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君の願い 上


 朝から雨。

 湿気を含んで見事に爆発した癖毛との戦いは、どうやってもうねりまくる前髪の粘り勝ちだ。


「今日はこれぐらいで勘弁しといてやる」


 俺は鏡の中の自分の前髪を睨みつけて捨て台詞を吐く。

 鞄を肩にかけて玄関に向かうと、何故かそこには美香がいて、父さんとにこやかに朝の挨拶を交わしていた。


「あ、貴史、おっはよー」

「おはよ。わざわざ迎えに来なくてもよかったのに」

「こら貴史。そんな言い方はないだろう」


 寝起き姿の父さんは、持っていた新聞で俺の頭をポンと軽く叩いた。


「いつもは俺が美香を迎えに行ってるんだよ」

「そうなのか? 早とちりだったな。悪かった」


 車に気をつけて、と、小学校の頃から変わらない見送りの言葉に頷き返し、家を出た。

 小雨の中、傘を差して美香の歩幅に合わせて歩き出す。

 いつもは歩き出してすぐ、「ねえねえ」と話しかけてくる美香は、今日に限って珍しく黙ったままだ。

 顔をそっと覗き込むと、真一文字に唇を引き結んでいる。

 だがその唇は、物凄くしゃべりたいのを必死で我慢しているかのように、微妙にむにゅむにゅ動いていた。


「……わざわざ、父さんの寝起きの頭を見に来たのか?」


 俺がちょいと刺激してやると、美香の唇は、ぱかっと開いた。


「本当に爆発してるのね! ブロッコリーみたい! 貴史も寝起きはあんななの?」

「俺はあそこまで爆発しない。父さんとは髪の長さが違うからな」


 俺の癖毛は父さん譲りだ。

 父さんも、この髪質には若い頃から苦労させれたそうで、若い頃にはストレートパーマをかけたり五分刈りにしたりと色々やったそうだ。

 現在は、肩ぐらいまで伸ばした髪を後頭部でまとめて結ぶスタイルに落ち着いている。これが一番手間がかからなくて楽だし、周囲の評価も高かったそうだ。

 実際、身内の贔屓目無しにも、長身で目鼻立ちがくっきりしている父さんには、このヘアスタイルはよく似合っていた。

 ……癖毛のせいで、結んだ髪が兎の尻尾みたいにぽよんと丸くなってしまうのは笑えるが……。


「情報流したの、姉ちゃんか?」

「うん。この時間帯なら爆発してるの見れるって」


 父親を見世物にするとは、我が姉ながら嘆かわしい。


「最初は貴史の寝起きの写メちょうだいって頼んだの。でも、貴史が嫌がるから駄目だって断られちゃった。その代わりにって、おじさんの情報をくれたのよ」


 前言撤回! さすがだ、姉ちゃん! 一生ついてくぜ!


「最初におじさんと会ったときには、オシャレで髪伸ばしてると思ってたんだけど、違ったのね」

「まあな。どんなに爆発してもゴム一本でまとまるから楽なんだってさ」

「貴史も大人になったら、あんな風にする?」

「……今んところ経過観察中」

「なにそれ?」


 爆発する癖毛がゴム一本でまとまるメリットは大きい。

 だが、()()に髪の毛をまとめるという点に少々問題がある。

 毎日ぎゅうぎゅうと引っ張られ続けた毛根にどれほどのダメージが蓄積されるか、その影響がはっきりしていないからだ。なので俺は、定期的に父さんの写メを撮っては、以前に撮った写メと見比べて経過を観察していた。

 特に、前髪のあたりを重点的に……。


 俺にとっては悲壮感漂う話なのだが、美香には大いに受けた。


「……当事者にとっては笑い事じゃないんだけどなぁ」

「ご、ごめん。でもさぁ……」


 ちょっとだけ悪いと思ってくれているのか、美香はオレンジ色の傘で顔を隠して笑っている。

 ひとしきり笑って落ち着いたらしく、ひとつ咳払いをしてから、くるんと傘を動かして俺を見た。


「話変わるけど、貴史ん家ってゴールデンウィークの予定は?」

「家としてはないよ。父さんはGW講習で忙しいし」


 父さんの仕事は塾講師だ。

 以前は高校教師だったが、母さんが長期療養が必要な病気になったときに、労働時間の調整もできるからと友人の勧めもあって転職したのだ。

 その当時、俺達姉弟もまだまだ小さかったし、妻の看病と子育てと仕事、全てを平行してこなすのは不可能だと判断して、優先順位を決めたのだと思う。


「あ、じゃあ暇なのね?」


 パッと明るい声でそんなことを言う美香に、俺は途轍もなく嫌な予感がして慌てて予防線を張った。


「暇じゃない。GWはリビングのでっかいテレビでDVDボックスを連続上映する予定だし。ちなみに見るのはジャパニーズホラーの名作な」


 ちなみに、白塗りの男の子の幽霊が大活躍するシリーズと髪の長い女が古井戸から這い出してくるシリーズだ。どっちも子供に激甘の父さんが、姉ちゃんに怒られるの覚悟で俺に買い与えてくれたものだ。

 普段、その手のDVDは部屋の小さなテレビで見てるが、せっかくの連休だからと姉ちゃんがリビングで見ることを認めてくれた。ただし、ヘッドホンの着用は義務づけられたが……。


「でもそれ連休中ずっとじゃないでしょ? 一日ぐらいは空いてるんじゃない?」

「空いてない。エンドレス上映だ」

「そんなこと言わないで。一日だけあたしに付き合ってよ。GW公開の映画で見たいのがあるの」

「……ああ、あれか」


 GW公開というキーワードだけでピンときた。

 少女漫画が原作で、イケメン俳優達が複数人出演することで話題になっている恋愛映画に違いない。家でも姉ちゃんがテレビCMに釘付けになっていたし。

 そんなの、せっかくの休みに見てられるか。俺にとっては時間の無駄だ。


「だったら、俺じゃなく姉ちゃん達を誘えよ。今なら一緒に遊びにいけるだろ?」

「いけるけど……」


 引っ越してきたばかりの頃の美香は、以前のトラウマからか、こっちでできた友達と遊びに行くのをためらっていたようだ。でもあれから半月以上経った今では、学校帰りに普通に遊びに行けるようになっている。

 咲姉経由で姉ちゃんともライン友達になったようだし、この連休で一緒に遊んでリア友になってしまえばいい。

 二歳年下の中坊より、同い年の女子同士で遊んだ方がきっと楽しいだろうしさ。


「姉ちゃんもその映画見たがってたし、ちょうどいいんじゃない? それとも、姉ちゃんとじゃ嫌なのかよ」

「嫌なわけないでしょ。でも、貴史とも一緒に行きたいの」

「あー、遠慮する」

「なんでよー。一日ぐらいいいでしょ」

「やだよ。わざわざ出掛けるの面倒だし」

「お昼ご飯奢るから」

「結構です」

「ケチ! 今からそんなだと将来引きこもりにになっちゃうよ」

「縁起でも無いこというな!」


「――これこれ、喧嘩はいかんよ」


 ガウガウと言い合いをしていた俺達は、不意に脇から声を掛けられてピタッと足を止めた。

 言い争っているうちに、いつの間にか小さいお婆ちゃんのいる商店の前まで辿り着いていたようだ。


「おはよう。お友達とは仲良くしないといかんよ」

「わかったよ、お婆ちゃん。おはよう」

「はい。おはよ」

「おはようございます。仲良くしまーす」

「はい。いってらっしゃい」


 すっかり毒気を抜かれて、しおしおと再び歩き出す。


「ねえ、聞いてもいい?」


 しばらく無言で歩いていた美香が、気まずそうに傘で顔を隠したままで話しかけてきた。


「なんだよ」

「……ママは余所の家の事情に首を突っ込んじゃ駄目だって言うんだけど、どうしても気になって……。あのさ、こんなに近くにいるのに、なんでお婆ちゃんと一緒に暮らさないの?」

「は?」


 言われている意味がわからなくて、俺は一瞬ぽかんとしてしまった。


「なんで一緒に暮らさなきゃならないんだ?」

「え……だって、お婆ちゃんけっこうなお歳だし、違う家で暮らすのって心配じゃない?」

「ああ、なんだ。勘違いしてるのか」

「勘違い?」

「そ、勘違い。あのお婆ちゃん、俺の祖母じゃないぞ」

「え、でも、だって毎朝挨拶してるし」

「挨拶なら、ここらで育った奴等はみんなしてる」


 小学生とは登校時間がずれてるから、美香は今まで見たことがなかったのかもしれないが、登校時と帰宅時にあの商店の小さなお婆ちゃんに挨拶するのは、ここら辺りの小学生達の習慣だ。

 この習慣は、俺達の親の世代よりももっと前から続いていて、この近隣の人達はみんなお婆ちゃんを大切にしている。数年前に連れ合いをなくしてお婆ちゃんがひとり暮らしになってからは、なおさらだ。

 毎朝ちゃんと店を開けているか気にしたり、食料品の買い出しに不自由していないかそれとなく声を掛けたりする姿もたまに見かける。

 お婆ちゃんがずっと子供達の登下校を見守ってきたように、見守られて大人になった隣人達がお婆ちゃんを見守っているんだと思う。


「やだ! ずっと心配してたのに、ぜんぶあたしの勘違い?」


 俺のそんな説明に、美香は顔を真っ赤にして恥ずかしがった。


「あー、もう。心配して損した。今のぜんぶ忘れて!」

「無理。忘れて欲しいんなら『時戻し』で無かったことにすれば?」

「……信じてない癖にそういうこと言うんだ」


 ちょっとからかうと、真っ赤な顔のままジトッと睨まれた。


「『時戻し』はこの程度のことじゃ使えないの。ドラ○モンのタイムマシンみたいに簡単じゃないんだから」


 もっと切実で切羽詰まった状態まで追い込まれないと無理らしい。

 以前美香が『時戻し』を使ったと自己申告したときは、子供の交通事故を防いでいた。もしも美香が助けなければ、あの子供の怪我はかなり深刻だっただろうし、下手をすれば命に関わる事態になっていたかもしれない。

 ちょっと恥ずかしいと思う今とは、明らかに深刻度のレベルが違う。


 あれ? ってことはだ。

 つまり、あの事故レベルでしか『時戻し』が発動しないのなら、この先、美香が『時戻し』を発動する機会がまったくないってこともあり得るんじゃないか?


 普通に考えて、命に関わるような事態に遭遇する機会なんてそうあるもんじゃない。

 美香はここに引っ越して来る前にも、何度か『時戻し』を発動させたことがあるようだが、それとなく聞いた感じでは片手で数えられる程度のことらしい。つまり、年に一度か、数年に一度ぐらいってことで……。


 となると、俺はいつまで美香にロックオンされてなきゃならないんだ?


 たまたま美香が命に関わるような事態に遭遇したとしても、俺がその事態を目撃出来る場所にいるとは限らないわけだし……。


「……あたしが嘘ついてるとか思ってる?」

「思ってない。嘘でも本当でもどっちでも同じだし、俺は――」


『自分の目で見たものしか信じないから』


「――でしょ?」


 俺の声に重ねるように、美香が同じセリフを口にして、なぜか得意そうに首を傾げて笑った。


 くそっ、あざと可愛いじゃないか。

 これからもずっとロックオンされててもいいかもとうっかり思ってしまいそうだ。


「ねえねえ、ここら辺の小学校って修学旅行はどこに行くの?」

「俺達のときは東京だった」

「ディズニーランドは?」

「行った」


 どうやら美香の興味はGWの予定から小学校に移ったようだ。

 俺はしめしめと密かにほくそ笑んで、次々繰り出される質問に親切に答えてやった……のだが……。




「――なんで、こうなった」

「ねえねえ、びっくりした?」


 GW二日目。

 買い物に行くから荷物持ちについてきてと姉ちゃんに命令され家を出た俺は、姉ちゃんに促されるままに向かった最寄り駅で、得意気なにこにこ顔の美香に出迎えられた。

 その隣ではおっとり微笑む咲姉が小さく手を振っていて、さらにその隣りにはなぜか我が友、真治もいてニヤニヤ笑っている。


「……姉ちゃん、どういうこと?」

「なによ。買い物の荷物持ちだって言ったでしょ? 嘘はついてないわよ」


 そりゃそうだけどさぁ。

 姉ちゃんひとりの買い物につき合うだけでも色々と大変なのに、女子三人となるといったいどれぐらいの時間拘束されることになるか。

 肩身の狭い女性服売り場で人目を気にしてこそこそ立ち尽くす情けない自分の姿が容易に想像できる。

 なんの罰ゲームだよと、溜め息が零れた。


 あの得意気な顔からして、きっとこの不意打ちを計画したのは美香だ。こんなことになるならいっそ大人しく映画につき合ってればよかった。

 映画なら、上映中居眠りすることだってできたのに……。


 俺に『時戻し』ができるなら、今すぐGWの予定を聞かれたときに戻りたい。


「ほら、行くよ」


 姉ちゃんに手首を引っ張られ、俺は渋々足を動かした。


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