第33話 レーヴィ
大陸行きの大型客船の旅は、特筆すべきこともなく穏やかに始まり、そして終わりかけている。途中、島が多かったり危険な海魔の出る海域は避けて運航するので、時間はかかるが、乗客が気付くような海魔の襲撃はなかった。
昼間は甲板でのんびり景色を見て、たまに乗客と世間話をする。食堂ではレーヴィと一緒のテーブルになることが多かった。
三日目、船で過ごす最後の夜も、食堂で世間話をしていたのだった。この日は珍しく、何か言いたそうに悩むそぶりを見せていたレーヴィだったが、食事も終わって部屋に帰ろうかという頃になってようやく話を切り出した。
「相談があるのですが、部屋に伺っても良いでしょうか」
ここでは話し辛い内容なのか。普段は礼儀正しいレーヴィが要件も言わないのは珍しい。
「ああ、来ても構わないぞ」
「では今から」
船の中の部屋は、3人部屋といえども広くはない。部屋の大半を占めているベッドに腰掛けて向かい合う。
「まずは私の事情から」
そう言うと、レーヴィは眼鏡を外した。
今俺の目の前にいるのは、三十前後のごく普通の見た目の男ではない。そこにいたのは二十を少し過ぎたくらいの若い、物静かな雰囲気の女だった。
栗色の髪の隙間からごくごく小さな角が見えている。魔族とも人族とも言えない見た目の女は、静かに自分の事を語り始めた。
◆◆◆
レーヴィは人族と魔族のハーフだ。それは、さっきまでいた国、サイラードでは珍しい事ではない。大陸から距離があり、文化的にも隔たりがあるサイラードでは、多くの人種が入り混じって暮らしていて、差別感情も少ない。
だがレーヴィ自身は大陸の生まれだ。魔族の父と人族の母は、大陸の、特にアルハラやガルガラアドでは許されない恋をした。その間に生まれたレーヴィの見た目がどちらかに偏っていれば、まだ良かったのかもしれない。けれどレーヴィは明らかに人と魔族のハーフで、それは大陸の多くの場所で忌避されるものだった。
迫害を恐れた母親はレーヴィを連れ、姿を消した。ガルガラアドから、まだ赤ん坊だった彼女を連れて抜け出せたのは、魔族であった父親の助けもあったのだろう。それから母親は赤ん坊だったレーヴィの角を隠し、アルハラを通り抜けて、交易の盛んなイデオンへ行った。
イデオンで少しの間過ごし、レーヴィが成長して歩けるようになった頃、ようやくサイラードへと渡る船に乗る事ができた。
ここまでの話はレーヴィが母親に聞いたことだ。サイラードに渡ってからは、彼女と母親はおおむね順調に、幸せな日々を過ごしていた。小さな子どもを連れて働くのは苦労も多かっただろうが、基本的には世話焼きで人の良いサイル人がいろいろと助けてくれたらしい。
魔法の才能があったレーヴィは、学校に通い魔法使いとなった。十六歳で冒険者ギルドに所属し、地道に依頼をこなして、二十歳にはBランクにあがった。Bランクになれば冒険者として一人前と言われる。Aランクになるには厳しい審査基準がある。ほとんどの冒険者は二十歳前後でBランクにあがり、冒険者生活の最後までそのままだ。そういう意味で彼女はごく普通に当たり前の冒険者をしていた。
幸せで平凡な日々だったが、一年前、そんな生活が急に終わりを告げた。彼女の母親が事故で亡くなったのだ。
悲しみに暮れつつ母親の遺品の整理をしていたレーヴィは、その中に父親のものと思われる手紙と、いくつかの魔道具を見つけた。
「そのうちのひとつが、この眼鏡なのです。この眼鏡は私の見た目の印象を少しだけ変えてくれるものです」
彼女の角を見えなくして、大人しい女性っぽい顔を地味な男性の顔に変える。そんな変装用の眼鏡だった。彼女はそれを使って男として冒険者の仕事をすることを思いついた。冒険者登録には名前などは記載されているが見た目が載るわけではない。全く別の土地に行けば、変装をしたままの姿で暮らせるのではないか。
それまで首都に住んでいたレーヴィは、母と暮らしていた家を引き払いネヴィラの町へと移り住んだ。
そしてもし、変装したまま誰にも見破られないで暮らせるようなら、大陸に渡れるのではないだろうか。
そうおもうと、いてもたってもいられなくなった。
一度父親に会ってみたい……と。
そうして一年間、彼女は三十歳の男性レーヴィとして暮らし、自信をつけて、今まさに大陸へと渡ろうとしているのだ。
父親に会いたいがために。
「そしてこの眼鏡は幻影の魔法のようなものなのですが……同時にもう一つ効果があります」
変装眼鏡のもう一つの効果。それは……
「この眼鏡をかけているときは、私自身に幻影の魔法が効きにくいのです。だから最初にリクさんにお会いした時、少し驚きました。黒髪の人族はこの国でも珍しいので」
そういうレーヴィの表情は、さして変わらない。
サイラードで育った彼女には黒髪の人族に対する忌避感はない。だが学校で歴史の勉強をした時に聞き覚えがあったのだ。ハーフと同じように激しい差別に身を脅かされていた黒髪の一族のことを。
最初は、あまりにも堂々と冒険者をしているので、疑問にも思わなかった。だがふとした拍子に、眼鏡越しではなく裸眼で見た髪が栗色だった。
「自分と同じように変装し、同じように大陸へ渡るという。そんなリクさんに興味を持ちました」
「あ、ああ。俺は……」
「いえ、リクさんの事情を聞き出そうと言う訳ではないのです。ただ、興味を持ったので、大陸での黒髪の一族のことをもう一度調べてみました。漁船から降りて数日時間がありましたし。調べて分かったのですが、やはり今でも黒髪の一族は迫害されているようですね」
そう言うと、レーヴィはもう一度眼鏡をかけた。目の前にいるのは、どうみても三十前後の男だった。
「こうして見ると、リリアナさんの髪も雪のように美しい白い髪ですね。あんなに仲の良かったポチ君もいませんし。
いえいえ、本当に三人の事情を聞き出そうと言う訳ではないのです。ただ、幻影魔法はこうして見破られることもあるものですから……。大陸に渡る前にそれをお伝えしたくて」
「あ、おう、そうか。それはすまないな」
「ありがとうございます。僕もつい油断していました。この二人は本当にお気楽だから!」
ポチの姿で依頼を受けようって言ったのは、シモンだがな!
だがそのシモンの一言で緊張がほぐれたのか、レーヴィの顔にもうっすら笑みが戻った。
「それから、一つお願いがあります。もちろん無理なら断ってもらってもいいのですが……」
そう言って、レーヴィは腰の小物入れからひとつの革袋を取り出し、手の上で広げる。革袋の中身は透明度が高くて見るからに高価な、色とりどりの美しい魔法石だった。
「私が父に会うのを手伝ってほしい。依頼として請けてはもらえませんか?」
人族を毛嫌いする魔族の国へ行き、彼女の父親を探す。それは一掴みもある高価な魔石ですら見返りに相応しいか分からない、あまりにも危険な仕事の依頼だった。