相関
孤独な大学生活を送っていた自分は同じ授業のまとめ役をしていた大島と出会う。この大島との出会いが後に話を動かすのであろう。
三流大学に入った自分は、日々、普通の大学生活を送っている人にあるはずの弾力が失われている気がする。そんな満たされない毎日を送る内にいつの間にか自分は既に大学に入って二年経っていた。
相変らず孤独との共存は続けているが、二年も経つと少し自分の中でも心境の変化があった。
それは、大学の授業の中で孤独な人間は自分以外にも、かなりたくさんいるということ。また自分がスクールカーストで最底辺だと思っていたが、実際は大学のカースト制度の枠組みの中にすら、囚われていなかったということを知ったことだった。それを知ったきっかけは、とある授業でのグループワークでのことだった。この授業は教授が指定した課題を班で調査・分析・考察し、研究テーマについて各班ごとに発表するという授業だったのだが、自分には話し相手がいなかったため、一人で作業をしてどこかの班に自分の調べた箇所を提供して完結させようとしていた。その時に後に所属することになる班のリーダー的人物、俗にいう自分と正反対の方法で発表を完成させようとしている大島に声をかけられ、自分は成り行きで大島班に合流し作業を行う事になった。班の構成員は同じ学部学科のはずなのにお互いに一言も自分たちのことについて干渉する様子はなく、発言すらもしていなかった。リーダーの大島の問いかけに答えるだけの受け身姿勢で皆作業を黙々と進めていた。リーダー的な人物は自分のことを大島だと簡単に自己紹介した。顔色が明るく、性格も誰とでも喋るような雰囲気が伝わってきた。正直あまり自分とは性格が合わなさそうだと思った。上辺の付き合いで乗り切ることを考えていた。大島は自分が楽に単位を取得するためにこのグループを作ったことをサラッと話していた。他の構成員も自己紹介をすませ、また自分たちの作業に戻った。大島は皆に話しかけていてなんとか無言で進められる仕事に向き合う班員を和ませようとしていた。人の上に立つものと人との関わりを絶った者の間にある壁をまざまざと見せ付けられたようだった。結果として発表当日、大島の機転の利いたアドリブでなんとか単位が取れそうな発表をすることが出来た。本当に大島に感謝しかない。そんなことを思いつつ、帰り路を歩いていると、同じ班だった構成員も自分の数十メートル前にいて、一人で帰っている姿が見えた。まるで自分のドッペルゲンガーをみるかのようなその姿に自分は客観性を覚えたような気がした。その人物はスマホのフリック機能でしきりに電気信号で造られる文字を打っている。SNSにでも自分の考えを発信しているのだろうか。広い電波の宇宙に自分の伝えたいメッセージを送りつける“呟く”という行為は誰かに自分の存在をアピールしたい人がすることだと思うのだ。自分はやはり、目の前を歩く構成員とは違う関わりを求めない孤独な存在なんだと改めて認識した。孤独と共存する事によって自分が得た強さは、並大抵の考えでは払拭できないものに膨らんでいることを自覚してしまう事になった。これからも自分は一人だ。いや、むしろ一人でいることを望んでいるそんな風にさえ、思い始めていた。後ろから、自分を呼ぶ声が聞こえたのはそんな想いにふけっているときだった。振り返るとそこには大島の姿があった。自分はなぜ大島がここに居るのかがよく分からなかった。大島は走ってきたのか、かなり息を切らしながら絶え絶えに話し始めた。どうやら発表で同じになったメンバーに感謝の意図を伝えたかったので学校内外をあちこち探していたらしい。大島の人柄の良さが引き立つエピソードだなと思いつつ、悪い気は無かったのでこちらからも大島のお陰で単位が取れそうだということ、上辺の感謝を述べた。自分の性格の悪さと久しぶりに人と話したせいか上手く口が回っていない気がした。大島は他の子にも挨拶をしに行ったというか、自分の前を歩いていた子にも感謝を述べに行ってしまった。今の時代に、人と関わりを必要最低限以上に持とうとする人がいる事自体に驚き、大島の行動一つ一つに明確な意図が感じられ、孤独と共存している自分とは別人種なのだとまざまざと感じた。孤独との共存と人との共存相反する二つの思いが交錯した瞬間だとわたしは思った。
自分の守ろうとしているものをしっかりと保持しないと崩れて行ってしまいそうな危険な香りが大島からは放たれているように感じた。大島と自分の交錯はこの後大学卒業するまで幾度となく存在し、私の孤独を崩してくれようとした良い人物として記憶に残り続けることになる。
相関とは相互に関わり合うことである。今後の話の中で重要な人物の登場、彼との接触によって動く自分の心。孤独との共存。そんなところに視点を向けてほしい。