第44話① ナラ・ハの決戦
トノットの襲撃から4日後。
ナラ・ハの森を人類の手に奪還する為、シェール軍は魔術師協会と結託して、魔物に支配されたナラ・ハの森への侵攻を始めた。
「出陣だ!!!」
「うおおおおおおお!!!!!!!!」
ジュニアに奮起されたシェール軍は、タイラント(大猪)を走らせながら北西へ上っていた。
社会的地位を失っていたジュニアだったが、広場での彼の言葉に感銘を受けた軍人たちや、”イーゴの支持”もあり、彼は軍の最前線で旗振り役を務める事になった。
「私も鼻が高いですぞ、坊ちゃま」と、馴れ馴れしく擦り寄ってくるイーゴだったが、ジュニアにとって彼は―――優秀で、頼りになる父の補佐官という印象から、父の”共犯者”へと変わっていた。
地下牢でのいざこざや、父の身辺への事情聴取を免れた理由は、末端も末端のジュニアには分からない。透明性がないからこそ、強い不信感になっているのだ。
「僕は僕のすべきことをするまでだ。
イーゴ、あなたには世話になったが、この戦いが終わったら、僕はあなたたちシェール軍とは違う道から、国の為に尽力しようと思う」
「ははは、それを正面切って私に言いますか」
「ああ、そうだね。失礼した」
まだ青臭さの抜けないジュニアの目にも、イーゴの目が笑っていない事は見抜けていた。
「ジュニア様! こっちで一緒にご飯食べましょ~」
魔砲用の砲台を作っていた軍人たちの呼び声に手で応え、僕はもうあなたを信用しない、という視線でイーゴを牽制し、ジュニアは立ち去った。
「…………。」
ゾールマン家は獣人化しやすい特殊な人間一族で『守りたいものが出来たとき、彼らは月明かりの下で聖なる獣になる』と、女神経典にも描かれている由緒正しき血統―――王国のフォールガス王家、ナラ・ハのファウスト一族、神国のビショップ家、地底国のタイタン家などの“古き者の血筋”───の一つだ。
今はまだ小さな背中だが、その後、彼の背中には多くの思いが託されるようになろう。それだけの展望を望める、”作りかけの器”だ。
だからこそ―――イーゴは、ジュニアの未熟な背中を睨みながら、誰にも聞こえない声で
「邪魔だな……」と、呟いた。
「ぎゅいいいい!!!」
一方の魔術師協会側は、長くシェールを悩ませてきた虫型の魔物を生み出す、ジュ・ルー本体を破壊すべく、ナラ・ハの森の東へと進軍した。
虫型魔物の猛反撃を受けるも、業火隊の地形破壊を厭わない炎によって魔物たちは追い詰められ、奴らの巣窟まで火の手が来れば、あとは袋の鼠……制圧に時間はかからなかった。
「うっ!」
焼け残ったジュ・ルーの巣窟を調査する魔術師たちの目に映ったのは、ブクブクに太った母体と思しき魔物の、背に生えた無数の卵。その中には、ドロドロに溶けた人の形が浮かんでいて、それが卵の成長に合わせて虫型の魔物へと少しずつ変貌していく様が並んでいた。
「人を攫い、それを核に同一の虫型の魔物を生成していた、か……。
これも一種の、魔物化の変性術なのかもしれませんね……ともすると」
卵の成分を調べながら、ウロの横で
「このゴミ屑がそんな高度な知能持ってるもんかよ」
ゲシッ、魔術師の一人がブーツで死体の手を蹴りつけると
「あ?」
そこにはくたびれた、動物の皮でできているらしい、おもちゃの人形が燃えずに残っていた。まるで母体が、人形が焼けないように守っていたかのようにも、見えなくもない。
「この母体も被害者だったのかもしれませんね……それも」
「だったらこのゴミを土にでも埋めとけばいい」
「……いえ、これは我々研究班がサンプルとして持ち帰ります。
先の戦いからみるに……高等魔術師以下は、観客のようでしたからね……」
戦場に駆り出されていた研究者数人は、ワンダの許可を取り、巣窟の調査の名目で残ることになった。
「抵抗がなさすぎる……。
この前も、時間差であの化物が現れた」
ジュ・ルーの巣窟を制圧し、周囲の巣を破壊しながら支配領域を広げていく中、ワンダたちは先日のトラウマを思い出していた。
「また罠ですかね……ないとは言えない」
まともに抵抗してきたのはジュ・ルーくらいだし、いつもの虫型の魔物もほとんど残っていなかった。数十だけ。今迄なら千体近くはいるはずなのに。
「巡回兵が無事に戻ってきました。
魔物との遭遇は一切なく、瘴気の気配はやはり、レンス・タリーパにしか感知できないと」
「……まさか、先日の戦いで、魔物共も満身創痍ということなの?」
「悪い意味でな」
「!!」
レンス・タリーパへ攻めいる作戦会議を行っていた魔術師協会のワンダたちの元に現れたのは、獅子の魔族ヨハネと、植物の魔族イェリネ、そして数多、屈強な魔族たちだった。
「ワンダ嬢が今や協会の会長とは、時の流れは早いものよな」
「……失礼ですが、あなたは?」
「ヨハネ様よ、ワンダ」
「ヨハネ様!?」
「よせ、敬称などつけてくれるな」
ヨハネ。黒の賢者を始め、多くの高等魔術師を輩出する名門、ファウスト一族の、族長。その発言力は国の中で№3と言っても過言ではない。
そんな男が、恐縮するワンダたちの前に現れ、頭を下げるなと言う。しかし、涙を禁じ得ない彼らが、その顔を隠すためには頭を下げるしかなかった。
もう、自分たち以外に頼れる人はいない……そう重いプレッシャーを感じていたところに、何十人もの魔術師、しかも熟練の高等魔術師も多い面子が現れたのだから。嬉しさと安堵で気が抜けてしまいそうだった。
「よく耐えたな、お前たち」
「……今も、子ども扱いですか? もう40を超えているのに」
ヨハネは静かに、優しく微笑んだ。
しかし、スッ……と、顔色を変えると、ヨハネは地図上のレンス・タリーパに、乾いた蛇の頭を駒の様に置いた。
「問題はエバンナだ。
奴は失われた肉体を手に入れるために、味方である魔物も取り込んだ。
先日の戦いの目的も、肉体を手に入れるためだ。
不幸中の幸いがあるとすれば、それでも奴の肉体には足りない、ということぐらいだが」
「……先の、魔王と思しき化物がエバンナを倒した訳ではなかったのですね」
「あれが何故起きたのかは、私にも見当がつかぬ。レキナにも白を切られたからな。
だが、それはさておき、これは好機ぞ、ワンダ嬢。
八竜とはいえ手負い、シェール軍が重い腰を上げ、質と量を併せ持つお主たちに、我らも協力する。
そして―――」
「よっす!」
そこに姿を見せたのは
「最後の最後まであなたに頼ることになるなんてね」
「嫌そうな顔しないでよん」
薄めの革の鎧を着たラタだった。
今の今まで防具一つ着ず、布の服と斧一本で戦っていた男が、魔法陣が刻印されている革の鎧を着ていた。
インナーには屈強な肉体がまざまざと浮かび上がり、準備万端とばかり酒で頬を赤らめている。
もう、誰にとってもこの酔っ払いは頼もしさに他ならなかった。
「エバンナは束になって倒せる相手ではない。例え本調子でなくとも、あれは神の分身。神の叡智に触れた者が戦うべきものよ」
「神の叡智……なるほど、あなたは八竜の隷属なのね」
「そんなに驚かんね」
「驚いているわよ。八竜は魔術師にしか興味がないのかと思っていたから。
いや、そうね……考えてみれば、フォールガス王家も”ファルカムの隷属”だったわね」
「そうそう、俺もフォールガスだし」
数十秒程の沈黙の後、何事もなかったかのように「まずこの進路を……」作戦会議に戻った。
「えっ、トンプソンが生きている!?」
シェール軍がレンス・タリーパの西側を陣取るまでの時間を合わせる、決戦前夜。
「トンプソンは、何かやるべきことがあるって言って、単独行動しているようよ」
イェリネはそう言って、久し振りの旧友との話に花を咲かせていた。
「最初、レキナは裏切り者のクソ野郎って思っていたんだけど、アイツもアイツで事情があったみたいで……魔族(私たち)を元に戻す方法、探していてくれたらしいの」そう言いながらも、イェリネの円らな目に光はない。
「ああいう天才様が、何年とかけても解呪方法を導き出せないんだって。
今出来てるのは、解呪した途端に死んじゃうみたいでさ」
「それって出来てるって言わなくない?」
「まだまだこの姿から元に戻れそうにないの……ほら、見てワンダ、花びらの顔がすぐに萎れておばあちゃんみたいになるのよ……霧吹き必須なの」
「……私たちの戦いに参加したら、きついんじゃない? 火加減出来ないわよ?」
「それはいいの。必死に潤いを保ちながら戦うから」
「何よそれ、ちゃんと集中してくれなきゃ困るわ」
「うふふふ、お堅い人」と、携帯していた水筒で水を掬い、顔に塗りつける。確かに、つけてしばらくすると皺になった部分が伸びる。
20年という長い時間だ、彼らも魔族としての自分の生態を、楽しむぐらいに思っていなければ生きていけなかったのかもしれない。
「あと、あの坊ちゃん、カッコ良かったわね~!
セルジオにズバーっと言っちゃって」
「……イェリネは知っていたの? セルジオの売国行為のこと」
「うん。私、トンプソンの下の、諜報部隊にいたから……セルジオとゲルニカの接点については知っていたわ。
だから、喋れる瞬間が僅かでもあれば暴露したろ!って思っていたところだったのよ。そこに、異議ありってね!
格好良かったわーっ! ルーク王子の『俺は認めん(声マネ)』的な渋さには勝てないけど、格好良かったなァ~」
イェリネは惚れやすく飽きっぽい人だが、彼女には不動のいち推しがいる。王国のルーク王子だ。あんまりに好きなもので、王子見たさで仕事を休んで、王国の祭事に参加して王子の声を聴きに行ったりするぐらいやらかしている。
ナラ・ハの諜報部隊にいる高等魔術師がプライベートで他国の祭事に顔を出すもんだから、駐在大使からの通達を受けるトンプソンに
『仕事と王子!どっちが大切なんだい!?』
『王子です!!!』
『王子は既婚者だからね?!』
『いいんです!!出来れば男の子に恵まれてくれれば……20歳差はセーフでしょ!?』
『んー、もーさー、帰化しちゃえばあ?』と、言わしめた女である。
「懐かしいな……そんなことあったね」
ワンダは忘れかけていた昔のことに思いを馳せ……「ワンダ……」ほろり、と、一筋の涙を零した。
天竜山脈から吹き下りてくる冷たい夜風を浴びながら、二人は静かな森の中心にそびえる、お椀状になった古い城を眺めた。
「もう少しだね」
「うん……」
「明日一日で終わると良いね」
イェリネの言葉に、ワンダは重く、一度だけ頷いた。
赤い夜が終わり、青々しい空に、伝書鳥が飛ぶ。
レンス・タリーパへ、東西からの挟撃だ。
怒涛の勢いで距離を詰めていく両軍に、魔物の出迎えはない。緊張が高まっていく。根城の静寂が不安を駆り立てる。
「いくぞ……っ!」
そして、お椀状に溶け壊れた世界樹の切り株、その根の森に両軍が踏み入れた、そのときだ―――!
ズズズズズズオオオオオオ!!
立っていられない程の地響き。レンス・タリーパを突き破って現れたのは―――巨大蛇だ。木の根を鱗のように纏う、あの化物が、東側に現れた。
すぐさま業火隊による上位の炎魔術、シェール軍の魔砲が巨大蛇に直撃するが
「くっ―――やはりダメか!」
先日と同様、魔術は軽減され、ダメージになっていない。
「なら、俺が行くぜ!」
これに、ラタがオリハルコンの斧を手元で振り回し、充電を始めた。一切の出し惜しみはしない。フル充電から一気に片をつけないと、この巨大蛇とエバンナを両方相手にすることになる。それは命がいくつあっても足りないからだ。
皆が巨大蛇の大暴れを抑え込んでいるうちに充電を手早く終わらせ、いざ巨大蛇に飛び掛かる―――が
「なっにぃいーっ?!?!」
巨大蛇を眼下に捉えた―――その瞬間、グチャァア!! ヘドロのような何かが分離し、それから歯が、舌が、露わになる。
「アョヲ」
その音が鼓膜を揺らすとともに、ラタは死を覚悟した。
「ぐぅおっ!?」
頭の中から殴られるような衝撃で、ラタの平衡感覚がくずれ、ぐるぐると回り、足で着地も出来ずに背中から地面に落ちる。二日酔い状態で更に酒を飲み、その場で頭を支点にベーゴマの如く回るような気持ち悪さだ。
その場で動かなくなるラタに、肉塊の竜が無数の魔術で追い打ちをかける。
「ああっ!」「!?」
ラタに集中砲火される魔術、その爆炎が止むと……煙の中から、全身血塗れになったラタが、なんとか原形を留めて生きていた。なんとか呼吸は出来ているようだが、かなり重傷だ。
「くっ、そ……化けの皮、かよッ!」
しかも、平衡感覚がまだ直らない。その場に伏せて息をしているのだけで精いっぱいだ。せっかくの充電分も魔法障壁に変えてしまい、魔力がすっからかん。
「―――マルクス!彼を!」
地面に四つん這いになる勇者を見下ろす、二つの大きな影。
世界樹の根に包まれた巨大蛇
そして、肉塊で出来た竜───それはまるで、双頭の蛇のようだった。
「二度も同じ手を食うと思うなよ、勇者」
その声は、肉塊からではなく、ハッキリとした女の声で発せられた。
カツカツカツ……高いヒールを履いた女性の凛とした歩き姿の如く、そいつは威風堂々とラタたちの前に現れた。
クモ女だ―――マグラ。
だが、そこからは、並々ならぬ気配と殺気が放たれている。
「か弱き者共め、この神に牙を向けたことを後悔せよ!
貴様らの魂に安息の終焉など訪れはしない!!!」