第84話 早朝
祭りの山場、大闘技大会の日の朝。
夜が明けると同時に、俺たちは行動を開始した。
「あら、今日は早いのね」
準備を整えて部屋から出ると、宿のおかみさんが声をかけてくる。
少しふくよかなおかみさんは、気立ての良い人だ。朝晩出してもらった食事もうまかったし、目があえばこうして何かと声をかけてくれる。
最初は緊張していたクリスタも、最近は穏やかな笑顔を浮かべるようになった。
アルハラの国民といっても、誰もが芯から悪人という訳ではない。
虐げられた経験を持つ身としては、なかなか素直にそう思えない時もあるんだが。
「今日の昼からは忙しいからな。朝のうちに少し街を見て歩こうと思う」
「ああ、だからみなさん衣装を着ていないの? その格好だと、普通の冒険者みたい」
今回も動きやすさを重視して、鎧は身に着けない。三人とも地味な革の上着とズボンに軽いマントを羽織るという見た目だ。腰には金や小物を入れる袋を下げているくらいで、旅の荷物は部屋に残してきた。
この宿にはもう戻れないだろう。明後日までの宿代はすでに支払い済み。俺たちが戻ってこなければ心配はかけるだろうが、それは多めに払っておいた宿代で許してもらおう。
「その格好でも、ポチちゃんがいたら、それだけでお客さんが集まりそうね」
「ぐあぐあ」
おかみさんが目を細めてポチを見る。
ポチだけはフリフリの薄絹と花冠で、今もお祭り仕様だ。
「この格好で?じゃあ朝も少し稼いでくるか。ははは。街は昨日までより今日が一番盛り上がるんだろうなあ」
「もちろんそうよ」
「ねえさんも祭りを見に行きてえんじゃねえのか?」
アルが人好きのする笑顔でおかみに話しかける。思いがけないねえさん呼びに、おかみも一層にこやかに力こぶを作った。
「あらやだ、ねえさんですって。そりゃあ行きたいけど、せっかくの稼ぎ時だからね」
「そりゃいいね。お互いしっかり稼ごうぜ」
「そうね。ポチちゃんは可愛いもの。しっかり稼いできて」
「きゅっ」
ポチは褒められれたからか、機嫌よく一声鳴いて、ぴょんぴょんと飛び跳ねてみせた。
俺達も手を振って、一週間世話になった宿を後にする。笑顔のおかみに見送られ、ポチはしばらく、弾むように歩いていた。
宿の多く立ち並ぶのは、内壁の門の付近だ。俺たちが泊まった宿は一番大きな南門のすぐそばにあった。この辺りはクララックで最も栄えている地区だけあって、通りも広く両脇には商家や宿屋が並んでいる。昼間は溢れんばかりの人で埋め尽くされていたが、早朝である今は人もまばらだった。
「昨日も遅くまで盛り上がっていたからなあ」
今日の大闘技大会のメインイベントは夜にある。祭りを楽しみに集まってきた旅人たちは、きっとまだ寝ているのだろう。
闘技場では昼過ぎから小さな戦いを何度か繰り返し、ステージを徐々に盛り上げていく。最後は日頃普通の市民が見ることもないような凶暴な大型魔物と剣闘士たちの死闘だ。この日のために闘技場には、生きたまま捕らえられた多くの魔物が檻に入れられている。捕らえてくるのも、もちろん俺たち森の民の仕事だった。
宿から城壁の方に向かって歩くと、立ち並ぶ建物の雰囲気がだんだんと変わってくる。城壁付近は閑静な住宅街だ。多くの建物では、ドアの上や窓が花で飾られ、祭りに浮かれている様子もある。だが通りに見える人影は、家の前の道を掃除している付近の住人くらいで、内壁に近い宿屋街よりはどことなく落ち着いていた。
「その路地の奥だな」
「ぐあぐあ」
「ポチさん、おいで」
クリスタがポチを抱き上げる。
三人ともマントのフードを被れば、道行く人たちはほとんど振り返らなくなった。
存在感の薄くなるマントは二枚持っていたが一枚買い足して、今三人とも着ている。そして俺たちは人目を避けるように、狭い路地へと入っていった。
路地を数回曲がって突き当たった先の一角に、大きな木が数本生えている公園のような場所がある。木々の向こう側は城壁で、木の陰は路地からも付近の家からも死角になっていた。
通りに人がいないことを確認すると俺達はそこに立ち、足元にそっと魔力を流した。
転移陣が発動し、周囲の景色が変わる。
転移したのは、クララックの外壁の外。転移陣のある場所は岩と薮で目隠しされているが、そこから出ると外壁の門のひとつが見える。一週間でリリアナはクララックの内外に全部で五組の転移陣を設置した。
この転移陣を森の民の脱出に使う予定なのだ。
もっと遠くに転移陣を設置して一気に遠方に逃げるという案も一度は考えた。だが転移陣は使用者を選べない。万が一、全員を救い出す前に転移陣が見つかれば、そこまで敵を迎え入れることになる。もちろん後を追われないために転移陣を破壊することも可能だ。しかしその時もし俺たちが遠方の転移陣側にいた場合、簡単にはクララックに戻れず、残された者たちの無事は見込めないだろう。
どのタイミングで転移陣を破壊してもクララックにすぐ戻れるというのが、場所を決める条件だった。
転移陣のすぐそばに、目印に置いていた石がある。それを除けて土を掘ると、中から多くの武器や着替えと野営道具が出てきた。
中から俺の大剣を取り出し、背負う。
「大きい武器を持ってるやつは大変だよなあ。動きにくそうだ」
「アルはいつも身軽だな」
「まあな」
ポチはクリスタの腕から飛び出して、あたりの匂いを嗅ぎながら見回る。
リリアナの武器である鈍器にしか見えない巨大な杖は、今は持たせられないので、俺が自分の大剣と一緒に背負っておく。
クリスタは長剣を取り出して腰につけた。
「ここから先は、ポチとクリスタに任せることになるが……」
「くええっ」
ポチは元気に鳴くと、鼻をつんと空に向ける。
「任しとけ!ってか」
「大丈夫そうだな」
「私も、必ず全員を素早く説得してみせます。後はお願いします」
「ああ」
ここからほんの数十歩離れた草陰に、もう一つの転移陣がある。その転移陣の繋がる先に向かうのは、ポチとクリスタの二人だけだ。
「気を付けてな」
「はい」
「くえええええ」
気合の入ったポチの鳴き声のあと、二人の姿は消えた。




