第1話 はじまり
「殿下、準備いたしました。」
人気のない練兵場の中央に立てられた十字の柱に古ぼけた鉄製の胴鎧がかけられている。
「よし、戻れ。」
その声に、まだ少年のようなあどけなさの残る若い従者が駆け戻ってくる。
「耳を塞いでいてもいいぞ。」
殿下と呼ばれた短く切り揃えられたダークブラウンの髪と褐色の瞳を有する若者は、従者が戻ってくるのを確認すると筒状の長い物体を構える。
ズパパアアン
雷鳴にも似た乾いた破裂音が煙と共に練兵場に響き渡った瞬間、胴鎧は激しく揺れた。
「当たったな。レン、鎧はどうなっている。」
その声にレンと呼ばれた若い従者は的とした胴鎧のものち駆け寄り、貫通孔を確認すと大きな声を上げる。
「胸部の貫通を確認しました。」
「三〇〇ジート(約一〇〇メートル)だぞ、大弓でも容易に貫けない距離の筈だが。」
金属の鎧をも貫通させた鉄炮とでも呼ぶべきその筒状の物体を肩に担いだまま歩み寄っていく。
「ほう、背中の部分にも衝撃が加わった痕跡があるのか。いっそのこと半ファルジート(約一六五メートル)で試してみるか?」
「試すのは良いのですが、そろそろ王宮に戻らないといけないのではないでしょうか。」
自らが貫通させた鎧の破損状況を確認する殿下に対し、従者は恐る恐る声をかける。
その時、ふと後ろから足音がして声をかけられる。
「やはりここにいたか、アルゼス公からの贈り物よほど気に入ったようだな。」
後ろには殿下と呼ばれた若者と同じ髪色とよく似た背格好をした青年と、いかにも官僚という風采の人物の二人が立っていた。
「兄上、よく私がここにいるとお分かりに。それに宮廷書記官長まで連れられてどうされたのですか。」
殿下と呼ばれていた若者は慌てて姿勢を直す。
「全くお前ときたら、この兄の苦労を慮って今日ぐらいは自室で大人しくしていることはできなかったかな。それにレンバート君、君もだ。特例とはいえこの型破りの学友に選定されているのだ。いくら我が王家が自由な気風があるからといって今日ぐらいは諫めるべきだろう。」
「王太子殿下、申し訳ございません。」
レンバートと呼ばれた従者は慌てて頭をさげる。
「まあいい。それより父上の説得に成功したぞ。リハーロム宮廷書記官長、書状を」
宮廷書記官長は王太子の命に従い国王の印章による封蝋の施された書状を若者の方に恭しく差し出す。
「おめでとう我が妹よ。先日の建国祭における馬上剣術会優勝の際の願いが聞き入れられ、晴れて正騎士に叙せられることが決定した。今日で姫君は完全に返上だな。正騎士リルフィナ殿。」
王太子は同じ髪色だが自身よりも柔らかく真っ直ぐなそのダークブラウンの髪を持つ若者の肩に手を置く。
「ありがとうございます。ヒューメル兄上殿。」
「はは、これで晴れてお前がそのような服装をすることに文句はつけられなくなるな。」
大陸歴七〇〇年春季五旬一日、クゼルバイク王国第五代国王ジェンドル一世の第一王女リルフィナ・リーン・ハウフクレツは女性として異例の正騎士に叙されることとなった。
注:ヴァストーク大陸では冬至日を新年初日として春分、夏至、秋分で四分割した季と十日ごとに区切る旬を用いる暦法が採用されている。尚、一年は三六三日、一日は昼夜十刻ずつの二十刻、以下十分の一毎に単位があるがここでは割愛する。




