第50話 カドルチーク
カドルチークの街には、首都ブラルに次いで大きな市場がある。春から秋にかけてはほぼ毎日、様々な商品が取引される賑やかな街だ。
特に秋から冬に移り変わるこの季節は、全国から多くの商人が集まり、街はいっそうの活気を帯びる。
「これから少なくとも一週間、私たちは市場で取引に追われる。帰路につくのは十日後だ。早朝にここに集合してほしい」
当初の予定通り、次の集合までの九日間は好きに過ごしてもいいことになった。
「丸々九日も休んだら退屈で仕方がねえ。お前らも一緒に仕事を探しに行かないか?」
「いや、俺たちはこの街に来るのも初めてだし、ゆっくり観光して過ごすさ」
「そう?確かに市場も賑やかだし、それも良いかも。じゃあ、楽しんでね」
西の鳶はさっさとギルドに顔を出して、短期の仕事を見繕うようだ。
俺達は旅の途中で相談して、この町では仕事をしないことにしていたので、宿屋の前で手を振って別れると、いったん部屋の中へと移動した。
ベッドが三つ置かれただけの簡素な部屋は、ただ寝られればいいという冒険者たちの為の安宿だ。ただしエリアスによると、食事は安くて大盛りで、しかも美味いという。
「夕飯には少し早い時間だが、どうする?」
「うむ。先に森に……日が沈む前に一度森を見に行こうかの」
「いえ、リリアナ様。さすがにこの時間から森に入るのは危険すぎます。先に食事をとって、今日は街で情報収集しましょう」
森に沿って歩いたこの数日の移動中は、ずっとそわそわと森の方を見ていたリリアナ。明日からしばらくは、魔の森の中に入りたいと言う。特に目的があるわけでもないが、何となく気になるのだとか。
怪しげな森ではあるが、俺たち一族が昔から住んでいる場所だから、俺にとっては木々の雰囲気も懐かしい。もっとも俺がいた村はここからもっと東の、アルハラとの国境近くなので、知人に会える可能性は小さいだろう。
あまり深くに入らなければ危険もさほど大きくはない。程よい場所を見つけて転移陣を作れば、旅の基点になるかもしれないと、少し期待もしている。
◆◆◆
宿の夕飯は期待通りの量だった。皿の上には小さめの鳥が丸ごと一羽。腹の中には芋や豆をギュウギュウに詰めて、濃い目のタレをつけて焼いてある。それにたくさん野菜の入ったスープと大きなパンもあり、食べきれない程だ。
「ちょっと時間が早いんでね。スープは昼の残りだが、許しとくれ」
おかみが、豪快にガハハと笑いながら、テーブルに皿をドンッと置いた。
「すまんが、おかみ。ちょっと聞きたいんだが」
「なんだい、男前のにいさん」
「この街の街門は何時に開け閉めするんだ?」
「おや、にいさん達はこの街は初めてかね」
おかみは面白そうに目を細めた。暇な時間だからか、そばにあった椅子に座る。
「ここの街門は有事の時以外は閉じないんだよ」
「それだと……夜は危険ではないのですか?」
「そりゃあ大丈夫さ。警備の兵が一日中警戒しているからね。ここは外壁の外に農地が広がってるだろ。農民は何かにつけ、自分の畑を見に行くんだ。ならいっそ、門は開けっ放しの方が良いかってことだよ」
普段は無口なカリンだが、積極的に情報収集しはじめた。彼女はとにかくリリアナのことを心配して、安全策をとりたがる。
そんなカリンの心配をおかみは笑い飛ばす。この街は東西の国境からは遠く、北は国境線に接しているが切り立った山に阻まれて隣国へは到底行けそうにない。そんなわけで、戦争に巻き込まれることも無かったらしい。国ができて以来ずっと。
「めったにない事だが、魔の森から凶暴な魔物が出て来たら閉じられるさね」
「魔物が出てくるのですか?」
「そりゃあ、出てくるさ。魔の森なんだから」
凶暴な獣は狼くらいだが、これは滅多に森の縄張りからは出てこない。魔物も基本的にはテリトリーを持っているが、時折大きく成長しすぎた個体が、力を持て余して外に出てくるらしい。
「カプロスだと巨体でも攻撃は直線的だから、門さえ閉めときゃあ街の中は安全だ。カプロスは食べたことあるかい?イノシシと比べたら断然旨いんだよ。みんな城壁に上って、うえからやんやと兵たちを応援する。祭りのようなもんさね。
虫型や空を飛ぶ魔物が出れば面倒だろうが、そういうのはあまり見たことがないねえ。オンサが二頭出てきたときは、そりゃあ大変だったが」
オンサは猫科の大型魔獣だ。しなやかな身体をばねのように使って跳躍するし、木にも上る。肉食で俊敏なうえ、音もなく近寄る。大きさは人を一回り大きくした程度なので、カプロスほど巨大ではないが危険度は段違いだ。
この辺りでもオンサが出たことがあるのか。
森の奥深くにはいるんだが、俺が村にいた頃は近くに出てくることはなかったので、数は少ないだろう。そう思いたい。
「街を出て北の山の方へ行くと……まあ、人が登れるような道じゃないけどね。森の外だけど、ケラスって言う大型の鹿のような魔獣が住んでるよ」
ケラスは岩場に住む草食の魔獣だ。背丈は人の二倍くらいはあるが、普段は温厚で襲ってきたりはしない。
どちらかと言うと人のほうがケラスを襲う。
肉が旨いうえに、角や毛皮がとても高価だからな。で、どうにかして捕まえたいんだが、ケラスは集団で暮らしていて、一頭だけ狩ろうと思っても、攻撃仕掛けたとたんに群れの残りが地響きを立てて追いかけてくる。そのため、普通は狩りの対象ではないのだが、この街では年に一度、雪が積もり始めた頃に街門を閉めて、大掛かりなケラス狩りをしているらしい。
「ケラス狩りは、ひと月ほど後だね。その時期は冒険者もあちらこちらから大勢集まってくるよ。長居するなら参加してみちゃあどうだい」
「ケラスと言えば、氷雪系の魔法を使うだろう?わざわざ冬に狩るのか?」
「その時期の毛皮が、良いらしいのさ。庶民は触れることも出来ない高級品だがねえ。あ、いらっしゃーい。じゃあ、あんたたちもしっかり食べて頑張りな!」
しばし座り込んで、この辺に出る魔獣の話や街の祭について教えてくれたおかみだったが、次の客が来たので奥に引っ込んだ。
「リリアナ様、やはり森は危険ではありませんか?」
「カリンは無理に付いてこなくても、よいぞ」
「そんなっ!いえ、私はリリアナ様に付いてまいります」
「まあまあ。今日は下見だけだ。そんなに奥にはいかないからな、リリアナ」
「分かっておるよ、リク」
飯を食べ終わったら、街中を暗くなるまで散策する。市場の付近は賑やかで、薄暗くなり始めたこんな時間でも商品を前にして交渉が行われている。
やがて日が暮れ始めると、あちらこちらで明かりの魔道具が点灯した。家の中だけでなく、道も煌々と街灯で照らされて歩きやすいのは、さすがに途中立ち寄った村々とは違い都会だ。
露店を冷かして、特産品の革細工を売りつけられたり、エールを飲みながら最近の噂を聞いたり。カリンはリリアナへのプレゼントをさんざん悩み、結局決めきれずにフルーツを買って手渡していた。
人が多く、物も何でもそろっている。確かに都会なのに、華やかというよりは素朴で親しみやすい街。カドルチークの夜は平和に過ぎていく。
そして翌朝。
魔の森は静かに、俺達三人を飲み込んだ。




