀というものが」
「あるよ」
「わたし、めがみさまになるもんね。
それでね、みんなをね、たすけるんだよ。すごいでしょ~」
多くの者、多くの戦場を見てきたヌヌには眩しいぐらいの、色のないまっさらな無垢。
ヌヌよりも小さき体、大きなくりくりの目に宿る純粋な決意。自らに課せられた使命を全うする覚悟が、彼女にはしかとそこにあった。
ヌヌは目を細めて
「……そうじゃな ミトちゃんはすごい子でおじゃる」と言ったが「じゃが、契約の話はまた今度じゃ」もう話を逸らさせない、とばかり、マイティアに詰め寄った。
「今は、宿題をじゃな」
「わすれました」
ハサン王の四人娘、その三女と四女は双子の娘。
姉・シルディア。
そして、妹・マイティア。
マイティアは天真爛漫な幼少期を過ごした。
その一方で、彼女の双子の姉、シルディアはひどく病弱だった。
「調子どう?」
「ミト、ごめんね いつも」
マイティアと瓜二つの姿だが、生まれながらの盲目。雪が降る度に熱を出して寝込む姉に、マイティアは僅か時間が空く度に会いにいっていた。
「あやまらないでよ、かぜをこじらせたら大変だってみんな言ってるよ。
サーティアお姉様がね、お姉ちゃんのことすーっごく心配してたわ。
ランディア姉さんはいつもだったけどね、鉄ぼう振ってたわ。
お姉ちゃんはね、ゆきの日に外出ちゃだめです。さむいんだから」
「……ミト、ゆきってどんな色してるの?」
「お空の雲と同じ色なのよ、ひまな神様がね、雲をちっちゃくちぎるから雪が降るのよ」
「えー、そうなの? お空に浮かんでる雲を、神様がちびちびちぎってるの? ひまなの?」
「そうそう、お空に浮かぶ羊の毛~ 神様ね、それをむしるのが好きなのよ。私も女神様になったらきっとね、雲をむしるのー」
「うーん、お姉ちゃんは鼻がむずむずしてきました」
「お姉ちゃん、むぎゅーっとします?」
「むぎゅーっとします」
シルディアは、どうぞ、と、身を差し出すマイティアを胸いっぱいに抱きしめた。
「今日もまた城の人たちが私たちの悪口を言ってたの。
お姉ちゃん、あんな大人になりたくないわ」
「お姉ちゃんは耳がイイからね、聞こえたくないものまで聞こえちゃうのつらくない?」
「ううん、イイの。聞こえなくていいことは、全部私が受け止めて、言い返してあげるんだから」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
シルディアは妹の温かさが好きだった。柔らかい頬に頬を重ねて彼女の元気を分けて貰えるから……しかし。
「今度ね、初めてお父様のいる本塔に行くの
お父様に会えるかな」
「会えるの、やっぱりうれしい?」
「うん。
だけど、少しきんちょうしてる」
その言葉通り、触れる胸の鼓動から、マイティアの緊張が伝わって来ていた。
”次代の王の娘が、女神の子となる。”
大女神は予言を王国に下した。七回目の女神の選定後間もなく、魔王復活の兆候があることを伝えると共に。
王国の人々は当然の如く、次代の王は王子ルークだと思っていた。
ハサンの前の王で、ハサンの兄、セルゲン。その息子であるルークだと。セルゲンも、当のハサンでさえも、そう思っていた。
しかし、ルーク王子は、魔王復活の動乱の最中に行方不明となってしまった。
一人息子の事実上の死に、前王セルゲンも体調を崩し、そのまま崩御されたことで、歴代最高齢でハサンが即位することになった。
問題は、ハサンには子どもがいなかったことだった。このままでは大女神の予言が通らない。
そこで貴族たちは、“次代の王族に近付く”ために……そして、“女神の子を生み出す何よりもの名誉”を得るために、ハサンに魔力を高く持つ若い娘らを嫁がせようとした。
最初、ハサンはその縁談を悉く断っていた。彼は早くに亡くなった妻サリーに一途でいて、彼女以外の女性と交わることを拒んでいたのだ。しかし、元老院や宰相たちからの圧力に負けたハサンは、貴族たちの申し出を条件付きで呑むことになった。
・書面上の結婚はしないこと
・生まれた子供のうち、女児はハサンの娘として迎え入れるが、男児は女の家系に入れること
・生まれた子供たちは男女関係なく、王位継承権は与えないこと
その条件の下、ハサンは仕方なく―――若い女を抱いた。
そんな経緯がある為なのか、 “父”であるハサンは、“自分の四人の娘たち”の世話には全く関与しなかった。
サーティア・フラン・フォールガス
ランディア・トルク・フォールガス
シルディア・マック・フォールガス
マイティア・レコン・フォールガス
彼女ら四人はともに、産みの母にも会うことが出来なかった。修道院に勤める共通の乳母を“母”代わりにしていたものの、乳母はハサン王を恐れている為か、四人の娘たちに愛情と呼べるほどの触れあいをしなかった。
誰からも愛されない……そんな状況を6歳ごろから理解し始めた彼女たちは、互いに足りない愛情を埋め合うように仲睦まじかった。
せめて自分たちだけは、お互いを愛そう。
生まれて来たことを愛そう。どれだけ白い目で見られていようとも。一人きりになってしまうまでは、一人にはならないように。
そして―――。
女神の子となったマイティアに、謝意を。
そうして、幼い彼女たちは慎ましく生きてきた。
だが、マイティアがハサン王に呼ばれたときから、風向きが変わり始めた。
「アイツに似てるな」
第一声。
王の間に召喚され、緊張した顔で膝をつくマイティアに、玉座に頬杖をついたまま、ハサンはぼそっ、と、そう呟いた。
白髪混じりの長い金髪、繊細であったろう髪質はがびがびに荒れている。責任と焦燥に疲弊し、深い皺が刻まれた顔は、何かへの怒りで辛うじて血色を保っていた。
歴代最高齢で即位した王、ハサン。
マイティアの、父。その筈だったが―――父の目に、”愛娘”を見るような穏やかさはない。
マイティアはこのとき、父の言うアイツは“母”のことだと思った。
自害してしまったという、母のことだと。
「マイティア、お前は今、何歳になった」
「9歳です」
「そうか」
側近の政務官から書類を受け取り
「とりわけ魔術に秀でている訳ではない、か……」
「…………。」
それはマイティアも気にしているところでもあった。
女神と言えば、賢者並みに魔術に秀でた者たちが世界から集められて、切磋琢磨して競い合い、一番になった世界一の魔術師がなるもの―――それが百年に一度行われる女神の選定だったから。
だが今回は、女神の予言によって女神が指定された。
ハサン王の娘は四人。そのうち、最も魔術に秀でているとされたのは、シルディアだった。だが、彼女は盲目だったから、二番目に秀でていたマイティアに指定された。
「魔術師たちからは高評価を受けています。
人間として”は”魔力量も多く、技術もある。”努力次第”では得意分野での五つ星になれる素質はあろうと」
「……それが、女神足り得る魔術技術と呼べるのか?」
ハサン王の疑問に、そうだ、と、答える事は誰も出来なかった。
高等魔術師(五つ星~七つ星)は賢者(八つ星)よりも、一つ下の領域ではあるが、雲泥の差がある。賢者は八竜(神)に認められた魔術師がなるものだからだ。
舌打ちこそ聞こえなかったが「…………。」それに相当する蔑視を、マイティアは感じた。周囲の貴族たちから差し向けられる軽蔑と似たそれを。父から。
(もっと……頑張らないとダメなんだ、勉強……)
姉と会う、10分程度の時間を除けば、ほぼすべての時間を魔術の勉強などに当てていた。まだまだ難解な本は読んでも理解が難しいところはあるが、召喚術に関しては中級の傀儡手の召喚術まで介助ありで出来るようになった。まだまだ伸びしろはある筈だ。きっと成果が実ればきっと父も―――。
「マイティア、カタリの里へ向かえ」
「えっ」
マイティアは、その言葉の意味を理解できずに呆然とした。
当然彼女は、”大人”になってから行くものだと思っていたからだ。
「女神に、なる―――と」
「何か問題があるか? 以前から伝えられていた筈だぞ。お前が、女神の子だと」
「は、はい……ただ、その 急な、ことで……」
「急、だと?」
ハサンは誰の目にも明らかに苛立ち始め、マイティアを射殺すように睨みつけた。
「俺は、“9年”も待ったのだぞ」
マイティアは口を閉ざし、唇を固く結んだ。
今、何か言葉を挟もうものなら父は爆発するように怒り出すだろうと悟ったからだ。
「タナトス、馬車の準備はしてあるな」
「すぐにでも」
「ならば、連れて行け 新月の昼間なら、魔物共も多くはなかろう」
「直ちに」
マイティアの護衛タナトスは、ずかずかとマイティアに近付くと、手を差し出した。
「マイティア」
しかし、突然な事態を素直に呑み込めていないマイティアは、タナトスの手を取るのを躊躇った。
「よもや、使命を忘れたわけではあるまい」
「わ、わかっております……。
ただ……お父様、一日 一日でも……時間を、いただけませんか?
姉たちと……別れを」
「どのみちお前は記憶を失うのだ。必要なかろう」
マイティアはこのとき初めて、記憶を失う事を知った。
まん丸と見開かれた目が涙で潤み始めても、ハサンの視線は緩まない。
「お……お願いします。
一日だけ、いや、半……30分だけでも……。私、誰にも 何も、まだ」
「ならん」
「お父様……」
「行け」
「…………」
「何の為に自由にしてやったと思ってる!」
ハサンは起爆した。怒鳴り声を上げ、血走った目でマイティアを睨みつけ、肘掛けに拳を叩きつけた。
「9年だぞ! 9年! その間にどれだけの人間が死んだと思っている!?
この国を守るためにどれだけの死体を捨てたか! どれだけの犠牲を払ったか!
魔王が復活し!民が飢え!病が流行り!ドップラーの魔物に虐殺される様を! 俺は9年も見せつけられた!分かるか!?この無力さを!
お前が女神の子なのだ! 女神となり! この国に! 俺に! 救いの道を指し示す! それが女神の予言なのだ!
それをなんだ! なんだと思っている! 独り善がりに!
貴様はそれでも王族か!? 女神の子としての責務を軽んじるとは!恥を知れ!!」
「申し訳 ありません……」
少し視線を下げ、逃げ出したくなるのを、拳を握って堪えようとするが、心臓が胸の中で跳ね回り、肋が鼓動で軋む。
「タナトス!さっさと連れて行け!!逃がすなよ!」
「御意」
タナトスはマイティアの腕を掴み「───や」無理矢理引っ張って馬車を待たせている東門の裏口へと向かわせようとする。これに足を踏ん張って対抗しようとするが
「早く行け!もたもたするな!!この1秒1秒の間に!お前は民を見殺しにしているのだぞ!!」
悲鳴を抑え込むのに堪えきれず涙が溢れ出す。それでもタナトスは力を緩めない。
「お願いしますっ やめて お願いっ いたいっ!」
それでも…………マイティアは引き摺られながら、無理矢理馬車に詰め込まれ
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!!」
外から閂を掛けられ……。
カタリの里へと、連れて行かれてしまった。
だが。
一日後。
「マイティア……もう一度だけ、訊いてやる。
何故戻ってきた」
夜の、王の間。普段であれば無人であるはずの場所に集まった王、騎士、側近たち。
その中心には、四方八方からの圧に憔悴しきった表情のマイティアがいた。
「カ、カタリの里の守り人から……女神の選定の、通例通り……20さいにならないと、女神の子として受け入れられない、と」
「……マイティア、お前は今、何歳だ」
「……9歳です」
「あと11年を……待て、と」
どよめきが王の間を包み込む。口火を切ったのはハサンだった。
「お前はそれで、おめおめと引き返してきた訳か」
「……き、きりの中からも追い出されて……。
入り口の近くで待っても……もう一度中に入ることが出来ず」
「だから戻ってきたのか?」
「持っていった食料も少なくて……きりの中に私から入る方法も分からず……その、戻るしか……ありませんでした」
「よくもまあ……いけしゃあしゃあと嘘を」
「!? 嘘じゃないです!」
「民が苦しみ、続々と死んでいくこの現状を、お前は何も分かっていないようだな」
王が、マイティアの言葉を嘘だと決めつけた時点で、周囲の目は困惑から怒りに変わった。
カタリの里へ連れて行かれたのが納得いかず、まだ女神になる覚悟もつかないから、嘘をついて時間稼ぎをしようという魂胆だろうと。
「行け、カタリの里へ向かえ 今すぐにだ」
「お父様! 私は嘘なんかついていません!」
マイティアは必死に真実であることを伝えようとしたが、カタリの里に入るには魔力の印という特別な証が必要であり―――結論、マイティアしか守り人に出会えていないのだ。馬車に同乗していたタナトスたちは、マイティアと守り人の間でどんな話があったのかを直接聞いていない。
だから、嘘だと決めつけられては、証明しようがなかった。
「王族として、選ばれし女神の子としての覚悟はその程度だと晒しているのが分からないのか愚か者め!
お前の自分本位な選択が、民を思う覚悟のなさが、このような事に無駄な時間を割くのだ。お前がここで突っ立っている一分一秒、その間に死にゆく民がいるとすれば、その民を殺したのはお前であるぞ!」
マイティアにはどうしようもなかった。
「自分で向かう事すら出来ぬのか、出来損ないめ……!
タナトス、引き摺ってでも連れて行け!
食料が足りんなどとほざくのならば、そこらへんの土でも食えばよかろう!」
「────」
「女神となれば記憶も失い、肉体もなくなるのだ。食わせる飯が勿体ない……!
マイティア、務めを果たせ。
お前は9年も生きた。教養も得た。衣食住もあった。人並みよりかはマシな、バカではない頭にはなったろう。故に、これ以上は必要ない。お前の生きるべき目的はほぼ果たした。後は、女神となればよい」
「お前の生きている価値などそれ以外にないと言っておるのだ!!
さっさと行け!! ぐずぐずするな!!」
マイティアは再び、カタリの里へと向かったが……。
彼女は絶望に震えながら……戻ってくるしかなかった。