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クゼルバイク国史 リルフィナ騎士姫伝  作者: アル・ソンフォ
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第5話 弟

 ヒューメル王太子には弟がいる。

 別にこれは馬上剣術会に出場して正騎士の身分を勝ち取ったリルフィナ王女のことを指しているわけではない。今年六歳になるサフィルという名のれっきとした弟がいるのである。

しかしながら、ヒューメル王太子とサフィル王子との関係は、リルフィナ王女のそれとは完全に正反対である。この二人は三年近くにわたって会話はおろか会うことさえしていない。それは年の差が離れた幼い弟というだけではない。別な理由が存在する。

 ヒューメル王太子がサフィル王子と会わない理由は王子の母親とその一族に起因する。

 サフィル王子の母親は、ヒューメル王太子やリルフィナ王女の母親である第一王妃であったエシュリナでなくナスリーン・リーテムルグ・フェル・ペルテバートというパルジェニアの事実上最後の王であるロクシュ三世の姪である。

 サフィル王子は、ナスリーンがパルジェニアからクゼルバイクに従属する証としてパルジェニアの王冠と共に嫁いできた翌年に産んだ王子である。

このような例は歴史を紐解けば多く存在する。そもそもクゼルバイク王国自体が旧ソルヴェキア王国から禅譲を受けて誕生した国家である。長い歴史を有しかつてはアッシェンド内海に覇を唱えていたパルジェニアも故地でありナイカ帝国との貿易中心であった東部にこだわった結果、クゼル河という大海に通じる河川を支配することに成功したクゼルバイクに交易の優位性を失い服従か滅亡かの不名誉な二者択一を選択することになったのである。

 パルジェニア国王ロクシュ三世は、王族唯一の適齢期の女性であった姪を差し出し、クゼルバイク王国に一族の保護を願った。さらに、既にジェンドル二世に既に王妃と後継ぎである王子がいることを踏まえ、形式的とはいえ女王として嫁ぐナスリーンを正妃という立場より一段低く、また生まれる子の王位継承順位も副王家ともいうべきハシェリク家よりも低くなる妾妃として嫁がせるような配慮までおこなったのである。それに対しクゼルバイク王国もパルジェニア王族に対し、先王となったロクシュ三世をパルジェニア大公として国王に次ぐ礼遇を与え、更にパルジェニア公爵、旧王都の名を冠したマルティバード侯爵の二つの爵位を与えるなどその配慮に応えていた。また、ナスリーンも万事控えめなで慎ましやかな性格であり、当初はなんら騒乱がおこるようなことは誰も思っていなかったのである。

 しかし、本来王位継承で争うことも事実上あり得ないヒューメル王太子は、サフィル王子を遠ざけている。それは三年前の内乱に原因がある。

ロクシュ三世は大陸歴六九七年に六三歳で逝去した。自然死でありその死因に何らかの疑わしいものはなかったが、クゼルバイク王国に服従することで安泰を得たこの元国王は更なる服従の証を示すことで子孫の安泰を図ろうとしてある遺言を遺した。

その遺言は、与えられた二つの爵位の継承についてであった。その遺言においてパルジェニア公爵位を自身の弟でナスリーンの父親であるリクリヒトに、マルティバード侯爵位を元王太子であった長子ベレセシュに継承させたことであった。

 これがパルジェニアの元王太子であったベレセシュの感情を逆なでした。王太子でありパルジェニアの実情を知っていたからこそクゼルバイクへの併合という父王の判断を断腸の思いで受け入れたのであって、独立を失ってもパルジェニアの全てを差し出すことを良しとするものではなかった。パルジェニア王家の家長に与えられて然るべき公爵位をナスリーンの父親に継承させたということは、いずれその公爵位はナスリーンの産んだサフィル王子に継承され、本来嫡流であるはずの自分が傍流に貶められるという屈辱感を覚えたのである。

 そして、彼は行動を起こす。併合による変化によって特権や利権を失い始めていた旧パルジェニア貴族や商人と共に内乱を引き起こしたのである。この内乱は一時旧パルジェニア全土に広がる勢いを見せたが、ジェンドル二世自らが水陸両軍を率いて親征することで速やかに鎮圧することに成功した。

 一度は服従した一族による叛乱、これだけでもクゼルバイク王家の怒りの買うのに充分であったが、それに更に火を注ぐような事態が内乱の終盤に発生していた。それは、エシュリナ王妃の死である。タフールの騎馬民族の出身であったエシュリナ王妃は弓馬に親しみ、この親征に際しても夫であるジェンドル二世の護衛として共に出陣していた。エシュリナ王妃の死は戦場でなく、勝敗が決した後の国王が降伏した者たちとの引見の場においてあった。

 パルジェニア元王太子であったベレセシュも捕らえられジェンドル二世のもとに連れてこられた。ただ、この時、元王族であるということで武器や帯、金属製の装飾などの凶器となり得そうなものは取り上げられてはいたが両側に監視の兵が付いているのみで鎖や縄などでの戒めはされていなかった。慣習に則ったやり取りのあと残った一族の助命と引き換えにベレセシュは自裁することとなり、その場で酒と短剣が与えられた。

 酒は形式上死の恐怖を抑えるために渡されるが、実際には慣例で毒が入れられており短剣の方は使われることなく果てるのが通例であり、実際、この時に与えた酒にも苦痛の末一分ほどで死に至るような毒が加えられていた。

 敗者の引見に参列していた人々は、反逆者の死をみとるためにそこにいた。無言でその酒を呷った元王太子ベレセシュの死を誰もが見届けようとしたその瞬間、そのベレセシュが立ち上がると自裁用の短剣を抜き、玉座に詰め寄ったのである。

参列していた多くの人々が動揺する中、唯一動いたのがエシュリナ王妃であった。玉座ごと蹴り倒してジェンドル二世をベレセシュの凶刃から遠ざけると自らの剣でベレセシュの首を刎ねた。しかし、ベレセシュの狂気が勝っていたのか運命のいたずらか首を失ったはずのベレセシュの手にする短剣はエシュリナ王妃の腹部に深く突き刺さったのであった。

 このことでナスリーンはクゼルバイク王国への反逆者の一族であるだけでなく、ヒューメル王太子やリルフィナ王女の母親の仇ともなったのである。ナスリーンやパルジェニア公爵を継承していた父親のリクリヒト自身がこの内乱にかかわっていなかったのは事実であったが、国王の殺害を試み、結果、王妃が殺害された事実の前にはなんら意味をなさなかった。ナスリーンの父リクリヒトはこの報が王都にもたらされたその日に自室で毒酒を呷り自死、ナスリーン自身は当時三歳であったサフィル王子への影響を考え助命され王妃の称号を失うこともなかったものの王宮北東にある小さな離宮に軟禁されることとなった。また、そのほかの一族は内乱に加わったものと共に全員処刑されたのであった。

 これが、ヒューメル王太子がサフィル王子と会わない理由である。ヒューメル王太子だけでなく、この離宮にはナスリーンとサフィル王子を世話するごく少数の侍女、監視をする衛兵以外ほぼ立ち寄るものはない。来客などほぼ絶無である。

 だが、この日、この離宮に一人の来客者があった。来客者はその手に一通の書状を携えていた。

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