第54話 罠
最初の大広間から数えて三階部分へと、幅広い階段を上がっていく。ここでもやはり、途中で階下の明かりが消え、三階の明かりが灯った。階段を上がってすぐ目の前には、大きな扉がある。
「いいか?行くぞ」
重そうな二枚の木の扉には、取っ手のようなものは見当たらない。ピカピカに磨かれた扉の各所に、美しい意匠のように古代文字らしきものが彫り込まれている。もちろん何が書かれているかは分からない。
アルが先頭に立って右の扉を押した。同時に俺は左を。
手を触れると、重さを感じないほどスルスルと簡単に扉は動く。そのまま押し広げて室内に入ると、目の前には柱の一つもない広間があった。一階の大広間ほど大きくはないが、百人は楽に入れるだろう。
広間の中は家具の一つ、装飾品の一つもない。ただ壁に埋め込まれた明かりの魔道具だけが、俺から少しだけの魔力を引き出しながら灯っている。
いや、向かいの壁に、今通ってきた扉と同じような扉が見える。そこから奥に道が通じているのだろう。
三人の距離が離れすぎないように気をつけながら、一歩、二歩前へと進む。
背後で音もなく扉が閉まった。
そのまま、磨かれた床を鳴らしながら、奥へ向かう。静かな室内に足音だけがやけに響いてきこえた。広間の三分の一ほど進んだ辺りで、ふと、アルが振り返ってニヤリと笑う。
「何事もなく向こうの扉にたどり着く……訳ゃねーよな」
そう言うと左手で、腰に下げた短剣を引き抜く。右手には最初から短剣を持っているので、両手で武器を……これがアルのスタイルか。
アルのセリフとほぼ同時に、俺から吸い出される魔力が増え、床が数か所、怪しく光った。
「転移魔法陣か。誰か来る!」
「カリン、俺と背中合わせになってろ!」
「あ、ああ」
カリンもまた、杖を構える。魔法陣から現れるのが誰かは分からないが、俺の魔力を吸って起動する魔法陣だ。罠の可能性が高いだろう。
三人で固まって動かねばならんのが厄介だが……。
「少しくらいの魔力吸収は構わん。リクは好きに動け」
アルが笑いながら、左手に持った短剣を無造作に振った。
アルも森の民なら、かなりの魔力を持っているはずだ。遠慮なく動かせてもらうか。
「じゃあ、幸運を祈る」
「さて、何が出てくるかな」
手に、足に、体全体に意識して魔力を巡らせる。
手に持った武器は、リリアナがポチになったときに落としていった鉄棍だ。ズシリと重いそれは、手の中で心地いい存在感がある。
足元に点在する魔法陣から離れるように、位置をとった。二人と離れると、吸い取られる魔力も半分に減る。注意していなければ分からないわずかな量だが、減った分はアルのほうから吸い取られているのだろう。
この遺跡の動力源は俺たち、侵入者自身だ。
そしてこの転移魔法陣は……
「ゴブリン!」
「っ!!モンスターハウスか!うじゃうじゃ湧いてきやがって」
「こっちはバジリスクだ。まだ出てくるぞ」
魔法陣からはそれぞれ、数体の魔物が姿を現した。
転移陣はまだ稼働したままだ。
モンスターハウス。それはダンジョンに仕掛けられている罠のひとつだ。遺跡や洞窟型のダンジョンに時々見つかる。狭い閉鎖空間の中に何体もの魔物が次々と現れ、そこにいる者には人であろうと魔物であろうと、見境なく襲い掛かる。
危険度が高く、生き残って帰還した者の報告があれば、すぐにそれはギルドを通じて周知されるため、実際に体験することは滅多にない。それこそ、こんな未発見の罠にハマった場合以外は。
「まさか、モンスターハウスが俺たちの魔力を使って起動してるとは……」
「一体どれくらい出てくるのか!」
出てくる魔物は数も種類も様々だが、どれもイリーナの森に住む魔物のようだ。小型の魔物が多いし、多少大きくてもさほど強くはないゴブリンなどはまだいいが、やばい奴もいた。
「オンサ!」
艶のある真っ黒い毛皮を纏ったオンサが、金色に輝く目でこちらを睨んでいる。足元には、すでに一体のゴブリンが引き裂かれて転がっていた。
「マズいな……。おーい、リク!お前、オンサいけるか?」
「一体だけなら」
「ほほう?勇者様は頼もしいな。じゃあ任せた。カリン、ついて来い」
しばらくの間、輝き続けていた魔法陣はようやく動きを止めた。広間の中は今、数十体の大小さまざまな魔物で埋め尽くされている。そのうちのいくらかは、周りにいる魔物同士で戦ったりもしているが、多くは的を俺たちに絞ったようだ。
オンサの後ろ脚がぎゅっと膨らんで力を溜める。
「どっちが速いか」
高揚して、笑いが漏れる。向こうではアルとカリンが数体のゴブリンと戦い始めている。俺も負けるわけにはいかないな。
足でグッと地面を蹴って、魔物たちの群れの中に、飛び込んだ。
◆◆◆
めいっぱい強化した腕に鉄棍の重みを乗せて、目の前の何体もの魔物を薙ぎ払う。
ほとんどは犬と同じかそれ以下の、小さな魔物ばかりだ。床に叩きつけて弱った魔物に群がる別の魔物たち。それをまた、鉄棍で薙ぎ払う。
数は多いが、捌くのにさほど苦労はしない。多少は考えて動くゴブリンやバジリスクなどは、カリンの魔法で引き付けて、アルが両手の短剣で始末している。
そして今、俺の目の前にいる脅威は、森の王者の風格を持つオンサだ。
「グオォ……ガウウッ」
低い威嚇の声と共に、真っ黒い後ろ足がバネのようにしなる。人の二倍はあろう巨体が、重さも感じられない程軽々と宙を舞い、おれの真上に落ちてくる。
だが、黙って待っている必要はない。足に食らいつこうとする魔狼を蹴り上げて、そのままの勢いでオンサの方に向かい、頭上を飛ぶ巨体の下をくぐって背後に付けた。
「これでどうだっ」
「グアォ」
振りかえりざまに、鉄棍を振るう。しかしそれはオンサの臀部に届く前に、鞭のような長い尾に弾かれた。
振りかえって睨みつける金色の目。
落ち着く余裕を与えず、今度は後ろ足を狙うが、これは跳ねて避けられた。
少しだけ後ろに下がったオンサが、身を低くしてまた飛びかかろうと身構える。
どうにか奴が跳ぶ前に攻撃したいんだが、小型の魔物たちが足にまとわりついて動きにくい。焦って弾き飛ばしているうちに、またオンサが跳びかかってくる。
「くそっ」
「ガゥウウッ」
さっきと同じように腹の下を抜けようと思ったが、今度は距離が近くて無理だ。
一直線にこっちに向かってくるオンサの牙を、かろうじて鉄棍で受ける。
ガッ
鉄棍に喰らいついたオンサは、そのままの勢いで俺を押しつぶそうと圧し掛かってきた。スリムな猫型の魔獣だが、その大きさと勢いで、受け止められない。慌てて体を捻るように反らして、後ろへ投げ飛ばす。
手から鉄棍が離れて遠くに飛んだ。
「ガルッ」
「うわっ」
気をとられていた隙に、足に魔狼が噛みついてきた。
後ろに投げ飛ばしたオンサは、鉄棍を飛ばした時に牙が一本折れたようだ。怒りをあらわにしてこっちに向かってくる。自分の剣に手を伸ばしたが、間に合わねえっ。
「くそっ」
「炎は刃となりて飛び、その的は確定せり。フラムラーミナ」
「ギュワアアア」
背後から飛んできた炎がオンサに立て続けに二発あたる。背中と顔を焼かれ、怒り狂って叫び声をあげるオンサ。
「すまん、カリン!助かった」
オンサの注意が俺から一瞬逸れた。わずかな隙だったが、今、剣は手の中にある。
「さて、二回戦を始めるか」
足元の魔狼と数体の小型魔物を切り捨て、踏ん張る。手に馴染んだ剣をしっかりと構え直して、俺は再び金色の目に対峙した。