第7話② 港町の鉄の壁
グラッパに防具を見繕って貰うべくネロスと一時別れ、町長自らの案内で、私は港町ポートの町議会を訪れた。
私はてっきり会議室で話をするかのかと思っていたが、粛々(しゅくしゅく)と連れて来られたのは1つの町の長に与える部屋にしてはずいぶんと小さく、警戒心を露わにしている八人のドワーフもいるむさ苦しい場所……まるで事情聴取の様だ。
ただ、この二日三日で神経が不本意に図太くなったようで……ドワーフたちの視線は壁に飾られた不謹慎な絵画ぐらいにしか感じなくなっていた。
「ロウ・グランバニク侯爵より手紙を預かっております。
先に、お渡ししておきます」
護衛のドワーフを通じて侯爵からの手紙を渡すと、町長はざっと目を通してすぐ、懐にしまった。
「先日は、急な救援要請に応じていただき、ありがとうございました」
「……マイティア様、つかぬ事をお尋ねしますが、王族であるあなたが何故この町に勇者と?」
「勇者を王都に連れ帰る予定だったのですが、トトリから王都へ向かう国道トンネルの崩落により、遠回りする羽目になりまして。
グラッパよりクロー鉄鉱山の事情をお伺いしました。魔物の支配から取り返す代わり、ポートからレコン川を遡上して王都入りすべく船を出していただきたく」
「そうですか。しかし、王都へ入るための水門はここ10年以上開かないまま。
姫様と勇者の帰還に王都が応じてくれるかどうかは、私は保証しかねますよ」
「構いません。王都とは私が直接交渉します。
門前払いをする理由がないはずですから」
「……わかりました。勇者がクロー鉄鉱山を解放して下さるのならこちらとしても願ってもないこと。連絡船を出すよう便宜を図りましょう。
ただし、この場にいるデバタ船長があなたを船に乗せるかどうかは……姫様自身が信用を得るしかありません。それで宜しいですね?」
私は頷き、町長の申し出を受け入れた。
不本意ではあるが、この町の中に通された以上は彼らの言うとおりにするべきだろう。勇者曰く、私が『しほー』問題を解決出来ると言うのだから……少し未来の私がどうにかしてくれるに違いない。
「しかし、まだ冬季まで時間があるというのに、国道トンネルが使えなくなるとは……まだ地竜の雪化粧はしていない筈ですがね」
「え?」
「ん?」
私も町長も目が点になり、お互いの認識のズレを感じたが……まあ、今は本題に入るべきだろう────。
斯く斯く云々(かくかくしかじか)、町長の話をまとめると
ポートの司法長プライマス・マルベリー男爵が、下民街の掃除と称して“食い扶持減らし”を町議会に提案してきた……ということらしい。
「その人道に反した政策と呼べぬ虐殺に反対の立場を表明したいのですが、彼に“賛同させられている”者は多く……過半数に近い賛同を、獲得する見込みなのです」
魔王復活から半年ほど経った頃、四天王の一体によって滅ぼされた地底国から10万近いドワーフが、レコン川を渡ってポートへ亡命してきた。
膨大な数の難民を受け入れられないと、即位早々にハサン王はレコン川を渡っていた難民船を撃墜させるよう王都騎士団に命じた。実に、7万人にも及ぶ難民たちを、王は交渉の余地も与えずレコン川の底に沈めたのだが、生き残った3万人はポートに丸々移住した。
その結果、衣食住の不足による治安悪化が加速していった……という訳だ。
当時のハサン王の非人道的な決断を非難する者は多くいるが、少なくともあの頃の王は“まとも”だった……私はそう思っている。
「司法所が丸ごと身内のせいで野郎はやり放題、法で裁くことすら出来ねぇの。
だからよ、上から圧力かましてくれるのが一番なんだよ、姫様」
「それはつまり……私が、マルベリー男爵を説得せよ、と……」
「流石に男爵でも、王家のあなたに手を出しはしないでしょう。何より、彼が今、尤も恐れているグランバニク侯爵ともお知り合いなのですから」
「…………。」
互いに町長の座を奪い合う、ナリフ町長との仲もあまり宜しくないという王国貴族の下へ……私はまたも、駆り出されるらしい。
恨まれ役には、慣れたくないのだが。
グラッパの住宅兼仕事場を宿屋代わりに使わせてくれるというので、日が降りる少し前、町議会の面々から貰った資料を持って向かった。
だが、その道中は怖かった。下民街ではない地上の町でさえ、北方の金髪を嫌うらしく、すれ違う人間からもドワーフからも難癖つけて絡まれそうだった。ひょんな事から殺意に変わりかねない殺伐とした視線から逃げるべく足を急がせ……教えられていた路地に入った頃には息が上がっていた。
坂道の多いポートの居住区、2ヶ国の文化が入り乱れる町並み。元々は大通りだった道にも家が建てられているため、路地は迷路と化している。
教わっていたとおりの道順で進み……回収する気がなさそうな腐ったゴミ捨て場の横を通っていくと……大きな建物に囲まれつつも、ポツンと開けた日陰の空間に工房が見えてきた。
古めかしい木造平屋のそれなりに大きい住宅と、煤で黒っぽい石造りの工房。炉は焚き火程度に燃えたまま、仕事場は閑散としている。そして、須く天井が低い。万歳したら天井に手首がぶつかりそうだ。
「あ、ミトだ」
「おうおう来たか! 迷わず来られて良かったぜ」
静かな仕事場で、僅かな鉄を革に継ぎ接ぎした鎧を着たネロスとグラッパに合流した。
「お疲れさん、姫様や。ジッちゃんバッちゃんの相手して肩凝ったろ?
飯にするか、汗を流すかは決めていいぜ」
「気を付けてね、ミト。水がね、お湯だから!」
言語レベルの温度差で身震いしたので、ご飯をいただくことにした。
グラッパの工房には、彼が雇う鍛冶職の従業員7人と、グラッパの家族(妻と子供6人足して計8人)が一つ屋根の下に住んでいて
「マッマ!ごはん!」「やしゃいたべない!!」「食べてくださいよぉ」「ギャアア!虫ィイ!」「あああ!!あしふまれたああ!!」などなど、食卓は大変賑やか、鼓膜がぶるぶる震えっぱなしで、皿の堤防を乗り越える高波がテーブルいっぱいにスープを撒き散らしている。斑模様のテーブルクロスが物語るカオス。一周回って絵画のようだ。
「コォオラッ!お前ら姫様の前でぎゃあぎゃあ言うんじゃねぇやいッ!ドン引きされてんじゃねぇか!」
父グラッパの叱責もなんのその、全員酒でも飲んでいるのかと思うぐらいにしっちゃかめっちゃかだった。
慌ただしい食事を終えて間もなく、リビングに轟いていた子供たちの喧騒がピタッと止んだ。今日は満月……女神信仰における祈りの時間なのだろう。
「ミトは祈らないの?」
「私はやりたくないの」
神官に聞かれようものなら発狂されそうな言い訳をして、私はそそくさとあてがわれた部屋へ向かった。
部屋は狭いところが大好きなドワーフ仕様なので、私たちからすれば“棺桶”サイズだ。率直に言えば両手を横腹にくっつけて寝なければならないほど狭い。
私はベッドに腰掛けて布の仕切りから足をはみ出させて、明日の資料に目を通し……粗方書いてあることを網羅した。
その後、祈りが終わったのか、私の真横の部屋───というより隣に座るレベルの場所にネロスが戻ってきて、私と同じように足を伸ばした。そして、天井の窓から赤みを帯びた空を見上げる。
夏季三月の満月の夜。暗赤色の月によって魔物の力が最大に増幅される、血色の夜。
大きな唸り声が遠くから聞こえてくる……この夜はひたすら、家の中で縮こまり、女神に夜明けを願うのが女神信仰の常識だ。
「ベラがさ、満月の夜には魔物と共に“獣人”が出るってよく言うんだけど、ホント?」
「ホントよ」
「獣人ってそういう人種なの?
ベラに訊いても答えが難しくてわからなくて……」
魔中毒の原理もよくわかっていない彼に、この難題をどう説明するべきか……。
そもそも獣人は、神国では禁句とされ、言葉にするだけで女神教団に補導されるレベルの話だ。
王国では言論統制こそされていないものの、人に好んでする話ではない。エルフによる優生思想を助長し、人間種族を貶める自嘲行為だから。
「……獣人は、獣人化という、人間だけに罹る病に、苦しんでいる人のことよ」
思いつく最大限、マイルドな言い方だ。
だが、私は寧ろ、勇者の好奇心を煽ってしまった。
「え、病気なの? しかも、人間だけ?」
「……エルフは発症しないわ。
私たち人間だけが、魔力の大元である“魔”に影響されて、身体が獣の様に変性する。だから、魔を増減させる月の影響を少なからず受けてしまうのよ」
「どうしてエルフはならないの?」
「エルフには耐性があるから。
諸説あるけど、人間は元々魔力を持たなかったから、という説が有力ね。後付けで魔力を処理する能力を得たため、肉体に負荷がかかるんだって。
そして、獣人と化した人は魔物になりやすい……獣人の肉体は魔を取り込む事で強靱化する、この感覚がクセになると、その人の魂が魔に侵されていっているのに気付けなくなるから」
「……病気なら治るの?」
「それはわからない。私は答えられないわ」
「そっか……ありがとう。知識が1つ増えたよ」
ネロスのセンシティブな質問を切り抜け、私は日記をつけ始めた。
横からマジマジと私の筆先への視線を手元から感じつつも、私は筆を止めることはしなかった。私は自分の日記を人に見て貰いたくて書いているようなものだから。
「グラッパの子供たちがね、教えてくれたんだけどね
みんな頭良いの そうそう、そんな形の“模様”をね、みんな書いてた」
「模様?」「こんなの」とかなんとか言って、宙に指を泳がせた……1+1=2だそうだ。
「それは模様というより数式よ 初等教育の算数」
「さん す う?」
何となく察してはいたが、ネロスは初等教育を受けていないようだ。識字が特に弱い。
「……実はベラにね、昔、教えて貰ったりしてたんだけど……ほら、ベラって聖剣だからさ」
確かに、文字なんて書いてあるものを見なければ説明の仕様がないか。
「王都に戻るまでの間なら、私が読み書きを教えてもいいけど」
「ほんと!?」
文字が認識できない、簡単な計算も出来ない……働く子供ばかりの世の中では珍しくもない話だが、出来ることに越したことはないのは確かだ。何より人に騙されなくなる。時として魔物よりも質の悪い人に。
「あなたがそれで良ければだけど」
彼は何だか嬉しそうに笑ったが……、最初の基本文字5つを書いて見せた途端に満面の笑みが消え失せ、眉間に皺が寄り、遠い目をし始めた。
なるほど、これは女神でも手こずりそうだ。
2022/7/18改稿しました