第4話 兄妹
「兄上、飲みませんか。」
父王から騎士叙任を伝えられた夜、兄であるヒューメル王太子の私室を訪れたリルフィナは、テーブルの上に一本のワインを置いた。
「べレク・バルシュの六九一年物の白か。良く手に入ったな。」
「兄上にはいろいろと手を打っていただきましたから。」
リルフィナはぺこりと頭を下げる。
「本当に感謝をしなければいけないのは私の方だ。私が動けない分、お前に動いてもらわなくてはならないのだかなら。王太子というのは案外と不自由なのだぞ。」
そういうとヒューメルは書類や資料が積み上げられた執務机に目をやる。
「そういう意味では父上も同じだ。いや、王である以上、もっと不自由だ。」
ヒューメルは立ち上がると戸棚からグラスを二つ出す。
「この国、そして我らハウフクレツ家は押し付けられた苦労によって大きくなったようなものですからね」
リルフィナはワインの栓を抜きながらこの国の成り立ちを思い起こす。
「そうだ。ソルヴェキアにパルジェニア、いずれも我ら一族に面倒を押し付けてきた。ハウフクレツ家歴代の王は押し付けられる苦労をまるで輝かしい栄誉の機会が得られたように喜ぶことを強制される道化のようなものだ。」
ヒューメルは二つのグラスにワインを注ぐと、一つをリルフィナの方に差し出す。
「では、兄上は?」
そういうとリルフィナはワインを口にする。
「聞くまでもないだろう。我々は兄妹、言わなくても分かってくれる間柄だろう。」
ヒューメルも同じようにワインを口にする。
「そうですね。」
リルフィナは軽く頷くと、すっと小さなバケットを差し出す。
「白チーズにハム、そしてナッツ。用意周到なことだ。」
「ええ、正騎士になる以上、兄上の役にたちたいですからね」
そういうと二人は同じタイミングでチーズを口に運ぶ。
「さて、この王都から出ることのできない不自由な私に代わってお前には外に出てもらおうと思っている。近衛騎士と違って正騎士ならば赴任先の選択肢は多いからな。」
チーズを飲み込むとヒューメルは壁にかけた地図の方を見る。
「中南部のロシキア、それとも南部のアルゼスですか。まさかパルジェニアの旧都マルティバードやタフールとの国境フェレスなどとは言わないですよね。」
リルフィナの言葉にヒーメルはグラスを置く。
「いくら何でもマルティバードやフェレスなどとはいわんさ。いざというときには連絡の取りやすい場所にいてもらわないといけない。」
ヒューメルは掴んだナッツを弄びながら言う。
「南のコルニにキナ臭さが漂い始めているとはいえ、我らが兄弟同然のアルゼス公たるタヒサート殿のお膝元にお前を派遣してまで状況を把握する必要はないだろう。」
ヒューメルはそこで一息置く。
「それもと、リルフィナもタヒサート殿に気があるのかな?」
兄の言葉にリルフィナはムッとして、グラスに残っていたワインを一気に呷ると少し大きな声で言う。
「“も”とはなんです。“も”とは、兄上、タヒサート殿の性癖は私も承知しています。これでも私にも一応女性だという自覚はあるのですよ。」
リルフィナは言い切るとグラスにワインを注ぎ、それも飲み干す。
「なあ、妹よ。お前だったらあのタヒサート殿の結婚相手になれると思うのだ。子孫を残す責務がある貴族、それも王家の連枝たるハシェリク家の当主なのだからな。全くアレされなければそれ以外は優れた才能を有するというのに。」
ヒューメルは軽く首を振る。
「からかうのはやめてください。ロキシアとアルゼスの意味は分かっているのでしょう。」
リルフィナは横を向き、目だけで兄を見る。
「お前に研究をまかせている鉄筒だろう。いずれも我が国の鍛冶兵工廠の中心地、よほどあれを気に入ったな。」
ヒューメルは頷きながら答える。
「しかし、あれを軍に売り込もうとしたタヒサート殿が自作を試みなかった筈がない。少なくともアルゼスでは作れないと見た方がいいだろう。」
「やはりですか。」
「もしかすると資金を集めれば可能なのかもしれないが、鉄筒の軍での受けは良くなかったからな。」
兄ヒューメルの言葉にリルフィナはシュンとした姿勢になる。
「そう落ち込むなリルフィナ。タヒサート殿はアルゼス公、立場上ロキシア地方には手を出せていない筈だ。それに鍛冶技術はロキシアの方が上、ひょっとしたら可能性はあるかもしれないが…。」
そういうとヒューメルは考え込む。
「まあ、鉄筒は急ぐものではない。パルジェニア動乱鎮圧後も不満分子がまだ蠢動している。まず、ロキシア方面にでも赴任してもらえるかな。その間に鍛冶に顔の聞く商人や領主でも探しておくさ。」
ヒューメルはそう言ってハムをつまもうとして、その手をとめる。
「何かハムについていましたか、兄上?」
ヒューメルはハムを無言で口に入れると考えこむような表情を取る。
「リハーロム宮廷書記官長。」
そしてぽつりとつぶやく。
「兄上、あの宮廷書記官長がどうかしたのですか?」
「いやな、お前の正騎士叙任の書状を届けた後で彼が鉄筒に興味を示していたことを思い出してな。彼の爵位はヴェレンバート伯、ロキシア西部の港湾都市の領主だ。鉄筒の実射を見せたら面白いことになるかもしれないぞ。」




